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13話
しおりを挟む「悪かった」
額にそっと口付けたメルがこつんとラヴィニアの額とくっ付けてきた。
「違う、メルは悪くない。私が……」
元はと言えば、見たままの光景に囚われ、碌にメルの話も聞かず決め付け逃げたラヴィニアも悪い。メルはあの時否定し、話を聞いてほしいと叫んでいた。耳を塞いで、自分が言われたくない言葉が待っていると思い込みラヴィニアはメルを拒絶して逃げたのだ。
泣く資格はないのに涙が溢れそうになり、目に力が入る。ちゅっと瞼にキスをされた。間近にあるメルの空色の瞳は心配そうにラヴィニアを見つめていた。
「ラヴィニアに勘違いをさせていた俺も悪い」
「プリムローズ様にとても優しくしてたのは、私のせい?」
「いや……あれは――」
と言い掛けた時。外が騒がしくなった。侍女の焦燥とも取れる声と物凄く聞き覚えのある女性の声が通せと上がっていた。寝台から降りた二人は事実を確かめるべく、隣室に戻って扉を開けた。
「あ! メル! やっと会えた!!」
侍女に食って掛かっていたのはやはりプリムローズだった。
華奢な体に纏う銀色のドレスと白髪が儚げなプリムローズの美しさを引き立たせており、メルと同じ空色の瞳は愛しい人を見つけると歓喜の涙で潤ませた。が、すぐ側にラヴィニアがいると知ると嫉妬に塗れていった。
「まあ! キングレイ元侯爵令嬢がいたなんて知らなかったわ。メルから離れて頂戴。メルはわたくしの未来の夫になると決まったのだから」
「何時誰が決めた。お前やフラム大公夫妻が勝手に決めただけだろう」
メルが相手を呼ぶ時は大抵名前か家名を使う。お前などと、誰かを呼んだのは初めてではないだろうか。冷たく言い捨てられたプリムローズは丸い空色の瞳から大粒の雫を零していた。
「なっ! どうしてそんな冷たいの? メルはわたくしが好きなのでしょう? メルは夫人とそこのオレンジ頭の母親が勝手に交わした約束で決められた婚約が嫌だったんでしょう?」
「何時俺が言った」
「だ、だって、お父様やお母様、お兄様も皇太子殿下も皆言っていたわ……!」
プリムローズから出た皇太子の言葉にラヴィニアはメルの腕にギュッと抱き付いた。皇族と深い繋がりがある大公家出身のプリムローズが皇太子に妹のように可愛がられているというのは社交界では有名だ。そして、メルの婚約者であるラヴィニアに何度も婚約解消を迫って来た人だ。理由は至極単純――プリムローズの恋心を成就させる為。
あからさまな嫌がらせはさすがに受けていないが嫌味なら何度も言われてきた。皇帝が主催するパーティーは貴族だと必ず出席なので皇太子とも顔を合わせる。側にメルがいなくなると必ずやって来ては婚約解消を迫ってきた。
「メルを好きな気持ちは誰にも負けないわ! わたくしの方がメルを愛しているもの!」
「自分が好きなら、相手の気持ちを無視して強硬手段を取るのも厭わないと?」
「メルが何時まで経っても素直になってくれないから仕方なかったのっ」
初めて抱かれた日の夜、痛がるラヴィニアに構わず強引に行為を進めたメルも似たようなもののような……というラヴィニアの心の声はメルにしっかりと届いていたらしく「……俺も人のことを言えた義理じゃないがな」と独り言ちたのを聞き逃さなかった。
お返しと腕に抱き付く力を強めたら嬉しそうにするからすぐに止めた。
未だメルから離れようとしないラヴィニアを泣きながら睨んでくるプリムローズだが迫力がないせいで怖さは皆無。縋る空色の眼がメルに向けられるも面倒くさげで嫌そうなのを隠そうともしていない。
「わたくしを好きじゃない理由ってあるの? わたくしは大公家の娘なのよ?」
「それがどうした」
「母親を殺して生まれ、実の父親にすら愛されていないラヴィニア様のどこがいいのよ!」
「プリムローズ。ラヴィニアに謝罪しろ。今のはラヴィニア、ラヴィニアを産んだキングレイ前侯爵夫人への最大の侮辱だ」
「事実じゃない!」
どうして自分だけ父に愛されないのか。物心がつく前から何度も言われた。母親殺し、お前のせいでテレサは死んだ、と。
でも、母の専属侍女を務めていた侍女が教えてくれた。自分の名前は亡くなる直前母がつけた名前だと。
