世の中は意外と魔術で何とかなる

ものまねの実

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ヤブー砦にて

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「えー!嘘だー!」

 ヤブー砦を目指す移動の小休止中、突然パーラが素っ頓狂な声を上げた。
 意外と響き渡った声に、周りで休んでいた者達も何事かとこちらを見てくる。

「嘘じゃあないさ。本当に生まれたばかりの赤ん坊を馬の背に乗せて子育てするんだ。そのおかげで、僕達はこうして馬と一体のようにして乗りこなるってわけ」

 そう言ってグルジェが自分の馬に跨り、手綱をくねらせると馬がダンスを踊るようにして小刻みにステップを踏みだした。
 ゆっくりと歩く速さはそのままに、馬蹄の音の変化が反映されたその足裁きは、馬自身が楽しんでいるようにも思える。

 強制されているわけでもなく、いつもの遊びだとでも言わんばかりのその姿は、乗り手との信頼の深さを表しているようだ。

「ゎ…すごい」

「うむ、大したものだ。流石は騎馬の民と謳われるだけあるな」

 その光景を見たパーラとディースラから感嘆の声が上がる。
 人と馬、直接言葉を交わすことができない生き物同士でありながら、こうまで自在に動かせているのには感心してしまう。

 ディースラが言ったように、ラーノ族は騎馬の扱いに長けた部族として有名で、今目の前でグルジェがやったような芸当がラーノ族では当たり前の技だとするならば、ジブワが率いる騎馬隊を相手するのに少しばかり警戒心も強まる。
 なにせニリバワも決して馬の扱いは下手ではないのだが、こうして馬を並べて走らせてみると、やはりグルジェ達と俺達では乗馬技術に明らかな優劣が目立つ。

 ジブワ達もラーノ族である以上、グルジェを基準にすれば騎馬を用いた戦闘では手ごわい相手となり得るだろう。

「よっ…ほっ…と、こんなところか。どうだい?今ので僕に惚れたかな?」

 馬の足を通常通りの歩みへと戻したグルジェが、パーラへ向けてキメ顔でそんなことを言う。
 実はこのグルジェ、先程からパーラへ対して友好を超えたアピールをしていた。
 いや、アピールなどという表現など使わずとも、パーラを女として見て、気を引こうとしているのがあからさまだ。

 本来ならグルジェは休憩中もニリバワと一緒にいるべきなのだが、移動中からずっと俺達…というよりパーラへと近付いてきていたのも、何が目的かは分かりやすい。

「いや、凄いとは思うけど、別に惚れるほどじゃ…」

 しかしパーラはそんなグルジェのアピールにも靡かず、困った顔でそう返す。

「なん…だと…。バカな…、馬の扱いが上手い男はモテるって爺ちゃんが言ってたのに…」

 まるでこの世の終わりかのような顔で唸りだしたグルジェだが、その発想が思春期の男子丸出しで聞いていて少し切ない。

「ラーノ族の基準ではそうなのだろうが、誰もがそうだとは限らんということだな。しかしお主、妙にがっついとるな。まさかとは思うが、ジブワを追うついでに嫁探しにでも来たのか?」

「え……いや、まぁ、そんなことはない…こともないというか…」

 ディースラに言われて顔を逸らすグルジェだが、一瞬誤魔化そうとして、しかし最後までそれを貫くことは出来なかったようだ。

「なんだお主、その年で独り身か?」

 外見から見たところ、二十代だろうと思われるグルジェが未だ独身であり、嫁探しに勤しんでいるが故の焦りだとすれば、先程からの態度にはむしろ好感を持てる。
 こちらの世界での結婚適齢期は早い。
 そこから考えると、グルジェが嫁探しに躍起になるのは何らおかしくはない。

「いえ、妻ならば三人おります。子供も四人います」

 なんだとこの野郎。
 こいつ、まさかの一夫多妻制に染まった悪魔だったとは。
 権力者や富豪ならば珍しくないとはいえ、男の夢の一つを既に叶えているくせに新しく嫁を得ようとするなど強欲極まる。
 ついさっきグルジェへ抱いた俺の温かな気持ちはもう失せた。

「妻がもうおるというのにまだ嫁を欲しがるとはな。今いる妻に飽きでもしたか?」

「とんでもありません。妻達に不満もなければ、飽きもしていません。未だに夫婦仲はいいですよ。ただ、それはそれとして、僕はラーノ族の男として子を多く作る義務があるので、妻も多く必要なんです」

