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5.壊れた魔術師〜友人視点〜②
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ある日を境に殺戮はぴたりと止まった。あの事件に関わった者すべてを殺し終えたのだろう。
誰が犯人なのか、誰もが察していた。動機、模倣した殺し方、そして監視の目を欺き成し遂げることが可能な人物は一人しかいなかったからだ。……だが、ソウレイは捕まることはなかった。
殺されて当然の奴らが死んだからではなく、証拠が何一つなかったからだ。
ソウレイが抱えている怒り、苦しみ、悲しみを理解出来ない者はいなかった。あんなふうに愛する妻を失ったら、殺してやりたいと思うのは当然だ。
しかし、誰もがソウレイから目を逸らすようになった。彼本人を嫌ったのではなく、彼が有する”絶対的な力”を本能が拒絶したのだろう。
だが、俺だけは違った。怖いと感じなかったと言えば嘘になる。……格好つけるつもりはないが、親友を失いたくないという気持ちが本能よりも勝っていたのだ。
殺戮が終わると同時に、彼は心身の不調を理由に屋敷に閉じ籠もってしまった。妻の死と向き合っているのだと思った。
なにかしら助けになればと、俺は何度も会いに行った。しかし、会えないまま時間だけが虚しく過ぎていったのだった。
そして、三ヶ月後。どうせ無駄足になると思いながら侯爵家を訪れたら、なんと屋敷の中に通された。
『ユーザ、久しぶりだな。何度も来てくれていたのに、今まで会えなくてすまなかった』
『……全然いいんだ、そんなことは。久しぶりだな、ソウレイ。……その、思ったよりも元気そうで安心したよ』
窶れているソウレイを勝手に想像していた。だが、目の前に現れた親友は驚くほど溌剌としていた。
……一体なにがあったんだ……。
立ち直ったと素直に喜べなかった。こんな短期間で悲しみを乗り越えた? いや、無理だ。俺だって彼の妻の壮絶な死を忘れられないのに……。
嫌な予感がして、ごくりと唾を飲み込んだ。
ソウレイはおもむろに立ち上がって、こっちに来てくれと告げてきた。俺は言われた通り窓際に行き、彼の隣に並んだ。
『視えるか?』
『……ミエル?』
『彼女だよ』
彼は窓の外を指差しながら、優しく微笑んでいた。
彼の視線の先には誰もいなかった。見えたのは、無造作に木が抜かれた跡だけ。
だが、彼が言う”彼女”とは妻のことなんだと分かった。
ソウレイは彼女がまだ生きていた頃、こんな柔らかい表情をして、こんなふうに甘い声音で『リリア』と呼んでいたから。
『ああ、視えるよ』
それしか言えなかった。
『そうか、ユーザも視える側の人間なんだな。驚いただろ? 魔術で彼女を蘇らせたんだ。リリアは自分が死んだとは思っていない。あの時の記憶を失っているんだ。だから、使用人達もみんな視える者達に入れ替えた』
『そうか。……ソウレイ、お前は今幸せか?』
『もちろんだ。ずっと彼女と一緒にいられるんだからな』
彼は幸せだった頃と同じ笑顔を見せてそう言った。
――ソウレイの心は完全に壊れていた。
どんな魔術でも死人が蘇ることはない。命は神の領域なのだ。
彼はどんなふうに蘇らせたのか術式を説明してくれたが、それは全くの出鱈目だった。
◇ ◇ ◇
俺は上に彼の状態を報告し、ソウレイ・ロースは監視対象となった。その狂気が外に向かう兆しがあったら、処分するという。
ふっ、処分なんて実際は無理だろうがな。
魔術師達が束になっても、精々相打ちがいいとこだろう。つまり全滅だ。だから、みな、彼がこのまま静かに狂ったままなのを望んでいる。
心を壊した当主と、存在しない奥様に仕える使用人達がいるこの屋敷は――狂った箱庭。
俺はその箱庭を壊さないように、そっと見守っている。……視えるふりをして。だけど、演技に自信がないから、俺は彼の妻を遠くから視るだけに留めていた。
ここは危うい均衡で保っている。俺は不協和音になりかねない。
トントンと扉を叩く音がして返事をすると、入ってきたのは当主ではなく先ほどの侍女だった。
「大変に申し訳ございません、ゴウォン様。侯爵様はまだ暫くこちらに来れないようでして……」
「分かった、また出直すとしよう。ソウレイにそう伝えてくれるかい?」
「畏まりました」
俺が視える側だと信じている親友は、いつでも来ていいと言っていた。だから、今日だって約束していたわけじゃない。
