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3、火を吹く石像に焼かれた日の豚茄子ピーマン甘辛味噌炒め素麺
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素麺を茹でるのは意外に重労働だ。
ひとりとか、ふたり分ならそうでもないんだが、これが三人分四人分になると熱いわ重いわで一気に大変な作業になる。
茹でるのはまだいいんだよ。 現代には文明の利器クーラーがあるわけだし、熱いのはそこまで大変じゃないんだ。
一番大変なのは、この茹でた大量のアツアツできたて素麺を流水でよく洗ってぬめりを落として、氷水を張ったボウルですぐに冷やして締めないといけないってところ。これがマジで大変。
場所も取るし水もめっちゃ使うし氷も準備しなきゃだし、素麺って意外と冷めにくいから洗う時に不用意に手ェ突っ込んで「アツゥァッ!」てなるし。
ひとり飯で食う素麺なんか、夏場のぬるい水道水で適当に洗ってふにゃふにゃのまま市販のめんつゆだけぶっかけて食ってそれなり腹が膨れりゃそれでいいんだけど、ひとさまに食わせる素麺だと当然そんなわけにはいかない。
同じ麺料理でも、パスタだったらワンパンでもそれなりのものが作れるし、いちいち洗わなくていいから工程も少なくて断然楽チンなんだけどな。
うちは一人暮らしで大きい鍋とかないから、一番大きいフライパンに限界まで水入れて沸かして、三束ずつ茹でる。
ギリ四束入らなくもないけど、四束入れると麺同士が上手く解れなくてくっついちゃうから必ず最大三束ね。
素麺茹でる時に梅干しを入れると麺が締まるらしいから入れてる。
この梅干しは後で薬味として使うから、麺と一緒に冷やしておく。
俺は二束で充分なんだけど、勇者くんどれくらい食べるかな?
いっつも白米だと4合くらい食べてるけど、素麺だと多分もっとぺろっとイケちゃうよな。
うーん、ひとまず2キロくらい茹でとくか。 残ったら俺が次の日ににゅうめんにして消費すりゃいいし。
薬味はスタンダードにネギ、ゴマ、梅干し、おろししょうが、ひとまずこんなもんか。
めんつゆは冷たいのと温かいのを両方用意する。
4カップくらいの水で昨日から戻しておいた昆布を火にかけて、沸騰したら昆布を取り出す。
そこに酒、みりん、醤油を1カップずつ投入して煮立たせ、アルコールが飛んだら鰹節を1袋全部投入してすぐに火を消して、菜箸で静かに沈める。
出来上がった出汁が入るくらいのボウルを用意して、キッチンペーパーを敷いたザルで鰹節を濾す。
鰹節は絞らずそのまましばらく置いといて、水分が落ちなくなるくらいになったら汁の半分は製氷皿に入れて冷凍庫で冷やしておき、もう半分は鍋に戻す。
ちょっと手間だけど、個人的に素麺にはこの基本のめんつゆにスライスしたたまねぎと干し椎茸を入れた温かい出汁が一番合うと思ってる。
冷たいのばっかりじゃお腹冷えるしな。
出汁取ったあとの昆布は冷凍しといて、溜まったら佃煮にするとして……。
薄く輪切りしたきゅうりを塩揉みして、水気を切ったあとツナ缶と一緒に耳掻き一杯分のチューブゆず胡椒、マヨネーズ大匙2と和える。
出汁がらの鰹節はここに一緒に混ぜ込んじゃおっと。
あと、素麺単体だと血糖値爆上がりで血管が死んじゃうから、素麺が献立の時は必ずしっかり他の栄養が取れる主菜もセットで作らなきゃならない。
というわけで、今日のメインは豚肉と茄子とピーマンを味噌で甘辛く炒めたやつにします。
生姜焼き用の薄切り豚肩ロースを500gを全部筋切りして、軽く片栗粉をまぶしておく。
茄子はウテナを切り落として乱切り、ピーマンは縦半分に切ってヘタも種も使っちゃう。
フライパンに胡麻油を多めにひいて、チューブのにんにくとショウガを香りが出るまで炒める。
うす煙が立ったら豚ロースを一枚ずつ入れて、表面にカリッと焼き色がつくまで焼く。
肉が焼けたら一旦取り出して、そのままフライパンでピーマンと茄子を炒める。
野菜にしっかり焼き色がついたら肉をフライパンに戻して、味噌大匙2、酒大匙1、砂糖大匙1、醤油大匙1、みりん大匙1で味付けしていい感じに水分がなくなるまで炒め煮て完成だ。
今日はデザートにスイカをカットして冷やしているので、香の物はスイカの皮の塩昆布和えだ。
果肉部分を分けたあと、外側の深緑の固い皮だけ切り取って和えるだけなんだけど、これがなかなかに旨いんだよな。
ポイントは、ちょっと赤い部分を残すこと。
ここの甘味が塩昆布のしょっぱさにベストマッチする。
それから忘れちゃいけないのが天ぷら!……なんだけど、俺にはハードルが高いのでこれはスーパーで買ってきたお総菜の野菜天ぷらを魚焼きグリルで温めるだけ。
せっかく便利な世の中なんだから、手を抜くべきところは抜く。 それが自炊を継続させるためのコツなのだ。
……ん? なんか肉の焼ける臭いがするような? 隣で焼き肉でもやってんのか?
