おかえりなさい。どうぞ、お幸せに。さようなら。

石河 翠

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 私をひととして扱ったがために、騎士さまは隣国との戦の最前線に送られた。神殿と対立したがゆえの、あからさまな見せしめだった。

「どうか泣かないで。俺は必ず戻ってくる。いつか、君の歌を聴かせておくれ」

 ああ、騎士さま。そんなことおっしゃらないでください。

 私のせいで騎士さまが大変な目に遭っているというのに、私のためにそこまで力を尽くしてくれていたことが、めまいがするほど嬉しくてたまらない。この方が幸せになれるのなら、今すぐ死んだってかまわないのだと言い切ってしまえるのに。

 どうしても離れがたくて、騎士さまの手を離せなかった。最初に出会ったときと同じように困ったような顔をしている騎士さまは、私を突き放さずに受け入れてくれた。もしかしたら、騎士さまも戦場に出るのは恐ろしかったのかもしれない。私のような何のとりえもない女が騎士さまの心を慰めることができたのなら、これ以上ない幸福だ。

 初めての口づけは火傷しそうに熱かった。与えられた痛みも快感も声を上げずにはいられなかったはずなのに、それでも私の口からは何ひとつ漏れ出ることはなかった。大神官さま直々に嵌められた首輪は、とんでもなく強固な呪いをかけられていたらしい。

 甘い嬌声ひとつ出せない女はたいそう面白みにかけただろうけれど、それでも騎士さまは辺りが白く明るくなるまで、私を乱し続けた。そうして私が意識をなくしている間に、騎士さまは戦場へ旅立ってしまったらしい。目覚めた寝台でひとりきり、声の出せないまま涙を流し続けた。

 出した手紙は星の数ほど。けれどいつの間にか返事は途絶えがちになり、やがて完全になくなった。ちょうど同じころ私は、再び神殿の奥に閉じ込められることになった。かつて過ごしたはずの自室は、さらに陰鬱さを増していた。

 そして初雪の降った日、あの方が亡くなったという知らせが届いたのだ。敵襲から逃げ遅れた部下を庇ったのだそうだ。最期まであの方らしいと思い、それでもどんなみっともない生き方だったとしても生きていてほしかった。

 呆然と座り込む私の前で、大神官さまは楽しそうに騎士さまの死にざまを伝えてきた。ひとの死を喜ぶこんな男が、大神官だなんて神さまは本当にどうかしている。本当に私に災厄の力があるのだとしたら、この男にいかずちを落としてやるのに。

 私が書いた手紙は、そもそも騎士さまに届いていなかった。私を無視する周囲の人々が、私の願いを叶えてくれるはずがなかったのだ。騎士さまがそばにいたからこそ、穏やかに暮らせていただけでそういえば私の暮らしというのはもともとこんなものだった。

 時折届いていた騎士さまからの手紙は、人間に託したものではなかったから。魔力を無駄にしてはいけないはずの場所で、転送陣を展開して私に直接届けてくれていたらしい。どうりで、手紙の内容が私の書いた内容とまったくかみ合わないわけだ。戦場まで届くのに時間がかかるからだと思っていた私は、なんて愚かだったのだろう。平和ボケにもほどがある。

 間違いであってほしいと思ったし、そう祈り続けたけれど、いくら待ったところで騎士さまは戻ってこない。戦が終わる気配は微塵もない。ゆっくりと私の中で、柔らかな部分が腐り落ちていく。あの方に育てられた人間らしさが。

 気が付けば、騎士さまが美しいと褒めてくださった瞳が、髪が、真っ黒に染まっていた。指先まで墨を含ませたような色に変っているのを見て、私は唐突に理解した。その時が来たのだと。

 ――君を愛している――

「ええ、私も愛しているわ」

 幻聴が耳を通り抜けていく。春風によく似た、甘く優しい騎士さまの声。

 ひとりぼっちの私は自分自身を両腕で抱きしめる。ひどく寒くて、今にも凍え死んでしまいそうだ。白い息が立ち上った。

 さあ、歌を届けましょう。
 愚かで哀れなひとの世を終わらせる、滅びの歌を。騎士さまのいない世界に、存在する価値などないのだから。

 抑えられない律動が、私の内側から湧き上がる。禍々しい憎しみ、焼けつくような怒り、ひりつくほどの悲しみ。溺れてしまいそうな負の感情が濁流となり、私を呑み込んでいく。

 あの方が望み、願ってくれた声で、いびつな旋律を高らかに歌い上げる。遠くから雷鳴と地響きが聞こえた。
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