ふしあわせに、殿下

古酒らずり

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二 皇女アガーテについて

消えたマシュマロ 三

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 マグダレーネとアガーテの不毛なやり取りをいったん止めたアウローラに視線が殺到する。その迫力に気圧されそうになったものの、アウローラは腹に気合を込めた。

「アウローラ殿下……!?」

 アガーテ皇女が驚きの涙声をあげる。それを哀れだと思いつつ視界の端に留めながら、アウローラは四阿の中央に進み出る。心臓が早鐘を打っている。突き刺さるような視線に、できるだけ表情には何も出さないようこらえるのが精いっぱいだった。

 マグダレーネの訴えには、実はいくつかの矛盾があるのだが、まず、アガーテが無実であることには間違いないのだ。つまり、マグダレーネの訴えを退けつつ、アガーテの弁護をする必要がある。

──できるか。

 いや、できるどうこうではなく、やらねばならないのだ。まず、アガーテのため。ひいては、自分を信じてくれたヴァルフリードのため。二人の信用を損なってはいけない、立ち回りを誤ってはいけない。これはフィリベルト帝のゲームの前哨戦にすぎないのだから。冷静沈着に、理路整然と、この状況を打開していく……。

 アウローラは深呼吸をしてから、マグダレーネに問いかけた。

「では、マグダレーネ様。私からいくつか質問がございます。確認させていただいてもよろしいでしょうか」

「え、ええ……」

 マグダレーネはわずかばかり戸惑った表情でうなずく。ヴァルフリードの妃候補から直接話しかけられることへの戸惑いか、それとも、後ろめたいことがあるからか。

「まず、あなたは、『池にマシュマロが落ちるのを見た』、そうおっしゃいましたね」

「はい、確かにそう申しました」

 マグダレーネは、その主張に対して万全の自信があるようだった。

「では、お伺いしますね」

「はい」

「それは、池のどこでしょうか」

「池の、ちょうど真ん中あたりですわ」

 なるほど、と同調するように、アウローラは軽く腕を組んでうなずいてみせた。

「……が、池に落ちた後、水面を見てみると、そのマシュマロは忽然と消え失せていた。そうですね?」

 アウローラが念を押すように確かめると、マグダレーネは、「ええ」と、うなずく。

「その通りです。一度申し上げましたが、マシュマロは犯人が持ち去っていったはずです。証拠隠滅のために」

 と、マグダレーネはさらに断言する。

「ご主張は分かりました」

 四阿は再び静まり返り、ヴァルフリードが羽根ペンを紙の上で走らせる擦過音だけが、その場に響いている。

 やがて、アウローラは、その沈黙を裂いた。

「では、今一度お尋ねいたします」

「はい、なんでしょうか」

「あなたが池に落ちてから、引き上げられるまで。その間に、いかほどの時間がかかりましたか」

 マグダレーネは指を顎に当てて考え込むそぶりになった。

「……そうですわね、ほんの数呼吸ほどの時間だったかと思いますが」

「ふむ。数呼吸、ですか」

「何か?」

 マグダレーネが眉間に軽く皺を寄せたので、アウローラは、「いいえ」と挟んでおいてから、マグダレーネの証言を繰り返す。

「その短い時間の中で、まず、犯人はあなたを突き飛ばした……」

 アウローラは一本、指を折って数えていった。次に二本目。

「池に落ちたマシュマロを拾い……」

 そして、三本目の指を折る。

「最後に、立ち去った、と。つまりは、三つの行動をした。それに相違ありませんね?」

「そ、そうです……」

 アウローラは、ともすれば尋問めいた口調だったから、マグダレーネはやや怯んだのか、ずっと強気だった声の調子を弱めた。その手がドレスのスカートの裾を握り込んでいる。

「では、さらにお尋ねいたしましょうか」

 アウローラは悩み込むように、再び腕を組んでみせた。演技は不得意な方だったが、やむを得ない。嘘も方便ということだ。

「池に落ちて散らばったはずのマシュマロを、犯人は、どうやって回収したのでしょうか」

「え……?」

 マグダレーネが言葉を詰まらせる。

「マシュマロは水に浮くはずですよね」

「そ、そうですわね……」

 アウローラは、マグダレーネの動揺をよそに続ける。

「卵白を泡立てて作った菓子ですから、軽くてふわふわしています。水に落ちても、しばらく沈まずにいるはず」

 卵白を泡立てて作った菓子ならば、空気が多量に含まれる。水に浮くことは確認しなくともその場にいる誰もが分かる。「確かに」と貴族の一人がうなずいた。

