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21話
しおりを挟む「ん、んん…………メル……」
シルバース家へ走る馬車の中。メルの膝上に乗せられ、口付けを繰り返されるラヴィニアはされるがまま。首に腕を回して自分からメルの舌に絡み拙い動きをする。細い視界に映るのは嬉しそうに笑むメルの目元。ラヴィニアから触れられてメルも喜んでいる。
腰と後頭部を抱く手に力が込められ、もっと強く、激しいキスとなった。
体をまさぐらないのは此処が馬車でもうすぐ目的地に到着するから。
唾液で濡れた唇に軽く触れて甘くて激しいキスは終わった。
メルの胸元に倒れたラヴィニアは規則正しい心音を聞いて気持ちを落ち着かせていく。キスが終わってもメルの抱き締める力は緩まない。
「メル……メルが好き、好きよ」
「うん」
「好きなの。メル、メル」
「俺も同じだよラヴィニア。ラヴィニアが好きだ」
心臓の上に刻まれた魔法が無くてもラヴィニアはもう逃げない。逃げる意思が湧かない。プリムローズの件は完全に終わった。何時まであの宮に滞在するのかと訊ねれば微笑むだけでメルは明確な答えはくれない。
周りの問題を片付けないとならない。ラヴィニアの場合は実家。父と後妻と異母妹。母を殺した娘に一度たりとも愛情を示さなかった父はラヴィニアがいなくなった途端、思い出したようにラヴィニアが大事だったと語ったみたいだが聞いても首を捻るばかり。大事にされていると思ったことは一度もない。
キスをされて快楽を引き出された体は冷めていき、シルバース邸が見え始めた辺りでメルを見上げた。
「お父様についてだけど」
「どうした」
「一度、キングレイ家に戻って会った方がいいのかな」
「会わなくていい。耳障りなことしか侯爵は言わん。俺もだが母上も相当怒りを堪えていた」
「そう、なの?」
一体何を言った。大体の予想はつくものの、温厚で優しいシルバース夫人の怒りを頂点まで上げられるのは父やフラム大公家くらいだとか。偶に皇帝が入る時も。
「陛下?」
「ああ。理由は知らない」
「そうなんだ」
メルは心の中で理由を述べるも人の心を読む術を持たないラヴィニアに聞こえない。
シルバース家の正門を潜り大きな屋敷の前で馬車は停車した。馭者が開けた扉からメルが先に降り、ラヴィニアは差し出された手を取って降りた。
約二ヵ月振りとなるシルバース家。長きに渡り帝国に仕える由緒正しき名家。皇族の降嫁によく選ばれる家でもある。メルの曾祖母も皇女だった。
屋敷の前には既にシルバース夫人と使用人達が待ち構えていた。
メルと同じ紫がかった黒髪と空色の瞳の美女。メルが女性だったら、シルバース夫人のようになるんだと思わせるくらい似ている。メルの圧倒的な美貌と魔法の才能は魔法騎士である公爵譲りなんだろう。
ラヴィニア達の姿を見ると満足気に頷いたシルバース夫人にラヴィニアが頭を下げようとすると直前で制した。下げかけたまま戸惑いの目で見やると苦笑していた。
「元気そうで良かったわラヴィニアちゃん。メルのお馬鹿さんにすぐに連れて来なさいと言ったのに全然連れて来ないんだもの。会えて良かった」
途中で口を挟みたくてもシルバース夫人は止めなく言葉を紡ぎ続け、邸内に招かれるまで一言も挟めなかった。夫人お気に入りのサロンに案内され、向かい合うようにソファーに座った。
ガラス製のテーブルには多種類のスイーツが置かれ、グラスにはアイスティーが入れられた。
「宮での生活はどう? メルに不便がないよう心掛けなさいと口酸っぱく言ってはおいたけど」
「とても快適に過ごしています」
「良かった。メル、少しは反省した? 誰にでも愛想よく振る舞うのは結構だけれど、程度というものを知りなさい」
「……分かってますよ」
拗ねた様子でそっぽを向いたメル。珍しいと見上げるも夫人の目があまりに温かいから、今回の家出を内心どう思っているか訊ね、返された言葉に困った。
「ラヴィニアちゃんは私にどう思ってほしかったの?」