絶対に謝らない、事実を言っただけだと言い張るプリムローズを見るメルの眼は氷点下にまで達していた。極寒の地で見上げる空もこんな冷たいのかと、向けられていないラヴィニアはぼんやりと思ってしまう。
ラヴィニアは気になることがあった。メルが言うには、一部の限られた人にしか教えられていない暗号を解除しないと宮には入れない。メルの態度や今までの話を聞いているとシルバース夫妻がプリムローズに暗号を教えたとは思えない。一部の中にいる誰かがプリムローズに教えたのだとしたら、一体誰か。
「メル」とラヴィニアが呼ぶとプリムローズが突然声を上げて泣き出した。幾つもの涙を流し、体を震わせて泣いている彼女の儚さを目にしたら大抵の人は駆け付け泣かせた相手を悪と見なし容赦なく排除してくる。
プリムローズの嫌がらせの中でもよくやられた。プリムローズが泣くと大公夫妻や彼女の兄、場が悪い時には皇太子が駆け付ける時も。
大体はシルバース夫人かメルがいたから、彼等もラヴィニアに直接的な行動をしなかったがいなかったら……と抱くだけで背筋が凍る。
プリムローズが泣き出したから不安に駆られたとメルに思われたのか、安心させるようと頭にキスをされ、手を繋がれた。痛いくらい強く握られるも今はこの方が安心する。
「メル……ぅ……! ひく、ああぁ……前の優しいメルに戻って……! ラヴィニア様に騙されているのよ……!」
「いい加減にしろ。ラヴィニアは俺を騙してしないし、騙されてもいない。相手への言葉に善悪の違いも分からないお前とこれ以上話すことはない。
フラム大公令嬢を丁重に外へお送りしろ」
「ま――」
初めあわあわとしていた侍女に人を増やさせ、泣いたままのプリムローズを強引に外へ連れ出し宮から追い出した。やっと訪れた静けさ。溜め息一つ零すだけでもやけに響いた。
メルが歩き出すと手を繋いでいるラヴィニアも歩く。部屋に戻り、二人掛けのソファーに二人隙間なく引っ付いて座った。
「はあ……」
座った途端疲れが一気に押し寄せ、大きな溜め息を吐いた。隣りのラヴィニアも小さく吐いた。
「誰がプリムローズ様に暗号を教えたと思う?」
「どうせ皇太子だろう」
「え」
考える素振りもなく即答したメルに目を剥き、理由を訊ねると少々嫌そうにしながらも答えてくれた。
「昔からラヴィニアと婚約解消をしてプリムローズを婚約者にしろと言われ続けた。プリムローズに兄様と慕われて良い気になっているか知らないが甚だ迷惑だ。と何度も言ったんだがな……」
「メルも……?」
あ、と口を滑らせてしまったと気付いても遅く、即反応したメルが視線で問うてくる。幼い頃、後妻に一日一食にされていた時の話をしたのと同じだ。メルやシルバース夫人に心配を掛けたくなくて黙っている嫌がらせは非常に多い。
メルの視線に耐えられず、皇太子からメルとの婚約解消を迫られていると語った。近くにメルやシルバース夫人がいない時限定で、あるが。
話し終えるとメルは眉間に似合わない皺を寄せて口を開いた。
「最初は母親同士の約束にしても、俺とラヴィニアの婚約は皇帝が正式に認めている。たとえ皇太子と言えど、簡単には解消は出来ない。何を考えているんだ……」
「メルが言ってたみたいにプリムローズ様に良いところを見せたかったんじゃないかな」
「他に兄弟がいなくてプリムローズを妹同然に可愛がっているのは知ってる。かと言っても、限度を超えてる」
皇太子の件は両親と相談するとし、宮の暗号を早急に変えて来るとメルは一旦部屋を出て行った。入れ替わるようにラヴィニアの世話をしてくれている侍女が入って来る。
先程プリムローズを宮の外へ連れ出す面子の中にもいた。
外に連れ出されたプリムローズは終始泣き叫び、表で待っていた皇太子が面食らっていた。やはり暗号を解除したのは皇太子。一部の中に皇太子も入っていたらしく、今度からは外されるに違いない。
メルの命令でプリムローズを宮から出したと伝えれば、険しい相貌をするも泣いているプリムローズを放っておけず横抱きにして戻って行った。
「メル様は暫く戻られませんので何かお持ちしましょうか?」
「刺繍の続きをするわ。メルが戻ったらお茶の準備をして」
「承知しました」
メルの好きな兎の刺繍を早く完成させ、見せてあげたい。
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