37 / 40
終 祝われた子
売国同好会
しおりを挟む
「で、あの『売国同好会』の連中だが」
エリカの紅茶のカップを片手に、エディングが話を切り出した。
「売国同好会?」
ヴァルフリードが眉を跳ね上げると、エディングは片頬でにやりと笑った。
「『憂国会』とたいそうに名乗っているらしいが、やっていることは、れっきとした売国行為だろう。同好会程度の規模だしな。畢竟するに、『貴族の私兵ひけらかしごっこ』と何が違う?」
「まあ、否定するには無理がありますわね」
ヴァルフリードが答える代わりに、アウローラが返事する。
小屋の中では、コンラート王を中心に簡単な軍議が開かれ、大人たちが低声で囁き交わしていた。粗末な木のテーブルを囲むのは、国王夫妻、アウローラ、ヴァルフリード、エディング、そしてエリカ。ステラ王女は隣室で眠りについている。
「問題は、ガルティヤ王国軍が、どれほどレンゼル領内に入り込んでいるか、だな」
コンラート王が国土全体の地図を広げた。
「斥候の報告では、およそ三千」
そこに、エディングが淡々と数字を告げる。
「対して、我々が動かせる戦力は?」
ヴァルフリードの問いに、コンラート王は若干、苦い顔をする。
「憂国会に与していない王家忠誠派の兵を集めて、ようやく千五百といったところだ、ヴァルフリードどの」
「二倍の戦力差、ですか」
ヴァルフリードは腕を組んで天井の木目を仰いだ。
「正面からぶつかれば、勝ち目はありませんな」
アウローラは、そのやり取りの間も地図をじっと眺めていたが、一つ考えを口に出してみた。
「もちろん、正面からぶつかることを戦法とは言いません。ですから、分断させて各個撃破。これに尽きますわね」
「と、いうと」
コンラート王が娘アウローラを見た。
「ガルティヤ軍は、地の利がありません。対して、レンゼル側はこの国土を知り尽くしている。これを勝利の条件と呼ばずしていられませんわ」
アウローラの繊細な指は、国境沿いの大河の一点に止まった。
「このソル河には、古い橋がありますよね」
「ああ、老朽化が進んで、もう取り壊す予定だったものだ」
「これを、わざと落としましょう」
「ほう。わざとですか」
今度はエディングが興味深げに身を乗り出す。
「敵軍の補給部隊は、橋を挟んだ河向こうにいるはずでしょう? ……ならば、橋が落ちれば、レンゼル城を取り囲んでいる本隊とは分断されるはず。そして、一番近い迂回路は……」
アウローラの指先が地図の山岳地帯の隘路へと滑った。
「ここ。この峻険で狭い山岳路を通るより他にありません。ここに敵兵力を集中させれば、ミミズのように細長く伸びます。横から叩けば、二倍の戦力差など意味をなしません。本隊と補給部隊、半々だとしても同じ千五百。……あらまあ、我が軍の総兵力と同じですわね」
「なるほど。そして、同数なら、おれがいるレンゼル軍の方に有利……か」
さらりと豪語してみせたヴァルフリードの瞳には、得心の光が浮かんでいる。
「狩りと同じだな。獲物を狙った場所に追い込んで、逃げ場をなくす」
「ええ。敵の兵力を操るのは、実際の戦闘より重要なことですもの」
「さて、方針が立ったとして、売国同好会の連中はどうする」
エディングが地図上のレンゼル城を指さした。
「ランブラン伯以下、主だった者たちは、まだ城で、ぐうすか眠りこけているさ」
「それは、ガルティヤ軍を片付けた後で、ゆっくり料理して差し上げればよろしいかと」
アウローラのやや物騒な言い回しに、コンラート王は複雑そうな表情になった。
「アウローラ、国の大事だというのに楽しそうだな」
「大事だからこそ、楽しまねばならないのです」
「流石、フィリベルト陛下のゲームに勝利した王女殿下の言うことは違うな」
と、ヴァルフリードが困った笑みをこぼす。
「まったく、とんでもないお転婆娘です」
それまで黙っていたフェリシテ王妃が呆れるように言ったが、母親としてのぬくもりを帯びた声音だった。
「それにしても──」
エディングが、エリカの紅茶の二杯目を所望して呟く。
「アウローラ殿下の作戦、なかなかに容赦がないですな。追い立てられたガルティヤ兵の絶望が手に取るように分かります」
「ええ、彼らはレンゼルを吞み込もうとする侵略者です。容赦はいたしません」
ヴァルフリードが「帝国人の耳に痛いな」と軽い冗談を飛ばす。