 ただの女好きというわけではなく、地位や経済力があるために、多くの妻を娶るという考えはこの世界では割と普通だ。
 恐らくグルジェもその口だろう。
 同族の離反者の追撃を任されるほどなのだから、部族内での地位も低いわけがない。

「ほう?その口ぶりからすると、ラーノ族でも相応に偉ぶっておるようだな。そういう者の義務ならば我もどうこう言うまい。で、どうだ、パーラ?こういう男に嫁入りする気は?」

「ないです」

 ディースラはニヤニヤとした笑みを浮かべつつパーラへ水を向けたが、素っ気なく返されて落ち込む表情を見せたグルジェの姿に、堪えきらずといった勢いで笑い声をあげた。

「はっはっはっはっは!振られたな、グルジェ。しかしまぁ、このパーラはアンディに惚れておるしな。詮無きことよ」

「あ、ちょっとディースラ様!そういうのって普通、本人の前で言わないもんでしょ!?」

「むっはっはっはっは!よいではないかよいではないか!」

 第三者から内心をカミングアウトされるという恐ろしい仕打ちに、顔を赤くして慌てるパーラに対し、ディースラは更に笑い声を大きくしていく。
 人の慌てる姿をおかずにああも楽し気に笑えるとは、相変わらずデリカシー
 のないドラゴンだ。

 俺の名前がでたことでこちらに話題が飛び火してくるのも面倒だし、ここは聞こえなかったことにしよう。

 俺は今、難聴系の男になる。






 グルジェ達と共に走り続け、約一日の時間をかけて俺達はヤブー砦が臨める場所までたどり着いた。
 遠くに見えるその威容は、周囲を長大な城壁に囲われたまさに堅城と呼べるものだ。

 あの砦はスワラッド商国と他国との国境線を見張る役目を与えられ、ワイディワ侯爵領内にある国境警備隊の拠点としては最大規模を誇るらしい。
 そんな場所だけに、防衛拠点のほかにも交易の中継地としても機能しており、城壁の中には大都市と呼んで差支えのない規模の街並みがある。
 平時であれば多くの人が出入りする光景も見られたことだろう。

 しかし今は、月下諸氏族連合側からラーノ族が国境を越えて侵攻してきた影響か、城門は固く閉ざされ、ただならぬ雰囲気が見る者へ圧迫感を与えてくる。

 街道を辿って砦の前までやってくると、まずはニリバワが単騎で門へと駆けよって呼びかけた。

「我らはスワラッド商国より支援として遣わされた、特務派兵隊である!率いるはニリバワ・サーラーム!こちらにおわすワイディワ侯爵閣下にお目通しを乞う!ただちに開門されたし!」

 十分に門の向こうまで響いたと分かる声が木霊し、それから少し待つと重苦しい音とを立てて門がゆっくりと上がっていく。
 そして人と馬が十分に通れる高さで動きを止めた門の向こうに、恐らくこの砦の兵士であろう集団が見えた。

 先程のニリバワの名乗りは当然彼らにのも聞こえていたはずだが、それにしてはこちらを見る目に剣呑さが籠っているのが気になる。
 その集団の中から、指揮官と思しき老人が一歩前へと出てきて口を開く。

「お待ちしておりました、ニリバワ様。ご無事の到着をまずはお喜びいたします。私はこの砦の北門を預かる、クアジムと申します。お見知りおきを」

「うむ、出迎えご苦労。その様子だと、先触れの兵士は役目を果たしたようだな。持たせた書簡は閣下に確と届けられたか?」

 グルジェ達と同道することが決まってすぐ、俺が進言するまでもなくニリバワはヤブー砦へと先触れの兵を送り出していた。
 その際、共に向かうことになるグルジェ達についても書簡に記して持たせていたため、それがちゃんと届けられたかはやはり気になるところか。

「はい、書簡は確かに我が主の手にあります。そして、それによってニリバワ様達に同行するラーノ族を砦内へ招くよう申し付けられました」

「そうか、では中へ入れてくれるか?こんな時間まで走ってきたせいで皆疲れている。早く休ませたい」

 今の時間はもう夕暮れを迎えた頃で、野営地を発ってからここまで小休憩を挟みはしてもずっと馬を走らせ続けてきた。
 馬に乗り慣れている者でも、疲労を覚えていない者はいない。
 もっとも、ラーノ族に限ってはどいつも平然として疲れの欠片も見られず、こういったところでも格の違いを痛感させられる。

