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第四話:温かいスープと契約結婚
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翌朝。 私は、人生で最も上質な目覚めを迎えた。
寒さで震えることもない。 使用人の怒鳴り声や、ミナの甲高い笑い声で起こされることもない。 ただ、静寂と温もりだけがある朝。
「……夢じゃ、ないのよね」
天蓋付きのベッドから起き上がり、頬をつねってみる。 痛い。 現実だ。
私は昨日、敵国の皇帝ジークハルト陛下と「契約」を交わした。 彼の妻となり、この帝国の皇后として、その知略を振るうという契約を。
コンコン、と控えめなノック音がした。 昨日のメイドが入室してくる。
「おはようございます、コーデリア様。陛下がお待ちです。朝食の前に、少しばかり『お披露目』をしたいと」
「お披露目、ですか?」
「はい。帝国の重鎮たちへ、未来の国母をご紹介なさるそうです」
私は背筋が伸びるのを感じた。 いよいよだ。 昨日、陛下と交わした契約は、二人だけの口約束ではない。 国家を巻き込んだ巨大なプロジェクトの始まりなのだ。
洗顔を済ませ、用意されたドレスに着替える。 色は深紅。帝国のカラーだ。 昨日の紺色のドレスよりも華やかだが、決して派手すぎず、私の顔立ちを引き立てる絶妙な色合い。 鏡の中に映る自分は、昨日の「追放された公爵令嬢」とは別人のようだった。 顔色が良くなり、瞳には理知的な光が戻っている。
「行こう。戦場へ」
私は自分自身にそう言い聞かせ、部屋を出た。
* * *
案内されたのは、帝城の大会議室だった。 重厚な扉が開かれると、室内に充満していた低いざわめきが、ピタリと止んだ。
長大な円卓を囲むようにして、二十名ほどの男たちが座っている。 煌びやかな軍服に身を包んだ将軍たち。 高価な法衣を纏った文官たち。 全員が、鋭い視線を私に向けていた。
その最奥。 玉座のような椅子に、ジークハルト陛下が座っていた。 今朝は正装の軍服姿だ。 その圧倒的なカリスマ性は、部屋の空気を支配している。
彼は私を見ると、スッと立ち上がり、手招きした。
「来い、コーデリア。ここが私の隣だ」
彼は、自分のすぐ右隣の席――本来なら皇太子の席を指し示した。
どよめきが走る。
「陛下! その席は……!」
「紹介しよう。彼女がコーデリア・エバハート。元王国の公爵令嬢であり、私の新たな『参謀』兼『婚約者』だ」
ジークハルト陛下の爆弾発言に、会議室は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
「なっ……敵国の女ではありませんか!」 「しかも、追放された傷物だとか!」 「陛下、ご乱心ですか!? そのような女を中枢に入れるなど、スパイを引き入れるようなものですぞ!」
罵声に近い反対意見が飛び交う。 当然の反応だ。 私が彼らの立場でも、同じことを言っただろう。
私は表情を動かさず、静かに陛下の隣まで歩みを進めた。 背中には視線が突き刺さるようだが、そんなものは王国の社交界で慣れっこだ。 「可愛げがない」「鉄仮面」と陰口を叩かれることに比べれば、面と向かって罵倒されるほうが清々しいくらいだ。
ジークハルト陛下が片手を挙げると、再び静寂が戻った。 彼は冷ややかな瞳で臣下たちを見回した。
「騒ぐな。私は彼女の『出自』を買ったのではない。『能力』を買ったのだ。……財務大臣、先ほどの報告を続けろ」
「は、はあ……」
白髭の老人が、気まずそうに立ち上がった。
