【完結】夫は私に精霊の泉に身を投げろと言った

冬馬亮

文字の大きさ
29 / 43

兄上がお命じになりました

しおりを挟む


アーロンは馬に乗り、森の中を進んでいた。

隣に並ぶのは兄ジョーセフだ。
執務や公務は頭の中だけで、実際には部屋に篭りきりだったジョーセフにとって、実に1年ぶりの外出である。


ジョーセフの妄言動が人目につかない様に、彼が寝ている間に密かに馬車の中へと運び、夜明けすぐに森の入り口へと出発した。


今はジョーセフも起きて馬に乗っているが、どうやら彼はアリアドネと2人乗りをしているつもりらしい。
先ほどから自分の胸元辺りに視線を向けては何事かを話しかけ、ひとり相槌を打っていた。


1年経った今もジョーセフは夢の住人だ。


25歳の弟アーロンは、ジョーセフにとって今もまだ4、5歳のままで。

どう聞いても大人としているとしか思えない会話の内容も、幼子である筈のアーロンが馬にひとりで乗っている現状も、そもそも見た目からしてあり得ないのに、それはジョーセフにとっては気にならない事実の様だった。

これまでも見えない人が見えていたり、いる人をいないものとして扱ったり、側から見れば色んな矛盾点はあるものの、ジョーセフの頭の中ではどうにかして整合させているのだろう。







1年前、カレンデュラの侍女たちを含む城内の使用人たちを一部粛清した時、王城は一時的に人手不足に陥ったが、それも徐々に解消された。


今アーロンが課題としているのが隣国との関係改善だ。

クロイセフ王国の隣に位置する大国トラキア。アリアドネの死をきっかけに、関係が冷え込んだ国だ。

そしてもう一国、昨年トラキアとクロイセフ王国の間にできた小さな独立国であるポワソン公国。そう、アリアドネの父デンゼルが独立を宣言して興した国だ。


経済復興や治安回復の為にも、この2国との国交を正常化しなければいけない。

アーロンはいよいよ重い腰を上げた。

クロイセフ王国が変化したことを対外的に示す為、アーロンは遂に国王として即位することを決意したのだ。


国王ジョーセフが表に現れなくなり、王弟アーロンが国王代理として務め始めてから約1年。
ようやくの譲位となる。


実は、この3日前がアリアドネの命日だった。

今年は闇も雪もなかったことに全国民は密かに安堵し、その日1日静かに喪に服した。


そうして真実あの時の精霊王の裁きが終わったことを改めて実感したアーロンは、譲位の儀式を2週間後に控えた今日、朝早くに兄を連れて森へと出発したのだ。


―――精霊の泉がある森へと。









「王領の森に入るのは初めてだよ」

「僕もです。でもこの森だけは何故か魔獣が棲みつかないので、比較的安全に出入りできるそうですよ」

「そうなのか。だから護衛がこの人数で済むのだな。アリアドネは仰々しいのを好まないから有り難いよ」


先頭を並んで進むジョーセフとアーロンは、そんな会話を交わしながら森の中を進む。


体力が衰えているジョーセフはかなり疲れやすく、途中で何度も休憩を取らねばならなかった。

その為、明け方近くに出発したにも関わらず、普通なら半日で着く筈の道のりが、泉に到着したのは昼を一刻ほど過ぎていた。


「やあ、こんなところに泉があるぞ。なんと美しい」


ジョーセフは馬を降りると、馬上へと手を伸ばす。空想上のアリアドネが馬から降りるのを補助しているのだ。


「兄上」


背後からアーロンが声をかけた。彼は今、泉を背にして立っている。

泉の水面はどこまでも静かで、波紋ひとつ立っていない。

魔獣がいないとは聞いていたが、もしや動物や鳥もいないのだろうか。鳴き声ひとつも聞こえないのは何故だろう。


「なんだ、アーロン。ちょっと待ってくれ。今アリアドネを・・・」

「そこには誰もいませんよ。だって義姉上は・・・」


アーロンは、ここで言葉を切り、深く息を吸った。


「・・・義姉上は、この泉の底深くに沈まれたのですから」


静寂の中に響くアーロンの固い声に、ジョーセフの手が止まる。


「泉の、底・・・?」


ジョーセフはゆっくりと弟の方へ、精霊の泉の方へ振り向いた。


「はい。こちらは精霊の泉。2年前、義姉上は精霊王の裁きを求めてこの泉に身を投げたのです」


覚悟して口にした筈なのに、情けないとアーロンは唇を噛んだ。


「―――そう兄上がお命じになりました」


驚きで目を見開く兄の姿が涙でぼやけた。







しおりを挟む
感想 307

あなたにおすすめの小説

完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ

音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。 だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。 相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。 どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

完結 若い愛人がいる?それは良かったです。

音爽(ネソウ)
恋愛
妻が余命宣告を受けた、愛人を抱える夫は小躍りするのだが……

正妃として教育された私が「側妃にする」と言われたので。

水垣するめ
恋愛
主人公、ソフィア・ウィリアムズ公爵令嬢は生まれてからずっと正妃として迎え入れられるべく教育されてきた。 王子の補佐が出来るように、遊ぶ暇もなく教育されて自由がなかった。 しかしある日王子は突然平民の女性を連れてきて「彼女を正妃にする!」と宣言した。 ソフィアは「私はどうなるのですか?」と問うと、「お前は側妃だ」と言ってきて……。 今まで費やされた時間や努力のことを訴えるが王子は「お前は自分のことばかりだな!」と逆に怒った。 ソフィアは王子に愛想を尽かし、婚約破棄をすることにする。 焦った王子は何とか引き留めようとするがソフィアは聞く耳を持たずに王子の元を去る。 それから間もなく、ソフィアへの仕打ちを知った周囲からライアンは非難されることとなる。 ※小説になろうでも投稿しています。

完結 貴方が忘れたと言うのなら私も全て忘却しましょう

音爽(ネソウ)
恋愛
商談に出立した恋人で婚約者、だが出向いた地で事故が発生。 幸い大怪我は負わなかったが頭を強打したせいで記憶を失ったという。 事故前はあれほど愛しいと言っていた容姿までバカにしてくる恋人に深く傷つく。 しかし、それはすべて大嘘だった。商談の失敗を隠蔽し、愛人を侍らせる為に偽りを語ったのだ。 己の事も婚約者の事も忘れ去った振りをして彼は甲斐甲斐しく世話をする愛人に愛を囁く。 修復不可能と判断した恋人は別れを決断した。

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

完結 貴族生活を棄てたら王子が追って来てメンドクサイ。

音爽(ネソウ)
恋愛
王子の婚約者になってから様々な嫌がらせを受けるようになった侯爵令嬢。 王子は助けてくれないし、母親と妹まで嫉妬を向ける始末。 貴族社会が嫌になった彼女は家出を決行した。 だが、有能がゆえに王子妃に選ばれた彼女は追われることに……

処理中です...