「勿論でございます。すぐにでもご案内いたしましょう。…ただ、そちらの方々もご一緒でよろしいのでしょうか?」

 そう言って、クアジムはニリバワの背後へと視線を向ける。
 するとそれに引っ張られるようにして、クアジムの背後にいる兵達もこちらを見てきた。
 その目は同胞に向けられたにしては冷たさがあり、しかしすぐにグルジェ達ラーノ族に対してのものだというのに気付く。

 ニリバワと共にやってきた兵士達はともかく、ラーノ族に関しては歓迎しないという空気がしっかり感じられ、ともすればここで一戦始まるのを警戒してしまうような雰囲気だ。
 グルジェ達が砦へ入るのを歓迎しないというのも伝わってくる。

「…なるほど、やはりラーノ族を前にしては穏やかではいられんか?」

 砦側の人間が放つ剣呑な雰囲気を感じ取ったニリバワは、諭すような口調で目の前の老人へ問いかける。
 年の功からか、若い兵士達ほど感情の変化を見せないクアジムだが、グルジェ達とそれ以外では向ける目つきが違う。
 この老人もまた、ラーノ族に対して何も思わずにはいられないのだろう。

「我が主より、やってくるラーノ族は敵として遇することを禁じる旨、通達を受けております。しかしながら、例え我が国を襲った者達とは別だとしても、同じラーノ族が目の前にいれば、憎しみの矛先が全く向かないとは参りません。此度、我らの領地ではそれほどのことがありましたもので…」

 ニリバワが送った書簡には、ジブワのことを書いていたはずで、グルジェ達がここでスワラッドの人間から非難されることはないはずだ。
 しかし、それでも人間の感情は単純なものではなく、憎しみを向ける先が手近な場所にあれば、どうしても安易な感情の発露へと走ってしまう。
 それが今、ヤブー砦の兵士達がグルジェ達へ向ける目の正体というわけだ。

「確かにラーノ族が我が国にしたことは、大きな怒りと屈辱を齎した。お前達の思いはもっともだ。だがあえて言おう、このラーノ族は我が国を襲った者達とは別であり、恨むのは筋違いだ」

 きっぱりと言い切ったニリバワの言葉に、ヤブー砦の兵士達の目つきがさらに鋭くなる。
 中には剣の柄に手を伸ばす者もいるほどで、正直、筋違いという言葉がまずいと、聞いていただけの俺も内心で焦ってしまう。

 恐らく彼らレベルの末端の兵士には、ジブワのことはまだ伝えられておらず、単にグルジェ達は侵攻してきた部隊とは違うとしか教えられていないのではないだろうか。
 その彼らにしてみれば、国境を侵され、守るべき民を殺された怒りが燻っていたところで、都合よく表れたグルジェ達へそれを向けずにはいられなかっただけだ。

 それを自分達と同じ側にいると思っていたニリバワのあの言いようで、怒りや失望、悲しみと言った感情が膨れ上がっているのかもしれない。

「諸君らの気持ちはわかる。私とて今回の事態を憂い、憤っている一人なのだからな。だがそれでも…いやだからこそ、討つべき相手を間違ってはいけない。我らが討つのは、ラーノ族全てではない。愛すべき民を無慈悲に撫で斬りにした、一部のラーノ族の兵だ。今この者達を討ったとて、それは一時の感情を晴らしたに過ぎん。正しき怒りは正しき方へ報わせよ」

 演説染みたニリバワの言葉に、感情を高ぶらせていた者達も、歯を食いしばりながら視線を下に向ける。
 それに合わせて、辺りに漂っていた剣呑な雰囲気も和らいでいく。
 ラーノ族に対する悪感情をこれで完全に抑え込めたとは言い難いが、少なくとも今すぐにグルジェ達に刃が向けられるという事態にはならないだろう。

「お言葉、この老骨によく染み入りました。仰りようはまさにもっともにございます。しからば、この砦内でそちらのラーノ族の方々を傷つけることはないよう、微力を尽くさせていただきます。皆、よいな?」

『はっ!』

 あたりの空気が変わったところで、クアジムがニリバワに礼の態度を取ってそう言うと、その背後にいる兵達も背筋を伸ばして態度を改める。
 まだ歓迎されているとは言えないまでも、少し前のヒリついた対峙を考えれば、大分ましだ。

「ほう…これはまんまと利用されたな?ラーノ族への憎しみで兵の人心掌握に手こずっていたか、あるいは暴走の兆候でもあったか?いずれにせよ、兵の空気は変わったようだ。中々の手腕だな、クアジム殿」

