19 / 40
二 皇女アガーテについて
閑話 『きみへ』
しおりを挟む
藍染めの絨毯のような夜空に銀の月が冴え冴えと浮かぶ宵だった。ヴァルフリードは、走らせていた羽根ペンの手を止め、ほうと息を吐いた。これでよい、もう書くことはない、と直感が告げている。
『きみへ
おれは、人を殺した。数えきれないほど。そうせざるを得なかった己が憐れだと酔っているとか、これだけの敵を討ったと誇るとかではない。ただ、殺したのは事実だ。殺した人間の影を背負って、これからも生きねばならないと思うと、おれのような臆病者には、耐えかねた。
おれは、皇弟の妾の子だ。愛情をかけられたためしなど、一度もない。こんな自分が生きていてよいのか、たまに分からなくなるときがある。おれが死んで喜ぶ者はあれど、逆はないだろう。
十六の初陣で初めて人を殺したときから、おれは自分という存在が許せなくなった。死ねば地獄行きなのはとうに知れたこと。ならば、死ぬのが早いか遅いかだけの違いではないか。単騎で無謀な突撃を繰り返したのは、戦果のためではなく、おれが野に屍を晒したかっただけなのだろうな。
おれは罪人だ。きみならきっと、そう思ってくれるだろう。
まあ、暗い話はやめよう。きみの話をしよう。きみは、おれの暁だった。目が覚めるように明るくて、肌を重ね合わせた朝の、あの白々とした美しい夜明けを、ときどき思い出すのだ。
きみは、おれのような屑星の光をかき消してしまう。いや、おれが星だとすら自認するのも浅ましいことなのだが、かろうじて星ということにしておこう。
きみが眩しければ眩しいほど、おれの罪は、濃く長く影を落とした。
きみは、おれにとってそういう残酷な存在でもあった。だからと言って、きみを責めたいわけではないことは分かってくれたまえ。
さて。
地獄だろうと、どこだろうと、きっと、きみのことを忘れない。きみは、こんなどうしようもないおれのことを必ず忘れなさい。
今までありがとう。たぶん、愛していたんだ。
ヴァルフリード』
ヴァルフリードは便箋に指を滑らして折り畳み、紅い封蝋を垂らす。大公家の二本槍が交差した紋章が捺されていく。そうして、私室の机、鍵付きの引き出しに入れておいた。
『きみへ
おれは、人を殺した。数えきれないほど。そうせざるを得なかった己が憐れだと酔っているとか、これだけの敵を討ったと誇るとかではない。ただ、殺したのは事実だ。殺した人間の影を背負って、これからも生きねばならないと思うと、おれのような臆病者には、耐えかねた。
おれは、皇弟の妾の子だ。愛情をかけられたためしなど、一度もない。こんな自分が生きていてよいのか、たまに分からなくなるときがある。おれが死んで喜ぶ者はあれど、逆はないだろう。
十六の初陣で初めて人を殺したときから、おれは自分という存在が許せなくなった。死ねば地獄行きなのはとうに知れたこと。ならば、死ぬのが早いか遅いかだけの違いではないか。単騎で無謀な突撃を繰り返したのは、戦果のためではなく、おれが野に屍を晒したかっただけなのだろうな。
おれは罪人だ。きみならきっと、そう思ってくれるだろう。
まあ、暗い話はやめよう。きみの話をしよう。きみは、おれの暁だった。目が覚めるように明るくて、肌を重ね合わせた朝の、あの白々とした美しい夜明けを、ときどき思い出すのだ。
きみは、おれのような屑星の光をかき消してしまう。いや、おれが星だとすら自認するのも浅ましいことなのだが、かろうじて星ということにしておこう。
きみが眩しければ眩しいほど、おれの罪は、濃く長く影を落とした。
きみは、おれにとってそういう残酷な存在でもあった。だからと言って、きみを責めたいわけではないことは分かってくれたまえ。
さて。
地獄だろうと、どこだろうと、きっと、きみのことを忘れない。きみは、こんなどうしようもないおれのことを必ず忘れなさい。
今までありがとう。たぶん、愛していたんだ。
ヴァルフリード』
ヴァルフリードは便箋に指を滑らして折り畳み、紅い封蝋を垂らす。大公家の二本槍が交差した紋章が捺されていく。そうして、私室の机、鍵付きの引き出しに入れておいた。
0
あなたにおすすめの小説
侯爵家の婚約者
やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。
7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。
その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。
カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。
