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第八章 落星の裂け目
第155話 恐れる精霊、ざわつく大地
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レオナルドを先頭に俺たちは森の北東部、地図にも載らない道なき道へと足を踏み入れた。
豊かな森の領域を抜けた先、風景は一変した。
ねじれた木々が枯れた枝を空に向けて伸ばし、地面はひび割れた赤土が剥き出しになっている。
「……空気が、おかしいわ」
エルンが立ち止まり、杖を握りしめた。
「精霊たちの声が……聞こえます。でも、歌ではない……まるで恐怖に満ちた悲鳴のようです」
彼女が試しに風の魔法を小さく詠唱すると、穏やかな風を呼んだはずの魔力は、一瞬で荒れ狂う竜巻となって木々を薙ぎ、すぐに霧散した。魔法が怯えた精霊たちの影響で暴走しているのだ。
「この地では魔法は使うな。少なくとも、安易にはな」
レオナルドが先にある奇妙な光景を指差した。大地から剥がれた大小の岩が、時が止まったかのように中空に静止している。
「これはエクリプスの影響じゃない。大昔に墜ちた星の残骸が、今もこの地の理を歪めているんだ。精霊たちが怯えているのも、この土地そのものが発する苦痛のせいだろう」
彼は魔力に頼らず、岩肌に残るわずかな傷や、風が削った跡を読み解きながら、重力異常地帯の隙間を縫うように進んでいく。
日が暮れる頃、俺たちは岩陰で野営をすることになった。だが、そこは安息とは程遠い場所だった。
「……火が大きくならない」
ルナが焚き火を見つめてつぶやく。
通常なら赤く燃え上がるはずの炎が、ここでは青白く、頼りなく揺らめいている。熱も弱く、闇を払うにはあまりに心許ない。
「歪んだ磁場のせいだ。ここでは自然の法則すら曖昧になる。……交代で見張りを立てるぞ。眠りすぎると意識ごと歪みに持っていかれる」
レオナルドの警告に俺たちは重くうなずいた。
風の音は呻き声のように聞こえ、地面からは常に微弱な振動が伝わってくる。神経をやすりで削られるような一夜を、俺たちは身を寄せ合って耐え忍んだ。
翌日。疲労を抱えながら進む俺たちを、さらなる異常が襲った。
突如として視界が真っ白に染まったのだ。耳をつんざく轟音の幻聴と、世界が砕け散るような衝撃の幻影。それは大昔にこの地で起こった「落星」の、大地に染み付いた「記憶の残響」だった。
「うわっ……!?」
ルナが頭を抱えてその場にうずくまる。古代の絶望的な恐怖が、鋭敏な彼女の魂に直接流れ込んできたのだ。
「大丈夫だ、ルナ! 俺を見ろ!」
俺はすぐに彼女の肩を抱き、強く呼びかけた。俺の声にルナはハッと我に返り、荒い呼吸を整える。この地は肉体だけでなく、心さえも蝕んでくる。
「……来るぞ」
レオナルドの鋭い声。記憶の残響に揺さぶられた俺たちの前に異形の獣が姿を現した。
黒い水晶のような角を持つ『歪晶獣』。だが、その瞳に宿っていたのは憎悪ではなく、純粋な恐怖だった。この地の異常な環境に当てられ、正気を失い、目に入るものすべてを脅威とみなして襲いかかってくる。
「……かわいそうに」
エルンが悲痛な声を漏らす。
レオナルドが即座に動いた。
「こいつはもう元には戻れん。せめて苦しませずに送ってやるのが慈悲だ!」
彼の二振りの短剣が獣の突進を巧みにいなし、その硬い水晶の体に亀裂を入れる。
「カイン、今だ! 額の核を!」
レオナルドが叫ぶ。
俺は狙いを定め、魔力を集中させた。
「ウンディーヴァよ、蒼き閃光を放ち苦しみを断ち切れ!——蒼閃!」
水の刃が獣の額の核を正確に貫く。歪晶獣は、まるで安堵したかのように静かに崩れ落ち、黒い砂となって風に消えた。
獣の亡骸を弔った後、エルンはその場にうずくまり、黒い砂をそっと手ですくった。
「……この子たちは、ただここにいただけなのに。土地の歪みに巻き込まれて、怪物に変えられてしまった……」
「うん……。この場所が壊れたままだと、またこういう悲しい子たちが生まれちゃうんだよね」
ルナも悲しげに目を伏せる。
俺は二人の肩に手を置いた。
「ああ。だからこそ、俺たちがその元凶を絶つんだ。これ以上、悲しい連鎖を生まないために」
俺たちは再び歩き出し、ついに目的地の「落星の裂け目」を臨む崖の縁に立った。
眼下に広がっていたのは、これまで通ってきた「ざわついた」大地とは対照的な、絶対的な静寂と無が支配する巨大な亀裂だった。
そこでは岩が音もなく浮かび、光さえも歪んで吸い込まれているように見える。
「……なんだ、これは」
俺は思わず息を呑んだ。
肌を刺すような異質な気配。それは過去の落星による傷跡なのか、それとも封じられた「精霊喰い」が漏らす飢餓感なのか。
判別はつかない。だが、そこにあるのは、生物が近づいてはいけない「死」の予感そのものだった。