監視は定期的に行い報告を上げることになっているが、日にちまでは指定されていなかった。
俺は侍女と一緒の屋敷の玄関を出ると表門へと向かう。わざわざ見送りなんて必要ないのだが、これも使用人の仕事ですからと譲らなかったので、並んで歩く。
「ところで、ソウレイは何をしているんだ?」
「侯爵様は奥様と一緒に花を植えていらっしゃいます」
侍女はそう言うと、侯爵家の広い庭の片隅を指差しながら、あそこですと教えてくれた。
そこにいたのは、やはりソウレイだけだった。
白い花の苗を手に取り植えながら、誰もいない隣に向かって笑い掛けている。
――『この前白い花を庭に植えたいと言っていたな。帰ったら一緒に買いに行こう』
彼はあの時、瀕死の妻にそう言っていた。今まさに、あの続きをやっているのだろう。彼の心は穏やかに壊れたままだ。
現実世界に戻ってこいとは思わない。このままでいいんだ、ずっと……。
「おーい、ソウレイ! また来るからな。それとリリア様、俺の親友をよろしくお願いしますね」
俺が叫ぶと、ソウレイは右手を振ってきた。左手は腰の高さに不自然に横に伸ばしている。そこに妻がいて、腰に手を回して寄り添っているつもりなんだろう。
「侯爵様と奥様は本当に仲睦まじいご夫妻ですね」
「……そう思いますか?」
「だって、あの通りですから」
侍女は俺に合わせたのだろう、視える演技を続ける。その口調といい眼差しといい、とても上手だった。
こうして箱庭は完璧に保たれているのだ。
俺が門を出ると入れ違いに、ひとりの青年が中へと入っていく。その服装から使用人でないのが分かる。
「ゾーイさん、お久しぶりです。姉上はどこにいますか?」
「奥様は侯爵様と一緒に庭園にいらっしゃいます」
その会話から青年が亡き侯爵夫人の弟だと知る。気さくに侍女の名を呼んでいるから、ここに頻繁に顔を出しているのだろう。彼もまた、亡き姉の夫のために箱庭を守っているひとりなのだ。
俺を見送った侍女は、その足で今度は青年を案内するようだ――狂った箱庭へ。
足取り軽い彼らの後ろ姿に対して、俺は柵越しに頭を下げる。
「……賑やかで良かったな、ソウレイ。もういいから、そこにずっといろよ。……っ、ううぅ……。ごめんな、奥さんを助けられなく……て…」
親友のために、俺は俺にしか出来ないことをやり続けよう。……処分なんて許さない。
【監視報告――壊れた魔術師は脅威にあらず。以上】
誰が犯人なのか、誰もが察していた。動機、模倣した殺し方、そして監視の目を欺き成し遂げることが可能な人物は一人しかいなかったからだ。……だが、ソウレイは捕まることはなかった。
殺されて当然の奴らが死んだからではなく、証拠が何一つなかったからだ。
ソウレイが抱えている怒り、苦しみ、悲しみを理解出来ない者はいなかった。あんなふうに愛する妻を失ったら、殺してやりたいと思うのは当然だ。
しかし、誰もがソウレイから目を逸らすようになった。彼本人を嫌ったのではなく、彼が有する”絶対的な力”を本能が拒絶したのだろう。
だが、俺だけは違った。怖いと感じなかったと言えば嘘になる。……格好つけるつもりはないが、親友を失いたくないという気持ちが本能よりも勝っていたのだ。
殺戮が終わると同時に、彼は心身の不調を理由に屋敷に閉じ籠もってしまった。妻の死と向き合っているのだと思った。
なにかしら助けになればと、俺は何度も会いに行った。しかし、会えないまま時間だけが虚しく過ぎていったのだった。
そして、三ヶ月後。どうせ無駄足になると思いながら侯爵家を訪れたら、なんと屋敷の中に通された。
『ユーザ、久しぶりだな。何度も来てくれていたのに、今まで会えなくてすまなかった』
『……全然いいんだ、そんなことは。久しぶりだな、ソウレイ。……その、思ったよりも元気そうで安心したよ』
窶れているソウレイを勝手に想像していた。だが、目の前に現れた親友は驚くほど溌剌としていた。
……一体なにがあったんだ……。
立ち直ったと素直に喜べなかった。こんな短期間で悲しみを乗り越えた? いや、無理だ。俺だって彼の妻の壮絶な死を忘れられないのに……。
嫌な予感がして、ごくりと唾を飲み込んだ。
ソウレイはおもむろに立ち上がって、こっちに来てくれと告げてきた。俺は言われた通り窓際に行き、彼の隣に並んだ。
『視えるか?』
『……ミエル?』
『彼女だよ』
彼は窓の外を指差しながら、優しく微笑んでいた。
彼の視線の先には誰もいなかった。見えたのは、無造作に木が抜かれた跡だけ。