「ええと、冬の到来に伴い、北東部の鉱山地帯での食料価格が高騰しております。商人たちが雪のリスクを嫌って輸送を渋っているためです。至急、国庫から補助金を出し、買い取り価格を上げる必要があります」
「また補助金か。先月も出したはずだぞ」
「し、しかし、背に腹は代えられませぬ。鉱夫たちが飢えれば、鉄の生産が止まります」
財務大臣は脂汗を拭った。 他の大臣たちも、「仕方がない」という顔をしている。 これが、帝国の現状か。 金と力で解決しようとするが、根本的なシステムに欠陥がある。
ジークハルト陛下が、チラリと私を見た。 試しているのだ。 この場で、私の価値を証明してみせろと。
私は小さく頷き、一歩前へ出た。
「発言をお許しいただけますか?」
「……なんだ、小娘。部外者が口を挟むな」
財務大臣が不快そうに顔をしかめる。
「部外者ではありません。陛下が『参謀』と仰った以上、この問題は私の管轄です。……財務大臣閣下、補助金を出すのは悪手です」
「なんだと?」
「商人たちが輸送を渋っている理由は、本当に『雪のリスク』でしょうか? 私が以前分析したデータによれば、帝国の商人は雪上馬車を持っています。問題は雪ではなく、『帰りの荷物』がないことでは?」
私は、頭の中にある帝国の産業マップを展開した。
「北東部の鉱山には、食料を運びます。ですが、帰りの馬車は空荷です。鉄鉱石は重すぎて、通常の馬車では運べない。だから専用の輸送隊が別に組まれている。商人にとって、片道分の利益しか出ないルートは、旨味がないのです」
「そ、それは……確かにそうだが……」
「だから、補助金を出すのではなく、『帰りの荷物』を作ればいいのです。鉱山周辺には、温泉が湧いていますね? そこで生産される『湯の花』や、鉱夫たちの家族が内職で作っている『織物』。これらは王都では高値で取引されますが、輸送手段がないために現地で捨て値で売られています」
私は大臣たちを見渡した。
「商人に、これらの特産品の『独占販売権』を与え、帰りの馬車で運ばせるのです。そうすれば、補助金など出さずとも、彼らは喜んで食料を運び込みます。往復で利益が出るのですから」
シン、と会議室が静まり返った。
財務大臣が口をパクパクさせている。 将軍たちが、呆気に取られた顔で私を見ている。
「……そ、そのような発想は……」
「さらに言えば、補助金を出すと、商人はその額を前提に価格を吊り上げます。結果、国庫が痛み、商人が肥え太るだけです。必要なのは『金のバラ撒き』ではなく、『商売の仕組み作り』です」
私は淡々と告げた。 これは、王国で何度も提案し、却下された案の一つだ。 『平民の作る織物など、王都で売れるわけがない』と、レイモンド殿下に一蹴されたアイデア。
「……ふっ」
沈黙を破ったのは、ジークハルト陛下の笑い声だった。
「聞いたか、お前たち。これが『知恵』だ」
陛下は愉快そうに笑い、私の肩を抱き寄せた。
「私が半年間、何度言っても『金がない』と泣きついてきたお前たちとは違う。彼女は一銭も使わず、むしろ新たな利益を生み出す方法を提示した。……まだ、彼女がスパイだと言う者はいるか?」
誰も、声を上げなかった。 反論できないのだ。 私の提案があまりにも理にかなっており、彼らの怠慢を浮き彫りにしたからだ。
財務大臣が、震える手でハンカチを握りしめ、深々と頭を下げた。
「……恐れ入りました。直ちに、商工ギルドと調整に入ります」
「うむ。コーデリアの案を採用しろ。……どうだ、私の『契約者』は優秀だろう?」
陛下はまるで自分のことのように自慢げだ。 その子供っぽいドヤ顔に、私は思わず吹き出しそうになった。
(ああ、この人は……)
