【完結】初恋相手に失恋したので社交から距離を置いて、慎ましく観察眼を磨いていたのですが

藍生蕗

文字の大きさ
10 / 39

10.

しおりを挟む

「──全く、医務室で騒がしい事この上ない」
 そう話すのは、先程リエラの急患扱いに呆れ果てていた、老医師のウォム先生だ。

 確かに医療現場で先程から申し訳ない。リエラははっとウォム医師に向き直った。
 しかし医師の苦言にベリンダは不愉快そうに眉を顰める。

「申し訳ありません」
 そして何故か謝ったのはシェイドである。
 リエラの眉間の皺が深くなる。

「あなたが謝る必要などありませんわシェイド様! 平民の医師にへりくだるなど、貴族にあるまじき行為ですのよ!?」
 喚くベリンダにウォム医師は冷ややかな眼差しを向けた。

「……その通り、ここは身分による貴賤を陛下により免除されている唯一の場所でございます。従ってあなたのように健康で、ましてや患者の付き添いでも見舞いでも無い輩は即刻ご退去願いたい」
「は……?」

 ベリンダと取り巻きたちは言われた事が理解できなかったらしく、一瞬だけぽかんとした後、その面を鬼のように変貌させた。

「なっ、お前……平民のくせに! わたくしに何て言葉遣いなのかしら? この事はお父様にお伝えさせて頂きますからね!」
 ぴしりと指を突き立てられ、ウォム医師は不愉快そうに顔を顰めた。
 
「──いいえ、レーゼント侯爵に伝えて恥をかくのはあなたですわ、ベリンダ侯爵令嬢」
 
 その言葉に皆の視線が一斉にリエラに向く。
 シェイドも目を見開いている。
 けれどそれを受け、リエラはしゃんと背を伸ばした。
 淑女教育はちゃんと完了している。シェイドの前でみっともない姿は見せたくなかった。

 それに先程からベリンダの態度が目に余って仕方がない。
 気付けば口を出していた。
(彼女の暴言を聞き捨てならないなんて……私って案外面倒な性格をしているのかもね)
 リエラは内心でひっそりと息を吐いた。

 案の定ベリンダは一瞬怯んだものの、直ぐに口元に嘲りを浮かべ捲し立てる。

「何を仰っているのやら? あなたは貴族と平民の区別もご存知ないの? 流石醜聞を撒き散らすお方は知識も薄いようで、見るに耐えない事だわ」

 そう吐き捨て取り巻きに一瞥をくれる。
 当然彼女たちは「本当に」「みっともない」「愚かですこと」と、頷いた。

 類は友を生むものである。
 リエラは思わずふふふと笑い声を漏らした。

「な、何がおかしいのよ!」
 彼女は自分が笑うのはいいが、人に笑われるのは我慢がならないのだろう。カッと顔を赤くする様を冷ややかに見据え、リエラはゆっくりとベリンダに近付いた。

「学園で──医務室は医療行為を優先する為に、貴賤を問わぬ場と教えて頂いたというのに、ベリンダ様はもう忘れてしまったのですか?」
 伯爵令嬢らしく微笑みを絶やさずに。けれど同時に獲物を逃がさないという気概の元、リエラは真っ直ぐにベリンダを見据えた。
「は? 何、そんな事? そんなの……」

 ベリンダは慌てながらも抵抗すべく口を開ける。勿論、余計な言葉は言わせない。
「ああ! そういえばあなたは学園の先生方の話も身分を分けて聞いていらしたのでしたっけ? だから成績はいつも。身分に縛られた生き方は息苦しいものですね? ……でもおかしいですわ……あの学園の先生方は全員準男爵以上の身分を得た貴族でしたのに。不思議ですね、ベリンダ様? あなたは一体どなたのお話なら聞けるのかしら?」

 リエラとベリンダとは四つ離れている。十四歳で入学した学園で彼女は既に最終学年ではあったが、成績表は全学年同じ場所に張り出されていた。学園は準社交の場。主要貴族の成績くらいチェックしていて当然だった。

(いっつも後ろから数えた方が早いだから目立ってたのよね。これで王子妃とか、よく言えたものだわ)

 底辺馬鹿と言われた事を理解したのだろう。ベリンダは怒りを露わに真っ赤になっている。そしてこれには取り巻きも身を引いていた。
 感情的な彼女は怒ると手が付けられない……これもまた周知の話なのだ。