「いえいえ、そのようなことは。ニリバワ様のお言葉で兵達の目も覚め、本来の規律を取り戻したようです。私などがそのような大それた企み事など」

 穏やかな顔で否定をするクアジムだが、俺もニリバワの言葉に同意したい。

 先程の兵士達の様子を考えると、ラーノ族に対する怒りの感情は相当なもので、いつか暴走する可能性もゼロではない。
 重要拠点の門を一つ任されるだけあって、クアジムの地位は相応に高く、ニリバワがワイディワ侯爵へ宛てた書簡にいても、侯爵から多少は聞かされていたはずだ。

 そうして得た情報を加味した上で、いざという時の指揮系統の乱れを恐れ、ラーノ族と対峙させてガス抜きに近いことをしようと考えたのだろう。

 都合よく、グルジェ達は討伐する必要のない相手ではあるため、クアジムにとっては怒りの方向性と鎮静の仕方がコントロールしやすいとでも考えたのかもしれない。
 ニリバワ達を出迎えて労う場面で、ついでに兵士達の意思を揃えることを画策したクアジムは大したものだ。

 普通ならニリバワの怒りを買うのを恐れるところだが、ラーノ族を連れてきたことで起こる混乱は彼女も望んでおらず、そこまで計算に入れてのこの企みだとしたら、このクアジム、伊達に年を食っていないということか。

「さて、本当の腹の内はいかがなものか……まぁいい。兵達のことは頼むぞ。それと、閣下への面会を急ぎ取次いでくれ。書簡で既に伝えているが、こちらのグルジェ殿を交えた会議がしたい」

「かしこまりました。直ちに手配いたしますゆえ、まずは皆様とこのまま奥へお進みください。案内の者が宿舎へと誘導いたします」

「そうか、ではよろしく頼む。総員、誘導に従って入城せよ!宿舎へ到着後は、各小隊ごとの点呼と装備の確認だ!」

『はっ!』

 ニリバワは背後へ振り返り、全員に聞こえる声でこの後の行動の指示を出す。
 ラーノ族を除いて誰もが疲労を覚えているからか、力強い返事をして馬を進めていく兵達の姿には嬉々としたものが表れていた。
 一晩だけとはいえ野営もしているため、ちゃんとした宿で眠れるという安ど感は隠せないようだ。

「二人とも、我らもいくぞ。宿に着いたらまずは水浴びの用意をさせねば。髪も肌も汚れてたまらん。この乗り方は前方から土埃がかかって適わぬ」

 自然と小隊ごとに移動を開始したため、ニリバワやディースラといった偉い立場の人は最後の方となってしまったが、ようやく俺達も砦へ入る時が来た。
 その走行スタイルのせいか、よく見るとディースラは全体的に煤けたような汚れが目立つ。

「私も水浴びしたいよ。船の上からここまで、体を軽く拭くぐらいしかできなかったもん。もうあちこちベッタベタ」

「まったくだ」

 女同士、ディ―スラとパーラはこの後の宿での水浴びを想像してか、キャッキャと楽しげな声を上げたが、それに水を差すように声がかかる。

「お待ちください、ディースラ様」

「ぬ?……ニリバワよ、なんぞ用事なら後にせい。我はとにかく今、水浴びをしたいのだ」

「まことに申し訳ありませんが、後に出来る用事ではありません。ディースラ様にはこの後、ワイディワ侯爵との会議に参加していただきます。水浴びはその後になさいますよう」

 ピシャリと言われた言葉に、ディースラが一瞬呆けた顔を見せたが、すぐにその表情を渋いものへと変えてニリバワへと言葉を返す。

「…なぁ~にぃ~?なんで我が…いや、参加するのはいい。だが何もすぐにではなくともよいのではないか?ほれ、ちゃちゃっと水浴びするぐらいの時間はあろう?」

「さて、それはどうでしょう。確かにクアジム殿がワイディワ侯爵へ取り次ぐ時間次第ではそれもできましょうが、果たして…」

「あぁ、まだこちらにおいででしたか。ニリバワ様、我が君がすぐにお会いになるそうです。会議の席も整えておりますので、よろしければすぐにお招きしたく」

 ニリバワが言い終わる前に、ワイディワ侯爵への取次へと動いていたクアジムが戻ってきて、会議のセッティングが終わったことを告げる。
 到着時間ははある程度予想できただろうが、それにしても要請してすぐに答えるとは、ワイディワ侯爵の判断は早い。