「私の国と民を、踏みにじろうとする。ならば、それ相応の報いは受けていただかないと」
ヴァルフリードが、そんなアウローラをただただ見つめていた。どこか、羨望するような瞳だ。
「どうかしました、ヴァル」
すると、ヴァルフリードは突然視線を逸らし、口元を手で覆う。
「いや──惚れ直した」
「は?」
アウローラが口を唖然の形にする。
「なんでもない」
エディングが卓に頬杖をついて、はあ……と盛大に溜め息をついた。
「また惚気かよ。戦の前だというのに、おまえの頭の中はお花畑か」
「なに、売国同好会の脳内よりはましだろうさ」
皮肉に皮肉で返しておいて、ヴァルフリードは今一度アウローラに視線を投げかけた。
「アウローラ。この戦、勝ってみせよう」
この三日後、ソル河の古橋は轟音とともに落とされた。
エリカの紅茶のカップを片手に、エディングが話を切り出した。
「売国同好会?」
ヴァルフリードが眉を跳ね上げると、エディングは片頬でにやりと笑った。
「『憂国会』とたいそうに名乗っているらしいが、やっていることは、れっきとした売国行為だろう。同好会程度の規模だしな。畢竟するに、『貴族の私兵ひけらかしごっこ』と何が違う?」
「まあ、否定するには無理がありますわね」
ヴァルフリードが答える代わりに、アウローラが返事する。
小屋の中では、コンラート王を中心に簡単な軍議が開かれ、大人たちが低声で囁き交わしていた。粗末な木のテーブルを囲むのは、国王夫妻、アウローラ、ヴァルフリード、エディング、そしてエリカ。ステラ王女は隣室で眠りについている。
「問題は、ガルティヤ王国軍が、どれほどレンゼル領内に入り込んでいるか、だな」
コンラート王が国土全体の地図を広げた。
「斥候の報告では、およそ三千」
そこに、エディングが淡々と数字を告げる。
「対して、我々が動かせる戦力は?」
ヴァルフリードの問いに、コンラート王は若干、苦い顔をする。
「憂国会に与していない王家忠誠派の兵を集めて、ようやく千五百といったところだ、ヴァルフリードどの」
「二倍の戦力差、ですか」
ヴァルフリードは腕を組んで天井の木目を仰いだ。
「正面からぶつかれば、勝ち目はありませんな」
アウローラは、そのやり取りの間も地図をじっと眺めていたが、一つ考えを口に出してみた。
「もちろん、正面からぶつかることを戦法とは言いません。ですから、分断させて各個撃破。これに尽きますわね」
「と、いうと」
コンラート王が娘アウローラを見た。
「ガルティヤ軍は、地の利がありません。対して、レンゼル側はこの国土を知り尽くしている。これを勝利の条件と呼ばずしていられませんわ」
アウローラの繊細な指は、国境沿いの大河の一点に止まった。
「このソル河には、古い橋がありますよね」
「ああ、老朽化が進んで、もう取り壊す予定だったものだ」
「これを、わざと落としましょう」
「ほう。わざとですか」
今度はエディングが興味深げに身を乗り出す。
「敵軍の補給部隊は、橋を挟んだ河向こうにいるはずでしょう? ……ならば、橋が落ちれば、レンゼル城を取り囲んでいる本隊とは分断されるはず。そして、一番近い迂回路は……」
アウローラの指先が地図の山岳地帯の隘路へと滑った。
「ここ。この峻険で狭い山岳路を通るより他にありません。ここに敵兵力を集中させれば、ミミズのように細長く伸びます。横から叩けば、二倍の戦力差など意味をなしません。本隊と補給部隊、半々だとしても同じ千五百。……あらまあ、我が軍の総兵力と同じですわね」
「なるほど。そして、同数なら、おれがいるレンゼル軍の方に有利……か」
さらりと豪語してみせたヴァルフリードの瞳には、得心の光が浮かんでいる。
「狩りと同じだな。獲物を狙った場所に追い込んで、逃げ場をなくす」
「ええ。敵の兵力を操るのは、実際の戦闘より重要なことですもの」
「さて、方針が立ったとして、売国同好会の連中はどうする」
エディングが地図上のレンゼル城を指さした。
「ランブラン伯以下、主だった者たちは、まだ城で、ぐうすか眠りこけているさ」
「それは、ガルティヤ軍を片付けた後で、ゆっくり料理して差し上げればよろしいかと」
アウローラのやや物騒な言い回しに、コンラート王は複雑そうな表情になった。
「アウローラ、国の大事だというのに楽しそうだな」