本当に、能力を愛してくれる人なのだ。 私の言葉を遮らず、最後まで聞く耳を持ち、正しいと思えば即座に採用する。 こんな君主の下で働けることが、どれほど幸せか。
会議が終わると、大臣たちは逃げるように退出していった。 去り際に私を見る目は、侮蔑から畏怖へと変わっていた。
「疲れたか?」
部屋に残った陛下が、優しく声をかけてくる。
「いえ、むしろ清々しい気分です。……少し、言いすぎたでしょうか?」
「いいや、最高だった。あの古狸どもがぐうの音も出ない顔を見るのは、久しぶりの娯楽だったよ」
彼は上機嫌で、私の手を取った。
「さあ、朝食にしよう。貴女のおかげで、今日は飯が美味そうだ」
* * *
その日の夜。 私の私室――もとい、陛下と繋がっている寝室にて。
私は執務机に向かい、山積みの資料と格闘していた。 昼間の会議で承認された案件の、具体的な実施計画書を作成しているのだ。 楽しくて仕方がない。 邪魔が入らない仕事というのが、これほど快適だとは。
「……まだ起きているのか」
ドアが開き、ジークハルト陛下が入ってきた。 寝間着姿で、片手には湯気の立つマグカップが二つ。 後ろに控えていた侍従を下がらせ、彼自身が盆を持って入ってきたのだ。
「陛下? もうお休みになられたのでは?」
「貴女の部屋の灯りが漏れていたからな。……根を詰めすぎるな。倒れられたら、帝国の損失だ」
彼はぶっきらぼうに言うと、マグカップの一つを私の手元に置いた。 中身は、温かいコーンスープだった。
「……これを、陛下が?」
「厨房から失敬してきた。夜食だ。毒見は私が済ませた」
彼は自分のカップに口をつけ、隣の椅子に腰掛けた。 皇帝が、夜食の運び屋をするなんて。 王国の常識では考えられない。
「ありがとうございます。……いただきます」
スープを一口飲む。 甘くて、温かい。 張り詰めていた神経が、ほぐれていくようだ。
「コーデリア」
「はい」
「昨日の『契約』の詳細だが」
彼は少し気まずそうに視線を逸らした。
「貴女を皇后にするが……その、寝所の件だ。無理強いはしない」
「え?」
「貴女は傷ついている。男に対する不信感もあるだろう。だから、貴女が心から望むまでは、私は指一本触れないつもりだ。白い結婚というやつだな」
彼は真面目な顔で言った。
「私が求めているのは、貴女の頭脳と、隣にいてくれる安心感だ。世継ぎ云々は、まあ、そのうち……貴女が私を男として見てくれるようになったらでいい」
耳が赤くなっている。 氷の皇帝と呼ばれる男が、こんなにも純情で、誠実だなんて。
私は胸の奥がキュンと締め付けられるのを感じた。 レイモンド殿下は、いつも自分の欲望ばかりを押し付けてきた。 『子供を産むのが女の仕事だ』と言って。
でも、この人は違う。 私の心と、意志を尊重してくれている。
「……陛下は、損な契約を結ばれましたね」
私は微笑んだ。
「私は可愛げのない女ですよ? 仕事ばかりして、夜も書類と睨めっこかもしれません」
「それがいいと言っているんだ。書類仕事なら、私も手伝おう。二人でやれば、早く終わる。そうすれば、二人で眠る時間も増えるだろう?」
「……っ」
なんて殺し文句だろう。 『一緒に仕事をしよう』 それは私にとって、どんな愛の言葉よりも甘美な響きだった。
「ふふっ……そうですね。では、早くこの計画書を仕上げてしまいましょうか。ジークハルト様」
初めて、彼の名を呼んだ。 陛下ではなく、名前で。
彼は驚いたように目を見開き、そして破顔した。 その笑顔は、氷が溶けて春の花が咲いたように、無邪気で美しかった。
「ああ。手伝おう、コーデリア」
私たちは並んで机に向かった。 ペンを走らせる音と、時折交わす議論の声。 そして、冷めかけたスープの甘い香り。
