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三 皇子イザークについて
宝冠の依頼
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「これは、ささやかながら、手土産というものです」
アガーテ皇女が侍従に手を振ると、進み出てきた侍従は、菓子箱を丁寧に開け始めた。
「まあ、サクランボのタルト!」
菓子に目がないアウローラが喜色満面になると、アガーテはそれにくすりと笑む。
「『桜の森』大公家には、サクランボのお菓子が似合うと思いまして。まあ、アウローラ殿下のように手作りとはいかず、菓子職人に頼みましたが」
「いえいえ、お心遣い誠にありがとうございます!」
「この間の園遊会では、お菓子を食べる間もなく、散々でしたものね」
アガーテがキルシュヴァルト大公邸を訪れたのは、改めてアウローラの推理に御礼申し上げたいという本人いたっての希望によるものだった。
切り分けられたタルトの皿が回る。エリカは侍女であることを理由にやんわりと断ろうとしたが、アガーテがどうしても食べてほしいと譲らなかった。
甘酸っぱいサクランボと、バターがたっぷり練り込まれたタルト生地がまろやかに調和した逸品で、頬が落ちるとはまさにこういうことを言うのだろう、とアウローラは内心で独りごちた。
アガーテはエリカの淹れた紅茶を一啜りするなり、不安が払拭されたような息を短く吐き出した。
「ええ、ヴァルフリード従兄様のお淹れなさった紅茶を口にしたことがありますもの。比べてはなりますまいが、天と地、雲と泥、東方では月と鼈というものです」
「その節はすまなかった、アガーテ」
ヴァルフリードが決まり悪そうに紅の後ろ髪をかく。
「さて、単刀直入に申し上げます」
そう切り出したアガーテに、アウローラはごくりと息を呑んだ。
「私アガーテは、皇位継承争いを辞退いたしますことをはっきりと宣言いたします」
その場にいた、アウローラ、ヴァルフリード、エリカ、そしてなぜかいる騎士エディングまでもが、驚きに目を見張ったのである。
「……理由は」
やがて、ヴァルフリードが尋ねた。
「面倒だからです」
「女帝になれとか、貴族の派閥争いだとか、国をまとめろとか。私のような引きこもりには、無理です」
「なるほど」
ヴァルフリードは再びカップを傾け始めた。
「私の世界には、茶とお菓子と本があれば、事足りるのです。虚飾だらけの貴族社会はお呼びでないのですわ」
「分かる!」
とだけ、ヴァルフリードが真面目くさっているのか、ふざけているのか、そのように返事した。
「というわけですから、皇太子位は、ヴァルフリード従兄様か、イザーク殿下にお任せしたいのです」
「おれだって面倒さ。あいつによく言って聞かせねばならないな。──未来の皇帝になれ、と」
「その、イザーク殿下のことなのですが……」
アガーテが言いにくそうなので、アウローラは「どうなさいました?」と問いかけた。
「実は、今日、私がまかり越しましたのは、イザーク殿下の件もあってのことなのです」
「と、おっしゃいますと?」
「どうやら、皇弟ジルヴァン殿下が戴冠なさるために新造された宝冠に、純金ではなく、銀の混ぜ物がされている、との匿名の通報があったようでして」
「そんなことが……」
「今さら作り直すこともできず、宝冠を傷つけずに純金かどうかを確かめるすべを探しているのですが、どうしたものか。私は歴史書や法律書ばかり読んで、科学にうといものですから、この間の事件のこともありましたし、アウローラ殿下のお知恵を拝借できれば……と参上いたしました次第なのです」
「イザークはジルヴァン父上とともに帝宮で暮らしている。それこそ面倒だが、帝宮へ赴かなくてはならなくなったな」
紅茶を飲み終えたヴァルフリードが腕を組んで言う。
「私からもどうか、お願いいたします、アウローラ殿下」
そこで、今まで黙して壁に寄りかかっていたエディングが口を開いた。
「なぜ、おまえは来た」
ヴァルフリードは、不満げにやや唇を尖らせる。
「皇帝陛下のご命令だ」
「ジルヴァン父上ではなく?」
「ああ、そうだ。この大公邸にいつまでも引きこもっていられると思ったら大間違いだ、モグラめ」
「おまえはミミズだと認めたようなものではないか」
すかさずヴァルフリードが突っ込みをいれた。
「それに、私という引きこもりへの当てつけかしら」
と、アガーテまでもが冗談をこぼしたので、その場にいた皆がひとしきり苦笑した。
アウローラは、こほん、と咳払いをした。
「ええと、金と銀の誰でもできる簡単な見分け方には、心当たりがあります」
「本当ですか!?」
アガーテがソファから身を乗り出す。
「ええ。まず一つは硫黄泉」
「硫黄泉?」
「はい。火山の温泉に含まれる硫黄が銀と反応し硫化銀となり、黒ずみます。これは銀との合金であった場合に見た目が変わってしまいますので、手段としては保留ですが……。そして、もう一つは、質量と体積。密度ですね」
「そちらは?」
「とある古代の科学者が発見した原理です。水に冠と同じ重さの純金を沈めるのです。金は銀より密度が高い、つまり、同重量なら銀の方が体積は大きいのです。密度の違いはおよそ倍あります。冠が銀との合金であれば、冠の方が純金より多くの水が溢れ出すことから、比較的容易に判定できるのです」
「なるほど……?」
アガーテが小首を傾げるので、アウローラは微笑んだ。
「見た目に分かりやすいのが硫黄泉。より正確なのが密度。まあ、説明するより実際にやってみないと分かりづらいですわね」
