敗戦国の元王子へ 〜私を追放したせいで貴国は我が帝国に負けました。私はもう「敵国の皇后」ですので、頭が高いのではないでしょうか?〜

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第十一話:音を立てて崩れる日常

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王国の終わりの日は、皮肉なほど晴れ渡った青空だった。

王都の中央にそびえ立つ王城。 その最も奥にある玉座の間は、静まり返っていた。 いつものような、貴族たちのへつらい笑いや、グラスが触れ合う音はない。 あるのは、死刑判決を待つ囚人のような、重苦しい沈黙だけだ。

「……負けた、だと?」

玉座に力なく座り込んだ国王――レイモンドの父が、震える声で呟いた。

目の前には、泥だらけになって逃げ帰ってきた伝令兵が、床に額を擦り付けている。

「は、はい……。開戦から、わずか一時間足らずで……我が軍は壊滅いたしました。死者は確認されておりませんが、ほぼ全員が降伏し、捕虜となりました……」

「レイモンドは? 聖女ミナは?」

「両名とも……帝国軍に捕縛されました」

国王の手から、錫杖(しゃくじょう)がカランと音を立てて滑り落ちた。 その乾いた音が、王家という権威が砕け散る音のように響いた。

「馬鹿な……。聖女がいるのだぞ? 神の加護があるはずだろう? なぜ負ける? なぜ帝国如きに……!」

国王は現実を受け入れられず、虚空に向かって問いかけた。 だが、答える者はいない。 側近たちは皆、俯き、あるいは既に逃走ルートを計算し始めていた。

「へ、陛下! 大変です!」

別の兵士が飛び込んでくる。

「市民が! 市民たちが城門に押し寄せています! 『王太子を返せ』ではありません! 『我々も帝国に降伏するから、パンをよこせ』と叫んでいます!」

「な、なんだと……?」

「衛兵たちも、武器を捨てて市民に加勢し始めました! もう城門を維持できません!」

民衆の怒りは、ついに限界を超えたのだ。 敗戦の報は、瞬く間に王都中に広まった。 そして、人々は知ったのだ。 帝国軍に投降すれば、パンと温かいスープがもらえるということを。

もはや、王国への愛国心など、空腹の前には無意味だった。 彼らにとって、飢えさせた王家よりも、腹を満たしてくれた敵国の方が、よほど「正義」だったのだ。

「終わりだ……」

国王は玉座にしがみついた。 ガタガタと震えが止まらない。

「コーデリア……。あの娘を追い出した時から、全てが狂っていたのか……」

今更気づいても、遅すぎた。 窓の外から、怒号のような歓声が聞こえてくる。 城門が破られた音だ。

かつて栄華を誇った王国は、外敵によってではなく、自らの無能さと民の絶望によって、内側から音を立てて崩れ落ちたのである。

     * * *

一方、その頃。 国境から帝都へと続く街道を、一台の馬車が進んでいた。

馬車といっても、貴族が乗るような優雅なものではない。 鉄格子が嵌められた、家畜運搬用の檻(おり)を乗せた荷車だ。

「……痛い。痛いよぉ」

檻の中で、ミナがシクシクと泣いていた。 自慢のピンク色の髪は泥と埃にまみれ、純白だったドレスは見る影もなく薄汚れている。 手首には粗末な縄が食い込み、赤く腫れ上がっていた。

「うるさい! 泣くな!」

その隣で、レイモンドが怒鳴った。 彼もまた、かつての輝きを完全に失っていた。 黄金の鎧は剥ぎ取られ、薄汚れたチュニック一枚。 頬には、ジークハルト陛下に蹴られた際の青あざが痛々しく残っている。

「お前のせいだぞ、ミナ! お前が『聖女の力で勝てる』などと言うから!」

「ひどいっ! レイモンド様だって、『帝国なんて怖くない』って言ったじゃないですかぁ!」

「黙れ! 俺は王太子だぞ! こんな扱い、許されるわけがない!」

レイモンドは鉄格子をガンガンと蹴りつけた。 しかし、檻はびくともしない。 頑丈な帝国製の鋼鉄だ。

「おい御者! 止まれ! 俺を誰だと思っている! 今すぐここから出せ!」

彼は御者台に向かって叫んだ。 だが、御者を務める帝国兵は、振り返りもせずに冷たく言い放った。

「静かにしろ、囚人番号1番。騒ぐなら猿ぐつわを噛ませるぞ」

「しゅ、囚人だと……!?」

「そうだ。お前たちはもう王族でも聖女でもない。我が国の法律を犯し、宣戦布告なき戦争を仕掛けた犯罪者だ。帝都に着くまで、家畜のように大人しくしていろ」

「ぐぬぬ……っ!」

レイモンドは屈辱に顔を歪め、檻の隅にうずくまった。 ガタゴトと車輪が回る音が、体に響く。

皮肉なことに、この揺れは少なかった。 道が良いからだ。

「……なんなんだ、この道は」

レイモンドは舌打ちをした。 王国側の道は穴だらけで、馬車に乗るたびに酔うほど揺れた。 だが、国境を越えて帝国領に入った途端、道は滑らかになり、馬車は滑るように進んでいる。

