ふしあわせに、殿下

古酒らずり

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二 皇女アガーテについて

消えたマシュマロ 四

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「なんと……!?」

 驚いたフィリベルト帝だけではなく、周囲の貴族たちも声をあげ始める。

「アウローラ王女殿下、正気ですか」

「あの錦鯉は、皇家がはるか東方よりお取り寄せなさったという逸品では?」

「金貨五十枚もしたものを、殺せ、とは」

 アウローラは、そうです、と肯定してみせた。

「ええ、承知しておりますわ。……が、もし、錦鯉の胃の中にマシュマロの残骸があれば、マグダレーネ様の証言が全て正しかったことが証明されますわよね。それは、マグダレーネ様の本意に沿うものです」

 そして、アウローラは、もう一度マグダレーネに向き直る。

「それだけではありませんわね。逆に胃の中に残骸がなければ、マグダレーネ様の証言が虚偽だったことにもなります」

 マグダレーネは藤色のドレスの裾を強く握っていて、すっかり皺を作っていた。唇は固く結ばれ、顔色は言わずもがな、みるみると血の気が引いている。

「さて、いかがでしょう、マグダレーネ様」

「錦鯉の腹を裂きましょうか」

「それは……その……」

 マグダレーネは口ごもる。

「もし、本当にマシュマロが池に落ちていたのなら」

 アウローラは追い討ちをかけるように一歩近づいてみせた。

「鯉の胃の中から、少なくともマシュマロに含まれていたピスタチオの粒の形は残留しているはずです。あなたの証言を裏付ける決定的な証拠となりますが」

「で、でも」

「それとも──何も出てこないことをご存じなのですか」

 マグダレーネの瞳が怯えに見開かれていった。

「お待ちください、そんな高価な鯉を殺すなんて、もったいないわ……」

 アウローラはさらに一歩詰め寄った。

「真実を明らかにするためでしょう。人の名誉と鯉の命、一体どちらが大切でしょうか」

「…………」

 うつむくマグダレーネに背を向けて、アウローラはフィリベルト帝をもう一度見た。

「皇帝陛下、ご決断を」

 フィリベルト帝は苦渋の表情で池の方角を見た。あの美しい紅白の鯉。金貨五十枚の泳ぐ宝石を、娘のために殺すかどうか、懊悩している。……が、やがて、諦めがついたように深く溜め息をついた。

「よろしい。仕方あるまいて」

 フィリベルト帝は重々しく手を挙げて、命令する。

「侍従、鯉を──」

「お待ちください!!」

 マグダレーネはついに叫ぶ。聞く者たち全員の目を覚まさせるような、甲高い悲鳴だった。

「待ってください! お願いです! 鯉を殺さないで!」

 そのとく、四阿に一陣の風が吹き抜けて、マグダレーネのドレスの裾を触れるようにはためかせては去っていった。

「マグダレーネ様……」

 アウローラは彼女の名を呼んだ。半分嫌悪、半分呆れ、というのが、今の感情としては合っているところである。

 ヴァルフリードもすっかり呆れたように溜め息をついた。

「初めから、自作自演だったのだな」

「……はい」

 マグダレーネは、さながら糸の切れた人形めいて、がくりとその場にくずおれた。ドレスの裾が、地面へと枯れ落ちた花のように広がる。

「私が自分で池に飛び込んだのです。ですから、池には何も落ちていません」

「ではなぜ、『マシュマロが落ちた』と証言を?」

 ヴァルフリードが尋ねると、マグダレーネはうなだれた。

「だって、アガーテ皇女殿下は、両方の菓子を持っていらっしゃるはず。でも、マシュマロと言えば、庭園にいらした証拠と合わせて、皇女殿下が真っ先に疑われると思ったから……」

 ヴァルフリードが困ったようにアウローラの方を無言で見やった。アウローラも、肩をすくめてみせた。

「マグダレーネ嬢、なぜ、このようなことをした」

 その沈黙を破ったのはフィリベルト帝だった。口調には、娘を傷つけられた怒りの色がどうしようもなく滲んでいる。

「私は、ただ、皇女殿下を皇位継承争いから脱落させたかっただけなのです」

 そのあまりにも直截すぎる物言いに、アウローラは、「はあ?」と目を見張った。

「我が娘アガーテを?」

 フィリベルト帝の質問に、マグダレーネはうつむきがちにうなずく。

「はい、私は誇りある大諸侯の娘として、生まれたときから、いつかは皇家に嫁ぐのだと教え込まれてまいりました。ヴァルフリード殿下の妃となれば、いずれは皇妃となる。しかしながら、アガーテ皇女殿下が皇位をお継ぎになれば、私の立場は危うくなります……」

