敗戦国の元王子へ 〜私を追放したせいで貴国は我が帝国に負けました。私はもう「敵国の皇后」ですので、頭が高いのではないでしょうか?〜

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第三話:氷の皇帝との対面

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目が覚めると、そこは天蓋付きのベッドの中だった。

白い天井。 ふわりと香る、清潔なリネンの匂い。 そして、ほのかに漂う薬草の香り。

私は呆然と瞬きをした。 ここはどこだろう。 死後の世界だろうか。

体を起こそうとして、全身の筋肉が軋むような痛みを訴えた。 けれど、それは凍傷の鋭い痛みではなく、深い疲労からくる鈍い痛みだった。

「……っ」

「お目覚めですか、コーデリア様」

不意に声をかけられ、私はビクリと肩を震わせた。 ベッドの脇に、一人のメイドが控えていた。 黒と白のシックな制服。 髪をきっちりとまとめ上げ、背筋を伸ばして立つ姿は、王国の侍女たちよりも遥かに洗練されているように見えた。

「ここは……」

「帝城、離宮の一室でございます。陛下が、貴女様をこちらへ運ばれました」

帝城。 陛下。

記憶がフラッシュバックする。 雪の中の黒い騎士団。 そして、私を抱き上げた銀髪の皇帝、ジークハルト。

夢ではなかったのだ。 私は敵国の皇帝に拾われ、その本拠地まで連れてこられたのだ。

「……私は、捕虜なのですか?」

恐る恐る尋ねる。 メイドは少しだけ目を見開き、すぐに首を横に振った。

「いいえ。陛下は『大切な客人だ』と仰せつかっております。拘束も監視もございません。お体の具合はいかがでしょうか? 専属医を呼びましょうか?」

「いえ、大丈夫です。ただ、少し喉が渇いていて」

「直ちに」

彼女は無駄のない動きで水差しからグラスに水を注ぎ、私に差し出した。 その所作一つとっても、高度な訓練を受けていることがわかる。 帝国とは、末端の使用人に至るまで、これほど規律が行き届いているのか。

私は水を飲み干し、一息ついた。 温かい。 常温の水ではなく、少し温められた白湯だ。 弱った胃腸への配慮がされている。

「あの……陛下は?」

「執務室にいらっしゃいます。コーデリア様がお目覚めになり、体調が許すようであれば、夕食を共にしたいと」

夕食。 それは尋問の場だろうか。 それとも、私の処遇を決める裁判のようなものだろうか。

拒否権はないだろう。 私は頷いた。

「わかりました。……着替えはありますか?」

「はい、こちらにご用意しております」

メイドがクローゼットを開ける。 そこには、王国の流行とは異なる、しかし上質で機能的なドレスが数着並んでいた。 華美な装飾よりも、カッティングの美しさと生地の質を重視したデザイン。 私の好みだった。

(……サイズまでぴったりだわ)

袖を通してみて、戦慄した。 私の身体的特徴が、完全に把握されている。 帝国諜報部の優秀さに、背筋が寒くなる思いだった。

     * * *

案内されたのは、広大なダイニングルームではなく、執務室の奥にあるプライベートなサロンだった。

暖炉には赤々と炎が燃え、部屋全体を暖めている。 窓の外はすでに夜。 雪が降りしきる帝都の街並みが、眼下に広がっていた。

「来たか」

部屋の中央にあるソファに、その人は座っていた。 ジークハルト・フォン・エーデルシュタイン。 軍服ではなく、リラックスしたシャツとベスト姿だ。 それでも隠しきれない威圧感と、研ぎ澄まされた刃物のような美しさがある。

彼は手元の書類から顔を上げ、私を見ると、わずかに口元を緩めた。

「顔色は悪くないな。軍医の腕は確かだったようだ」

「……助けていただき、感謝いたします。陛下」

私は深くカーテシーをした。 王族に対する最上級の礼。 敵国の皇帝に対し、これを行うのは屈辱かもしれない。 だが、命の恩人に対し、礼を尽くすのは人として当然だ。

「座れ。堅苦しい挨拶は不要だ」

彼は対面のソファを勧めた。 テーブルの上には、湯気の立つスープと、柔らかそうなパン、そしてローストされた肉料理が並べられている。

「まずは食べろ。話はそれからだ。空腹では脳も回らんだろう」

「……いただきます」

私は席につき、スプーンを手に取った。 スープを一口。 濃厚な野菜の旨味が広がり、冷え切っていた体の芯まで染み渡るようだった。

美味しい。 王城での食事よりも、ずっと。 あそこでは、いつも「早く食べろ」「食べ方が遅い」とレイモンド殿下に急かされ、味などわからなかった。 ミナが現れてからは、私のスープにだけ具が入っていないこともあった。

