二人の公爵令嬢 どうやら愛されるのはひとりだけのようです

矢野りと

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57.道化師の子〜タイアン視点〜

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 ニーデル修道院を出た四日後、私――タイアンは王都に到着した。その足で王宮に戻ってくると、私は足早に廊下を進んでいく。

 王宮の中に私は二つ執務室を構えている。
 ひとつは王弟の公務で使用する部屋で、もうひとつは歴代の魔法士長が使っている部屋だ。目指しているのは前者である。魔法士の誰かに遭遇する前に辿り着きたいと思っていたのに、運悪くローマンに見つかってしまう。

「タイアン魔法士長! なぜ、ここにいるのですか! お戻りは一週間後のはずですよね」

「旅路がとてもスムーズだったんですよ」

「嘘を吐いても、その目の下の隈と服の皺を見れば分かります。昼夜問わず馬車を走らせた……そうですよね? 二週間の行程を半分にするなんて無茶苦茶すぎます!」

 普段の彼は温和な青年で声を荒げたりはしない。なのに、今は唾を飛ばしながら詰め寄ってくる。

 ……汚いですよ。

 という言葉は心の中だけに留めておく。
 彼は怒っているのではなく案じてくれているからだ。魔法士達は全員、私の予定を把握している。誰に見つかっても、同じ結果になっていただろう。

 六年もの間、魔法士達は私を信じて耐えてくれた。
 そんな彼ら――大切な家族――が支えてくれたからこそ、私は諦めることなく種を蒔くことが出来たのだ。

 ……本当に感謝している。

 私と魔法士達の関係はこの六年間で、より親密により強固になっていた。


 ローマンは問答無用とばかりに、私を方向転換させて一緒に歩き始める。王都にある自分の屋敷に帰って休めということだろう。
 彼でこれなら、他の魔法士に見つかったら防御の盾で囲まれそうだ。

「分かりました、今日のところは退散します」

 抵抗せずに外廊下を並んで歩いていると、庭園の真ん中にある池のほとりに小さな子がいるのが目に映る。ここは王宮の中ほどなので、誰もが立ち入れる場所ではない。

 私はその子から目を離すことなく、ローマンに話し掛ける。

「見慣れない服を着ていますね」

「あのような服を着た一団が昨日到着しました。たぶん、一緒に来た子だと思います」

 国王の交代が行われたのは一ヶ月前だが、他国の者を招待してのお披露目は二日後に行われる予定だ。
 次世代の繋がりを求めて、子供を伴って来る場合もある。あの子もそのうちのひとりなのだろう。
 だが、周囲には同じ服装をした者はいなかった。

「迷子みたいですね。ローマンは仕事に戻ってください。私はあの子を親のもとに返してから屋敷に戻ります」

 ローマンは疑わしそうに私を見てくる。疑っているのは確実に後半の台詞だろうと苦笑いする。

「魔法士長の名にかけてお約束します」

「…………信じます」

 たっぷりと間をあけてから彼は答えた。半信半疑なのだろうが時間に余裕がないのだろう。魔法士は誰もが忙しい。彼が来た道を走って戻っていくと、私は庭園を横切り池へと歩いていく。

 その子はしゃがんで池の中を覗き込んでいた。柵があるので落ちる心配はない。

「こんにちは、何を見ているのですか?」

「おさかなしゃん」

 その子は前を向いたままペコっと頭だけさげる。その可愛い挨拶に私の頬が緩む。

 おや……?

 声を掛けておいて何だが、言葉が通じるとは思っていなかったのだ。この幼さで他国の言葉を話せるとなると、英才教育を受けている証。……たぶん、王族。


 間近で見る異国の服には覚えがあった。南方に位置する小国――ナジュールの民族服だろう。

 かの国は貴重な鉱石が採掘できる数少ない国なので、ずっと国交を求めていたが良い返事を貰えずにいた。
 だが、二年前に、あちら側から国交を結んでもいいと連絡があった。ただ、親書には『国内の安定を確認してから話を進めたい』と追記されていた。
 その一文で、国王が民からの信頼を失いつつある現状を問題視しているのだと伝わってきた。民の暴動は他国へ飛び火することもあるからだ。

