敗戦国の元王子へ 〜私を追放したせいで貴国は我が帝国に負けました。私はもう「敵国の皇后」ですので、頭が高いのではないでしょうか?〜

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第四話:温かいスープと契約結婚

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翌朝。 私は、人生で最も上質な目覚めを迎えた。

寒さで震えることもない。 使用人の怒鳴り声や、ミナの甲高い笑い声で起こされることもない。 ただ、静寂と温もりだけがある朝。

「……夢じゃ、ないのよね」

天蓋付きのベッドから起き上がり、頬をつねってみる。 痛い。 現実だ。

私は昨日、敵国の皇帝ジークハルト陛下と「契約」を交わした。 彼の妻となり、この帝国の皇后として、その知略を振るうという契約を。

コンコン、と控えめなノック音がした。 昨日のメイドが入室してくる。

「おはようございます、コーデリア様。陛下がお待ちです。朝食の前に、少しばかり『お披露目』をしたいと」

「お披露目、ですか?」

「はい。帝国の重鎮たちへ、未来の国母をご紹介なさるそうです」

私は背筋が伸びるのを感じた。 いよいよだ。 昨日、陛下と交わした契約は、二人だけの口約束ではない。 国家を巻き込んだ巨大なプロジェクトの始まりなのだ。

洗顔を済ませ、用意されたドレスに着替える。 色は深紅。帝国のカラーだ。 昨日の紺色のドレスよりも華やかだが、決して派手すぎず、私の顔立ちを引き立てる絶妙な色合い。 鏡の中に映る自分は、昨日の「追放された公爵令嬢」とは別人のようだった。 顔色が良くなり、瞳には理知的な光が戻っている。

「行こう。戦場へ」

私は自分自身にそう言い聞かせ、部屋を出た。

     * * *

案内されたのは、帝城の大会議室だった。 重厚な扉が開かれると、室内に充満していた低いざわめきが、ピタリと止んだ。

長大な円卓を囲むようにして、二十名ほどの男たちが座っている。 煌びやかな軍服に身を包んだ将軍たち。 高価な法衣を纏った文官たち。 全員が、鋭い視線を私に向けていた。

その最奥。 玉座のような椅子に、ジークハルト陛下が座っていた。 今朝は正装の軍服姿だ。 その圧倒的なカリスマ性は、部屋の空気を支配している。

彼は私を見ると、スッと立ち上がり、手招きした。

「来い、コーデリア。ここが私の隣だ」

彼は、自分のすぐ右隣の席――本来なら皇太子の席を指し示した。

どよめきが走る。

「陛下! その席は……!」

「紹介しよう。彼女がコーデリア・エバハート。元王国の公爵令嬢であり、私の新たな『参謀』兼『婚約者』だ」

ジークハルト陛下の爆弾発言に、会議室は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

「なっ……敵国の女ではありませんか!」 「しかも、追放された傷物だとか!」 「陛下、ご乱心ですか!? そのような女を中枢に入れるなど、スパイを引き入れるようなものですぞ!」

罵声に近い反対意見が飛び交う。 当然の反応だ。 私が彼らの立場でも、同じことを言っただろう。

私は表情を動かさず、静かに陛下の隣まで歩みを進めた。 背中には視線が突き刺さるようだが、そんなものは王国の社交界で慣れっこだ。 「可愛げがない」「鉄仮面」と陰口を叩かれることに比べれば、面と向かって罵倒されるほうが清々しいくらいだ。

ジークハルト陛下が片手を挙げると、再び静寂が戻った。 彼は冷ややかな瞳で臣下たちを見回した。

「騒ぐな。私は彼女の『出自』を買ったのではない。『能力』を買ったのだ。……財務大臣、先ほどの報告を続けろ」

「は、はあ……」

白髭の老人が、気まずそうに立ち上がった。

「ええと、冬の到来に伴い、北東部の鉱山地帯での食料価格が高騰しております。商人たちが雪のリスクを嫌って輸送を渋っているためです。至急、国庫から補助金を出し、買い取り価格を上げる必要があります」