「マナーに厳しい夫人なら、怒っているよりも呆れているだろうなって」
「いいえ? ちっとも。発端はプリムローズが幻覚魔法を使ってラヴィニアちゃんの姿を偽りメルとキスをしたことだとしても、ラヴィニアちゃんの中の積もりに積もった疑惑が確信となっただけ。相手を誤解させたままなメルにも非はあるわ」
勘違いを暴走させ、メルの話を一言も聞きたくないと耳を塞いだラヴィニアに大きな原因がある。夫人に責められるのを覚悟していたのに、ラヴィニアよりもメルに非難を集中砲火させている。
呆気に取られている間にも夫人の説教は終わり、はあ、と疲れた溜め息を吐いたメルの頬がラヴィニアの頭に乗った。メル? と目線を上にし、手を握ってきたメルの手に空いている自分の手を重ねた。
「母上にラヴィニアを見せられたんだ、今日は帰ろう」
「来たばかりなのに?」
「そうよメル。ラヴィニアちゃんに別でお話があるから、貴方は呼ぶまで違う部屋にいなさい」
「俺を除け者にしてラヴィニアに何を話すつもりですか?」
「大した話じゃないわ。聞きたいならいなさい」
最初から場所を移る気がないメルはそうするつもりだとラヴィニアを自分に引き寄せた。隙間なく密着するのは二人きりだと嬉しくても、他人がいると恥ずかしくなる。相手が夫人だと余計に。
夫人は気にした風もなくアイスティーを何口か飲んで話を始めた。
一月後、フラム大公夫人主催のガーデンパーティが催される。自慢の息子が生きたまま捕らえた魔獣を披露するもの。人間に害を及ぼす種類もいれば、森でひっそりと暮らす個体もいる。今回捕らえたのは森に住み、知能が高く不用意に近付かなければ危害を加えないブラッドラビット。血色の瞳にクマをも超える巨体のうさぎだ。
ブラッドラビットが住処にしていた森には小さな村があるも、村人が襲撃された話はない。大昔から互いに干渉せず暮らしていたのに、噂を聞き付けたロディオンがフラム家の精鋭を引き連れ住処を荒らした挙句生きたまま捕獲した。引き連れた護衛の何名かは命を落とし、生き残った者も重傷を負った。村人は非難しようにも皇帝と縁深い大公家の子息に何も言えなかった。逆らえば己等もブラッドラビットの二の舞になると恐れて。
ブラッドラビットを捕獲したのも大公夫人の見せびらかしを満足させたいから。
ウサギ好きなラヴィニアとしては、静かに暮らしていたブラッドラビットを勝手な理由で襲撃し、住処を荒らし傷付け捕獲するなんて言語道断。理由のない魔獣狩は禁じられている。いくらロディオンといえど、理由なく魔獣狩を行えば罪に問われる。
が、前以て森に住むブラッドラビットが村人を餌にしているとの嘘の情報を騎士団に報告。騎士団から皇帝に話がいき、詳細な調査をする間もなくロディオンは独断でブラッドラビットを生け捕りにした。
「陛下はなんて?」とメル。
「処罰しようにも、既にブラッドラビットの災害指定登録が成された後だったの。フラム大公家の息の掛かった者が素早く根回しをしたのね。恐ろしいこと」
「そんな……」
「ここからが本題。私がラヴィニアちゃんにこの話をしたのはね、その自慢のお披露目会にキングレイ夫人と貴女の妹君も招待されているからなの」
「え」
プリムローズと後妻と異母妹はラヴィニアが気に食わないという点で結ばれた者達で仲が良いと聞かされた。招待されたのはプリムローズとの関係のせいだろうと思うも、どうも嫌な予感がしてきた。
「いくらあの人達でも馬鹿な真似はしないと思いたいけど旦那様がね」
多忙で屋敷にいる時間が圧倒的に短い公爵とは魔法通信で毎日連絡を取り合っており、この旨を話すとプリムローズがメルと婚約出来ない腹いせに後妻とプリシラを見せしめにする算段だろうと。
「見せしめって……意味がないです」
ラヴィニアが予想した見せしめの意味が当たっているなら、意味がない。
後妻やプリシラがどうなろうと多少感情は揺れても悲しみはしないのだから。
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