 民の声、貴族の声、そしてかの国の親書が、貴族院を動かしたと言ってもいいだろう。もし親書がなかったら、国王の交代はまだ叶っていなかったかもしれない。

 偶然の結果だが、ナジュール国に親しみを覚えるには十分だった。その国から来た子だと思うと不思議な縁を感じる。


「私も凄くお魚が好きなんですよ。隣で一緒に見てもいいですか?」

「どうじょ」

 夢中になっているのだろう、その子は魚からいっときも目を離さない。私は警戒心を抱かせないように、地面に直接腰を下ろして並んだ。

「まずは自己紹介ですね。私はアクセルと言います。この国の魔法士です。君はどこの国から来ましたか? それから、何歳ですか?」

「ナジュールでしゅ」

 その子はじっと自分の指を見ながら一本ずつ立てていく。三本立ったところでとまったから、三歳なのだろう。

「アーク」

 舌っ足らずな声でさっそく名前を呼んでくれた。人見知りしない子なのだろうと、つられて笑みを浮かべる。

「友達になれたようで嬉しいです。ところで、君の名前を教えてくれますか?」

「アークでしゅ」

「はい、私はアクセルなのでアークでいいですよ。それで、君の名前を――」

「アークでしゅ」

 その子は自分の胸をトントンと叩いている。

「えっと、君もアークなのですか?」

 その子はコクコクと頷いている。やっと通じたと喜んでいるようだ。
 でも、残念なことに、頭巾を深く被っているから顔は見えない。ずれてしまっているだけかもしれないが、民族服には意味がある場合がある。勝手に直さないほうがいいだろうと、手を出すのは控える。

「お揃いですね、アーク」

「……??」

「同じということですよ」

 すると、アークはまた指を三本立てる。二回目だからか前よりもスムーズだ。

「アークと、アクシェルと、おじいしゃま。お揃いなのー」

 我が国では尊敬する家族の名の一部を引き継ぐ文化がある。どうやらナジュールも同じのようだ。こんな可愛い孫と一緒なんて、さぞやこの子の祖父は嬉しかっただろう。

 そう言えば、今回、ナジュールの代表としてこの国に来ているのは王子のはずだ。現国王の名はアークではない。国王を差し置いて母方の祖父の名を引き継いだとは考えにくい。
 では、この子の親は随伴している者なのだろうか。

「アーク、誰と一緒に来ましたか?」

「みんなでしゅ」

「その中にお父様かお母様はいましたか?」

 アークは嬉しそうに指を二本見せてくる。両親ともに要職に就いている随伴しているということだろう。それなら英才教育も納得だった。

「とーさまと、かーさまね。どうけしなの」

「ああ、魔法士なんですね。アークのご両親は」

 魔法士は国によって通称が異なる。
 我が国は漆黒の制服から『王宮の鴉』。真っ白な制服を着用している隣国の魔法士は『羽のない白鳥』と言われている。
 ナジュールの魔法士は『道化師』と呼ばれている。仮面を付けているかららしいが、国交がなかったので実物を見たことはない。

「凄いですね」

「うん、しゅごいの。とーさまはびゅんって盾つくるの。かーさまは、ぽんってつくるの」

 身振り手振りを交えて一生懸命に説明する姿は、愛おしくて堪らない。この子は両親に惜しみない愛情を注がれている。そうでなくては、こんな良い子に育たない。

 目を細めてアークを見ていると、頭上から鴉の鳴き声が聞こえてくる。アークは「ちろー」と空に向かって手を振り始める。どうやら、ナジュール語では鴉をチロと言うようだ。

 すると、声に反応したのか鴉が急降下して来て、私の肩にとまった。

「ちろ?」

 不思議そうにアークが鴉を呼ぶ。その鴉は当然という感じで私の髪を毟り始める。……とても懐かしい痛みだった。

「もしかして白ですか……」

「カアッ!」

 当たり前だというふうに鳴いた鴉の足は一本しかない。白に会うのは六年ぶりだ。


 アークが「ちろ、ちろ」と何度も呼ぶと、白は仕方がないなという感じで彼の膝に飛んでいく。白は小さな手を拒むことなく大人しく撫でられている。

 ……チロではなく白、……だったのですね。


震えそうになる声を必死に押さえる。怯えさせてはいけない。


「アーク、頭巾を取ってもらえますか?」

「はいでしゅ」

 パサリと、頭巾が取り払われた。可愛らしい顔があらわになる。

 その瞳は藍色だった。

 その髪は紫銀だった。

 その目元はルークライによく似ている。

 その口元はリディアにそっくりだ。


――道化師の子は間違いなく、私の子鴉の子。


「お目々がぬれてましゅ、アクシェル」 

 アークは立ち上がって私の涙を服の袖で一生懸命に拭いてくれる。私はそっと小さな体を抱きしめる。この年頃のルークライを私は知らない。だが、きっとこんなふうに可愛かったのだろう。

 
  神様、有り難うございま…す……。




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