道路脇には、等間隔で街灯が設置され、整備された排水溝が雪解け水を流している。 すれ違う帝国の馬車は、どれも荷台に物資を満載しており、御者たちの顔色も良い。

「どうして……どうして帝国ばかりこんなに豊かなんだ」

レイモンドは呻いた。 彼は知らなかったのだ。 この道の整備計画を立案し、基礎設計を行ったのが、かつての婚約者コーデリアであったことを。 彼が「地味でつまらない」と切り捨てた書類の中に、この繁栄の設計図があったことを。

「お腹すいたぁ……」

ミナが力なく呟く。

「ねえ、レイモンド様ぁ。何か食べるもの持ってないのぉ?」

「あるわけないだろう! 俺だって昨日の朝から何も食っていないんだ!」

「使えない……」

「あ?」

「あ、ううん! なんでもないですぅ! ……あーあ、コーデリア様がいれば、お菓子くらい持ってたのかなぁ」

「……その名前を出すな」

レイモンドの目つきが鋭くなった。

コーデリア。 あの冷たい女。 可愛げがなく、いつも正論ばかり吐いて、俺を見下していた女。

今頃、どうしているだろうか。 帝国の皇后になったという噂は聞いていたが、信じていなかった。 あんな堅物が、男に愛されるわけがない。 きっと、名ばかりの飾り物として、城の奥で泣いているに違いない。

「そうだ、きっとそうだ」

レイモンドは自分に言い聞かせるようにブツブツと呟いた。

「あいつが俺たちを捕らえたのは、未練があるからだ。俺の気を引きたくて、強がっているだけだ。帝都に着いて会えば、きっと泣いて謝ってくるはずだ。『やっぱり殿下がいい』と」

あまりにも都合の良い妄想。 だが、今の彼にとって、それが唯一の精神安定剤だった。 プライドだけで生きてきた男が、完全な敗北を認めることは、死ぬことよりも恐ろしかったからだ。

「見てろよ、ミナ。帝都に着いたら、すぐに誤解は解ける。俺たちは国賓として迎えられるはずだ」

「ほんとぉ? 美味しいケーキ食べられる?」

「ああ。皇帝だって、一国の王太子を処刑なんて野蛮な真似はできない。外交問題になるからな。適当に謝って、賠償金を払えば済む話だ」

レイモンドはニヤリと笑った。 その顔は、泥にまみれて薄汚れているが、瞳の奥にはまだ「自分は特別だ」という傲慢な光が残っていた。

馬車は進む。 彼らの浅はかな希望を乗せて、処刑台への階段とも知らずに。

     * * *

帝都、帝城のバルコニー。

私、コーデリアは、夕日に染まる街並みを見下ろしていた。 雪は止み、澄んだ空気が街を包んでいる。 家々の煙突からは夕食の準備をする煙が立ち上り、穏やかな日常の風景が広がっていた。