「大事だからこそ、楽しまねばならないのです」
「流石、フィリベルト陛下のゲームに勝利した王女殿下の言うことは違うな」
と、ヴァルフリードが困った笑みをこぼす。
「まったく、とんでもないお転婆娘です」
それまで黙っていたフェリシテ王妃が呆れるように言ったが、母親としてのぬくもりを帯びた声音だった。
「それにしても──」
エディングが、エリカの紅茶の二杯目を所望して呟く。
「アウローラ殿下の作戦、なかなかに容赦がないですな。追い立てられたガルティヤ兵の絶望が手に取るように分かります」
「ええ、彼らはレンゼルを吞み込もうとする侵略者です。容赦はいたしません」
ヴァルフリードが「帝国人の耳に痛いな」と軽い冗談を飛ばす。
「私の国と民を、踏みにじろうとする。ならば、それ相応の報いは受けていただかないと」
ヴァルフリードが、そんなアウローラをただただ見つめていた。どこか、羨望するような瞳だ。
「どうかしました、ヴァル」
すると、ヴァルフリードは突然視線を逸らし、口元を手で覆う。
「いや──惚れ直した」
「は?」
アウローラが口を唖然の形にする。
「なんでもない」
エディングが卓に頬杖をついて、はあ……と盛大に溜め息をついた。
「また惚気かよ。戦の前だというのに、おまえの頭の中はお花畑か」
「なに、売国同好会の脳内よりはましだろうさ」
皮肉に皮肉で返しておいて、ヴァルフリードは今一度アウローラに視線を投げかけた。
「アウローラ。この戦、勝ってみせよう」
この三日後、ソル河の古橋は轟音とともに落とされた。
0
あなたにおすすめの小説
侯爵家の婚約者
やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。
7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。
その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。
カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。
家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。
だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。
17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。
そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。
全86話+番外編の予定
最後にして最幸の転生を満喫していたらある日突然人質に出されました
織本紗綾(おりもとさや)
恋愛
─作者より─
定番かもしれませんが、裏切りとざまぁを書いてみようと思いました。妹のローズ、エランに第四皇子とリリーの周りはくせ者だらけ。幸せとは何か、傷つきながら答えを探していく物語。一話を1000字前後にして短時間で読みやすくを心掛けています。
─あらすじ─
美しいと有名なロレンス大公爵家の令嬢リリーに転生、豪華で何不自由ない暮らしに将来有望でイケメンな婚約者のランスがいて、通う学園では羨望の眼差しが。
前世で苦労した分、今世は幸せでもいいよね……ずっと夢に見てきた穏やかで幸せな人生がやっと手に入る。
そう思っていたのに──待っていたのは他国で人質として生きる日々だった。
沈黙の指輪 ―公爵令嬢の恋慕―
柴田はつみ
恋愛
公爵家の令嬢シャルロッテは、政略結婚で財閥御曹司カリウスと結ばれた。
最初は形式だけの結婚だったが、優しく包み込むような夫の愛情に、彼女の心は次第に解けていく。
しかし、蜜月のあと訪れたのは小さな誤解の連鎖だった。
カリウスの秘書との噂、消えた指輪、隠された手紙――そして「君を幸せにできない」という冷たい言葉。
離婚届の上に、涙が落ちる。
それでもシャルロッテは信じたい。
あの日、薔薇の庭で誓った“永遠”を。
すれ違いと沈黙の夜を越えて、二人の愛はもう一度咲くのだろうか。
十年越しの幼馴染は今や冷徹な国王でした
柴田はつみ
恋愛
侯爵令嬢エラナは、父親の命令で突然、10歳年上の国王アレンと結婚することに。
