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夢に逃げた
しおりを挟むノックをしても返事がないのはいつものこと。
アーロンはそのまま扉を開けると、室内をざっと見回した。
ソファにも、窓際の椅子にもジョーセフの姿はない。
それで寝室になっている続き部屋を覗いてみれば、ジョーセフは寝台ですやすやと穏やかな寝息をたてて眠っていた。
アーロンは寝台に近寄り、寝顔をじっと見つめた。
ここ10年以上お馴染みだった眉間の皺はそこになく、まるで幼子のようなあどけなささえ窺える安らかな表情を兄は浮かべている。
「今は本当に夢の中ですか・・・」
そう呟くと、アーロンはそっと寝台の隅に腰かけた。
「ねぇ、兄上。兄上はいつ、夢から覚めるのでしょうね・・・」
―――もう8か月も待っているのに。
あの日。
アーロンが全ての事の真相を知り、騎士たちを連れて北の塔を出た日。
アーロンはことを正すと決心した。
どれだけ時間がかかろうとも、タスマとカレンデュラに罪を償わせ、兄や宰相にも犯した過ちに向き合わせるつもりだった。
それが突然の闇と雪で風向きが変わった。
タスマとカレンデュラには即刻の処断が必要となり、雪で閉じ止められている間に城内の制圧にも成功。予想よりもはるかに呆気なくアーロンは権力を得た。
宰相の反応は予想通り。
生涯を通じて悔やめばいいという思いと、のうのうと生かしておいたらまた何か企てるのではという疑心との間でアーロンが取ったのは、職責を剥奪した上での試験期間。
その結果もまた予想通りで、多少物足りなくはあるのだけれど致し方ないと割り切った。
だが、兄ジョーセフの反応は違った。
ジョーセフはアーロンが思っていたより誇り高く、自身の敗北が認められず、貴族や民が自身よりアーロンを選んだことが許せなかった。
許せず、夢に逃げたのだ。
2度目にアーロンが訪れた時、ジョーセフはもう彼が知るジョーセフではなく――― 知っていた兄になっていた。
かつての、まだ兄が王位を継いだばかりの頃の。
アリアドネの愛と献身を一身に受け、けれど驕らず、真摯に受け止めていた頃の兄に。
『やあ、アーロン。今日は何をして遊んだんだい?』
ジョーセフの目に、24歳のアーロンは4、5歳の幼子として映った。
『ごめんね、兄さまもお前と一緒にいてやりたいけど、これから宰相に付いて執務を学ばないといけないんだ』
そう言って微笑むジョーセフは、どこか誇らしげで。
『ああ、そうだ。アーロン、アリアドネを散歩に誘ってやってくれないか。まだこの城に来たばかりで不安だろうから』
頼むよ、と言いながら、ジョーセフはアーロンの頭を撫でた。
アーロンはそれに何と返せばよかったのだろう。
兄に譲位を迫り、アリアドネに対して犯した過ちを糾弾するつもりでいたアーロンは、振り上げた拳の行き場を失ってしまった。
大嫌いな兄は、大好きだった頃の兄に戻ってしまった。
たった12歳で王座に就かざるを得なかったジョーセフがその後どれだけ努力を重ねなければならなかったか、スペアにすぎなかったアーロンには想像しかできない。
ジョーセフは好きで長男に生まれた訳ではないのにその荷を負い、アーロンはただ偶然弟に生まれたというだけで気楽な王弟でいられた。でも、それだって誰が決めた訳でもない。人は皆、与えられた役割をこなすしかないのだから。
当人が決められるのは、その後の生き方だけだ。
けれど努力を重ねる人だったジョーセフは、やがて道を間違え、最後には取り返しのつかない過ちを犯した。それは他の誰にも擦りつけようがない、ジョーセフ自身の咎だ。
彼はそれを償わなければならない。
無実の罪で泉の底に沈んだアリアドネの為にも、彼がその咎から目を逸らしてはいけないのに。
なのにジョーセフは、自分が犯した醜い罪をきれいさっぱり忘れて、8か月経った今も、執務に励む真面目で謙虚な少年王でい続ける。
「早く夢から覚めてください、兄上・・・」
大好きだった頃の兄と話をするのは、とても、とても辛い。
思わず、このままでもいいかと兄を許してしまいそうになる。
アーロンが今も国王代理のままでいるのは、正気に返ったジョーセフに現実を突きつける為だ。
国王であることを誇りに思い、自分だけの力で立っていると信じたがった兄に、自身が犯した過ちの大きさを知らしめ、だからあなたは王ではなくなるのだと、絶望の底に突き落とす為―――
「早く・・・早く目覚めて・・・」
そうでないと、決心が鈍ってしまいそうだ―――
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