「また補助金か。先月も出したはずだぞ」

「し、しかし、背に腹は代えられませぬ。鉱夫たちが飢えれば、鉄の生産が止まります」

財務大臣は脂汗を拭った。 他の大臣たちも、「仕方がない」という顔をしている。 これが、帝国の現状か。 金と力で解決しようとするが、根本的なシステムに欠陥がある。

ジークハルト陛下が、チラリと私を見た。 試しているのだ。 この場で、私の価値を証明してみせろと。

私は小さく頷き、一歩前へ出た。

「発言をお許しいただけますか?」

「……なんだ、小娘。部外者が口を挟むな」

財務大臣が不快そうに顔をしかめる。

「部外者ではありません。陛下が『参謀』と仰った以上、この問題は私の管轄です。……財務大臣閣下、補助金を出すのは悪手です」

「なんだと?」

「商人たちが輸送を渋っている理由は、本当に『雪のリスク』でしょうか? 私が以前分析したデータによれば、帝国の商人は雪上馬車を持っています。問題は雪ではなく、『帰りの荷物』がないことでは?」

私は、頭の中にある帝国の産業マップを展開した。

「北東部の鉱山には、食料を運びます。ですが、帰りの馬車は空荷です。鉄鉱石は重すぎて、通常の馬車では運べない。だから専用の輸送隊が別に組まれている。商人にとって、片道分の利益しか出ないルートは、旨味がないのです」

「そ、それは……確かにそうだが……」

「だから、補助金を出すのではなく、『帰りの荷物』を作ればいいのです。鉱山周辺には、温泉が湧いていますね? そこで生産される『湯の花』や、鉱夫たちの家族が内職で作っている『織物』。これらは王都では高値で取引されますが、輸送手段がないために現地で捨て値で売られています」

私は大臣たちを見渡した。

「商人に、これらの特産品の『独占販売権』を与え、帰りの馬車で運ばせるのです。そうすれば、補助金など出さずとも、彼らは喜んで食料を運び込みます。往復で利益が出るのですから」

シン、と会議室が静まり返った。

財務大臣が口をパクパクさせている。 将軍たちが、呆気に取られた顔で私を見ている。

「……そ、そのような発想は……」

「さらに言えば、補助金を出すと、商人はその額を前提に価格を吊り上げます。結果、国庫が痛み、商人が肥え太るだけです。必要なのは『金のバラ撒き』ではなく、『商売の仕組み作り』です」

私は淡々と告げた。 これは、王国で何度も提案し、却下された案の一つだ。 『平民の作る織物など、王都で売れるわけがない』と、レイモンド殿下に一蹴されたアイデア。

「……ふっ」

沈黙を破ったのは、ジークハルト陛下の笑い声だった。

「聞いたか、お前たち。これが『知恵』だ」

陛下は愉快そうに笑い、私の肩を抱き寄せた。

「私が半年間、何度言っても『金がない』と泣きついてきたお前たちとは違う。彼女は一銭も使わず、むしろ新たな利益を生み出す方法を提示した。……まだ、彼女がスパイだと言う者はいるか?」

誰も、声を上げなかった。 反論できないのだ。 私の提案があまりにも理にかなっており、彼らの怠慢を浮き彫りにしたからだ。

財務大臣が、震える手でハンカチを握りしめ、深々と頭を下げた。

「……恐れ入りました。直ちに、商工ギルドと調整に入ります」

「うむ。コーデリアの案を採用しろ。……どうだ、私の『契約者』は優秀だろう?」

陛下はまるで自分のことのように自慢げだ。 その子供っぽいドヤ顔に、私は思わず吹き出しそうになった。

(ああ、この人は……)

本当に、能力を愛してくれる人なのだ。 私の言葉を遮らず、最後まで聞く耳を持ち、正しいと思えば即座に採用する。 こんな君主の下で働けることが、どれほど幸せか。

会議が終わると、大臣たちは逃げるように退出していった。 去り際に私を見る目は、侮蔑から畏怖へと変わっていた。

「疲れたか?」

部屋に残った陛下が、優しく声をかけてくる。

「いえ、むしろ清々しい気分です。……少し、言いすぎたでしょうか?」

「いいや、最高だった。あの古狸どもがぐうの音も出ない顔を見るのは、久しぶりの娯楽だったよ」

彼は上機嫌で、私の手を取った。

「さあ、朝食にしよう。貴女のおかげで、今日は飯が美味そうだ」

     * * *

その日の夜。 私の私室――もとい、陛下と繋がっている寝室にて。

私は執務机に向かい、山積みの資料と格闘していた。 昼間の会議で承認された案件の、具体的な実施計画書を作成しているのだ。 楽しくて仕方がない。 邪魔が入らない仕事というのが、これほど快適だとは。