俺がすんと鼻を鳴らした、その瞬間だった。
ドタンッ! ガシャガシャガシャン!
「わっ! な、なんだなんだ!?」
びっくりしてクローゼットの方を見ると、よく冷房が効いた1LDKにぶわっとものすごい熱気が吹き込んできて、それと同時に勇者くんが倒れ込むように部屋の中に入ってきた。
「勇者くん!! って、あっちぃ!!」
肉の焼ける焦げたような臭いは、勇者くんの身体から漂っていた。
勇者くんの鎧からはジュージューと油をひいたフライパンみたいに薄煙があがっていて、顔や手などの肌が露出している場所には皮膚が抉れるようなひどい火傷を負っている。
「た、大変!! 勇者くんが焼き肉になってる!!」
鎧を脱がそうにも焼けた鉄みたいに熱くてとても素手では触れそうにない。
余計なことを考えるより先に、俺はシンクの中から素麺を冷やすのに使った氷水の残りの入ったボウルをひっつかみ、凄まじい熱を放射し続ける勇者くんにそれをぶっかけたのだった。
◆◆◆
「水をかけてもらえて助かりました。 ダンジョン内に仕掛けてあった火を吹く石像の罠に思いっきりやられてしまって。 あれ、直撃した時よりも火傷のスリップダメージが思ってたより重たいんですね。 おかげでここに来るまでの途中でいつの間にか気を失ってました」
全身に大火傷を負った勇者くんだが、あんなに赤く爛れていた肌は既に徐々に再生を始め、元の形に戻りつつあった。
髪も爪を驚くようなスピードで伸びていき、その驚異の回復力に、改めて勇者くんが常人ならざる存在であると思い知らされる。
「……勘弁してよマジで。 いくら女神の加護ですぐ治るからって、毎回あんな普通の人間なら死んでもおかしくないような大怪我なんか負われたら、先にこっちの心臓が止まっちゃうよ」
「……羽佳さん」
「その『心配してくれて嬉しいです』みたいな顔はやめなさい! 今後はもっと怪我しないように注意すること! わかった?!」
返事の代わりに「グゥー……」と勇者くんの腹の虫が鳴く。
「……ご飯、食べよっか」
「はい!」
俺は冷蔵庫で冷やしていた大量の素麺&おかずを並べ、卓上IHの火加減極弱でたまねぎと干し椎茸入りのつゆを保温する。
勇者くんは初めて見る素麺に興味津々だ。
「いただきます」
「イタダキマス」
先ずは凍らせたつゆとネギ、ゴマを絡めたスタンダードな冷めたいそうめん。
フォークスプーンでくるくると巻いた素麺をひとくち口食べた勇者くん。
恐る恐る口からフォークを離すと、彼は信じられないと言った表情で目の前の素麺を凝視する。
「な、なんですかこの繊細で上品な口当たりの冷製細麺は……! 一体どうやってこんなに細い麺が作れるんだ!? ツルっと弾力があって、 この甘しょっぱい汁と共に噛む前にひと息でいただけてしまう! しかもこんなにたくさんの氷と一緒にいただくなんて、もしやこれは貴族の料理なのでは……!?」
「気持ちは分かるけどちゃんと噛んで食べてね」
俺は日の丸素麺っと。
あー、やっぱ去年漬けた梅は追熟が甘かったからちょっと実が固いな。
塩っ気はだいぶ丸くなってきたから、刻んでちょっとずつ消費してくしかないな。
「勇者くん、味変出来るようなおかず用意したからさ、色々乗っけて試してみてよ。 天ぷらなんかこのつゆによく合うよ」
勧められるがままに、勇者くんはお総菜の天ぷらを乗せて素麺を啜り、無言で悶絶。
わかる、わかるよ勇者くん。
天ぷらのサクサク衣につゆの絡んだ素麺の組み合わせは麻薬同然だよね。
続けてツナマヨきゅうり素麺、豚茄子ピーマンの甘辛味噌炒め素麺と、勇者くんは次々と吸い込むように素麺を食べていく。
特に気に入ったのは、豚茄子ピーマンの甘辛味噌炒め素麺みたいだ。
ガッツリ濃い目の味付けが好きだなんて、男の子だねェ。
「この野菜のツケモノ、美味しいです! キューリみたいなのに青臭さが全然しなくて果肉がしっとりしてて、甘味と塩気のバランスが最高です!」
