傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠

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 教会近くの浜辺は、ダイアナにとって大切な場所だ。夏の終わりに、サンディーに出会った場所もここなら、ダイアナが自分の未来のために心を決めた場所もまたここだった。だから彼女は、悩みごとがあるときには浜辺を散歩することにしている。

 余所者が入り込めば、船や馬車を降りた瞬間からあっという間に話が広がっていく小さな海辺の町。波乱万丈なダイアナの人生を知らないのは、まだ幼い子どもたちくらいなものだ。

 変な詮索をされることなく静かに暮らすことができたのは、サンディーのお陰である。彼はダイアナのために心を砕き、町の預かりとなっていた祖父母の財産までダイアナが受け取れるようにしてくれた。だから、ダイアナはシスターとして教会に留まる必要はなかったのだ。実際、サンディーにも似たようなことをやんわりと言われたことがある。

 それでも彼女は教会に留まり続けた。それこそが彼女の唯一の望みだったから。

(これ以上大それたことなんて望まない。ただそばにいたいだけなのに)

 ダイアナが足元の白い貝殻を拾い上げようとしゃがみこむと、後ろから声をかけられた。

「やっと見つけた!」

 振り返れば、少しやつれた、けれど貴族らしい端正な顔立ちの男がひとり。それはダイアナのかつての婚約者だった。彼女が柔らかく微笑みかけると、男が息を呑む。

「旅のお方、どうかなさいましたか。もしかして、道に迷われたのでしょうか?」
「久しぶりだね!」
「……申し訳ありません。事故のせいで、記憶があいまいで。どちらさまだったでしょうか」
「ああ、そういえば記憶喪失だとか言っていたな。手足の麻痺は治ったようだし、問題ないか。早速だが、僕と結婚してほしい」

 男の言葉にダイアナは目を丸くした。男がダイアナに手を伸ばすが、彼女は一歩後ろに下がる。

「どういうつもりだ。なぜ僕を避ける」
「奥さまがいらっしゃるというのに、どうして求婚まがいのことをおっしゃるのでしょう?」
「僕を知らない君が、僕が既婚者であることをなぜ知っている? 記憶喪失というのは嘘だったのか? まあいい。あの時のことは水に流そうじゃないか」

 ダイアナの気持ちには興味がないらしい。自分勝手な言い分を並べ立てる男を前にため息をつく。肩をすくめながら、男の左手を指差した。

「あなたの左手の薬指には、細い白い線が残っておりますから、結婚指輪をはめていたのだろうと思っただけです。一度結婚すれば、死別以外の離婚は許されていません。あなたの年齢で奥さまと死別というのは珍しいですし。訳ありの男性に口説かれても、警戒するのが普通ではありませんか」
「ああ、そんなことを気にしていたのか。指輪なら、先ほど陰気な教会騎士に投げつけてやったよ。僕が君を探していると言ったら、変に詮索してきたからね。彼は君のことを自分の女とでも思っているのかな。そんな不道徳な輩は、窃盗の罪で警らに突き出してやろう」

 貴族相手への窃盗は重罪だ。ぴくりとダイアナの肩が震えた。

「まったく。かつては、『傲慢令嬢』と呼ばれた君が、こんな田舎町の寂れた教会でシスターなんかをやっているとはね」
「はあ」
「僕が迎えに来たからにはもう大丈夫さ。こんな場所で腐る必要はないんだ。一緒に華やかな王都に帰ろうじゃないか」

 いきなりダイアナを抱き寄せると、無理矢理口づけを迫ってくる。深窓の令嬢であれば、悲鳴さえあげられずに失神してしまうだろう。だが、ダイアナは深窓の令嬢でもなければ、生粋の令嬢でもなかった。

「何勝手なことしようとしてんのよ、このすっとこどっこい。一昨日来やがれ!」

 静かな浜辺に乾いた音が響き渡る。彼女の罵声に呼応するかのようにウミネコがみゃあみゃあとふたりをはやしたてた。
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