隠世の門

海谷ノ

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12話 スーツの心臓部

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白い廊下は、どこまでも変化がなかった。

歩くたびに音が吸われ、影が薄く伸び、空気だけが淡く揺れている。
斗泉さんの背中を追っていなければ、きっととっくに立ち止まっていた。

学校とも街とも違う。
ここには“人の気配”がほとんどない。

――揺れが、生き物の輪郭を嫌っている。
そんな感じがした。

「迷うな。そのまま来い」

振り返りもせず言われ、僕は小さくうなずく。
迷うというより、置いていかれそうで怖かった。

空気は澄んでいるのに、呼吸が浅い。
深く吸おうとすると、胸の奥で微かなざわつきが返ってくる。

封じられた揺れが、僕の周囲だけで震えている。

そう思った瞬間、足元で風がひとつ巻いた。
カマイタチだ。

何も言わず、ただ“いる”。
僕の気持ちが乱れすぎないように、風の形で寄り添ってくる。

それだけで、少し落ち着いた。

斗泉さんが立ち止まる。

「ここだ」

扉が静かに横へ滑り、金属質の広い部屋が姿を現した。
壁には黒いスーツが、人影のように吊られている。

どれも同じ形なのに、ひとつひとつ違う影を落としていた。

「ここが九曜のスーツ整備室だ」

斗泉さんの声も、この部屋ではわずかに反響して聞こえる。

「……静かすぎます」

「揺れを吸う構造だからだ。ここでは影が乱れにくい」

意味はまだ分からない。
でも、**“ここは人間のためだけの場所じゃない”**ことは、体が先に理解していた。

研究員たちが数名、僕を見る。
測定室のときとは違う視線だった。

観察ではなく、確認。
何かを照らし合わせるような目。

「晴翔」

斗泉さんが僕の前に立つ。

「スーツの適合反応を見せてみろ」

腕時計型のデバイスを渡される。
触れた瞬間、ひやりとした光が指先を包んだ。

同時に、デバイスの白いノードが一瞬だけ点灯する。

「……?」

僕が驚くより先に、研究員の声が上がった。

「起動前反応……? まだコマンドを出していないのに……」

「こんなケース、聞いたことがない……」

ざわめきが走る。
僕は思わず手を離しかけたが、斗泉さんに止められた。

「そのままでいい。晴翔、お前が驚く必要はない。
 これはスーツ側の問題だ」

問題――その言葉が胸に残る。

「装着して、こう言え。“set”」

僕は息を整える。
喉が乾いている。
でも、斗泉さんの目は揺れない。

その静けさに背中を押されるように、僕は口を開いた。

「……set」

空気が低く震えた。

黒い膜のようなスーツが、呼吸するみたいに広がり、僕の体へ吸い寄せられる。

瞬間――胸元で、緑色の光が走った。

「……緑?」

「式神ノードが……先行反応している……?」

「いや、まだ式神装填はしていないはずだ!」

研究員の声が強張り、計測器の光が忙しく点滅する。

僕は目を見開いた。

スーツは重くない。
薄い水の膜に包まれているような、静かな感触。

なのに――胸の奥で“トク、トク”と、ごく弱い鼓動のような揺れが伝わってくる。

(……これ、スーツの感覚じゃない)

そう思った瞬間、背中に冷気が触れた。
白い尾の揺れが、喉の奥まで響く。

白狐だ。

そして足元では、カマイタチが風の輪をつくっている。

研究員が震える声で言う。

「これは……融合反応……? だとしたら早すぎる……!」

「反動は? 少年の精神値は?」

「異常なし……! どうして……?」

どうして、なんて僕こそ知りたい。

ただ立っているだけなのに、体の奥が勝手に反応する。
心臓とは違う、もっと深い――器の中心みたいな場所が揺れている。

胸のノードに触れたくなった。
そこに何かがいる気がして。

(……呼んでる?)

指が近づいた瞬間、緑の光がすっと吸い込まれるように沈んだ。

直後、警告音が部屋中に鳴り響く。

「停止! これ以上は危険だ!」

「計器が読めない! 反応波形が崩れていく!」

斗泉さんの低い声が、その騒ぎを切った。

「晴翔、スーツを解除しろ。呼吸を整えろ」

「……っ、はい……!」

黒い膜がほどけ、空気へ溶けるように消えていく。
スーツが消えても、胸の奥の揺れだけは微かに残っていた。

(……ここに、何かがいた)

そう、確かに感じた。

斗泉さんが僕をじっと見る。
その目はいつもの無機質さだけじゃない。

言葉を選ぶような、深い静けさを宿していた。

「晴翔。お前の体質は、お前が思っている以上に複雑だ」

胸が詰まる。

「僕……やっぱり、危ないんですか?」

斗泉さんは少しだけ目を細めた。

「危ないのは“お前”じゃない。お前の周囲だ」

足元の風が、そっと寄り添うように撫でた。
カマイタチだ。
“行くぞ”と言っているようにも感じる。

斗泉さんが背を向ける。

「今日はここまでだ。まだ測ることが山ほどある」

僕はその背中を見つめながら、小さく息を吸った。

スーツの心臓部は、まだ鼓動している。
でも、その正体は僕には分からない。

ただ――これが始まりだということだけは、はっきりしていた。

──12話 了。
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