「へへ、俺もこれ好き。 スイカは実より皮のが旨いんだよな」
冷たい素麺を一頻り食べた後は、温かい素麺だ。
味噌汁用のお椀に素麺つゆをよそってやる。
「せっかく冷たい麺なのに、温めて食べるんですか?」と半ば戸惑っていた勇者くんだが、麺をつゆにくぐらせてひとくち。
勇者くんは一旦フォークスプーンをテーブルに置き、こめかみを抑え、「毎日食べたい……」と唸るように呟いた。
そう、結局のところ、この冷たい麺を温かいつゆにつけて食うのが最強なのよ素麺は!
俺がせっせと汗水垂らしながら茹でた2キロの素麺は、わんこ蕎麦みたいなスピードで勇者くんの胃袋へ詰め込まれていく。
お総菜買ったりいい素麺を取り寄せたりと奮発したから、今回のお供は安い発泡酒だ。
っっ、かーーッ!! 安酒でも勇者くんの食べっぷりを肴に飲む酒うまーーッ!!
◆◆◆
シャクシャクと爪楊枝に刺したデザートのスイカを食べる勇者くんの顔面には、もう殆んど火傷の痕は残っていない。
全く、女神の加護による回復力とは恐ろしいものである。
彼の整った鼻に僅かに残った瘡蓋のカスを見つけて、俺は無意識に勇者くんに手を伸ばしていた。
「っ!! は、羽佳さん?!」
勇者くんはスイカを手に持ったままギョッとしたような顔でこっちを見ていた。
何をそんなに驚いているのかと不思議に思い、遅れて俺は自分の距離感の弁えてなさを自覚して両耳から火が吹き出そうになる。
「ご、ごめんな!? 今の俺の挙動超絶キモかったよな?! 今時はこういうのもセクハラになっちゃうってのに、何やっとんじゃ俺!!って感じだよな?!」
「い、いえ、少しびっくりしただけですから。 嫌だとか、そういうんじゃないです。 むしろ嬉しいっていうか」
き、気を使ってくれてる!
勇者くんはいい子だなぁ!
でもいきなりおっさんに顔触られたら、大抵の人間はキモがるよな。
彼の優しさに甘えないよう、次からはもっと気を付けて接しよう。
「気を使ってるわけじゃないです! ほ、本当に、羽佳さんに触られるの嫌じゃないです! ……僕、羽佳さんにはいつも本当に感謝してるんです。 あなたとあなたの料理にどれ程支えられているか……! まだダンジョンに入ったばかりの頃の僕は、負わされた責任の重さに押し潰されそうでした。 だけど羽佳さんと出会って、羽佳さんがいつもこの部屋で美味しい料理を作って待っていてくれているお陰で、こうして今も自分の使命に向き合うことが出来ているんです!」
「え、そ、そう?」
「そうです!!」
勇者くんは立ち上がり、如何に俺の料理に助けられているかと熱の籠った調子で語り始める。
……ダンジョンに入ったばかりの頃の勇者くん、か。
勇者くんの語りを聞きながら、俺は勇者くんと初めて出会った日のこと──ある日突然自分の部屋のクローゼットから、異世界のダンジョンを攻略中の勇者くんが現れた日のことを思い出していた。
【本日のおしながき】
素麺と薬味各種
たまねぎと椎茸入りのめんつゆ
豚茄子ピーマンの甘辛味噌炒め
お総菜の天ぷら
きゅうりのツナマヨゆず胡椒和え
スイカの皮の塩昆布和え
冷やしスイカ
ひとりとか、ふたり分ならそうでもないんだが、これが三人分四人分になると熱いわ重いわで一気に大変な作業になる。
茹でるのはまだいいんだよ。 現代には文明の利器クーラーがあるわけだし、熱いのはそこまで大変じゃないんだ。
一番大変なのは、この茹でた大量のアツアツできたて素麺を流水でよく洗ってぬめりを落として、氷水を張ったボウルですぐに冷やして締めないといけないってところ。これがマジで大変。
場所も取るし水もめっちゃ使うし氷も準備しなきゃだし、素麺って意外と冷めにくいから洗う時に不用意に手ェ突っ込んで「アツゥァッ!」てなるし。
