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5話
しおりを挟む子供達へのお菓子、刺繍に使う布、頼まれていたチーズをハリーが持っているのでラヴィニアは手ぶらで戻ることとなった。自分で買った布は自分で持とうとしてもハリーは頑なに持ちたがった。荷物係が好きなのかと問うても首を振られる。本人の好きなようにさせれば良いのかもと諦め、修道院に戻ると一台の馬車が目に留まり――心臓が飛び出そうな程驚く。
足を止めると「ダリア?」とハリーに呼ばれるも、停車している馬車が豪華で「ああ」と納得された。
「貴族の馬車は初めて見るのか。しかしこの馬車は公爵家の……」
「……ハリーは知ってるの?」
「ちょっとな。シルバース公爵家って言って、皇帝陛下の妹が嫁入りした名家だよ。院長が言ってた大事な訪問者はシルバース家の人か。シルバース公爵も修道院に多額の寄付をしてくれているが一体どうして」
やけに詳しいハリーを訝しく思うより、此処を訪れたのがシルバース家の者だというのがラヴィニアに不吉な予感を抱かせた。
魔法で髪や瞳の色を変えて、顔立ちも少し変えている。バレる可能性は低くても万が一がある。
冷静に、冷静に、と言い聞かせ、荷物をハリーに任せてラヴィニアは先に建物へ入り、部屋に戻って扉を閉めた。
「ダリア? どうしたんだ。具合でも悪いのか?」
追い掛けて来たハリーが扉越しから声を投げかけてくるも、不安で一杯なラヴィニアは「大丈夫よ、少し休めば治るから」と早く違う場所へ行ってほしい想いでハリーを追い返した。扉の向こうにいた彼は渋々と戻って行った。後で謝ろう。
問題はシルバース家からの訪問者。可能性としては公爵か夫人だろうか。メルがこんな場所に来るわけがないのに不吉な予感は消えない。増殖していく。
「……」
何度か深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、部屋にいるより現状外に出て夕刻前に戻るのが最適かもしれない。長居はしない筈と予想し、そっと扉を開けたラヴィニアはまず周囲に誰もいないかを魔法で確認。風で人の気配・匂い・音を引き寄せ、誰もいないのを確信し部屋を出た。真っ先に向かうのは外。午前は外で遊んだり、勉強をする子供達の世話を見たり、大人達は昼食の準備に取り掛かっているのが多い。掃除や洗濯は週毎に担当が変わる。ラヴィニアは今週担当だっただけに過ぎない。
慎重に、急いで、外へ出て。ハリーが教えてくれた人が来なくて静かでいられる場所を目指した。建物から森の中へ進んだ。木漏れ日が道を照らして、先にある花畑へと導く。院長が魔法を使って世話をしているらしく、彼の知り合いらしいハリーは許可を得て時々一人で来るのだとか。花畑を荒らさないならラヴィニアも行っていいというので今日初めて向かっている。
「シルバース家の人って……誰が来たんだろう」
夕日が沈む辺りで戻ってハリーに訊ねてみよう。貴族が珍しいのだと揶揄われるのは嫌だが、不思議とハリーの揶揄いには人を馬鹿にする要素は含まれていない。
「……メル……な訳ないよね」
二度と会えないと諦めている人に会いたいと反対の感情を抱いている時点でメルへの想いは一欠片も捨てられていない。捨てられるならラヴィニアは楽になって新しい恋を探す。しかし要らない。メル以外の男性に恋をする必要はない。ずっとメルだけを想って生きていくと決めたのだ。
「……きっと、プリムローズ様と……」
そこまで口にして最後を言うのを止め、黙々と歩を進めた。
プリムローズと愛し合っている。口にするだけで胸が、心が、悲鳴をあげて張り裂けてしまいそうになる。
歩いて約二十分は経過したか、いい加減森の景色に飽きてきた所で鼻孔を花の甘い香りが刺激した。期待に胸膨らませ、見たい光景がもうすぐそこにあると速度を上げて歩いた。
「わあ……!」
院長秘密の花畑は広大な薔薇畑だった。一面に咲き誇るピンクの薔薇。何処を見ても同じ色の薔薇が咲き誇る光景に圧倒されてしまい、口を開けたまま魅入ってしまう。ハッとなってほんのりと赤らめて首を振った。誰もいなくても間抜けな顔は晒せない。
魔法で育てているとあって花から微かに魔力を感じる。貴族らしいが大した家柄ではないらしく、魔力があっても攻撃魔法は苦手で植物を育てるのに適した魔法しか扱えないのだと言う。
綺麗な花を咲かせる素敵な魔法だと感心すれば、本人に言えばいいとハリーは笑っていた。
「綺麗。こういう綺麗な場所メルと行きたか……あ」