「あなたを突き飛ばした犯人は、まず、その場で池に手を伸ばして、菓子を拾わねばなりませんね?」

 アウローラは、しかし──と反証を試みていく。

「池の中央に浮かんでいるマシュマロを、道具もなしにどうやって岸から拾えるでしょうか」

 マグダレーネは、そこでようやくアウローラから疑われていることに気づいたらしい。マグダレーネの頬に血の気が少し昇っていた。

「あ、あなた、私が嘘をついているとでもいうのっ」

 マグダレーネが声を荒げかけると、「そうなりますわね」と、アウローラは皮肉っぽい笑みを浮かべた。

 そのまま、アウローラは次のように説明する。

 マシュマロを落としたのが犯人の故意なら、むろん回収するための道具が必要だ。だが、そんなものを庭園に持ち込んで衆目から隠せるような器用さがあるのなら、わざわざマシュマロを池に落とす必要があるだろうか。

 仮に、マシュマロがあることをマグダレーネに印象づけて犯人が外の庭園にいた者と限定させたいのならば、そもそも池という庭園でしか起こり得ない犯行であることと矛盾する。

「考えてもみてください、マグダレーネ様。池での犯行という時点で、犯人が庭園にいたことは誰の目にも明白ですわ。それなのに、わざわざマシュマロを落として『犯人は庭園にいました』と二重に証明する必要があるでしょうか? むしろ、賢い犯人なら、証拠は残さないのでは? 不自然がすぎます」

 また、犯人が誤ってマシュマロを落としてしまった場合。これも、マシュマロがなくなっていることと「一つの場合」を除いて矛盾する……。

「慌てて菓子を拾う。そんなことをしていたら、周囲の人々に必ず目撃される。そうは思いませんか」

 アウローラは、ますます語気を強めていく。

「実際、池を見るだけであれば、遠くであろうとも何人もの客人がおりました。あなたの落ちた瞬間は誰も見ていなくとも、その誰かのうち一人くらいは、あなたが池に落ちた水音を聞いて、犯人が菓子を拾おうと必死に池へと手を伸ばしている姿を目撃していてもおかしくはありませんよね?」

「そ、それは」

 矛盾するのですよ、とアウローラが淡々と指摘すると、マグダレーネの顔色が徐々に悪くなっていく。

「では、先ほど『一つの場合』を除いて矛盾すると申し上げました。つまり、犯人が誤ってマシュマロを落とした場合です」

「確かに、それは気になるな。……どういうことか」

 ヴァルフリードが、紙に落としていた視線を上げて、アウローラを見た。

「殿下、いい質問です。……ならば、池に落ちてしまったマシュマロはどこに消え失せてしまったのでしょうか」

 アウローラの呈した疑問を聞いて、貴族たちは互いに顔を見合わせ始めた。

「で、でも、本当に消えていましたのよ!」

 マグダレーネは、それでも主張を変えることはしなかった。

「ええ、消えた理由が『それ』であるのなら、やはり犯人にとってマシュマロの落下は、まったく不測の事態であったことを証明することとなりますね」

「と、言うと」

 ヴァルフリードが小首を傾げる。

「殿下、今回の主役ですわ」

「主役?」

「つまり──錦鯉が食べてしまったのでは」

 ヴァルフリードが、はっとした表情になった。

「そうか。鯉は水に浮かんだものを食べる習性があったな」

「ええ。水に浮いたマシュマロは、全て錦鯉が食べてしまった。……これなら、どうでしょう」

 アウローラは、フィリベルト帝の方を振り向いた。

「皇帝陛下、錦鯉のお披露目は、事前に通知してはありませんでしたよね」

「ああ、その通りだ」

 と、フィリベルト帝は首肯する。

「では、鯉が池にいることをあらかじめ知っていて、その習性を犯人が計算ずくで利用していたとは、ますます考えにくいですわね」

 アウローラはその場を、円を描くように歩き回りながら推察を続けた。

「もし、本当にマシュマロが池に落ちていたのなら、錦鯉が食べてしまった可能性は非常に高いでしょう。それこそ数呼吸ほどの時間もあれば、たくさんいる鯉たちが全てのマシュマロを食べ尽くすには、あまりにも充分すぎるのでは?」

「な、なんということを……」

 アガーテは信じられない、といった顔で額に手を当てた。

「つまり、こういうことです──犯人がわざとマシュマロを落とした場合、回収は不可能。犯人が誤って落とした場合、目撃される可能性が高い。しかし、鯉が食べてしまったのなら、証拠は自然に消えます」

 アウローラは、改めてフィリベルト帝に向き直った。

「皇帝陛下」

「なんだね」

「あの紅白の鯉、試しに腹を裂いていただけませんか」
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