それに比べて、この温かさはどうだ。

涙が出そうになるのを堪え、私は食事を進めた。 ジークハルト陛下は、何も言わずにコーヒーを飲んでいる。 私が食べ終わるのを、静かに待ってくれているのだ。 その沈黙が、心地よかった。

食事が終わり、メイドが食器を下げると、空気が変わった。

「さて」

ジークハルト陛下が、サイドテーブルから一束の書類を取り出した。

「コーデリア嬢。貴女を助けたのは、私の個人的な感情もあるが……それ以上に、貴女の『頭脳』に用があったからだ」

来た。 やはり、ただの慈悲ではない。 対価を求められるのだ。

「私に、帝国のスパイになれとおっしゃるのですか? 王国の内部情報を売れと?」

私は身構えた。 いくら国に捨てられたとはいえ、祖国を売るような真似は誇りが許さない。

しかし、陛下は鼻で笑った。

「王国の情報? あんな腐った国の内部事情など、我が諜報部ですでに丸裸だ。レイモンド王太子の女性関係から、今日の朝食のメニューまで把握している」

「……では、何を?」

「これだ」

彼が差し出したのは、帝国の地図と、大量の数字が書き込まれた報告書だった。

「見ての通り、我が帝国は版図を急拡大させた。だが、それに伴い『血流』が詰まりかけている」

私は書類に目を通した。 一目で理解できた。 これは、物流網のレポートだ。

「……前線への補給遅延率が30%を超えていますね。特に東部戦線。食料の廃棄率も異常に高い」

「そうだ。現地からは『道が悪い』『馬車が足りない』という報告ばかり上がってくる。だが、道は整備し、馬車も増産した。それでも改善しない。なぜだかわかるか?」

私は地図と数字を交互に見た。 脳内で、帝国の地形と物資の流れをシミュレーションする。 まるでパズルだ。 複雑に絡み合った糸を、一本ずつ解きほぐしていく感覚。

5分もしないうちに、私は答えにたどり着いた。

「……中継拠点の配置ミスです」

「ほう?」

「陛下、ここの『アストルガ砦』を物資の集積地にしていますね? 地図上では戦線の中央にあり、一見効率的に見えます。ですが、ここは盆地で、雨が降れば道が泥沼化します。大型馬車での搬入には不向きです」

私は卓上のペンを取り、勝手に地図に書き込みを始めた。 夢中になると、相手が皇帝であることも忘れてしまう。 それは私の悪い癖であり、唯一の才能だった。

「アストルガではなく、20キロ西の『ベルン乾燥地帯』に新しい拠点を移すべきです。距離は遠くなりますが、地盤が固く、大型馬車が最高速度で走れます。結果として、輸送時間は4時間短縮されます」

「なるほど」

「それと、輸送隊の編成も間違っています。食料と武器を同じ馬車に混載していますね? これでは荷下ろしに時間がかかります。食料専門の高速部隊と、武器専門の重量部隊に分け、出発時間をズラすべきです。そうすれば、街道の渋滞も解消されます」

私は次々と問題点を指摘し、改善案を書き殴った。 ペンが紙を走る音だけが、部屋に響く。

「……そして、最大のボトルネックはここ。検問所です。通過手続きに時間がかかりすぎています。帝国内の輸送なのに、なぜ3回も検問があるのですか? 許可証を一元化すれば、ここはフリーパスにできます」