「ですが、二つも判定方法をご存じなんて。アウローラ殿下、ありがとうございます」
「後日、帝宮に向かわせていただきますね」
「はいっ」
アガーテ皇女が侍従に手を振ると、進み出てきた侍従は、菓子箱を丁寧に開け始めた。
「まあ、サクランボのタルト!」
菓子に目がないアウローラが喜色満面になると、アガーテはそれにくすりと笑む。
「『桜の森』大公家には、サクランボのお菓子が似合うと思いまして。まあ、アウローラ殿下のように手作りとはいかず、菓子職人に頼みましたが」
「いえいえ、お心遣い誠にありがとうございます!」
「この間の園遊会では、お菓子を食べる間もなく、散々でしたものね」
アガーテがキルシュヴァルト大公邸を訪れたのは、改めてアウローラの推理に御礼申し上げたいという本人いたっての希望によるものだった。
切り分けられたタルトの皿が回る。エリカは侍女であることを理由にやんわりと断ろうとしたが、アガーテがどうしても食べてほしいと譲らなかった。
甘酸っぱいサクランボと、バターがたっぷり練り込まれたタルト生地がまろやかに調和した逸品で、頬が落ちるとはまさにこういうことを言うのだろう、とアウローラは内心で独りごちた。
アガーテはエリカの淹れた紅茶を一啜りするなり、不安が払拭されたような息を短く吐き出した。
「ええ、ヴァルフリード従兄様のお淹れなさった紅茶を口にしたことがありますもの。比べてはなりますまいが、天と地、雲と泥、東方では月と鼈というものです」
「その節はすまなかった、アガーテ」
ヴァルフリードが決まり悪そうに紅の後ろ髪をかく。
「さて、単刀直入に申し上げます」
そう切り出したアガーテに、アウローラはごくりと息を呑んだ。
「私アガーテは、皇位継承争いを辞退いたしますことをはっきりと宣言いたします」
その場にいた、アウローラ、ヴァルフリード、エリカ、そしてなぜかいる騎士エディングまでもが、驚きに目を見張ったのである。
「……理由は」
やがて、ヴァルフリードが尋ねた。
「面倒だからです」
「女帝になれとか、貴族の派閥争いだとか、国をまとめろとか。私のような引きこもりには、無理です」
「なるほど」
ヴァルフリードは再びカップを傾け始めた。
「私の世界には、茶とお菓子と本があれば、事足りるのです。虚飾だらけの貴族社会はお呼びでないのですわ」
「分かる!」
とだけ、ヴァルフリードが真面目くさっているのか、ふざけているのか、そのように返事した。
「というわけですから、皇太子位は、ヴァルフリード従兄様か、イザーク殿下にお任せしたいのです」
「おれだって面倒さ。あいつによく言って聞かせねばならないな。──未来の皇帝になれ、と」
「その、イザーク殿下のことなのですが……」
アガーテが言いにくそうなので、アウローラは「どうなさいました?」と問いかけた。
「実は、今日、私がまかり越しましたのは、イザーク殿下の件もあってのことなのです」
「と、おっしゃいますと?」
「どうやら、皇弟ジルヴァン殿下が戴冠なさるために新造された宝冠に、純金ではなく、銀の混ぜ物がされている、との匿名の通報があったようでして」
「そんなことが……」
「今さら作り直すこともできず、宝冠を傷つけずに純金かどうかを確かめるすべを探しているのですが、どうしたものか。私は歴史書や法律書ばかり読んで、科学にうといものですから、この間の事件のこともありましたし、アウローラ殿下のお知恵を拝借できれば……と参上いたしました次第なのです」
「イザークはジルヴァン父上とともに帝宮で暮らしている。それこそ面倒だが、帝宮へ赴かなくてはならなくなったな」
紅茶を飲み終えたヴァルフリードが腕を組んで言う。
「私からもどうか、お願いいたします、アウローラ殿下」
そこで、今まで黙して壁に寄りかかっていたエディングが口を開いた。
「なぜ、おまえは来た」
ヴァルフリードは、不満げにやや唇を尖らせる。
「皇帝陛下のご命令だ」
「ジルヴァン父上ではなく?」
「ああ、そうだ。この大公邸にいつまでも引きこもっていられると思ったら大間違いだ、モグラめ」
「おまえはミミズだと認めたようなものではないか」
すかさずヴァルフリードが突っ込みをいれた。
「それに、私という引きこもりへの当てつけかしら」
と、アガーテまでもが冗談をこぼしたので、その場にいた皆がひとしきり苦笑した。
アウローラは、こほん、と咳払いをした。
「ええと、金と銀の誰でもできる簡単な見分け方には、心当たりがあります」
「本当ですか!?」
アガーテがソファから身を乗り出す。
「ええ。まず一つは硫黄泉」
「硫黄泉?」
「はい。火山の温泉に含まれる硫黄が銀と反応し硫化銀となり、黒ずみます。これは銀との合金であった場合に見た目が変わってしまいますので、手段としては保留ですが……。そして、もう一つは、質量と体積。密度ですね」
「そちらは?」
「とある古代の科学者が発見した原理です。水に冠と同じ重さの純金を沈めるのです。金は銀より密度が高い、つまり、同重量なら銀の方が体積は大きいのです。密度の違いはおよそ倍あります。冠が銀との合金であれば、冠の方が純金より多くの水が溢れ出すことから、比較的容易に判定できるのです」
「なるほど……?」
アガーテが小首を傾げるので、アウローラは微笑んだ。
「見た目に分かりやすいのが硫黄泉。より正確なのが密度。まあ、説明するより実際にやってみないと分かりづらいですわね」
「ですが、二つも判定方法をご存じなんて。アウローラ殿下、ありがとうございます」
「後日、帝宮に向かわせていただきますね」
「はいっ」
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