「お前……私に何て事を……っ」
 リエラはふっと息を吐いた。
 正直低い声を出されたところで怖くはない。
 そもそもリエラは異性を苦手としているが、反面、女性とばかり過ごしてきた為に、女の人を怖いと思った事は無いのだ。

 リエラは伯爵令嬢ではあるが、家柄は悪くない。ベリンダに意見を言えるくらいの立場は持っている。
 しかしベリンダは今まで逆らわれる事など無かったのだろう。
 彼女と家格が対等以上の令嬢令息はいたけれど、わざわざ衝突しにいくような者はいない。王族の婚約者候補という身分が彼女を守っていたのもあるし、彼女の性格は、皆面倒だと分かっていたからだ。

 ──つまり、彼女はこういう態度に慣れていない。
 リエラはここぞとばかりに蔑んだ顔で顎を上げ、ベリンダを見下ろした。
「人の話をまともに聞けず、理解できないあなたに、医師の処方を要すここは相応しくありませんわ。須く出て行って下さいます? 迷惑極まりありませんので」
 案の定ベリンダは大声で反発した。

「私は! 第三王子殿下の婚約者候補ですのよ! 城内においてわたくしが入れない場所などありませんし、何よりお前はたかだか伯爵家のくせに侯爵家にどれだけの無礼を働いているか理解しているの?! 伯爵家風情が、このわたくしに! ──大体! こんな医師の一人二人、わたくしの権限でいくらでも首を飛ばす事が可能ですのよ? ええこんな身の程知らず共、このわたくし自らが即刻処罰して差し上げてよ! お前たち皆! この無礼者どもが!」

 ぜいぜいと息を荒くするベリンダの口の端は勝利を確信したように吊り上がっている。今口にした事を侯爵に告げ、間違いなく実行する未来でも浮かべているところなのだろう。
 そんなベリンダを凪いだ目で見つめ、リエラはさりげなく彼女と距離を置いていたシェイドに声を掛けた。

「お聞きになりまして? ウォーカー令息」
「はい」
 シェイドは静かに頷いて、リエラに同意した。

 ベリンダはハッと息を飲んだ。
 それからあわあわと視線を彷徨わせ、今の言葉を飲み込まんとするように、口をぱくぱくと開け閉めしだした。
(……あんな剣幕を好きな相手に見られたら、それはそうなるわよね……)
 表現豊かな人である。そして盲目だ。
 リエラは呆れ半分に息を吐いた。

「シェイド様……い、今のはその……私は別に……」
「レーゼント侯爵令嬢」
 動揺を見せるベリンダに、シェイドは柔らかな微笑みを向けた。
 はっと頬を染めるベリンダに、シェイドはその表情を消して口を開いた。

「城内で医師の貴賤を無くしたのは、先王陛下の病状に合わせ、いつでも王族の部屋に訪れて、断りなく触れる権限が必要だったからです。また先王陛下が生涯信頼なさっていた主治医がそちらのウォム先生であり、先王陛下は医療現場に限り、彼に王族に次ぐ権限をお与えになりました。……それは身体の弱いクライド殿下にも当てはまります」

 びくっとベリンダ様の身体が跳ねた。

 ……クライドは華奢な御方だが、それは幼少期よりの体調不良が祟っての事だ。
 けれど成人して身体を鍛え、剣を振る生活に慣れた今でも、不調を訴える事はあるのだという。そしてその症状は先王陛下と酷似していた。

 陛下方の体調を管理し、新たな治療法を模索するウォム医師たちの行為を、平民だからと見下す事は先王陛下のご遺志に反するし、何よりクライド殿下の婚約者候補として浅慮すぎる。

「あ、……私、は……」
「……令嬢はクライド殿下のご事情一つご理解なさっていなかったのですね」
 冷めた表情のまま告げるシェイドにベリンダはひゅっと喉を鳴らした。
「ま、まさかっ、違いますわ! 私は、ただ……ただ──……」
「──知らなかったと言うのなら、婚約者候補としての資質を疑います」

 ベリンダは今にも泣き出しそうに顔を歪めた。
 貴族の血を尊び、序列を鼻に掛ける人なのに、想いを寄せる相手は別なようだ。
 アッシュもそうだった。
 むしろ恋愛においては惚れた方が立場が下なのだろう。ベリンダは縋るようにシェイドに手を伸ばした。

 その手から目を背け、シェイドはベリンダへ拒絶を示した。
 ──彼はクライド殿下の側近。
 今の失言はクライドへも当然届く。ベリンダはシェイドとクライド、どちらの評価も下げ、その未来を失ってしまったのだ。