いけないいけない。
何でもメルと一緒を想定する癖は婚約が結ばれてから何度もしてきた。癖を無くすのは大変でも何時人に聞かれるか知れない。
もう二度と会えない。会えない場所にラヴィニアが来たのだ。
「す、好きな人と行けたらいいわね! …………ね」
ずっとメルだけを愛し続けた、追い掛け続けた自分が新たな恋をする……のは何度考えてもない。
「はあ……」
家の心配はしなくても良いとして、シルバース夫人には最後のお別れをしたかった。訪問客の相手を優先してもらったから、ラヴィニアが帰る頃は未だ対応中だった。
ピンクの薔薇を楽しみながら花畑を一周し終えた時、背中に刺す痛みを感じた。手を後ろに回して背中を触っても痛い箇所はない。
気のせいかと薔薇の美しさを堪能しようと、もう一度花畑を一周と頭に浮かんだ考えは前を向いた直後塵となった。
風に揺れて靡く紫がかった黒髪も、何年見続けても溢れる愛おしい相貌も、広大な空と同じ色の瞳も――見間違える訳がない。
物語で時折登場人物が頭の中が真っ白になるという描写がある。どんな状態になるのか、と読者側だった時は不思議に思うも。いざ現実になると呑気な考えもどう動けばいいかという思考も――何も浮かばない。
唯々、どうしている筈のない人が近くにいるのか、と抱くだけ。
魔法で髪や瞳の色、顔立ちを少し変えている。
バレない。
絶対にバレはしない。
魔法の才能には自信があるのに、自分を視界に捉えたまま距離を縮めて来る彼から――メルから――逃げられない。
手を伸ばせば触れられる距離まで来られるとメルは翳りの濃い空色の瞳でラヴィニアを見つめる。見たことがないメルの昏い顔。気のせいか、若干痩せている。目元に浮かぶ薄っすらとした隈が余計メルの異変を濃くした。
「……」
口を開いても声が出ない。他人のフリをと念じても体がラヴィニアの思い通りに動かない。固まったままでいるとメルの手が伸びてくる。男性にしては繊細で綺麗な手。特別な手入れはしていないのに綺麗なのは狡いと言ってはメルを苦笑させていた。
メルの手がラヴィニアの頬に触れた。寒い季節ではないのに、氷の世界に浸っていた人間の体温と同じ冷たさを持っていた。容赦のない冷たさが頬に触れてビクっと震えれば、目の前のメルは歪で恐ろしい美しさを孕んだ微笑みを浮かべて。
「見つけたよ、ラヴィニア」
魔法で姿を変えていたラヴィニアの変装を自身の魔力で解いた。瞬く間にオレンジの髪と青の瞳、元の顔立ちへと戻ったラヴィニアは今度こそ声を出した。
「メ、メルっ、なんでっ」
此処にいるのは何故、魔法で変装していたのに分かったのは何故、どうやって探し出せたの。
聞きたいのに、知らない笑いを浮かべるメルを前にするだけで怖くて声が出なくなる。
「なんで? ずっと探していたんだ。大体、俺がラヴィニアを見つけられないとでも? 見つけるさ、絶対に」
「な、で、私は、メル、メルに」
メルがプリムローズとキスしていたのが原因でも、傷付ける言葉を放って姿を消したラヴィニアを探す理由がない。
「プリムローズ様と、いたらいいじゃないっ。私なんか放っておけばいいのよ!」
「プリムローズの件はもうどうでもいい」
「どうでもいいって……なんで」
「……ラヴィニアに関係ない。俺と来るのをラヴィニアが拒否する権利はない。キングレイ侯爵夫人は家出した君を侯爵家から除籍したと言っていたよ」
「……」
それは覚悟の上だ。父じゃなく、後妻なのはどうしてか。まあ、あの父が反対する訳もない。
「俺が連れ戻したところでラヴィニアはキングレイ家には戻れない」
「なら……メルは私を何処へ連れて行きたいの……」
メルと話をしてある予想が浮かんだ。メルを傷付けた報復にとんでもない場所へ連れて行かれるのだと。除籍されたラヴィニアはもうキングレイ侯爵令嬢ではいられない。ただのラヴィニアとなった。
冷たい両の手がラヴィニアの頬を包み、上へ動かして下を見ないように力を入れられた。どちらの手もとても冷たい。自分を捉えて離さないメルの表情は見たことがない程、冷徹さを帯びていた。
「二度と……俺から逃げられない場所さ……離れることだって許さない……」
「どういう……」
意味、と紡ぎかけるも急に意識が遠のいていく。
遠くなっていくメルの顔。
急激に重くなった瞼を閉じる直前、ラヴィニアが見たのは……昏くわらいながらも安堵しているメルの面相だった。
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