 為政者として熟慮に欠けるか、あるいは即断即決に優れているかは評価に分かれるところだが、今に限っては一人の恐ろしい存在の怒りを買う結果となった。

「貴様ッッ!」

「ひっ!?あ…が…な、なにか私めは粗相を…?」

「いや、クアジム殿は何も悪くない。ディースラ様が勝手に怒っているだけだ。気にしないでくれ」

「どーどー、ディースラ様、落ち着いて」

 水浴びが先送りとなり、ディ―スラがとんでもない形相で叫ぶものだから、ドラゴンの本気の怒りに晒されてクアジムが哀れなまでに怯えてしまったが、ニリバワとパーラの二人で宥めにかかる。
 クアジムが悪いわけではないというのに、この怒りようである。
 なんとも我が儘なドラゴンだ。

 その後、水浴びの後の香油を手配するという餌で丸め込まれたディースラは、ニリバワとグルジェを引き連れてワイディワ侯爵との会議へと向かった。
 事実上、この地のトップと外部から来た実働部隊のトップによる会議ということで、当然ながら俺とパーラは同伴しない。

 無理なものは無理とニリバワにきっぱりと言われて諦めていたが、往生際が悪く、ディースラはギリギリまで俺達を道連れにしようと足搔いていたのが何とも見苦しかった。

「アンディ、私達は宿舎の方に行こう。あの様子だと、ディースラ様達の会議は長引きそうだし、先に汗を流しちゃおうよ」

 去っていく姿が見えなくなったあたりで、パーラが気を取り直したように宿へ向かうのを提案してくる。
 先程まで、汚いドラゴンの駄々を耳にした疲れもあるのだろう。

「そりゃあいいが、先に水浴びなんかしちまったら、ディースラ様になんか言われたりしねぇかな?俺達一応、あの人の世話係だし」

「大丈夫でしょ。文句でも言われたら、世話係でこの砦の水の肌当たりを確かめてたとか言えばいいんだよ」

「…お前、相変わらず色々とやり口が雑だな。この先、そんなんで世の中渡っていけると思うなよ?」

「そう思うなら、アンディが何かいい手を考えてよ。ほら、行こう」

 あまりのも雑な思考のパーラに戦慄を覚えつつ、先立って進んでいく背中を俺も追っていく。
 何かいい手を考えろとは言われても、そうポンポンとアイディアが出てくるほど俺は便利な人間じゃないのだがな。

 そうして先に兵達が向かった方向へ馬を進めながら、砦の中の街並みを眺めていく。
 軍事拠点でありながら交易都市の側面も持つだけあって、このヤブー砦は一般人が暮らす家屋や商店などが存在している。

 俺達が今歩いているこの通りも、本来は行軍や交易を考えてか、石畳を敷いたしっかりとした道だ。
 周りに並び立つ建物はほとんどが木造だが、石造りの建物もそれなりに多く、その配置から想像するに、仮に砦内にまで攻め込まれた時には、建物を壊してバリケードにする目的もあるのかもしれない。

 今は夕方だが、人通りはほとんどなく、時折家屋の中から通りを覗いてくる目だけが住人の存在を知らせてくれる。
 これは恐らく、俺達がやってきたことで住人達は早々に家へ引きこもったせいだ。
 友軍ではあるが、軍事行動を取る存在が街中へ入るのなら、余計なことをして目を付けられないようにとでも考えたわけだ。

 今この国はラーノ族の侵攻を受けたばかりで、しかもここは最前線といっていい場所だ。
 ここに暮らしている者も、色々と敏感になっているのだろう。

 暫く通りを進んでいくと、周りと比べて巨大な建物と広大な敷地を備え、その周囲を鉄柵で囲んだ地区へとたどり着いた。
 どうやらヤブー砦に設けられた屯所か訓練所といった感じで、門のあたりに見覚えのある兵の姿があることから、俺達に与えられた宿はここになるようだ。

 ―あんた達のせいで、私の息子は死んだ!

 中へ入ろうと門へ近づいていくと、突然俺達の耳を悲壮な声が叩く。
 声の主は門の向こう、俺達が宿とする敷地内にいるようで、そこでは街の住民と思しき数人の姿と、ヤブー砦に詰める兵士に混ざって、俺達と一緒に来たラーノ族の青年の姿があった。

 ラーノ族の青年は、グルジェの副官としてここまで付き従ってきた者で、名前は確かラビン。
 グルジェがニリバワと共に侯爵の所に行っている今は、残るラーノ族の指揮を執るのが彼の役目だ。

 そのラビンだが、住民から何か言われているのをそのままに、特に何か反論することもなくただ目を瞑って黙っているという光景から、何が起きているのかは簡単に想像できた。

 スワラッドの人間にとって憎むべきラーノ族がいて、それを目の前にして何をするのかなど考えるまでもない。
 そして、先程聞こえた言葉からして、あそこにはジブワによって殺された人間の血縁者がいるのだろう。
 村一つ分の人間を虐殺したのだ。
 人の繋がりの分だけ、さぞや悲しみと怒りを巻き散らしたことだろう。

「息子はたまたま村に行っただけなのに!あんたらは命乞いも聞かずに殺したんだろう!?」

「あの村には俺の姪っ子もいた!まだ数えで四つになったばかりだ!なぜ死ななきゃならん!」

 どの声も、ラビンに対してぶつけられているが、実際はラーノ族への怒りや憎しみに染まったもので、矢面に立っていない俺が聞いても、胃が縮みそうになる痛々しさがある。

 しかし、この戦いでの犠牲者である住民の声は正当なもので、その怒りの矛先は本来ジブワ達へ向けられるべきなのだが、この場にいるラーノ族はラビン達だけであり、そこへ向けるしかないのがなんとも物悲しい。

 それらの言葉はあまりにも感情的で、彼ら自身もそうしたところで死んだ者は帰ってこないし、自分の悲しみが完全に消え去るなどとは思っていないはずだ。
 だが、口に出さずにはいられないのが人間というもの。
 それだけの不幸を、ジブワ達は生み出したわけだ。

 ヤブー砦側の兵士も、住人達の非難を止めるべきか迷っている様子なのは、彼らの気持ちを慮りながら、一方で職務を遂行するべきかで葛藤を覚えているからだろう。

「…亡くなられた方々については、まことに申し訳なく思う。同じラーノ族がしたことである以上、ただただ恥じ入るのみだ。しかしあえて言わせてほしい。我らはあなた方の土地を蹂躙した者達とは違う。その者達を討つためにやってきたのだ。非難するなとは言わない。今この地にいるラーノ族の一人として、その声を甘んじて受け入れよう。だが必ずや、件の者達の首を亡くなられた方達の墓前に捧げると誓おう。それまではどうか、怒りの向く先を私一人に留めてはくれまいか」

『――ッ!!』

 落ち着いた中に悲しみが十分に籠ったラビンの言葉に、住人達は非難の言葉を罵倒へと変えてさらに吐き出していく。
 火に油を注いだとは言わないが、今の言葉で留飲を下げさせることは到底できず、またラビンもそれは承知の上で住民の声を一身に受けようと佇む。

 本来は争いごとから遠いところに暮らすであろう人間が、怒りと涙に塗れながら声を発し続けるその光景は、まるでこの世の無常を表しているようでもある。

『戦争ではいつも善良な者から殺される』とはよく言うが、きっと最初に犠牲となった人間はごく普通に暮らす、変わらない明日がまた来ると信じていた、生きるに値する人達だったに違いない。
 それだけに、残された人達の思いは何よりも重く、そして硬いものになる。

 今ここにある光景は、この騒乱におけるスワラッドとラーノ族の対立を分かりやすく表しており、加害者と被害者が明確なように見える。
 しかし、真に責められるべき者が誰かを知っている俺としては、この光景がただただ空しいものに思えてならない。

 正しい怒りは正しい方へとは先程ニリバワの言った言葉だが、まさにそれはここにいる人達へと投げかけられるべきものだ。
 だが一方で、彼らの心境を思えば、感情の全てをここで吐き出させるのも間違いではない。
 死の隣を歩いて生きていない、平穏な暮らしを送っていた者達はそうでもしないと心が挫けてしまう。

 砦を守る城壁は、ここに暮らす住民を守ってはいるが、悲しみを癒す暖かさは与えてくれない。
 夕暮れが過ぎ、空が赤から黒へと移り変わる中、砦側の兵士達によってその場が解散されるまで、俺はその場から動くことができなかった。

 多くの人に不幸をもたらしたジブワ達だが、ニリバワやワイディワ侯爵、それにグルジェ達は必ず奴らを追い詰める。
 それだけの決意を彼らからは感じていた。

 ラビンが言ったように、首を落とすその瞬間がやってくるとするなら、死に塗れるその顔を蔑みながら拝むことが、死んでいった人達への手向けになると思うしかない。
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