外は雪嵐が吹き荒れているけれど、この部屋の中だけは、穏やかな春のようだった。
これが、私たちの「初夜」だった。 肌を重ねるよりも深く、魂が共鳴し合うような、知的な蜜月。
だが。 そんな穏やかな時間は、翌朝届いた一通の書簡によって破られることになった。
「……王国から?」
朝食の席で、ジークハルト様が不機嫌そうに封筒を投げ出した。 そこには、見覚えのある王家の紋章。 そして、レイモンド殿下の乱雑な筆跡で、こう書かれていた。
『我が国の罪人、コーデリア・エバハートを即刻返還せよ。さもなくば、これを帝国による誘拐とみなし、相応の措置をとる』
返還。 物のように、私を返せと言っている。 追放しておきながら。 おそらく、私が不在になったことで不都合が生じ始めたのだろう。
ジークハルト様の瞳から、春の温かさが消え、絶対零度の殺気が宿った。
「……ほう。捨てたゴミを、今更返せと言うのか」
彼はナイフを握りしめ、低く唸った。
「面白い。彼らに、真の絶望を教えてやろう。……コーデリア、準備はいいか?」
私は紅茶のカップを置き、静かに微笑んだ。 心臓が、恐怖ではなく武者震いで高鳴っている。
「ええ、もちろんです。彼らが泣いて謝っても、もう遅いということを、数字で証明して差し上げましょう」
反撃の狼煙(のろし)が上がる。 私を虐げた者たちへ。 そして、私を愛してくれたこの人のために。
徹底的な、「ざまぁ」の幕開けだ。
寒さで震えることもない。 使用人の怒鳴り声や、ミナの甲高い笑い声で起こされることもない。 ただ、静寂と温もりだけがある朝。
「……夢じゃ、ないのよね」
天蓋付きのベッドから起き上がり、頬をつねってみる。 痛い。 現実だ。
私は昨日、敵国の皇帝ジークハルト陛下と「契約」を交わした。 彼の妻となり、この帝国の皇后として、その知略を振るうという契約を。
コンコン、と控えめなノック音がした。 昨日のメイドが入室してくる。
「おはようございます、コーデリア様。陛下がお待ちです。朝食の前に、少しばかり『お披露目』をしたいと」
「お披露目、ですか?」
「はい。帝国の重鎮たちへ、未来の国母をご紹介なさるそうです」
私は背筋が伸びるのを感じた。 いよいよだ。 昨日、陛下と交わした契約は、二人だけの口約束ではない。 国家を巻き込んだ巨大なプロジェクトの始まりなのだ。
洗顔を済ませ、用意されたドレスに着替える。 色は深紅。帝国のカラーだ。 昨日の紺色のドレスよりも華やかだが、決して派手すぎず、私の顔立ちを引き立てる絶妙な色合い。 鏡の中に映る自分は、昨日の「追放された公爵令嬢」とは別人のようだった。 顔色が良くなり、瞳には理知的な光が戻っている。
「行こう。戦場へ」
私は自分自身にそう言い聞かせ、部屋を出た。
* * *
案内されたのは、帝城の大会議室だった。 重厚な扉が開かれると、室内に充満していた低いざわめきが、ピタリと止んだ。
長大な円卓を囲むようにして、二十名ほどの男たちが座っている。 煌びやかな軍服に身を包んだ将軍たち。 高価な法衣を纏った文官たち。 全員が、鋭い視線を私に向けていた。
その最奥。 玉座のような椅子に、ジークハルト陛下が座っていた。 今朝は正装の軍服姿だ。 その圧倒的なカリスマ性は、部屋の空気を支配している。
彼は私を見ると、スッと立ち上がり、手招きした。
「来い、コーデリア。ここが私の隣だ」
彼は、自分のすぐ右隣の席――本来なら皇太子の席を指し示した。
どよめきが走る。
「陛下! その席は……!」
「紹介しよう。彼女がコーデリア・エバハート。元王国の公爵令嬢であり、私の新たな『参謀』兼『婚約者』だ」