「そこは貴族院が利権を主張していてな。通行税を取りたがっているのだ」

「愚かです! 通行税で得られる小銭と、前線の兵士が飢える損失、どちらが国益ですか? 今すぐ撤廃させるべきです!」

バンッ! 私は思わずテーブルを叩いていた。

「……あ」

我に返る。 やってしまった。 皇帝陛下の前で、机を叩き、貴族院を愚かだと罵り、自国の政策のように口出しをしてしまった。

王城であれば、「可愛げがない」「でしゃばるな」と怒鳴られる場面だ。 書類を投げつけられるかもしれない。

私は血の気が引くのを感じ、恐る恐る顔を上げた。

そこには。

「…………素晴らしい」

ジークハルト陛下が、震えるような声で呟いていた。 怒っているのではない。 その赤い瞳は、獲物を見つけた猛獣のように、怪しく、熱く輝いていた。

彼は立ち上がり、テーブル越しに身を乗り出した。

「たった数分だぞ? 我が国の官僚たちが半年かけても解決できなかった問題を、貴女はスープが冷めるよりも早く解いてみせた」

「へ、陛下……?」

「やはり、私の目に狂いはなかった。あの論文を書いた『C・E』とは、貴女のことだったのだな、コーデリア・エバハート!」

彼は私の手を取り、強く握りしめた。 痛いほどだ。 けれど、その痛みは不快ではなかった。

「貴女が欲しい。喉から手が出るほどに」

彼は熱っぽく語りかけた。

「我が帝国には、武力はある。資源もある。忠実な兵士もいる。だが、『知恵』が足りない。古い慣習に縛られた無能な貴族と、前例踏襲しかできない官僚ばかりだ。私がいくら改革を叫んでも、実務レベルでそれを具現化できる人間がいないのだ!」

彼の嘆きは、切実だった。 孤独な王者の叫びだった。 理想があっても、それを支える手足が動かないもどかしさ。 それは、かつて私が王国で感じていた孤独と、同じ種類のものだった。

「コーデリア。貴女ならわかるはずだ。自分の描いた絵図通りに国が動く快感を。自分の計算一つで、何万という民が救われる喜びを」

「……はい。わかります」

「王国は貴女を捨てた。貴女のその稀有な才能を、『可愛げがない』などというふざけた理由でドブに捨てた。だが、私は違う!」

彼は私の瞳を真っ直ぐに見つめた。

「私は、貴女のその『可愛げのなさ』こそを愛する。冷徹なまでの合理性、感情を排した論理、数字への執着……それこそが美しい! 貴女の脳髄は、どんな宝石よりも価値がある!」

「……っ」

胸が、ドクンと跳ねた。 愛の告白ではない。 女性としての魅力を褒められたわけではない。 「脳みそが好きだ」と言われたのだ。

普通なら、気味悪がるところかもしれない。 でも、私にとっては。 これまでの人生で、誰からも言われなかった言葉。 一番、欲しかった言葉。

『貴女の能力が必要だ』

そう言われたかった。 ただの飾り物のお人形ではなく、一人の人間として、その機能を認められたかった。

目頭が熱くなる。 今度こそ、涙がこぼれそうだった。

「……私で、いいのですか? 私は、一度国を追われた身です。負け犬です」

「負けたのは貴女ではない。貴女を使いこなせなかった王国だ」

彼は断言した。

「コーデリア。私と契約しろ」

「契約……?」

「ああ。私は貴女に、帝国の『皇后』の地位を与える」

「こ、皇后!?」

あまりの飛躍に、私は素っ頓狂な声を上げた。 軍師とか、宰相とか、そういう役職だと思っていたのに。

「そうだ。単なる参謀では、貴族たちを黙らせられない。私の隣に立ち、私と同等の権限を持つ『共同統治者』としての皇后だ」

「で、でも、それは……政治的なリスクが……」

「リスクなど私がねじ伏せる。貴女は私の妻となり、その知略を存分に振るって、この帝国を最強の国へと作り変えてくれ」

彼はニヤリと笑った。 それは、悪戯を企む少年のようでもあり、世界を睥睨する覇王の笑みでもあった。

「そして、貴女を捨てた王国を、完膚なきまでに叩き潰してやろうじゃないか。武力ではなく、貴女の得意な『実務能力』でな」

復讐。 その甘美な響き。

私が、彼の手を取れば。 私は最強の権力と、最高の理解者を手に入れることになる。 そして、あの愚かな元婚約者たちに、現実という名の鉄槌を下すことができる。

迷う理由は、何一つなかった。

私は椅子から立ち上がり、彼の前で片膝をついた。 今度は、私が彼に忠誠を誓う番だ。

「……謹んで、お受けいたします。ジークハルト陛下」

顔を上げ、不敵な笑みを返す。 きっと今の私は、王国の誰も見たことがないような、凶悪で、生き生きとした表情をしているはずだ。

「私の頭脳、そして私の全てを、貴方様に捧げます。……覚悟してくださいませ? 私の改革は、生ぬるくはありませんわよ」

「望むところだ」

ジークハルト陛下は満足げに頷き、私を引き起こした。 そして、今度は契約の証として、私の手の甲に口づけを落とした。

その唇は熱く、私の心臓を激しく揺さぶった。

こうして、敗戦国の元公爵令嬢と、敵国の皇帝による、国を傾けるほどの大改革と復讐劇が幕を開けたのである。
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