透明人間vs塩田剛三

梧桐彰

文字の大きさ
25 / 32
第四章 語られぬ約束

欧州回顧録「透明人間になる」

しおりを挟む
 彼の思いは態度で伝わってきました。
 武術では思考を読ませないことも腕のうちですが、彼の場合は真逆でした。
 言葉の通じない私に、全身でその思いを表現してきたのです。

 私は頭の中で、これまでの彼の戦法を反芻しました。

 最初に拳で勝負してきたこと。
 これは私を侮っていたのでしょう。

 次に組打ちで勝負してきたこと。
 これは私を、彼が戦ってきたレスリングの選手と同格と考えたのでしょう。

 そして包帯をはずし、透明人間となったこと。
 これは使えるものはすべて使うという、最終段階に入ったということに違いありません。

 尋常な勝負をあきらめ、勝ちを取ったのです。

 いよいよ油断できない状況になりました。
 しかし、こちらもそれなら手段はあります。
 私が選んだのは、床に落ちたかすがいを電灯に投げつけ、車両全体を真っ暗にしてしまうことでした。

 普通の武術道場ではそんなことはそうそうやらないでしょうが、私は植芝先生の闇夜の合宿で、暗闇を走り、戦う経験もしました。
 砂利や切り株のある深夜に、木刀を持った先生と真剣勝負を繰り返してきたのです。

 レスリングではそんな練習はしないでしょう。

 相手が透明人間なら、こちらも透明人間になってしまえばいい。
 うまい具合に投げた金属は照明に命中しました。

 暗闇の中で、私たちは最後の駆け引きを始めました。
 折しも降ってきた雨で音も匂いも消されています。
 空気の動きを感じることもできません。
 それでも私の心の中には、たしかにうなずくものがありました。
 必勝の想念がありました。

 鞍馬山の丑三つ時、闇夜で待ち構える植芝先生の稽古に比べれば。
 
 姿勢を保ち、気配を断ち、精神を集中します。
 今はお互いに透明人間。
 今はお互いに五分と五分。
 明鏡止水へ至り、心眼に従うのみ。

 そう思って、直立不動で相手を感じようとしました。

 そのときです。

 私の両目に光が届きました。

 アッ、と、思わず声が出そうになりました。
 これか。
 これがあの、光なのか。

 光が透明人間の輪郭を、明確に浮き上がらせています。
 植芝先生が銃弾をかわしたときに見えた光とは、これに違いありません。
 透明人間が体を揺らしながら、暗闇に潜む私を手探りで探しています。
 ばかりか、その思いまで手に取って伝わってきます。
 暗闇を飛び越えて、彼の葛藤が伝わってきます。
 
 勝利への確信がありました。
 こうなればこちらのもの。
 仕掛けてきた瞬間をしとめるのみ。

 透明人間は左腕を伸ばし、私の位置を探っています。
 強引に突っ込むのは避け、確実にとらえようというのでしょう。
 向こうもこちらの動きを待つことにしたようです。

 膠着が始まりました。

 相手も慎重に動いていますから、こちらもうかつに動けません。
 ですがこの光の感覚さえあれば、いずれは私に分が良くなるはず。
 さすれば根競こんくらべです。

 私にも光が見えた。
 植芝先生の境地に到達した。
 これが合気術の神髄なのだ。
 小躍りして喜びたい気持ちを隠して待ち構えました。

 ところが、その直後。

 透明人間を示す光が、徐々に薄くなっていきました。

「うん……?」

 目を凝らしましたが、その光は線香のようにおぼろげになり、やがて、ふっと消えてしまいました。

 豈図あにはからんや。
 相手の気配が完全になくなってしまいました。
 息をひそめてましたが、感じるのは刺すような豪雨だけです。

「うむっ……」

 そうつぶやいた時には、金色の光など影も形もなくなってしまいました。

 どうしたことでしょう。
 相手も私と同じような稽古を積んできたのでしょうか。
 それとも天性の才能のなせる業でしょうか。

 それとも、もしかしたら……

 光など、最初から何も見えていなかったのでしょうか。
 ただの思い込みだったのでしょうか。

 考えてみれば、鞍馬で植芝先生は自由自在に私を打ち付けていましたが、私は植芝先生を叩きのめしたことなど一度もなかったはずです。

 暗闇で戦ったことがある。
 ただ、その経験だけに頼ってしまったのです。

 最後の最後で、とてつもない失策をやらかしました。

 植芝先生の弟子だから私にも光が見える?
 そんなバカな話はありません。
 私は私でしかないのです。

 透明人間は見えません。
 暗闇の中も見えるわけがありません。
 ただの人間なのだから当たり前です。

 窮地に陥り、ありもしない力にすがってしまう。
 武術家など名乗れぬ大失態です。
 合気術がいかに神秘的であっても、神秘そのものではないのです。

 私の相手はそれまでの大袈裟な態度を豹変させ、この勝負に賭けてきました。
 真の透明人間になっていました。
 たとえ立場が互角であっても、暗闇の中で触れ合い、取っ組み合いになったら勝てるでしょうか。
 必勝の思いが霞のように消えていきました。

 滝のように熱かった汗が、氷のように変わっていきます。
 代わって、ついに意識が疲労を始めました。
 怒涛のような恐怖が体を押しつぶすように襲ってきました。

 なんと愚かな。
 なんと間抜けな。

 お互いの距離は、この瞬間にも一寸ずつ縮まっているはずです。

 あせってはいけません。
 手の内をさらけ出してはなりません。

 そう自分に言い聞かせ、もう一度、暗闇の中へ目を凝らします。
 それでも気配は読み取れませんでした。

 何も見えませんでした。

 なにもみえませんでした。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

竜頭――柔太郎と清次郎――

神光寺かをり
歴史・時代
幕末の信州上田藩。 藤井松平家の下級藩士・芦田家に、柔太郎と清次郎の兄弟が居た。 兄・柔太郎は儒学を学ぶため昌平黌《しょうへいこう》へ、弟・清次郎は数学を学ぶため瑪得瑪弟加塾《まてまてかじゅく》へ、それぞれ江戸遊学をした。 嘉永6年(1853年)、兄弟は十日の休暇をとって、浦賀まで「黒船の大きさを測定する」ための旅に向かう。 品川宿で待ち合わせをした兄弟であったが、弟・清次郎は約束の時間までにはやってこなかった。 時は経ち――。 兄・柔太郎は学問を終えて帰郷し、藩校で教鞭を執るようになった。 遅れて一時帰郷した清次郎だったが、藩命による出仕を拒み、遊学の延長を望んでいた。 ---------- 幕末期の兵学者・赤松小三郎先生と、その実兄で儒者の芦田柔太郎のお話。 ※この作品は史実を元にしたフィクションです。 ※時系列・人物の性格などは、史実と違う部分があります。 【ゆっくりのんびり更新中】

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

処理中です...