ジークハルト陛下の爆弾発言に、会議室は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
「なっ……敵国の女ではありませんか!」 「しかも、追放された傷物だとか!」 「陛下、ご乱心ですか!? そのような女を中枢に入れるなど、スパイを引き入れるようなものですぞ!」
罵声に近い反対意見が飛び交う。 当然の反応だ。 私が彼らの立場でも、同じことを言っただろう。
私は表情を動かさず、静かに陛下の隣まで歩みを進めた。 背中には視線が突き刺さるようだが、そんなものは王国の社交界で慣れっこだ。 「可愛げがない」「鉄仮面」と陰口を叩かれることに比べれば、面と向かって罵倒されるほうが清々しいくらいだ。
ジークハルト陛下が片手を挙げると、再び静寂が戻った。 彼は冷ややかな瞳で臣下たちを見回した。
「騒ぐな。私は彼女の『出自』を買ったのではない。『能力』を買ったのだ。……財務大臣、先ほどの報告を続けろ」
「は、はあ……」
白髭の老人が、気まずそうに立ち上がった。
「ええと、冬の到来に伴い、北東部の鉱山地帯での食料価格が高騰しております。商人たちが雪のリスクを嫌って輸送を渋っているためです。至急、国庫から補助金を出し、買い取り価格を上げる必要があります」
「また補助金か。先月も出したはずだぞ」
「し、しかし、背に腹は代えられませぬ。鉱夫たちが飢えれば、鉄の生産が止まります」
財務大臣は脂汗を拭った。 他の大臣たちも、「仕方がない」という顔をしている。 これが、帝国の現状か。 金と力で解決しようとするが、根本的なシステムに欠陥がある。
ジークハルト陛下が、チラリと私を見た。 試しているのだ。 この場で、私の価値を証明してみせろと。
私は小さく頷き、一歩前へ出た。
「発言をお許しいただけますか?」
「……なんだ、小娘。部外者が口を挟むな」
財務大臣が不快そうに顔をしかめる。
「部外者ではありません。陛下が『参謀』と仰った以上、この問題は私の管轄です。……財務大臣閣下、補助金を出すのは悪手です」
「なんだと?」
「商人たちが輸送を渋っている理由は、本当に『雪のリスク』でしょうか? 私が以前分析したデータによれば、帝国の商人は雪上馬車を持っています。問題は雪ではなく、『帰りの荷物』がないことでは?」
私は、頭の中にある帝国の産業マップを展開した。
「北東部の鉱山には、食料を運びます。ですが、帰りの馬車は空荷です。鉄鉱石は重すぎて、通常の馬車では運べない。だから専用の輸送隊が別に組まれている。商人にとって、片道分の利益しか出ないルートは、旨味がないのです」
「そ、それは……確かにそうだが……」
「だから、補助金を出すのではなく、『帰りの荷物』を作ればいいのです。鉱山周辺には、温泉が湧いていますね? そこで生産される『湯の花』や、鉱夫たちの家族が内職で作っている『織物』。これらは王都では高値で取引されますが、輸送手段がないために現地で捨て値で売られています」
私は大臣たちを見渡した。
「商人に、これらの特産品の『独占販売権』を与え、帰りの馬車で運ばせるのです。そうすれば、補助金など出さずとも、彼らは喜んで食料を運び込みます。往復で利益が出るのですから」
シン、と会議室が静まり返った。
財務大臣が口をパクパクさせている。 将軍たちが、呆気に取られた顔で私を見ている。
「……そ、そのような発想は……」
「さらに言えば、補助金を出すと、商人はその額を前提に価格を吊り上げます。結果、国庫が痛み、商人が肥え太るだけです。必要なのは『金のバラ撒き』ではなく、『商売の仕組み作り』です」
