昨日まで塩対応だった侯爵令息様が泣きながら求婚してくる

遠間千早

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昨日まで塩対応だった侯爵令息様が泣きながら求婚してくる カロンside 1

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その日の早朝、コーラル子爵家の面々は、爆音と共に起床した。

地面が沈んだのかと錯覚するほどの揺れに飛び起きた僕は、窓の外にもくもくと黒煙が上がる様子を見て緊急事態を察し、寝ぼけた頭でまろぶようにベッドから飛び降りた。

「なになに?!?! 何事??!! 火事?! 事件?! それとも血迷った強盗?! うちには盗るものなんて何もありませんけど?!」

うちは貧乏貴族だから! 我が家に押し入ってまで略奪したいような価値のあるものなんてない。爆弾を投げ込まれる恨みなら、賭博好きのダメ親父が買っているかもしれないが、その本人は数日前から歓楽街に遊びに行ったきり帰ってきていないし、この屋敷には僕と数少ない使用人以外寝泊まりしていない。そもそも早朝から屋敷を爆撃するほどの恨みなら本人に投げつけてほしい。

それとも薄給に耐えかねた料理長が厨房で焼身自殺でも図ったのかな。そんなバカな。彼は昨日も爺やのような優しい笑みで僕の朝食も夕食も作ってくれたし、生活を苦にしてるなんて相談は聞いていない。

だったら自然災害……? 火山の噴火とか……? でもうちの周りにそんな山はないはずなんだけど。

混乱しながら黒煙が薄れていく窓の外を確認し、寝衣を脱ぎ始めたとき、部屋の扉の向こう、廊下の奥から騒々しい声と足音が響いてきた。その騒がしい音は真っ直ぐに僕の部屋に向かってくる。

「お待ちください……! お待ちくださいハイルラート様!!」

聞き慣れた執事の声に扉を見た瞬間、部屋の扉が弾け飛んだ。

「ひっ」
「カロン!!」

僕の名前を叫びながら部屋に飛び込んできた相手を見て目を丸くした。

「シリウス様?!」

びっくり仰天して声がひっくり返る。

視界に映る艶のある黒髪と黒曜石のような深みのある黒い目。男らしい精悍な顔つきの美丈夫は、間違いなくハイルラート侯爵家のご令息のシリウス様だ。いつも冷静で、周囲に冷たい印象を与える怜悧なお顔が、今は目にしたこともないほどに動揺して真っ青になり、そのくせ目は血走っている。

「カロン!!!!」

僕を目にしたシリウス様は、そこで黒い瞳を目いっぱい開いてまた絶叫した。

それから窓際にいる僕に突進してくる。

……なにこれ?!

何ごと?!

寝衣のボタンに手をかけたまま呆気に取られていると、猛然と駆け寄ってきたシリウス様に飛びつくように抱きしめられた。逞しい腕が背中と腰に回り、そのあまりの勢いに踵が浮く。

「えっ?! は? え???」

固まっている僕を絶対に離すものかという意思を感じさせる強さで圧迫したシリウス様は、肩を震わせながら荒く息を吐き出した。

「カロン……カロン……ああ……」

そう言いながら、胸板に吸収されるかと思うほどの力で掻き抱かれる。

「シリウス様? え? どうされたんですか?」

シリウス様を追いかけてきた執事と使用人達も呆然としている。当然だ。うちにシリウス様が訪ねてくる理由がない。それも早朝に扉を粉々に蹴散らしてまで。

まさかさっきの爆発は、シリウス様がなにか、と思ったときにそのシリウス様が僕を抱き上げた。

「えっどう……え?!」

抱き上げられて真っ直ぐにベッドに運ばれる。

何が起こっているのかと錯乱しているうちにさっき飛び起きたばかりのシーツに戻され、上からシリウス様が乗ってくる。

「は?」
「カロン、愛してる。すまなかった。本当にすまなかった。番になろう、今すぐに」
「「「「は??!!」」」」

目が点。

目が点なのだよ。

僕と使用人達はさっきから完全に置いてきぼりである。シリウス様だけが何かに取り憑かれたように何かの滑走路を爆走している。

「シリウス様、あの一体何が……」

と言いかけた僕はぐいっと顔を横に向けられて後ろ襟を引っ張られた。

「ぐえっ……」

首の後ろをがばっと開かれて、喉に食い込む服の合わせとボタン。苦しい。うなじをじっと見下ろされている視線を感じて横目でシリウス様を見上げたとき、何かが頬に当たった。

瞬きすると、僕を見下ろすシリウス様の目から涙が溢れている。宝石のような黒い目を潤ませて、その煌めく透明な上澄みが眦から零れた。

「カロン……愛してる。すまなかった。どうか結婚してくれ。俺を許してほしい」
「許すって……」

ますます訳がわからない。シリウス様は僕に謝るようなことは何一つしていないし。そもそも日常の中で親しく接するようなことも、最近では全くなかった。

シリウス様に泣きながら求婚される意味がわからない。

確かに、不敬だと罵られることを承知で形容するなら、シリウス様とは幼馴染といえるような間柄ではある。昔我が家が保養地として持っていた田舎の別荘がハイルラート侯爵家の別荘ともご近所で、幼い頃に偶然森の中で会って以来休暇の折には一緒に遊ぶ仲だった。

でもそれも十二歳で貴族学園に入学するまでの間で、三歳上のシリウス様は僕が入学した頃にはすでに学園の上位カーストに入っていた。僕はバカで幼稚だったから、入学してからもシリウス様を慕って犬のように付きまとっていたら、ある日シリウス様の方から注意された。

