ラヴィニアは逃げられない

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8話

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 今日一日で分かった事を日記帳に綴っていく。
 目覚めて最初に食べた食事は昼食で、そこからメルと食後の散歩を済ませると室内に戻ってずっと一緒にいた。お互い何をするでもなく、微妙な距離感を保ったまま一緒にいた。じっとしているだけでは時間の進みは恐ろしく遅い。ラヴィニアの得意な刺繍一式が使用人により運ばれた。自分とメル以外の人を初めて見たのもその時。
 散歩をしながら教えられたのは、此処が様々な事情により休養が必要となった皇族が使用する宮だった。元皇女であるシルバース夫人が皇帝に頼んだことで使用が許可された。てっきりシルバース家が所有する別荘か何処かだと思っていたのがまさかの場所だと知らされた時、軽く眩暈を起こし掛けた。
 メルの目的がさっぱりと分からない。散歩中大した会話はなく、花壇に植えられている花が全てラヴィニアの好きな花ばかりであり、気に入ったのがあれば切り取って花瓶に移すと話された。そのままにしておいてほしいと言い、繋いでいた手を離して花の前に座った。季節関係なく咲いているのは魔法によるもの。メルが魔法で咲かせたのだ。ラヴィニアの好きな花を。
 最低な言葉を放ってメルを傷付けたのに、メルに優しくされると罪悪感と共に喜びが溢れる。メルにまだ愛されていると思う自分がいて苦笑する。愛されているなら、他の女性と普通じゃないキスはしない。相手はプリムローズ。メルが特別優しくする唯一の女性。ラヴィニアにだって見せない特上の優しさだ。特別でないのなら逆にどんな気持ちを持っているか聞いてみたい。

 夕食もラヴィニアの好きな料理ばかりだった。
 メルの嫌いな料理がなくてホッとした。自分ばかり好きな料理を食べてメルに我慢を強いるのは嫌だった。苦手な野菜はあったものの、顔に出さず食べられた。食事中の会話も無きに等しかった。お互いに言葉を探っている状態なのは何となくだが察せられた。

 日記帳を閉じて椅子の背凭れに体を預けた。先に湯浴みを終えているから、眠ろうが違う部屋から本を持って来て読むのもいい。
 ただし――ラヴィニアの意思で外へ出るのだけは不可能だった。昼間の散歩はメルが同行していたから可能であって、ラヴィニア一人だと脱走防止の魔法が発動して行く手を阻んでくる。

 プリムローズとの事はどうでもいいと吐き捨てたメルの昏い相貌が忘れられない。どうでもいいならあのキスはなにか、どうして特別優しいのか、聞きたい事が山程あるのに、いざプリムローズを選ばれると永遠に立ち直れない。身勝手な人間だと自分自身が嫌いになる。


「ラヴィニア?」


 ラフな格好をしたメルが部屋に入って来た。髪がしっとりと濡れ、毛先から水滴が垂れている。服はボタンを数個しか留めてないから肌が多く見える。
 騎士でも魔法師団にも所属していないのにメルの体は引き締まっていて、お腹に無駄な脂肪は一切ない。当たり前の話メルの露出したお腹や胸元を一度も見ていないラヴィニアは顔を真っ赤にして俯いた。
 怪訝な声で呼ばれるが目の前にメルがいると知っていて顔を上げられない。


「ラヴィニア」


 今度は少し強く名前を呼ばれ、大きな二つの手が両頬を挟んで顔を上へ向けられた。一寸だけ不機嫌なメルの表情よりも視線を下にやると見える肌のせいで顔は赤いまま。自分の顔が真っ赤で熱いから、不機嫌さは消えて額と額を合わせに来た。


「メル?」
「……熱はない、な。顔が赤い。具合でも悪いのか?」
「ち、違うよ。どこも悪くないっ」
「本当に? 何もないのにとても顔が赤い」
「だ、だって、メルが……服のボタンを閉めてくれないから……」
「ボタン?」


 言われて下を見やるも、意図が分からないらしく不思議そうに見てくる。
 手を伸ばせば触れられる距離。
 ラヴィニアは開けた肌を隠すべく服に触れてボタンを留めていく。上二つと下一つを残して他は全部留めた。
 やっとラヴィニアの言っていた意味が分かったらしいメルが愉しそうに笑って見せる。ほんの少し苛立ちが芽生えた。
 再び両手で両頬を包んで真っ直ぐ見下ろしてきて、空色の瞳はとても愉しそうだ。


「ふーん?」
「な、何よ」
「俺の体を見て興奮したんだ」
「ちがっ!」


 恥ずかしかったのもあるが内心でメルの色気に当てられて若干言う通りの感情を抱いていた。認めるのは恥ずかし過ぎてメルの体を押して距離を取った。


「メルの体なんかで興奮なんてしないわ! そんなのプリムローズ様くらいよ!」
「へえ……俺以外を知っている口振りだな」
「言ったでしょう! 好きな人の許へ行くって! か、体くらい何度も見たもの!」
「……修道院に好きな男がいる、か……」


 メル以外に好きな人はいない。
 誰でも受け入れると有名な修道院で男漁りをする人等聞いたことがないものの、先代院長から何でもかんでも受け入れる体制となったので隠れてしている女性は案外いるかもしれない。
 喧嘩腰に放ってしまったものの、今更嘘だと言うつもりもない。
 始めに好きな人の許へ行くという設定にしたから、この一月で相手の体を見る仲にまで発展したのだと勘違いされた。
 低くなったメルの声に体が震えた。驚きからじゃない、恐怖からくるものだ。


「誰」
「え」
「ラヴィニアの好きな相手。修道院にいるんだろう? どんな相手」
「そ、それは……」


 架空の相手を好きな人に設定した。当然だが存在しない。


「言うわけないでしょう。だ、大体、自分にはプリムローズ様がいるくせに私のことなんて放って――」


 放っておいてと最後まで言いたかったのに。途中、メルに腕を力強く掴まれて寝室へ連れて行かれ、大きな寝台の上に寝かされメルが脚の間に体を挟ませ肩を押さえ付けて来る。目覚めた時と同じで魔力を重力に変えてきてラヴィニアは一切動けない。


「っ……」


 自分を見下ろすメルの空色の瞳に優しさも温かみもない。
 昏く濁った空が無感情に見つめてくる。


「プリムローズが……なんだ」


 肩を掴む手の力が途轍もなく強い痛みに顔を歪めた。


「痛いっ、退いて、メルっ」
「もう一度、言って。プリムローズが何?」
「っ……メルには……プリムローズ様がいるじゃないっ。あんな、私にしたことないキスをする程好きなんでしょう!?」
「あれはプリムローズが勝手にやったことだ」
「嘘言わないで! メルは自分からプリムローズ様を引き寄せていたじゃない!」


 キスした瞬間だけを見て逃げていたらメルの言葉も信じられただろうが、途中まで見てしまったラヴィニアには一切通じない。
「違う、そもそもあの時プリムローズは」と言い訳をしてくるメルの声を聞きたくない。聞く耳を持たない意思表示で目をきつく閉じて顔を横に向けた。……ら、両肩を圧迫していたメルの手が離された。
 同時に唇に触れる誰かの唇。
 誰か、なんてメル以外いないのに。

 強引に口内を抉じ開けられ舌を入れられた。拒否したくても口付けを通して魔力を流し込まれ、息が出来なくなって飲み込むしかなかった。

 漸くキスが終わった頃にはラヴィニアの瞳から涙が幾つも零れ落ちていた。指先で拭ったメルは舌先でペロリと舐め取った。


「可愛いな……すぐに違う涙を流させてやる」
「どういう……きゃあ!」


 乱暴な手付きで夜着をあっという間に脱がされ、暴れて抵抗しようにも体が言うことを聞かず下着も取られて。

 一糸纏わぬ姿にされてしまった。



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