私は淡々と告げた。 これは、王国で何度も提案し、却下された案の一つだ。 『平民の作る織物など、王都で売れるわけがない』と、レイモンド殿下に一蹴されたアイデア。
「……ふっ」
沈黙を破ったのは、ジークハルト陛下の笑い声だった。
「聞いたか、お前たち。これが『知恵』だ」
陛下は愉快そうに笑い、私の肩を抱き寄せた。
「私が半年間、何度言っても『金がない』と泣きついてきたお前たちとは違う。彼女は一銭も使わず、むしろ新たな利益を生み出す方法を提示した。……まだ、彼女がスパイだと言う者はいるか?」
誰も、声を上げなかった。 反論できないのだ。 私の提案があまりにも理にかなっており、彼らの怠慢を浮き彫りにしたからだ。
財務大臣が、震える手でハンカチを握りしめ、深々と頭を下げた。
「……恐れ入りました。直ちに、商工ギルドと調整に入ります」
「うむ。コーデリアの案を採用しろ。……どうだ、私の『契約者』は優秀だろう?」
陛下はまるで自分のことのように自慢げだ。 その子供っぽいドヤ顔に、私は思わず吹き出しそうになった。
(ああ、この人は……)
本当に、能力を愛してくれる人なのだ。 私の言葉を遮らず、最後まで聞く耳を持ち、正しいと思えば即座に採用する。 こんな君主の下で働けることが、どれほど幸せか。
会議が終わると、大臣たちは逃げるように退出していった。 去り際に私を見る目は、侮蔑から畏怖へと変わっていた。
「疲れたか?」
部屋に残った陛下が、優しく声をかけてくる。
「いえ、むしろ清々しい気分です。……少し、言いすぎたでしょうか?」
「いいや、最高だった。あの古狸どもがぐうの音も出ない顔を見るのは、久しぶりの娯楽だったよ」
彼は上機嫌で、私の手を取った。
「さあ、朝食にしよう。貴女のおかげで、今日は飯が美味そうだ」
* * *
その日の夜。 私の私室――もとい、陛下と繋がっている寝室にて。
私は執務机に向かい、山積みの資料と格闘していた。 昼間の会議で承認された案件の、具体的な実施計画書を作成しているのだ。 楽しくて仕方がない。 邪魔が入らない仕事というのが、これほど快適だとは。
「……まだ起きているのか」
ドアが開き、ジークハルト陛下が入ってきた。 寝間着姿で、片手には湯気の立つマグカップが二つ。 後ろに控えていた侍従を下がらせ、彼自身が盆を持って入ってきたのだ。
「陛下? もうお休みになられたのでは?」
「貴女の部屋の灯りが漏れていたからな。……根を詰めすぎるな。倒れられたら、帝国の損失だ」
彼はぶっきらぼうに言うと、マグカップの一つを私の手元に置いた。 中身は、温かいコーンスープだった。
「……これを、陛下が?」
「厨房から失敬してきた。夜食だ。毒見は私が済ませた」
彼は自分のカップに口をつけ、隣の椅子に腰掛けた。 皇帝が、夜食の運び屋をするなんて。 王国の常識では考えられない。
「ありがとうございます。……いただきます」
スープを一口飲む。 甘くて、温かい。 張り詰めていた神経が、ほぐれていくようだ。
「コーデリア」
「はい」
「昨日の『契約』の詳細だが」
彼は少し気まずそうに視線を逸らした。
「貴女を皇后にするが……その、寝所の件だ。無理強いはしない」
「え?」
「貴女は傷ついている。男に対する不信感もあるだろう。だから、貴女が心から望むまでは、私は指一本触れないつもりだ。白い結婚というやつだな」
彼は真面目な顔で言った。
「私が求めているのは、貴女の頭脳と、隣にいてくれる安心感だ。世継ぎ云々は、まあ、そのうち……貴女が私を男として見てくれるようになったらでいい」
耳が赤くなっている。 氷の皇帝と呼ばれる男が、こんなにも純情で、誠実だなんて。