幼馴染みだったものの、年の差と疎遠だった期間のせいですっかり他人行儀な二人の新婚生活は、どこかギクシャクしていました。エラナは国王の冷たい態度に心を閉ざし、離婚を決意します。
そんなある日、国王と聖女マリアが親密に話している姿を頻繁に目撃したエラナは、二人の関係を不審に思い始めます。
護衛騎士レオナルドの協力を得て真相を突き止めることにしますが、逆に国王からはレオナルドとの仲を疑われてしまい、事態は思わぬ方向に進んでいきます。
氷の王妃は跪かない ―褥(しとね)を拒んだ私への、それは復讐ですか?―
柴田はつみ
恋愛
亡国との同盟の証として、大国ターナルの若き王――ギルベルトに嫁いだエルフレイデ。
しかし、結婚初夜に彼女を待っていたのは、氷の刃のように冷たい拒絶だった。
「お前を抱くことはない。この国に、お前の居場所はないと思え」
屈辱に震えながらも、エルフレイデは亡き母の教え――
「己の誇り(たましい)を決して売ってはならない」――を胸に刻み、静かに、しかし凛として言い返す。
「承知いたしました。ならば私も誓いましょう。生涯、あなたと褥を共にすることはございません」
愛なき結婚、冷遇される王妃。
それでも彼女は、逃げも嘆きもせず、王妃としての務めを完璧に果たすことで、己の価値を証明しようとする。
――孤独な戦いが、今、始まろうとしていた。
公爵家の養女
透明
恋愛
リーナ・フォン・ヴァンディリア
彼女はヴァンディリア公爵家の養女である。
見目麗しいその姿を見て、人々は〝公爵家に咲く一輪の白薔薇〟と評した。
彼女は良くも悪くも常に社交界の中心にいた。
そんな彼女ももう時期、結婚をする。
数多の名家の若い男が彼女に思いを寄せている中、選ばれたのはとある伯爵家の息子だった。
美しき公爵家の白薔薇も、いよいよ人の者になる。
国中ではその話題で持ちきり、彼女に思いを寄せていた男たちは皆、胸を痛める中「リーナ・フォン・ヴァンディリア公女が、盗賊に襲われ逝去された」と伝令が響き渡る。
リーナの死は、貴族たちの関係を大いに揺るがし、一日にして国中を混乱と悲しみに包み込んだ。
そんな事も知らず何故か森で殺された彼女は、自身の寝室のベッドの上で目を覚ましたのだった。
愛に憎悪、帝国の闇
回帰した直後のリーナは、それらが自身の運命に絡んでくると言うことは、この時はまだ、夢にも思っていなかったのだった――
※第一章、十九話まで毎日朝8時10分頃投稿いたします。
その後、毎週月、水朝の8時、金夜の22時投稿します。
小説家になろう様でも掲載しております。
貴方が私を嫌う理由
柴田はつみ
恋愛
リリー――本名リリアーヌは、夫であるカイル侯爵から公然と冷遇されていた。
その関係はすでに修復不能なほどに歪み、夫婦としての実態は完全に失われている。
カイルは、彼女の類まれな美貌と、完璧すぎる立ち居振る舞いを「傲慢さの表れ」と決めつけ、意図的に距離を取った。リリーが何を語ろうとも、その声が届くことはない。
――けれど、リリーの心が向いているのは、夫ではなかった。
幼馴染であり、次期公爵であるクリス。
二人は人目を忍び、密やかな逢瀬を重ねてきた。その愛情に、疑いの余地はなかった。少なくとも、リリーはそう信じていた。
長年にわたり、リリーはカイル侯爵家が抱える深刻な財政難を、誰にも気づかれぬよう支え続けていた。
実家の財力を水面下で用い、侯爵家の体裁と存続を守る――それはすべて、未来のクリスを守るためだった。
もし自分が、破綻した結婚を理由に離縁や醜聞を残せば。
クリスが公爵位を継ぐその時、彼の足を引く「過去」になってしまう。
だからリリーは、耐えた。
未亡人という立場に甘んじる未来すら覚悟しながら、沈黙を選んだ。
しかし、その献身は――最も愛する相手に、歪んだ形で届いてしまう。
クリスは、彼女の行動を別の意味で受け取っていた。
リリーが社交の場でカイルと並び、毅然とした態度を崩さぬ姿を見て、彼は思ってしまったのだ。
――それは、形式的な夫婦関係を「完璧に保つ」ための努力。
――愛する夫を守るための、健気な妻の姿なのだと。
真実を知らぬまま、クリスの胸に芽生えたのは、理解ではなく――諦めだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる