ふしあわせに、殿下

古酒らずり

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三 皇子イザークについて

黒い髪

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 薔薇事件の首謀者であったビュッセル侯爵は失脚した。やはり彼はアガーテ皇女の外戚として政権を掌握することが狙いだったらしく、そのことをフィリベルト帝の御前に問われると、あっさりと白状してのけた。

 当のアガーテ本人はというと、まったくもって迷惑そうで、「こんな方が母の兄だと思うと怖気が走ります」と、ぴしゃり。ビュッセル侯の最後の頼みの綱となっていたが、アガーテ自らが今後の接触を断ち切った。にわかに皇后派やアガーテ派といった関連貴族派閥は零落した。

 これで正式に、皇位継承争いはヴァルフリード皇子とイザーク皇子の一騎討ちとなったわけであるが……。

「皇位? 私もアガーテ殿下と同じく、面倒ですね。これでは、継承戦ではなく、譲渡戦の間違いですね」

 と、イザークは淡々と状況を皮肉った。

──時を同じくして、キルシュヴァルト大公邸。

 フィリベルト帝の退位宣言日まで、二週間を切ろうとしていたある日のこと。アウローラは手がかりを自力で探るには限界を感じており、家令ヨアヒムに話を伺うことにした。

 ヴァルフリードに十年の長きにわたり仕えているエリカはともかく、家令ヨアヒムはキルシュヴァルト大公家の生き字引のような人物で、前大公である皇弟ジルヴァンの執事をしており、そのままヴァルフリードが大公位を継ぐとヨアヒムもヴァルフリードに忠誠を誓ったという。

 以後、何かあるたびにヨアヒムがヴァルフリードの帝都生活における補佐をしていた。

 つまり、ヨアヒムならジルヴァンと愛妾に何があったかを事細かに知っているだろう、とアウローラは見当をつけたわけだ。

「──というわけで、ヴァル様の実のお母上について教えていただけますか」

 アウローラはヨアヒムに詰め寄った。ヨアヒムはというと、柔和そうな目元を細め、緑茶を一啜り。

「承知いたしました」

 アウローラは、ヨアヒムがフィリベルト帝のゲームに関わることは一切教えてくれないものだとはなから思い込んでいたから、気持ちがつんのめった。

「皇帝陛下がお考えでいらっしゃる正しい継承順そのもの以外でしたら、聞かれたことに関しては教えて差し上げますよ」

 ……と、ヨアヒム曰く。

 アウローラは、がくりと落としかけた肩を持ち上げつつ、愛妾について詳しく聞くことにした。

「では、とある侍女のお話をいたしましょうか……」

 ヨアヒムは過去を回想するように目をつぶった。

 ♢

 その方は、貴族の良家の娘として宮廷に出仕していましたから、見初められたのは、やはり宮廷でのことにございます。見事な緋色の髪の持ち主で、ヴァルフリード殿下のおぐしは母上譲りということにございますね。彼女は美しい侍女でした。美貌で愛妾となったのです。

 しかしながら、正妃様はそれをお許しにはならなんだ。正妃様はなかなか御子を授からなかったので、愛妾がいることは公然のことだったのですが、やはり、正妻争いというものは、いつだろうと、どこだろうと、苛烈なものにございますね。

 ですから、愛妾は正妃様より先に授かってしまった御子を守らなくてはなりませんでした。その御子こそが、ヴァルフリード殿下です。

 愛妾は懊悩しました。このままでは、ヴァルフリード殿下が正妃派に駒として利用されるか、あるいは、駒にすらならないと殺されてしまう。

 愛妾は悩んで悩みぬいた末に決めたのです。……ヴァルフリード殿下を秘密裏に育てる、と。

 その侍女の名ですか? ああ……まだ殿下は奥様にお教えではなかったのですね。

 彼女の名は──ジークリット。

 行方をくらまし、生死不明でございます。

 ♢

「ジークリット……」

 アウローラはその名を口で転がしてみた。

「ヨアヒム、もう一つ伺ってもいいかしら」

「はい、なんなりと」

「ジークリット様は、なぜ行方をくらませねばならなかったのです? 愛妾という立場であれば、皇弟殿下のお膝元で暮らすこともできたのでは」

 ヨアヒムは、その問いに答える前に、長い沈黙を置いた。カップの中の茶の水面が翠に揺れた。

「……奥様」

「はい」

「やはり奥様は聡明でおいでです」

 それは誉め言葉なのか、それとも警告なのか、アウローラには判別しようもなかった。

「ジークリット様が姿をお消しになったのは、ヴァルフリード殿下が一歳になってすぐの頃でした……」

 ヨアヒムは、まるで昨日のことのようにありありと語ってみせる。

「その夜、彼女は殿下を乳母に預け、そのまま帝宮を出て行かれた。『この子をどうか』という置き手紙を残して……」

「それだけですか」

 ヨアヒムはうなずいた。
 
「ええ、それだけでございました。まるで、未練を断つような強い決意が込められた、それは短い文面でございました」

「どうして、未練だと分かるの」

 ヨアヒムは空にしたまだぬくもりが残るカップを両手で名残惜しむように包む。

「さて、なにゆえでございましょうかねえ……」

「ジルヴァン殿下は、お探しにはならなかったのですか」

「ジルヴァン殿下に代わって私めがそれをお答えするには、あまりに無礼かと」

 アウローラは額に手を当てて、うなだれた。

「そうですわよね……」

 ジルヴァンの愛妾。緋色の髪。生死不明。何かがパズルのピースに足りていない気がするのだが、何が足りていないのか。

「ヨアヒム、最後に一つだけ教えてちょうだい」

「はい」

「ジルヴァン殿下の正妃様は、まだご健在なのね?」

「ええ。イザーク殿下のお母上でいらっしゃいますから。離宮で静養なさっています」

「その正妃様は、ジークリット様をどう思っておいでなのかしら」

 ヨアヒムの穏やかな瞳が、そのときだけ鋭く輝いた。

「ひどく、憎んでおいででしょうね」

「そう……。色々教えてくれてありがとうね、ヨアヒム」

 アウローラが立ち上がると、ヨアヒムも立ち上がりかけた。

「おや、奥様、どこにおいでですか」

「少し、一人で考えを整理してきます」

 そう言い残して、アウローラは応接室を出た。向かったのは、大公邸に飾られている肖像画の前だ。若かりし頃の皇弟ジルヴァンを描いたその一幅を、アウローラはしげしげと観察した。

 黒髪。鋭利すぎる眼差し。謹厳そうな表情。

 その隣には、正妃の肖像画も並ぶ。こちらも黒髪で、気品のある美しい女性である。

「名は、ローザリンデ様よね」

 肖像画の名前を読み上げる。正妃についてはヴァルフリードから少し話を聞いていた。

「ヴァル様を一貫して無視し続けたとか……」

 イザークも黒髪だ。ヴァルフリードだけが、ジークリットの緋髪を受け継いでいる。当然のことだ。

「やはり、何かを、見落としている……」
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