「何を考えている?」

後ろから、ジークハルト様が抱きしめてきた。 彼の体温と、微かな煙草の香りに包まれると、張り詰めていた心が解けていく。

「……王国のことです」

私は正直に答えた。

「今頃、彼らはこの街に向かっているはずです。かつて私が追放された道を、逆に辿って」

「同情するか?」

「いいえ」

私は首を横に振った。

「ただ、不思議なのです。同じ道、同じ空の下なのに、立場が変わればこうも景色が違うものかと」

あの日、私は全てを失い、絶望の中で馬車に揺られていた。 寒くて、孤独で、惨めだった。

でも今は、こうして愛する人の腕の中にいる。 暖かい部屋と、美味しい食事と、やりがいのある仕事がある。

「貴女が勝ち取った景色だ」

ジークハルト様は私の耳元で囁いた。

「貴女が諦めず、その知恵と勇気で運命を切り開いたから、今ここにいる。運や偶然ではない。貴女の実力だ」

「……ありがとうございます」

彼の言葉は、いつも私の心の深い部分を満たしてくれる。

「それに、彼らへの『おもてなし』の準備も万全だ」

彼は悪戯っぽく笑った。

「明後日、彼らが到着する。和平交渉……という名の、公開処刑の場を用意した」

「公開処刑、ですか?」

「ああ。各国の外交官も招待してある。全世界の前で、彼らの愚かさを露呈させ、貴女の正当性を証明する場だ」

陛下は私の手を握り、指先にキスを落とした。

「その日、貴女には最高に美しいドレスを着てもらう。彼らが二度と顔を上げられないほど、圧倒的に美しく、高貴な姿で、彼らを見下ろしてやってくれ」

「……悪趣味ですね、私の旦那様は」

私はクスクスと笑った。 でも、その提案は嫌いではなかった。

「わかりました。では、最高に『頭の高い』皇后を演じて差し上げましょう」

私は振り返り、彼の首に腕を回した。

「でもその前に、今夜は……私を甘やかしてくださいますか? 少し、昔の夢を見てしまって、心細いのです」

それは半分嘘で、半分本当だった。 レイモンドたちのことを考えると、どうしても過去の傷が痛む。 それを塗り替えるほどの、熱い愛が欲しかった。

「望むところだ」

ジークハルト様は私を軽々と抱き上げ、寝室へと歩き出した。

「朝まで離さない。貴女の記憶から、あの愚か者の痕跡が消え去るまで、私の愛で上書きしてやろう」

「ふふっ、期待していますわ」

閉ざされた扉の向こうで、私たちは愛を囁き合った。 来るべき決着の日に向けて、心と体を満たし合うために。

     * * *

二日後。 帝都のメインストリートは、異様な熱気に包まれていた。

「来るぞ! 敗戦国の王子だ!」 「俺たちの皇后様を侮辱した馬鹿者だ!」

沿道を埋め尽くす市民たちが、石や腐った野菜を握りしめて待ち構えている。 彼らは知っているのだ。 自分たちの生活が豊かになったのはコーデリアのおかげであり、その彼女を捨て、さらに戦争を仕掛けてきたのが、これから通る男だということを。

ゴトゴトと、鉄格子の馬車が現れた。

「来たぞー!!」 「帰れ! 恥知らず!」 「殺せー!」

罵声の嵐。 投げつけられる石礫(つぶて)。

「ひいっ! やめて! 痛いっ!」

ミナが悲鳴を上げ、檻の中で逃げ惑う。 腐ったトマトが彼女の顔に命中し、ピンクの髪が赤く汚れる。

「き、貴様ら! 無礼だぞ! 俺は王太子だ!」

レイモンドが檻にしがみつき、叫び返そうとした瞬間、生卵が彼の口の中に飛び込んだ。

「ぐぼっ……!?」

「ざまあみろ!」 「いい気味だ!」

市民たちの嘲笑が、彼らに降り注ぐ。 かつて王都でパレードをした時には、黄色い歓声を浴びていた二人。 今は、憎悪と軽蔑の視線を一身に浴びている。

「どうして……どうしてこんなことに……」

レイモンドは呆然と呟いた。 泥と卵液にまみれたその姿は、もはや王族の威厳など欠片もない。

馬車は、石造りの立派な城門をくぐる。 そこは、かつてコーデリアが連れてこられた場所。 しかし、彼女が通ったときは「希望」への入り口だったが、彼らにとっては「審判」への入り口だった。

謁見の間への長い階段を、鎖に繋がれて歩かされる。 重い足取り。 すれ違う帝国兵たちの冷ややかな視線。

そして、巨大な扉の前に立つ。

「入れ」

衛兵が扉を開け放つ。

まばゆい光が溢れ出した。 シャンデリアの輝き。 居並ぶ各国の要人たち。 その視線の集中砲火。

そして、最奥の玉座に座る、二人の人物。

一人は、漆黒の玉座に座る、魔王のごとき威圧感を放つ銀髪の皇帝。 もう一人は、その隣に寄り添う、この世のものとは思えないほど美しい深紅のドレスを纏った女性。

レイモンドは息を呑んだ。

「……コ、コーデリア……?」

そこにいたのは、彼が知る「地味で可愛げのない女」ではなかった。 圧倒的な気品と、冷ややかな美貌。 そして、彼を虫けらのように見下ろす、絶対的な強者の瞳。

彼女は扇で口元を隠し、優雅に、しかし氷のような声で告げた。

「ようこそ、帝国の法廷へ。……随分とみすぼらしいお姿ですね、元・殿下」

その一言が、レイモンドの、そして王国の完全な終わりの始まりを告げた。
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