その底知れぬ闇が俺の魂の芯を直接揺さぶり、心を言いようもなくざわつかせた。
「ここまでは、ただの入り口にすぎん」
レオナルドが険しい顔でつぶやく。
「本当の戦いはここからだ」
豊かな森の領域を抜けた先、風景は一変した。
ねじれた木々が枯れた枝を空に向けて伸ばし、地面はひび割れた赤土が剥き出しになっている。
「……空気が、おかしいわ」
エルンが立ち止まり、杖を握りしめた。
「精霊たちの声が……聞こえます。でも、歌ではない……まるで恐怖に満ちた悲鳴のようです」
彼女が試しに風の魔法を小さく詠唱すると、穏やかな風を呼んだはずの魔力は、一瞬で荒れ狂う竜巻となって木々を薙ぎ、すぐに霧散した。魔法が怯えた精霊たちの影響で暴走しているのだ。
「この地では魔法は使うな。少なくとも、安易にはな」
レオナルドが先にある奇妙な光景を指差した。大地から剥がれた大小の岩が、時が止まったかのように中空に静止している。
「これはエクリプスの影響じゃない。大昔に墜ちた星の残骸が、今もこの地の理を歪めているんだ。精霊たちが怯えているのも、この土地そのものが発する苦痛のせいだろう」
彼は魔力に頼らず、岩肌に残るわずかな傷や、風が削った跡を読み解きながら、重力異常地帯の隙間を縫うように進んでいく。
日が暮れる頃、俺たちは岩陰で野営をすることになった。だが、そこは安息とは程遠い場所だった。
「……火が大きくならない」
ルナが焚き火を見つめてつぶやく。
通常なら赤く燃え上がるはずの炎が、ここでは青白く、頼りなく揺らめいている。熱も弱く、闇を払うにはあまりに心許ない。
「歪んだ磁場のせいだ。ここでは自然の法則すら曖昧になる。……交代で見張りを立てるぞ。眠りすぎると意識ごと歪みに持っていかれる」
レオナルドの警告に俺たちは重くうなずいた。
風の音は呻き声のように聞こえ、地面からは常に微弱な振動が伝わってくる。神経をやすりで削られるような一夜を、俺たちは身を寄せ合って耐え忍んだ。
翌日。疲労を抱えながら進む俺たちを、さらなる異常が襲った。
突如として視界が真っ白に染まったのだ。耳をつんざく轟音の幻聴と、世界が砕け散るような衝撃の幻影。それは大昔にこの地で起こった「落星」の、大地に染み付いた「記憶の残響」だった。
「うわっ……!?」
ルナが頭を抱えてその場にうずくまる。古代の絶望的な恐怖が、鋭敏な彼女の魂に直接流れ込んできたのだ。
「大丈夫だ、ルナ! 俺を見ろ!」
俺はすぐに彼女の肩を抱き、強く呼びかけた。俺の声にルナはハッと我に返り、荒い呼吸を整える。この地は肉体だけでなく、心さえも蝕んでくる。
「……来るぞ」
レオナルドの鋭い声。記憶の残響に揺さぶられた俺たちの前に異形の獣が姿を現した。
黒い水晶のような角を持つ『歪晶獣』。だが、その瞳に宿っていたのは憎悪ではなく、純粋な恐怖だった。この地の異常な環境に当てられ、正気を失い、目に入るものすべてを脅威とみなして襲いかかってくる。
「……かわいそうに」
エルンが悲痛な声を漏らす。
レオナルドが即座に動いた。
「こいつはもう元には戻れん。せめて苦しませずに送ってやるのが慈悲だ!」
彼の二振りの短剣が獣の突進を巧みにいなし、その硬い水晶の体に亀裂を入れる。
「カイン、今だ! 額の核を!」
レオナルドが叫ぶ。
俺は狙いを定め、魔力を集中させた。
「ウンディーヴァよ、蒼き閃光を放ち苦しみを断ち切れ!——蒼閃!」
水の刃が獣の額の核を正確に貫く。歪晶獣は、まるで安堵したかのように静かに崩れ落ち、黒い砂となって風に消えた。
獣の亡骸を弔った後、エルンはその場にうずくまり、黒い砂をそっと手ですくった。
「……この子たちは、ただここにいただけなのに。土地の歪みに巻き込まれて、怪物に変えられてしまった……」
「うん……。この場所が壊れたままだと、またこういう悲しい子たちが生まれちゃうんだよね」
ルナも悲しげに目を伏せる。
俺は二人の肩に手を置いた。
「ああ。だからこそ、俺たちがその元凶を絶つんだ。これ以上、悲しい連鎖を生まないために」
俺たちは再び歩き出し、ついに目的地の「落星の裂け目」を臨む崖の縁に立った。
眼下に広がっていたのは、これまで通ってきた「ざわついた」大地とは対照的な、絶対的な静寂と無が支配する巨大な亀裂だった。
そこでは岩が音もなく浮かび、光さえも歪んで吸い込まれているように見える。
「……なんだ、これは」
俺は思わず息を呑んだ。
肌を刺すような異質な気配。それは過去の落星による傷跡なのか、それとも封じられた「精霊喰い」が漏らす飢餓感なのか。
判別はつかない。だが、そこにあるのは、生物が近づいてはいけない「死」の予感そのものだった。
その底知れぬ闇が俺の魂の芯を直接揺さぶり、心を言いようもなくざわつかせた。
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