 ベリンダは愕然とよろめいた後、リエラにキッと向き直った。
「醜聞女のくせに!」
 その有り様にシェイドはぴくりと顔を硬らせた。

「……貴族間に広まっている件の噂は、クライド殿下自ら解消へ向けて動き出しております。これ以上喚き立てるとなれば、あなたも王族侮辱罪が適用されます」
「な、あ……っ?」
 自分が侯爵の名を出したのと同じように、今度は王族の名で追い詰められては、成す術がないと理解できたようだ。ベリンダははくはくと口を開け閉めし、呆然とシェイドを見上げた。

「……もうお話は宜しいですかな、いい加減お帰り頂けますか?」
 口を開けて固まるベリンダにウォム医師は苛立ちを隠せないまま出入口を指し示した。
 ベリンダはシェイドとウォム医師を交互に見て、最後にリエラを睨みつけてから出口へと踵を返した。
「失礼するわ!」

 けれど振り向いた先には、敗北を悟り消え去った彼女の取り巻きたちは影も形もなく。ベリンダは一瞬足を止めたものの、そのまま肩を怒らせ部屋を出ていった。


「……はあ」

 酷い脱力感に苛まれ、リエラは肩を落とした。

「ご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありません」
 ウォム医師に頭を下げれば、いいえと首を横に振られた。

「とんでもございません。頼もしかったですよ。それに私共の仕事を理解して頂いてありがとうございます」
 優しい眼差しに思わず眉が下がる。

「力不足で申し訳ありませんわ。本当はベリンダ様に謝って頂きたかったのに……追い出すのがやっとで、それすらシェイド様にお手伝いして頂いてですもの」
 
 面目ないなと思う。
(先王の名前やクライド殿下の名前を出したりして……私だって所詮、虎の威を借る狐だった)
 自分一人ではこの程度だ。
 けれどウォム医師は目元を和らげてにっこりとした。

「充分ですよ、我々の為に立ち上がって頂いて本当に心強かった。流石リエラ嬢。クライド殿下の婚約者候補の筆頭ですね」
しおりを挟む
感想 55

あなたにおすすめの小説

殿下に寵愛されてませんが別にかまいません!!!!!

さら
恋愛
 王太子アルベルト殿下の婚約者であった令嬢リリアナ。けれど、ある日突然「裏切り者」の汚名を着せられ、殿下の寵愛を失い、婚約を破棄されてしまう。  ――でも、リリアナは泣き崩れなかった。  「殿下に愛されなくても、私には花と薬草がある。健気? 別に演じてないですけど?」  庶民の村で暮らし始めた彼女は、花畑を育て、子どもたちに薬草茶を振る舞い、村人から慕われていく。だが、そんな彼女を放っておけないのが、執着心に囚われた殿下。噂を流し、畑を焼き払い、ついには刺客を放ち……。  「どこまで私を追い詰めたいのですか、殿下」  絶望の淵に立たされたリリアナを守ろうとするのは、騎士団長セドリック。冷徹で寡黙な男は、彼女の誠実さに心を動かされ、やがて命を懸けて庇う。  「俺は、君を守るために剣を振るう」  寵愛などなくても構わない。けれど、守ってくれる人がいる――。  灰の大地に芽吹く新しい絆が、彼女を強く、美しく咲かせていく。

【本編完結】王子の寝た子を起こしたら、夢見る少女では居られなくなりました!

こさか りね
恋愛
私、フェアリエル・クリーヴランドは、ひょんな事から前世を思い出した。 そして、気付いたのだ。婚約者が私の事を良く思っていないという事に・・・。 婚約者の態度は前世を思い出した私には、とても耐え難いものだった。 ・・・だったら、婚約解消すれば良くない? それに、前世の私の夢は『のんびりと田舎暮らしがしたい!』と常々思っていたのだ。 結婚しないで済むのなら、それに越したことはない。 「ウィルフォード様、覚悟する事ね!婚約やめます。って言わせてみせるわ!!」 これは、婚約解消をする為に奮闘する少女と、本当は好きなのに、好きと気付いていない王子との攻防戦だ。 そして、覚醒した王子によって、嫌でも成長しなくてはいけなくなるヒロインのコメディ要素強めな恋愛サクセスストーリーが始まる。 ※序盤は恋愛要素が少なめです。王子が覚醒してからになりますので、気長にお読みいただければ嬉しいです。 ※本編完結しました。 ※後日談を更新中です。