家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。
だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。
17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。
そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。
全86話+番外編の予定
沈黙の指輪 ―公爵令嬢の恋慕―
柴田はつみ
恋愛
公爵家の令嬢シャルロッテは、政略結婚で財閥御曹司カリウスと結ばれた。
最初は形式だけの結婚だったが、優しく包み込むような夫の愛情に、彼女の心は次第に解けていく。
しかし、蜜月のあと訪れたのは小さな誤解の連鎖だった。
カリウスの秘書との噂、消えた指輪、隠された手紙――そして「君を幸せにできない」という冷たい言葉。
離婚届の上に、涙が落ちる。
それでもシャルロッテは信じたい。
あの日、薔薇の庭で誓った“永遠”を。
すれ違いと沈黙の夜を越えて、二人の愛はもう一度咲くのだろうか。
【完結】旦那様、わたくし家出します。
さくらもち
恋愛
とある王国のとある上級貴族家の新妻は政略結婚をして早半年。
溜まりに溜まった不満がついに爆破し、家出を決行するお話です。
名前無し設定で書いて完結させましたが、続き希望を沢山頂きましたので名前を付けて文章を少し治してあります。
名前無しの時に読まれた方は良かったら最初から読んで見てください。
登場人物のサイドストーリー集を描きましたのでそちらも良かったら読んでみてください( ˊᵕˋ*)
第二王子が10年後王弟殿下になってからのストーリーも別で公開中
十年越しの幼馴染は今や冷徹な国王でした
柴田はつみ
恋愛
侯爵令嬢エラナは、父親の命令で突然、10歳年上の国王アレンと結婚することに。
幼馴染みだったものの、年の差と疎遠だった期間のせいですっかり他人行儀な二人の新婚生活は、どこかギクシャクしていました。エラナは国王の冷たい態度に心を閉ざし、離婚を決意します。
そんなある日、国王と聖女マリアが親密に話している姿を頻繁に目撃したエラナは、二人の関係を不審に思い始めます。
護衛騎士レオナルドの協力を得て真相を突き止めることにしますが、逆に国王からはレオナルドとの仲を疑われてしまい、事態は思わぬ方向に進んでいきます。
氷の王妃は跪かない ―褥(しとね)を拒んだ私への、それは復讐ですか?―
柴田はつみ
恋愛
亡国との同盟の証として、大国ターナルの若き王――ギルベルトに嫁いだエルフレイデ。
しかし、結婚初夜に彼女を待っていたのは、氷の刃のように冷たい拒絶だった。
「お前を抱くことはない。この国に、お前の居場所はないと思え」
屈辱に震えながらも、エルフレイデは亡き母の教え――
「己の誇り(たましい)を決して売ってはならない」――を胸に刻み、静かに、しかし凛として言い返す。
「承知いたしました。ならば私も誓いましょう。生涯、あなたと褥を共にすることはございません」
愛なき結婚、冷遇される王妃。
それでも彼女は、逃げも嘆きもせず、王妃としての務めを完璧に果たすことで、己の価値を証明しようとする。
――孤独な戦いが、今、始まろうとしていた。
私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?
きららののん
恋愛
優しきおっとりでマイペースな令嬢は、太陽のように熱い王太子の側にいることを幸せに思っていた。
しかし、悪役令嬢に刃のような言葉を浴びせられ、自信の無くした令嬢は……
最後にして最幸の転生を満喫していたらある日突然人質に出されました
織本紗綾(おりもとさや)
恋愛
─作者より─
定番かもしれませんが、裏切りとざまぁを書いてみようと思いました。妹のローズ、エランに第四皇子とリリーの周りはくせ者だらけ。幸せとは何か、傷つきながら答えを探していく物語。一話を1000字前後にして短時間で読みやすくを心掛けています。
─あらすじ─
美しいと有名なロレンス大公爵家の令嬢リリーに転生、豪華で何不自由ない暮らしに将来有望でイケメンな婚約者のランスがいて、通う学園では羨望の眼差しが。
前世で苦労した分、今世は幸せでもいいよね……ずっと夢に見てきた穏やかで幸せな人生がやっと手に入る。
そう思っていたのに──待っていたのは他国で人質として生きる日々だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる