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しおりを挟む「──全く、医務室で騒がしい事この上ない」
そう話すのは、先程リエラの急患扱いに呆れ果てていた、老医師のウォム先生だ。
確かに医療現場で先程から申し訳ない。リエラははっとウォム医師に向き直った。
しかし医師の苦言にベリンダは不愉快そうに眉を顰める。
「申し訳ありません」
そして何故か謝ったのはシェイドである。
リエラの眉間の皺が深くなる。
「あなたが謝る必要などありませんわシェイド様! 平民の医師に謙るなど、貴族にあるまじき行為ですのよ!?」
喚くベリンダにウォム医師は冷ややかな眼差しを向けた。
「……その通り、ここは身分による貴賤を陛下により免除されている唯一の場所でございます。従ってあなたのように健康で、ましてや患者の付き添いでも見舞いでも無い輩は即刻ご退去願いたい」
「は……?」
ベリンダと取り巻きたちは言われた事が理解できなかったらしく、一瞬だけぽかんとした後、その面を鬼のように変貌させた。
「なっ、お前……平民のくせに! わたくしに何て言葉遣いなのかしら? この事はお父様にお伝えさせて頂きますからね!」
ぴしりと指を突き立てられ、ウォム医師は不愉快そうに顔を顰めた。
「──いいえ、レーゼント侯爵に伝えて恥をかくのはあなたですわ、ベリンダ侯爵令嬢」
その言葉に皆の視線が一斉にリエラに向く。
シェイドも目を見開いている。
けれどそれを受け、リエラはしゃんと背を伸ばした。
淑女教育はちゃんと完了している。シェイドの前でみっともない姿は見せたくなかった。
それに先程からベリンダの態度が目に余って仕方がない。
気付けば口を出していた。
(彼女の暴言を聞き捨てならないなんて……私って案外面倒な性格をしているのかもね)
リエラは内心でひっそりと息を吐いた。
案の定ベリンダは一瞬怯んだものの、直ぐに口元に嘲りを浮かべ捲し立てる。
「何を仰っているのやら? あなたは貴族と平民の区別もご存知ないの? 流石醜聞を撒き散らすお方は知識も薄いようで、見るに耐えない事だわ」
そう吐き捨て取り巻きに一瞥をくれる。
当然彼女たちは「本当に」「みっともない」「愚かですこと」と、頷いた。
類は友を生むものである。
リエラは思わずふふふと笑い声を漏らした。
「な、何がおかしいのよ!」
彼女は自分が笑うのはいいが、人に笑われるのは我慢がならないのだろう。カッと顔を赤くする様を冷ややかに見据え、リエラはゆっくりとベリンダに近付いた。
「学園で──医務室は医療行為を優先する為に、貴賤を問わぬ場と教えて頂いたというのに、ベリンダ様はもう忘れてしまったのですか?」
伯爵令嬢らしく微笑みを絶やさずに。けれど同時に獲物を逃がさないという気概の元、リエラは真っ直ぐにベリンダを見据えた。
「は? 何、そんな事? そんなの……」
ベリンダは慌てながらも抵抗すべく口を開ける。勿論、余計な言葉は言わせない。
「ああ! そういえばあなたは学園の先生方の話も身分を分けて聞いていらしたのでしたっけ? だから成績はいつも端の方。身分に縛られた生き方は息苦しいものですね? ……でもおかしいですわ……あの学園の先生方は全員準男爵以上の身分を得た貴族でしたのに。不思議ですね、ベリンダ様? あなたは一体どなたのお話なら聞けるのかしら?」
リエラとベリンダとは四つ離れている。十四歳で入学した学園で彼女は既に最終学年ではあったが、成績表は全学年同じ場所に張り出されていた。学園は準社交の場。主要貴族の成績くらいチェックしていて当然だった。
(いっつも後ろから数えた方が早い端の方だから目立ってたのよね。これで王子妃とか、よく言えたものだわ)
底辺馬鹿と言われた事を理解したのだろう。ベリンダは怒りを露わに真っ赤になっている。そしてこれには取り巻きも身を引いていた。
感情的な彼女は怒ると手が付けられない……これもまた周知の話なのだ。
「お前……私に何て事を……っ」
リエラはふっと息を吐いた。
正直低い声を出されたところで怖くはない。
そもそもリエラは異性を苦手としているが、反面、女性とばかり過ごしてきた為に、女の人を怖いと思った事は無いのだ。
リエラは伯爵令嬢ではあるが、家柄は悪くない。ベリンダに意見を言えるくらいの立場は持っている。
しかしベリンダは今まで逆らわれる事など無かったのだろう。
彼女と家格が対等以上の令嬢令息はいたけれど、わざわざ衝突しにいくような者はいない。王族の婚約者候補という身分が彼女を守っていたのもあるし、彼女の性格は、皆面倒だと分かっていたからだ。
──つまり、彼女はこういう態度に慣れていない。
リエラはここぞとばかりに蔑んだ顔で顎を上げ、ベリンダを見下ろした。
「人の話をまともに聞けず、理解できないあなたに、医師の処方を要すここは相応しくありませんわ。須く出て行って下さいます? 迷惑極まりありませんので」
案の定ベリンダは大声で反発した。
「私は! 第三王子殿下の婚約者候補ですのよ! 城内においてわたくしが入れない場所などありませんし、何よりお前はたかだか伯爵家のくせに侯爵家にどれだけの無礼を働いているか理解しているの?! 伯爵家風情が、このわたくしに! ──大体! こんな医師の一人二人、わたくしの権限でいくらでも首を飛ばす事が可能ですのよ? ええこんな身の程知らず共、このわたくし自らが即刻処罰して差し上げてよ! お前たち皆! この無礼者どもが!」
ぜいぜいと息を荒くするベリンダの口の端は勝利を確信したように吊り上がっている。今口にした事を侯爵に告げ、間違いなく実行する未来でも浮かべているところなのだろう。
そんなベリンダを凪いだ目で見つめ、リエラはさりげなく彼女と距離を置いていたシェイドに声を掛けた。
「お聞きになりまして? ウォーカー令息」
「はい」
シェイドは静かに頷いて、リエラに同意した。
ベリンダはハッと息を飲んだ。
それからあわあわと視線を彷徨わせ、今の言葉を飲み込まんとするように、口をぱくぱくと開け閉めしだした。
(……あんな剣幕を好きな相手に見られたら、それはそうなるわよね……)
表現豊かな人である。そして盲目だ。
リエラは呆れ半分に息を吐いた。
「シェイド様……い、今のはその……私は別に……」
「レーゼント侯爵令嬢」
動揺を見せるベリンダに、シェイドは柔らかな微笑みを向けた。
はっと頬を染めるベリンダに、シェイドはその表情を消して口を開いた。
「城内で医師の貴賤を無くしたのは、先王陛下の病状に合わせ、いつでも王族の部屋に訪れて、断りなく触れる権限が必要だったからです。また先王陛下が生涯信頼なさっていた主治医がそちらのウォム先生であり、先王陛下は医療現場に限り、彼に王族に次ぐ権限をお与えになりました。……それは身体の弱いクライド殿下にも当てはまります」
びくっとベリンダ様の身体が跳ねた。
……クライドは華奢な御方だが、それは幼少期よりの体調不良が祟っての事だ。
けれど成人して身体を鍛え、剣を振る生活に慣れた今でも、不調を訴える事はあるのだという。そしてその症状は先王陛下と酷似していた。
陛下方の体調を管理し、新たな治療法を模索するウォム医師たちの行為を、平民だからと見下す事は先王陛下のご遺志に反するし、何よりクライド殿下の婚約者候補として浅慮すぎる。
「あ、……私、は……」
「……令嬢はクライド殿下のご事情一つご理解なさっていなかったのですね」
冷めた表情のまま告げるシェイドにベリンダはひゅっと喉を鳴らした。
「ま、まさかっ、違いますわ! 私は、ただ……ただ──……」
「──知らなかったと言うのなら、婚約者候補としての資質を疑います」
ベリンダは今にも泣き出しそうに顔を歪めた。
貴族の血を尊び、序列を鼻に掛ける人なのに、想いを寄せる相手は別なようだ。
アッシュもそうだった。
むしろ恋愛においては惚れた方が立場が下なのだろう。ベリンダは縋るようにシェイドに手を伸ばした。
その手から目を背け、シェイドはベリンダへ拒絶を示した。
──彼はクライド殿下の側近。
今の失言はクライドへも当然届く。ベリンダはシェイドとクライド、どちらの評価も下げ、その未来を失ってしまったのだ。
ベリンダは愕然とよろめいた後、リエラにキッと向き直った。
「醜聞女のくせに!」
その有り様にシェイドはぴくりと顔を硬らせた。
「……貴族間に広まっている件の噂は、クライド殿下自ら解消へ向けて動き出しております。これ以上喚き立てるとなれば、あなたも王族侮辱罪が適用されます」
「な、あ……っ?」
自分が侯爵の名を出したのと同じように、今度は王族の名で追い詰められては、成す術がないと理解できたようだ。ベリンダははくはくと口を開け閉めし、呆然とシェイドを見上げた。
「……もうお話は宜しいですかな、いい加減お帰り頂けますか?」
口を開けて固まるベリンダにウォム医師は苛立ちを隠せないまま出入口を指し示した。
ベリンダはシェイドとウォム医師を交互に見て、最後にリエラを睨みつけてから出口へと踵を返した。
「失礼するわ!」
けれど振り向いた先には、敗北を悟り消え去った彼女の取り巻きたちは影も形もなく。ベリンダは一瞬足を止めたものの、そのまま肩を怒らせ部屋を出ていった。
「……はあ」
酷い脱力感に苛まれ、リエラは肩を落とした。
「ご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありません」
ウォム医師に頭を下げれば、いいえと首を横に振られた。
「とんでもございません。頼もしかったですよ。それに私共の仕事を理解して頂いてありがとうございます」
優しい眼差しに思わず眉が下がる。
「力不足で申し訳ありませんわ。本当はベリンダ様に謝って頂きたかったのに……追い出すのがやっとで、それすらシェイド様にお手伝いして頂いてですもの」
面目ないなと思う。
(先王の名前やクライド殿下の名前を出したりして……私だって所詮、虎の威を借る狐だった)
自分一人ではこの程度だ。
けれどウォム医師は目元を和らげてにっこりとした。
「充分ですよ、我々の為に立ち上がって頂いて本当に心強かった。流石リエラ嬢。クライド殿下の婚約者候補の筆頭ですね」
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