「なるほどな、それで、アガーテに罪をなすりつけようと」

「はい……。皇女殿下が犯罪者だということにして、皇位継承から外させたかった、ということです」

「そんな!」

 と、アガーテが息を呑んだ気配があった。

 そこで、アウローラは呟いた。

「はあ、なんて、莫迦なこと」

「すみません、アガーテ殿下。すみません、皇帝陛下。すみません、アウローラ殿下」

 マグダレーネはそのまま、地面に額をすりつけて、ひたすらに謝り続けている。その様子を見苦しそうに睥睨していたフィリベルト帝が、アウローラの一歩前に出た。

「マグダレーネ」

 その声は、庭園の陽気を一瞬で凍らせてしまうように冷ややかだった。

「おまえは、無実の者を犯人に仕立て上げようとした。これは、皇家への不敬にもあたる明らかな重罪であると……分かるな」

──極刑。

 その場にいる誰もが頭に浮かべた言葉だろう。今回の件は、場合によっては死罪を意味する、ということは誰もが心得ていた。

「皇帝陛下……」

 マグダレーネは、恐怖で震える身体を、時間をかけて起こした。

「しかし」

 フィリベルト帝は、困り果てたようにアウローラを見た。

「処分は、アウローラ王女殿下に一任しよう。結局のところ、我が娘アガーテが一番の被害者であるのだが……アウローラ殿下が真実を明らかにしてくれたからな」

 アウローラはほんの少し吃驚したものの、マグダレーネの前に立った。

「マグダレーネ様、お顔を上げてください」

「は、はい」

「あなたは、アガーテ皇女殿下を陥れようとしました。……ええ、もちろん、皇位継承争いは熾烈なものでしょう。私ごときが王者の資質たるものを論じるのも浅慮の至りではございますが、あえて、お尋ねいたしましょうかね。さて──王者に真に問われるべきは、血統や身分でしょうか」

 アウローラは、ことさら血統の証たる皇帝フィリベルトの前で王者たるものの資格をマグダレーネに説いているのだ。これこそ不敬だろう。

「私は、そうは思いません。どう生きるかの方が、圧倒的に重要だと思うのです」

「アウローラ王女殿下……」

「今回のあなたの行いは、『誇りある大諸侯の行い』でしょうか」

 再び、マグダレーネは地面に額を擦りながら、平身低頭に首を横に振った。

「いえ、いえ……!」

「皇帝陛下のご厚情に免じて、今日のことは、不問とさせていただきます」

 アウローラはにっこりと笑む。

「でも、二度と同じ真似をなさらないでくださいませね?」

「は、はい! ありがとうございます、本当に、ありがとうございます……!」

 一連の断罪劇を見守っていたフィリベルト帝が、安堵の息を吐く。

「アウローラ王女殿下、あなたの才智と機転で娘を救っていただき、誠に感謝する」

「いえ、陛下。それもそうですが、あの立派な鯉、無事でよかったですわね」

「ああ、その通りだ。まったく、肝を冷やした。なにせ、金貨五十枚だからな」

「私の生活費の十倍……」

 アウローラが真顔で呟くと、いつの間にやら隣にいた侍女エリカがくすくすと笑っている。やがて、アガーテが駆け寄ってきた。

「アウローラ殿下、ありがとうございます!」

「いえいえ、アガーテ殿下が濡れ衣を着せられるのを黙って見てはいられませんでしたから」

「あの、お友達になっていただけませんか!」

「えっ」

「あの。その。私……お恥ずかしながら、引きこもってばかりで。お友達と呼べる対等な方が、今までいなかったのですわ」

「では、ぜひ」

 アガーテが差し出した手を、アウローラは握り返した。

──呆れるほどに長い一日だった。

 こうして、アガーテ主催の「花鳥宮園遊会事件」は一応の平穏無事な終幕を迎えたのである……。
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