「人目があるところで俺に付きまとうな。ベータのお前と妙な噂になったらどうする」

二次成長のときに判明したバース性で、シリウス様はやっぱりアルファだった。魔法でも学問でも眩いばかりの成績を収め、燦然と輝く一等星のような完璧なアルファ。学園に入学した僕は、シリウス様がアルファだと知って誇らしい気持ちになり、憧れと憧憬の念をますます強めた。

僕はいたって平凡なベータだったけれど、シリウス様のことが好きだった。それが恋愛感情なのか、幼い頃からの憧れを拗らせただけなのか、深く考えてみたことはない。けれど、僕の中の一等星はいつもシリウス様だった。

近寄るなと言われてからも、遠くから姿を見ているだけで幸せだった。王太子殿下の側近のような立ち位置を得て、日々華やかな人達に混ざるシリウス様はいつも落ち着きがあって大人びて見えた。

人目があるところでは近づくなと言われていたから僕はそれを真に受けて、シリウス様がお一人でいる場面を見かけると嬉々としてご挨拶していた。そしたらある日また怒らせてしまった。

「お前はベータだろう。アルファの奴らのテリトリーに入って来るな。話してるところを見られたらと思うとイライラするんだ」

アルファの方々がよく集まっている温室や庭園に僕が入っているからか、シリウス様は不機嫌そうに嗜めた。

僕の趣味は庭いじりで、ほぼ部員がいない園芸部員だったから温室やお庭の世話を庭師のおじさん達と一緒にやっていたのだけど、シリウス様に怒られたからやめた。そうやってシリウス様と話さなくなったら、彼は僕とは生きる世界が違う人だったのだと痛感した。やっぱり僕はバカだから、シリウス様にはっきり言われないとわからなかったのだ。

それからは大人しくベータの友人とひっそりと過ごし、シリウス様のことは陰からこっそり眺めるだけにした。全く接触がなくなったら、シリウス様は言いすぎたと思ったのか、最近僕が一人でいるときに時々声をかけてくださる。が、僕は挨拶だけ返してなるべく早くその場から離れる。幼少の頃少しだけ共に過ごした幼馴染のことを気にかけてくれるなんて、シリウス様はお優しい。でも僕はシリウス様にお時間を割いてもらうような立場の人間じゃないから、自分の身の程を知って慎ましく生きるのだ。

シリウス様は今年で卒業される。卒業されたら、ダメ親父の借金で別荘を手放した貧乏貴族の僕が、シリウス様に会うことはもうないだろうと思っていた。シリウス様がうちの門を爆破して押しかけて来た今日までは。

「カロン、愛してる。許せ。俺がバカだった」
「シ、シリウス様、どうかされたんですか、本当に……」

何か、法に触れるような薬物をきめているわけではないですよね……?

その言葉を呑み込んで、明らかに挙動がおかしいシリウス様を見上げる。

「何かあったんですか? 大丈夫ですか?」

ご実家で何かあったんだろうか、それとも御身の健康に不安でも?

気遣って尋ねた僕の表情を見たシリウス様はますます眉を寄せて痛みを堪えるような顔をした。僕をベッドに押し倒したまま、覆いかぶさってくるシリウス様がまた背中に腕を回してくる。

「カロン……」

僕の首筋に顔を埋めたシリウス様が深く息を吸う。首に歯を立てられた瞬間、ぎょっとしてシリウス様の肩を鷲掴んだ。

「ちょっ……シリウス様?! お気を確かに!! 僕、ベータです!! オメガじゃないですから!!」
「カロンはオメガだ。遅発性のオメガ。俺の番」
「はい??」

事態はますます混迷していく。

もはやベッドの周りにいる使用人達も、なすすべもなく壁の一部に成り果てている。

「僕は、ベータですよ」

もう一度言ったが、シリウス様は首を横に振った。

「お前はオメガだ。正確に言えば、これからオメガになる。もうすでに検査をして、オメガだと再判定されているだろう」
「なんでそれを?!」

深刻な顔をするシリウス様を見上げて驚愕した。

確かに、僕は遅発性のオメガだ。実はベータではなかった、ということが最近わかった。

オメガであるフェロモンを作る器官がまだ育っていないとかで、二次成長のときについた検査で判定できない場合があるらしい。僕はそれだった。最近なんとなく熱っぽいし、少し声が高くなってきたから、学園の医師に健康相談をしたら再検査を勧められた。

そんな予兆を感じたことはないし、僕は間違いなくベータだと思っていたのに、検査の結果はオメガだった。数ヶ月以内にヒートが始まったら本当にオメガになると言われ、愕然としたのはほんの数日前のことだ。

学園にもまだ報告していないのに、何故シリウス様がそれを知っているのか。

目を丸くしてシリウス様を見つめたら、眉根をぎゅっと寄せたシリウス様は僕を覗き込むように顔を近づけて、黒い瞳を開いた。

「ぇっ……」

途端、ぶわっと甘くて清涼な香りが部屋に漂う。目を丸くして執事を見たら、彼は僕を見て、え?という顔をした。その隣にいる使用人も、部屋の中に満ちた香りにまるで気づいていないよう。

「まさか、これ」
「わかるのか」

キョロキョロしている僕を見下ろすシリウス様が嬉しそうに尋ねる。

「アルファのフェロモンは、オメガにしか効かない」
「…………ええ??」

空気からとろっとした甘さを感じて、身体が少し火照るような気がする。混乱している僕を見てシリウス様はフェロモンをすっと収めた。

「カロン、愛してる。お前のことが気になって仕方がない俺は、おかしいのだと思っていた。冷たくしていた今までの振る舞いを許してほしい。結婚しよう」
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