私を簡単に捨てられるとでも?―君が望んでも、離さない―

喜雨と悲雨
恋愛
私の名前はミラン。街でしがない薬師をしている。 そして恋人は、王宮騎士団長のルイスだった。 二年前、彼は魔物討伐に向けて遠征に出発。 最初は手紙も返ってきていたのに、 いつからか音信不通に。 あんなにうっとうしいほど構ってきた男が―― なぜ突然、私を無視するの? 不安を抱えながらも待ち続けた私の前に、 突然ルイスが帰還した。 ボロボロの身体。 そして隣には――見知らぬ女。 勝ち誇ったように彼の隣に立つその女を見て、 私の中で何かが壊れた。 混乱、絶望、そして……再起。 すがりつく女は、みっともないだけ。 私は、潔く身を引くと決めた――つもりだったのに。 「私を簡単に捨てられるとでも? ――君が望んでも、離さない」 呪いを自ら解き放ち、 彼は再び、執着の目で私を見つめてきた。 すれ違い、誤解、呪い、執着、 そして狂おしいほどの愛―― 二人の恋のゆくえは、誰にもわからない。 過去に書いた作品を修正しました。再投稿です。

「君以外を愛する気は無い」と婚約者様が溺愛し始めたので、異世界から聖女が来ても大丈夫なようです。

海空里和
恋愛
婚約者のアシュリー第二王子にべた惚れなステラは、彼のために努力を重ね、剣も魔法もトップクラス。彼にも隠すことなく、重い恋心をぶつけてきた。 アシュリーも、そんなステラの愛を静かに受け止めていた。 しかし、この国は20年に一度聖女を召喚し、皇太子と結婚をする。アシュリーは、この国の皇太子。 「たとえ聖女様にだって、アシュリー様は渡さない!」 聖女と勝負してでも彼を渡さないと思う一方、ステラはアシュリーに切り捨てられる覚悟をしていた。そんなステラに、彼が告げたのは意外な言葉で………。 ※本編は全7話で完結します。 ※こんなお話が書いてみたくて、勢いで書き上げたので、設定が緩めです。

狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します

ちより
恋愛
 侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。  愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。  頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。  公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。

全てを捨てて消え去ろうとしたのですが…なぜか殿下に執着されています

Karamimi
恋愛
侯爵令嬢のセーラは、1人崖から海を見つめていた。大好きだった父は、2ヶ月前に事故死。愛していた婚約者、ワイアームは、公爵令嬢のレイリスに夢中。 さらにレイリスに酷い事をしたという噂まで流されたセーラは、貴族世界で完全に孤立していた。独りぼっちになってしまった彼女は、絶望の中海を見つめる。 “私さえいなくなれば、皆幸せになれる” そう強く思ったセーラは、子供の頃から大好きだった歌を口ずさみながら、海に身を投げたのだった。 一方、婚約者でもあるワイアームもまた、一人孤独な戦いをしていた。それもこれも、愛するセーラを守るため。 そんなワイアームの気持ちなど全く知らないセーラは… 龍の血を受け継いだワイアームと、海神の娘の血を受け継いだセーラの恋の物語です。 ご都合主義全開、ファンタジー要素が強め?な作品です。 よろしくお願いいたします。 ※カクヨム、小説家になろうでも同時配信しています。

『婚約なんて予定にないんですが!? 転生モブの私に公爵様が迫ってくる』

ヤオサカ
恋愛
この物語は完結しました。 現代で過労死した原田あかりは、愛読していた恋愛小説の世界に転生し、主人公の美しい姉を引き立てる“妹モブ”ティナ・ミルフォードとして生まれ変わる。今度こそ静かに暮らそうと決めた彼女だったが、絵の才能が公爵家嫡男ジークハルトの目に留まり、婚約を申し込まれてしまう。のんびり人生を望むティナと、穏やかに心を寄せるジーク――絵と愛が織りなす、やがて幸せな結婚へとつながる転生ラブストーリー。

7年ぶりに私を嫌う婚約者と目が合ったら自分好みで驚いた

小本手だるふ
恋愛
真実の愛に気づいたと、7年間目も合わせない婚約者の国の第二王子ライトに言われた公爵令嬢アリシア。 7年ぶりに目を合わせたライトはアリシアのどストライクなイケメンだったが、真実の愛に憧れを抱くアリシアはライトのためにと自ら婚約解消を提案するがのだが・・・・・・。 ライトとアリシアとその友人たちのほのぼの恋愛話。 ※よくある話で設定はゆるいです。 誤字脱字色々突っ込みどころがあるかもしれませんが温かい目でご覧ください。

処理中です...