ひとり飯で食う素麺なんか、夏場のぬるい水道水で適当に洗ってふにゃふにゃのまま市販のめんつゆだけぶっかけて食ってそれなり腹が膨れりゃそれでいいんだけど、ひとさまに食わせる素麺だと当然そんなわけにはいかない。
同じ麺料理でも、パスタだったらワンパンでもそれなりのものが作れるし、いちいち洗わなくていいから工程も少なくて断然楽チンなんだけどな。
うちは一人暮らしで大きい鍋とかないから、一番大きいフライパンに限界まで水入れて沸かして、三束ずつ茹でる。
ギリ四束入らなくもないけど、四束入れると麺同士が上手く解れなくてくっついちゃうから必ず最大三束ね。
素麺茹でる時に梅干しを入れると麺が締まるらしいから入れてる。
この梅干しは後で薬味として使うから、麺と一緒に冷やしておく。
俺は二束で充分なんだけど、勇者くんどれくらい食べるかな?
いっつも白米だと4合くらい食べてるけど、素麺だと多分もっとぺろっとイケちゃうよな。
うーん、ひとまず2キロくらい茹でとくか。 残ったら俺が次の日ににゅうめんにして消費すりゃいいし。
薬味はスタンダードにネギ、ゴマ、梅干し、おろししょうが、ひとまずこんなもんか。
めんつゆは冷たいのと温かいのを両方用意する。
4カップくらいの水で昨日から戻しておいた昆布を火にかけて、沸騰したら昆布を取り出す。
そこに酒、みりん、醤油を1カップずつ投入して煮立たせ、アルコールが飛んだら鰹節を1袋全部投入してすぐに火を消して、菜箸で静かに沈める。
出来上がった出汁が入るくらいのボウルを用意して、キッチンペーパーを敷いたザルで鰹節を濾す。
鰹節は絞らずそのまましばらく置いといて、水分が落ちなくなるくらいになったら汁の半分は製氷皿に入れて冷凍庫で冷やしておき、もう半分は鍋に戻す。
ちょっと手間だけど、個人的に素麺にはこの基本のめんつゆにスライスしたたまねぎと干し椎茸を入れた温かい出汁が一番合うと思ってる。
冷たいのばっかりじゃお腹冷えるしな。
出汁取ったあとの昆布は冷凍しといて、溜まったら佃煮にするとして……。
薄く輪切りしたきゅうりを塩揉みして、水気を切ったあとツナ缶と一緒に耳掻き一杯分のチューブゆず胡椒、マヨネーズ大匙2と和える。
出汁がらの鰹節はここに一緒に混ぜ込んじゃおっと。
あと、素麺単体だと血糖値爆上がりで血管が死んじゃうから、素麺が献立の時は必ずしっかり他の栄養が取れる主菜もセットで作らなきゃならない。
というわけで、今日のメインは豚肉と茄子とピーマンを味噌で甘辛く炒めたやつにします。
生姜焼き用の薄切り豚肩ロースを500gを全部筋切りして、軽く片栗粉をまぶしておく。
茄子はウテナを切り落として乱切り、ピーマンは縦半分に切ってヘタも種も使っちゃう。
フライパンに胡麻油を多めにひいて、チューブのにんにくとショウガを香りが出るまで炒める。
うす煙が立ったら豚ロースを一枚ずつ入れて、表面にカリッと焼き色がつくまで焼く。
肉が焼けたら一旦取り出して、そのままフライパンでピーマンと茄子を炒める。
野菜にしっかり焼き色がついたら肉をフライパンに戻して、味噌大匙2、酒大匙1、砂糖大匙1、醤油大匙1、みりん大匙1で味付けしていい感じに水分がなくなるまで炒め煮て完成だ。
今日はデザートにスイカをカットして冷やしているので、香の物はスイカの皮の塩昆布和えだ。
果肉部分を分けたあと、外側の深緑の固い皮だけ切り取って和えるだけなんだけど、これがなかなかに旨いんだよな。
ポイントは、ちょっと赤い部分を残すこと。
ここの甘味が塩昆布のしょっぱさにベストマッチする。
それから忘れちゃいけないのが天ぷら!……なんだけど、俺にはハードルが高いのでこれはスーパーで買ってきたお総菜の野菜天ぷらを魚焼きグリルで温めるだけ。
せっかく便利な世の中なんだから、手を抜くべきところは抜く。 それが自炊を継続させるためのコツなのだ。
……ん? なんか肉の焼ける臭いがするような? 隣で焼き肉でもやってんのか?