「……まだ起きているのか」

ドアが開き、ジークハルト陛下が入ってきた。 寝間着姿で、片手には湯気の立つマグカップが二つ。 後ろに控えていた侍従を下がらせ、彼自身が盆を持って入ってきたのだ。

「陛下? もうお休みになられたのでは?」

「貴女の部屋の灯りが漏れていたからな。……根を詰めすぎるな。倒れられたら、帝国の損失だ」

彼はぶっきらぼうに言うと、マグカップの一つを私の手元に置いた。 中身は、温かいコーンスープだった。

「……これを、陛下が?」

「厨房から失敬してきた。夜食だ。毒見は私が済ませた」

彼は自分のカップに口をつけ、隣の椅子に腰掛けた。 皇帝が、夜食の運び屋をするなんて。 王国の常識では考えられない。

「ありがとうございます。……いただきます」

スープを一口飲む。 甘くて、温かい。 張り詰めていた神経が、ほぐれていくようだ。

「コーデリア」

「はい」

「昨日の『契約』の詳細だが」

彼は少し気まずそうに視線を逸らした。

「貴女を皇后にするが……その、寝所の件だ。無理強いはしない」

「え?」

「貴女は傷ついている。男に対する不信感もあるだろう。だから、貴女が心から望むまでは、私は指一本触れないつもりだ。白い結婚というやつだな」

彼は真面目な顔で言った。

「私が求めているのは、貴女の頭脳と、隣にいてくれる安心感だ。世継ぎ云々は、まあ、そのうち……貴女が私を男として見てくれるようになったらでいい」

耳が赤くなっている。 氷の皇帝と呼ばれる男が、こんなにも純情で、誠実だなんて。

私は胸の奥がキュンと締め付けられるのを感じた。 レイモンド殿下は、いつも自分の欲望ばかりを押し付けてきた。 『子供を産むのが女の仕事だ』と言って。

でも、この人は違う。 私の心と、意志を尊重してくれている。

「……陛下は、損な契約を結ばれましたね」

私は微笑んだ。

「私は可愛げのない女ですよ? 仕事ばかりして、夜も書類と睨めっこかもしれません」

「それがいいと言っているんだ。書類仕事なら、私も手伝おう。二人でやれば、早く終わる。そうすれば、二人で眠る時間も増えるだろう?」

「……っ」

なんて殺し文句だろう。 『一緒に仕事をしよう』 それは私にとって、どんな愛の言葉よりも甘美な響きだった。

「ふふっ……そうですね。では、早くこの計画書を仕上げてしまいましょうか。ジークハルト様」

初めて、彼の名を呼んだ。 陛下ではなく、名前で。

彼は驚いたように目を見開き、そして破顔した。 その笑顔は、氷が溶けて春の花が咲いたように、無邪気で美しかった。

「ああ。手伝おう、コーデリア」

私たちは並んで机に向かった。 ペンを走らせる音と、時折交わす議論の声。 そして、冷めかけたスープの甘い香り。

外は雪嵐が吹き荒れているけれど、この部屋の中だけは、穏やかな春のようだった。

これが、私たちの「初夜」だった。 肌を重ねるよりも深く、魂が共鳴し合うような、知的な蜜月。

だが。 そんな穏やかな時間は、翌朝届いた一通の書簡によって破られることになった。

「……王国から?」

朝食の席で、ジークハルト様が不機嫌そうに封筒を投げ出した。 そこには、見覚えのある王家の紋章。 そして、レイモンド殿下の乱雑な筆跡で、こう書かれていた。

『我が国の罪人、コーデリア・エバハートを即刻返還せよ。さもなくば、これを帝国による誘拐とみなし、相応の措置をとる』

返還。 物のように、私を返せと言っている。 追放しておきながら。 おそらく、私が不在になったことで不都合が生じ始めたのだろう。

ジークハルト様の瞳から、春の温かさが消え、絶対零度の殺気が宿った。

「……ほう。捨てたゴミを、今更返せと言うのか」

彼はナイフを握りしめ、低く唸った。

「面白い。彼らに、真の絶望を教えてやろう。……コーデリア、準備はいいか?」

私は紅茶のカップを置き、静かに微笑んだ。 心臓が、恐怖ではなく武者震いで高鳴っている。

「ええ、もちろんです。彼らが泣いて謝っても、もう遅いということを、数字で証明して差し上げましょう」

反撃の狼煙(のろし)が上がる。 私を虐げた者たちへ。 そして、私を愛してくれたこの人のために。

徹底的な、「ざまぁ」の幕開けだ。
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