私は胸の奥がキュンと締め付けられるのを感じた。 レイモンド殿下は、いつも自分の欲望ばかりを押し付けてきた。 『子供を産むのが女の仕事だ』と言って。
でも、この人は違う。 私の心と、意志を尊重してくれている。
「……陛下は、損な契約を結ばれましたね」
私は微笑んだ。
「私は可愛げのない女ですよ? 仕事ばかりして、夜も書類と睨めっこかもしれません」
「それがいいと言っているんだ。書類仕事なら、私も手伝おう。二人でやれば、早く終わる。そうすれば、二人で眠る時間も増えるだろう?」
「……っ」
なんて殺し文句だろう。 『一緒に仕事をしよう』 それは私にとって、どんな愛の言葉よりも甘美な響きだった。
「ふふっ……そうですね。では、早くこの計画書を仕上げてしまいましょうか。ジークハルト様」
初めて、彼の名を呼んだ。 陛下ではなく、名前で。
彼は驚いたように目を見開き、そして破顔した。 その笑顔は、氷が溶けて春の花が咲いたように、無邪気で美しかった。
「ああ。手伝おう、コーデリア」
私たちは並んで机に向かった。 ペンを走らせる音と、時折交わす議論の声。 そして、冷めかけたスープの甘い香り。
外は雪嵐が吹き荒れているけれど、この部屋の中だけは、穏やかな春のようだった。
これが、私たちの「初夜」だった。 肌を重ねるよりも深く、魂が共鳴し合うような、知的な蜜月。
だが。 そんな穏やかな時間は、翌朝届いた一通の書簡によって破られることになった。
「……王国から?」
朝食の席で、ジークハルト様が不機嫌そうに封筒を投げ出した。 そこには、見覚えのある王家の紋章。 そして、レイモンド殿下の乱雑な筆跡で、こう書かれていた。
『我が国の罪人、コーデリア・エバハートを即刻返還せよ。さもなくば、これを帝国による誘拐とみなし、相応の措置をとる』
返還。 物のように、私を返せと言っている。 追放しておきながら。 おそらく、私が不在になったことで不都合が生じ始めたのだろう。
ジークハルト様の瞳から、春の温かさが消え、絶対零度の殺気が宿った。
「……ほう。捨てたゴミを、今更返せと言うのか」
彼はナイフを握りしめ、低く唸った。
「面白い。彼らに、真の絶望を教えてやろう。……コーデリア、準備はいいか?」
私は紅茶のカップを置き、静かに微笑んだ。 心臓が、恐怖ではなく武者震いで高鳴っている。
「ええ、もちろんです。彼らが泣いて謝っても、もう遅いということを、数字で証明して差し上げましょう」
反撃の狼煙(のろし)が上がる。 私を虐げた者たちへ。 そして、私を愛してくれたこの人のために。
徹底的な、「ざまぁ」の幕開けだ。
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前述のアマリリス・クライド公爵令嬢は猫目で菫色、銀糸のサラサラ髪を持つ美しい令嬢だ。祖母似の容姿の為、特に父方の祖父母に溺愛されている。
そんな彼女は言葉が通じない婚約者に、些かの疲労感を覚えた。
「ミレイ様のことは覚えがないのですが、お話は両親に伝えますわ。それでは」
彼女(アマリリス)が淑女の礼の最中に、それを見終えることなく歩き出したデバンの足取りは軽やかだった。
(漸くだ。あいつの有責で、やっと婚約解消が出来る。こちらに非がなければ、父上も同意するだろう)
この婚約はデバン・クラッチの父親、グラナス・クラッチ侯爵からの申し込みであった。クライド公爵家はアマリリスの兄が継ぐので、侯爵家を継ぐデバンは嫁入り先として丁度良いと整ったものだった。
カクヨムさん、小説家になろうさんにも載せています。
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