俺がすんと鼻を鳴らした、その瞬間だった。
ドタンッ! ガシャガシャガシャン!
「わっ! な、なんだなんだ!?」
びっくりしてクローゼットの方を見ると、よく冷房が効いた1LDKにぶわっとものすごい熱気が吹き込んできて、それと同時に勇者くんが倒れ込むように部屋の中に入ってきた。
「勇者くん!! って、あっちぃ!!」
肉の焼ける焦げたような臭いは、勇者くんの身体から漂っていた。
勇者くんの鎧からはジュージューと油をひいたフライパンみたいに薄煙があがっていて、顔や手などの肌が露出している場所には皮膚が抉れるようなひどい火傷を負っている。
「た、大変!! 勇者くんが焼き肉になってる!!」
鎧を脱がそうにも焼けた鉄みたいに熱くてとても素手では触れそうにない。
余計なことを考えるより先に、俺はシンクの中から素麺を冷やすのに使った氷水の残りの入ったボウルをひっつかみ、凄まじい熱を放射し続ける勇者くんにそれをぶっかけたのだった。
◆◆◆
「水をかけてもらえて助かりました。 ダンジョン内に仕掛けてあった火を吹く石像の罠に思いっきりやられてしまって。 あれ、直撃した時よりも火傷のスリップダメージが思ってたより重たいんですね。 おかげでここに来るまでの途中でいつの間にか気を失ってました」
全身に大火傷を負った勇者くんだが、あんなに赤く爛れていた肌は既に徐々に再生を始め、元の形に戻りつつあった。
髪も爪を驚くようなスピードで伸びていき、その驚異の回復力に、改めて勇者くんが常人ならざる存在であると思い知らされる。
「……勘弁してよマジで。 いくら女神の加護ですぐ治るからって、毎回あんな普通の人間なら死んでもおかしくないような大怪我なんか負われたら、先にこっちの心臓が止まっちゃうよ」
「……羽佳さん」
「その『心配してくれて嬉しいです』みたいな顔はやめなさい! 今後はもっと怪我しないように注意すること! わかった?!」
返事の代わりに「グゥー……」と勇者くんの腹の虫が鳴く。
「……ご飯、食べよっか」
「はい!」
俺は冷蔵庫で冷やしていた大量の素麺&おかずを並べ、卓上IHの火加減極弱でたまねぎと干し椎茸入りのつゆを保温する。
勇者くんは初めて見る素麺に興味津々だ。
「いただきます」
「イタダキマス」
先ずは凍らせたつゆとネギ、ゴマを絡めたスタンダードな冷めたいそうめん。
フォークスプーンでくるくると巻いた素麺をひとくち口食べた勇者くん。
恐る恐る口からフォークを離すと、彼は信じられないと言った表情で目の前の素麺を凝視する。
「な、なんですかこの繊細で上品な口当たりの冷製細麺は……! 一体どうやってこんなに細い麺が作れるんだ!? ツルっと弾力があって、 この甘しょっぱい汁と共に噛む前にひと息でいただけてしまう! しかもこんなにたくさんの氷と一緒にいただくなんて、もしやこれは貴族の料理なのでは……!?」
「気持ちは分かるけどちゃんと噛んで食べてね」
俺は日の丸素麺っと。
あー、やっぱ去年漬けた梅は追熟が甘かったからちょっと実が固いな。
塩っ気はだいぶ丸くなってきたから、刻んでちょっとずつ消費してくしかないな。
「勇者くん、味変出来るようなおかず用意したからさ、色々乗っけて試してみてよ。 天ぷらなんかこのつゆによく合うよ」
勧められるがままに、勇者くんはお総菜の天ぷらを乗せて素麺を啜り、無言で悶絶。
わかる、わかるよ勇者くん。
天ぷらのサクサク衣につゆの絡んだ素麺の組み合わせは麻薬同然だよね。
続けてツナマヨきゅうり素麺、豚茄子ピーマンの甘辛味噌炒め素麺と、勇者くんは次々と吸い込むように素麺を食べていく。