だが、彼が言う”彼女”とは妻のことなんだと分かった。
ソウレイは彼女がまだ生きていた頃、こんな柔らかい表情をして、こんなふうに甘い声音で『リリア』と呼んでいたから。
『ああ、視えるよ』
それしか言えなかった。
『そうか、ユーザも視える側の人間なんだな。驚いただろ? 魔術で彼女を蘇らせたんだ。リリアは自分が死んだとは思っていない。あの時の記憶を失っているんだ。だから、使用人達もみんな視える者達に入れ替えた』
『そうか。……ソウレイ、お前は今幸せか?』
『もちろんだ。ずっと彼女と一緒にいられるんだからな』
彼は幸せだった頃と同じ笑顔を見せてそう言った。
――ソウレイの心は完全に壊れていた。
どんな魔術でも死人が蘇ることはない。命は神の領域なのだ。
彼はどんなふうに蘇らせたのか術式を説明してくれたが、それは全くの出鱈目だった。
◇ ◇ ◇
俺は上に彼の状態を報告し、ソウレイ・ロースは監視対象となった。その狂気が外に向かう兆しがあったら、処分するという。
ふっ、処分なんて実際は無理だろうがな。
魔術師達が束になっても、精々相打ちがいいとこだろう。つまり全滅だ。だから、みな、彼がこのまま静かに狂ったままなのを望んでいる。
心を壊した当主と、存在しない奥様に仕える使用人達がいるこの屋敷は――狂った箱庭。
俺はその箱庭を壊さないように、そっと見守っている。……視えるふりをして。だけど、演技に自信がないから、俺は彼の妻を遠くから視るだけに留めていた。
ここは危うい均衡で保っている。俺は不協和音になりかねない。
トントンと扉を叩く音がして返事をすると、入ってきたのは当主ではなく先ほどの侍女だった。
「大変に申し訳ございません、ゴウォン様。侯爵様はまだ暫くこちらに来れないようでして……」
「分かった、また出直すとしよう。ソウレイにそう伝えてくれるかい?」
「畏まりました」
俺が視える側だと信じている親友は、いつでも来ていいと言っていた。だから、今日だって約束していたわけじゃない。
監視は定期的に行い報告を上げることになっているが、日にちまでは指定されていなかった。
俺は侍女と一緒の屋敷の玄関を出ると表門へと向かう。わざわざ見送りなんて必要ないのだが、これも使用人の仕事ですからと譲らなかったので、並んで歩く。
「ところで、ソウレイは何をしているんだ?」
「侯爵様は奥様と一緒に花を植えていらっしゃいます」
侍女はそう言うと、侯爵家の広い庭の片隅を指差しながら、あそこですと教えてくれた。
そこにいたのは、やはりソウレイだけだった。
白い花の苗を手に取り植えながら、誰もいない隣に向かって笑い掛けている。
――『この前白い花を庭に植えたいと言っていたな。帰ったら一緒に買いに行こう』
彼はあの時、瀕死の妻にそう言っていた。今まさに、あの続きをやっているのだろう。彼の心は穏やかに壊れたままだ。
現実世界に戻ってこいとは思わない。このままでいいんだ、ずっと……。
「おーい、ソウレイ! また来るからな。それとリリア様、俺の親友をよろしくお願いしますね」
俺が叫ぶと、ソウレイは右手を振ってきた。左手は腰の高さに不自然に横に伸ばしている。そこに妻がいて、腰に手を回して寄り添っているつもりなんだろう。
「侯爵様と奥様は本当に仲睦まじいご夫妻ですね」
「……そう思いますか?」
「だって、あの通りですから」
侍女は俺に合わせたのだろう、視える演技を続ける。その口調といい眼差しといい、とても上手だった。
こうして箱庭は完璧に保たれているのだ。
俺が門を出ると入れ違いに、ひとりの青年が中へと入っていく。その服装から使用人でないのが分かる。
「ゾーイさん、お久しぶりです。姉上はどこにいますか?」
「奥様は侯爵様と一緒に庭園にいらっしゃいます」
その会話から青年が亡き侯爵夫人の弟だと知る。気さくに侍女の名を呼んでいるから、ここに頻繁に顔を出しているのだろう。彼もまた、亡き姉の夫のために箱庭を守っているひとりなのだ。
俺を見送った侍女は、その足で今度は青年を案内するようだ――狂った箱庭へ。
足取り軽い彼らの後ろ姿に対して、俺は柵越しに頭を下げる。
「……賑やかで良かったな、ソウレイ。もういいから、そこにずっといろよ。……っ、ううぅ……。ごめんな、奥さんを助けられなく……て…」
親友のために、俺は俺にしか出来ないことをやり続けよう。……処分なんて許さない。
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