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7話
しおりを挟むひょっこりと顔を覗かせたメルに驚いていると背中に手を回されて上体を起こされた。言葉を出す暇もなく、手を掴まれて寝台から降ろされ隣室へ連れて行かれた。鼻孔を刺激する美味しそうな香りは隣室から漂っていた。テーブルに並べられたチキンの香味スパイス焼き、トマトスープ、サラダ、出来立てのパン。どれを選んでも味に外れはない。更に、並べられている品はどれもラヴィニアの好物ばかり。トマトスープに関してはメルがトマトを苦手としていた。
手は掴まれたままだからテーブルまで行き、引かれた椅子に座った。向かいにはメルが座る。
「食べないのか?」
手を上げようともしないのを少々不機嫌に見られた。
見ているだけで、匂いを嗅ぐだけでお腹が減る一級品の料理を前に普通だったら食べ始めていたが今は普通じゃない。
最もラヴィニアが気にしているのは一つ。
「トマト嫌い……治ったの?」
生は勿論、加熱されたトマトも嫌いなメルがトマトスープを料理人に出させるのはまず有り得ない。最後に会った時までトマト嫌いはそのままだったのに、たった一月で克服したのか謎である。
不機嫌さは消え、一瞬固まったメルは何事もなかったように食事を始めた。
「食べれるようになっただけで嫌いなのは変わらない」
「嫌いなままなのに出したの?」
「……ラヴィニアは好きだろう」
「……!」
ふいっとそっぽを向かれるも、言い終わるまで向けられていた空色の瞳からは優しさがあった。
優しくされる資格はもうないのにメルの気遣いがどうしようもなく嬉しい。
意地を張り続けて料理を食べなければ折角作ってくれた料理人にも、ラヴィニアの好きな料理だからと我慢して食べているメルにも申し訳ない。
スプーンを手に取ってトマトスープを掬い、一口飲んだ。トマトの酸味が程好く効いたラヴィニアの好きなスープ。キングレイ家では殆ど作ってもらえず、食べられたのはシルバース家くらい。稀にラヴィニアの冷遇を憐れんだキングレイ家の料理長が秘密だと言って作ってくれた。
「美味しい……」
嘘偽りのない、本心からの感想はラヴィニアから緊張を取り払い表情に笑顔を少しずつ戻していく。
「修道院で満足のいく食事は出来ていたか」
「ちゃんと食べてたよ。修道院では食事を抜かれることなんてないから」
心にも余裕が生まれメルとの会話を前と同じように進められ、安堵している自分がいるも、途端メルの顔色が変わって小首を傾げた。
「どうしたの?」
「今……食事を抜かれるって」
「……あ」
久しぶりのメルとの会話ですっかりと気を緩ませてしまって口にしなくてもいい話をしてしまった。
しかも言い方が悪かった。
無理矢理話題を逸らしても、食事を抜かれるという実際に体験していないと出ない言葉を出してしまった時からラヴィニアの失態は無かったことにならない。
悲しげな目をしてラヴィニアと呼ばれてしまったら、ラヴィニアは話すしかなくなる。
「メルと婚約する前かな……。お父様が領地の問題が起きて長期で屋敷を留守にしていたの。その時にお義母様にお前は一日一食だと言われて食事を抜かれていたの。お父様が戻ってから一日三食に戻ったけれど」
「……」
遠い昔の話で一日一食にされていた期間、ラヴィニアを不憫に感じた使用人達が自分のおやつを分けてやったり、料理長が使用人を使って内密に食事を運ばせていたので空腹を覚えることはなかった。
父が不在にしていたのは三か月。毎日一食しか食べていないにしては痩せない、弱りもしないラヴィニアを義母は訝しく思わなかったのか。
機嫌が悪い時には、ラヴィニアを椅子に縛り付けて、自分とプリシラは御馳走を食べている姿を見せ付けたりもした。空腹じゃなかったからお腹が鳴るのはなかったも、義母にしたらそれが気に食わなかったのだろう。
それから度々椅子に縛られ御馳走を食べる二人を見せ付けられた。
「お腹が空いてたら地獄だったわ。料理長やお母様が生きていた頃から仕えている使用人達がいなかったら、お腹を鳴らしてあの二人に大笑いされてた」
父が戻ってから止めたのはなんとなく察しがつく。父はラヴィニアを嫌ってはいるが侯爵家の長女として育てる気はあったようで、義母の無茶苦茶な命令を何度か止めている。その際に向ける非常に嫌そうな顔と嫌味。嫌なら助けなければ良いのにと幼いながら何度か抱いた。
家族との思い出で良いものは一つもなく、使用人達がいなかったらどうなっていたことか。子供の頃を悲観しないのはメルと婚約が結ばれるとシルバース夫人に定期的に屋敷に呼ばれ、長期間シルバース家に泊まったりもしたから。
夫人はキングレイ家でのラヴィニアの状況を把握していたのだ。でなければ、婚約が結ばれたばかりの娘を何度も長期的に預かりはしない。
「そんな話初めて聞いた」
「初めて話すもの。夫人にも話したことないわ」
「母上にも……?」
「うん」
「……」
食事中に話す内容じゃなかった。ラヴィニアが謝るとメルの瞳が丸くなった。理由を話せば首を振られた。
「謝らなくていい。寧ろ……早く知りたかった」
「お父様が戻ってから食事を抜かれることは無くなったし、椅子に縛り付けられるのもなくなったから。それに私がお父様に訴えたところでどうせ信じてもらえない」
「キングレイ侯爵じゃない、俺や母上にだ。俺じゃなくても母上には言っても良かったんだ」
「メルと婚約した時にはもう無くなっていたから……言う必要もないと思っていたの」
食事の嫌がらせが出来なくなった分、他での嫌がらせの行為は続いた。
納得がいかないと顔に出ているメルをどう落ち着かせよう。ラヴィニアにとってはもう過ぎた事で、今更騒ぐつもりはない。現在は赤の他人。気にするだけ無駄な相手。
「侯爵は知っているのか? ラヴィニアの食事が抜かれていたのを」
「どう……だろう。何も言われなかった。お義母様にもお父様にばらしたと怒られることもなかったから、知らないと思う」
「……」
仮に知っていてもラヴィニアが後妻の機嫌を損ねるからだという理由で片付けられそうでもある。とことん嫌っている相手の様子を知りたがる父の頭の中はどうなっているのか。
「キングレイ家の人達の話は終わりにしましょう。私には縁がない人達なんだから」
「そうだな……もうラヴィニアが関わらなくていい奴等だ」
「……」
メルにしては珍しい荒い言葉。幼い頃は言葉遣いには気を付けるようにとよく夫人に注意されては不貞腐れていた。
トマトスープを先に完食すると次はチキンの香味スパイス焼きを頂き、途中パンを挟みながら二つとも完食。最後にドレッシング無しでサラダを食べてラヴィニアの食事は終わった。前を見るとメルもほぼ同時に食べ終わっていた。ナプキンで口元を拭いて席から立ったメルがラヴィニアにも立つよう促す。
「俺とおいで。食後の散歩でもしよう」
「……うん……」
食事を利用した会話のお陰か、少しだけメルといつも通りに接せられる自分が帰って来た。差し出された手を握り、ギュッと強く握ってメルの隣に立った。
まだまだ分からない事だらけでも、誰にも邪魔されずメルと一緒に居られて生まれる欣幸は偽物じゃない。
どんな顔を向ければ良いか分からなくて下を見ているしかないから、今メルがどんな面持ちで自分を見ているかラヴィニアは知らない。
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