特に気に入ったのは、豚茄子ピーマンの甘辛味噌炒め素麺みたいだ。
ガッツリ濃い目の味付けが好きだなんて、男の子だねェ。
「この野菜のツケモノ、美味しいです! キューリみたいなのに青臭さが全然しなくて果肉がしっとりしてて、甘味と塩気のバランスが最高です!」
「へへ、俺もこれ好き。 スイカは実より皮のが旨いんだよな」
冷たい素麺を一頻り食べた後は、温かい素麺だ。
味噌汁用のお椀に素麺つゆをよそってやる。
「せっかく冷たい麺なのに、温めて食べるんですか?」と半ば戸惑っていた勇者くんだが、麺をつゆにくぐらせてひとくち。
勇者くんは一旦フォークスプーンをテーブルに置き、こめかみを抑え、「毎日食べたい……」と唸るように呟いた。
そう、結局のところ、この冷たい麺を温かいつゆにつけて食うのが最強なのよ素麺は!
俺がせっせと汗水垂らしながら茹でた2キロの素麺は、わんこ蕎麦みたいなスピードで勇者くんの胃袋へ詰め込まれていく。
お総菜買ったりいい素麺を取り寄せたりと奮発したから、今回のお供は安い発泡酒だ。
っっ、かーーッ!! 安酒でも勇者くんの食べっぷりを肴に飲む酒うまーーッ!!
◆◆◆
シャクシャクと爪楊枝に刺したデザートのスイカを食べる勇者くんの顔面には、もう殆んど火傷の痕は残っていない。
全く、女神の加護による回復力とは恐ろしいものである。
彼の整った鼻に僅かに残った瘡蓋のカスを見つけて、俺は無意識に勇者くんに手を伸ばしていた。
「っ!! は、羽佳さん?!」
勇者くんはスイカを手に持ったままギョッとしたような顔でこっちを見ていた。
何をそんなに驚いているのかと不思議に思い、遅れて俺は自分の距離感の弁えてなさを自覚して両耳から火が吹き出そうになる。
「ご、ごめんな!? 今の俺の挙動超絶キモかったよな?! 今時はこういうのもセクハラになっちゃうってのに、何やっとんじゃ俺!!って感じだよな?!」
「い、いえ、少しびっくりしただけですから。 嫌だとか、そういうんじゃないです。 むしろ嬉しいっていうか」
き、気を使ってくれてる!
勇者くんはいい子だなぁ!
でもいきなりおっさんに顔触られたら、大抵の人間はキモがるよな。
彼の優しさに甘えないよう、次からはもっと気を付けて接しよう。
「気を使ってるわけじゃないです! ほ、本当に、羽佳さんに触られるの嫌じゃないです! ……僕、羽佳さんにはいつも本当に感謝してるんです。 あなたとあなたの料理にどれ程支えられているか……! まだダンジョンに入ったばかりの頃の僕は、負わされた責任の重さに押し潰されそうでした。 だけど羽佳さんと出会って、羽佳さんがいつもこの部屋で美味しい料理を作って待っていてくれているお陰で、こうして今も自分の使命に向き合うことが出来ているんです!」
「え、そ、そう?」
「そうです!!」
勇者くんは立ち上がり、如何に俺の料理に助けられているかと熱の籠った調子で語り始める。
……ダンジョンに入ったばかりの頃の勇者くん、か。
勇者くんの語りを聞きながら、俺は勇者くんと初めて出会った日のこと──ある日突然自分の部屋のクローゼットから、異世界のダンジョンを攻略中の勇者くんが現れた日のことを思い出していた。
【本日のおしながき】
素麺と薬味各種
たまねぎと椎茸入りのめんつゆ
豚茄子ピーマンの甘辛味噌炒め
お総菜の天ぷら
きゅうりのツナマヨゆず胡椒和え
スイカの皮の塩昆布和え
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