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第八章 落星の裂け目
第161話 帰るべき場所へ
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エクリプスの核が砕け散り、そのおぞましい気配は完全に消え去った。
裂け目の底には、ただ静寂だけが残された。だが、それはもはや『無』の静寂ではない。
どこか遠くで風が岩を撫でる音、水滴が滴る音、そして、俺たちの荒い呼吸。
平穏な静けさが還ってきたのだ。
「……ははっ、今回も、しんどかったな」
俺はその場に大の字になって倒れ込んだ。全身の力が抜け、魔力を使い果たした後の虚脱感がどっと押し寄せる。だが、背中に感じる冷たい岩の感触さえも、今は心地よかった。
「カイン!」
ルナが駆け寄り、俺の体に顔をうずめてきた。
「怖かった……! もうダメかと思ったよぉ……!」
震える小さな背中を俺は残った力で優しく撫でた。
「ああ、よく頑張ったな、ルナ。お前の眼があったから勝てたんだ」
「私も……魔力は空っぽですが不思議と心は軽いです」
エルンが、よろめきながらも杖を支えに立ち上がり、穏やかな笑みを向けた。
「精霊たちの声が聞こえます。感謝と喜びの歌が……。アウレリウス様の魂も、ようやく安息を得られたのですね」
視線を向けるとレオナルドは砕けたエクリプスの核があった場所をただじっと見つめていた。その背中からは、もはや以前のような刺々しい気配は消えていた。
彼はふと振り返り、まだへたり込んでいる俺を見て、フッと口の端を吊り上げた。
「……呆れたものだ。あんな土壇場で封印を解くとはな。一歩間違えれば全滅だったぞ」
「結果オーライだろ? それに、あんたが合わせてくれるって信じてたからな」
「……口が減らない男だ」
レオナルドは短剣を鞘に納めると、手を差し伸べてきた。俺はその手を掴み、強く引かれて立ち上がる。
「帰ろう。俺たちの家に」
俺の言葉に仲間たちは満面の笑みでうなずいた。
帰路は行きとは比べ物にならないほど穏やかだった。
元凶が消えたことで、精霊たちの怯えた悲鳴は聞こえてこない。代わりに澄んだ風が頬を優しく撫でていく。
死に絶えていた大地がゆっくりと呼吸を始めているのが分かった。
道中、ルナがレオナルドの隣をとことこと歩きながら顔を覗き込んだ。
「ねぇねぇ、レオナルド! さっきの剣、すっごく速かったね! シュバババッて!」
「……騒がしいぞ。俺はただ、邪魔な触手を斬り払っただけだ」
「ううん、違うよ! エルンが魔法を使うとき、ずっと前に立って守ってたでしょ? ルナ、見てたもん!」
図星を突かれたのか、レオナルドがわずかに視線を泳がせる。
そこへエルンも歩み寄った。
「ルナの言う通りです。あなたが前線を支えてくれたから、私は詠唱に集中できました。……背中を預けられる強さ、心から感謝します」
エルンが深々と頭を下げると、レオナルドはバツが悪そうに頭をかいた。
「……よせ。礼を言われるようなことじゃない。お前の魔法がなければ、あの化け物は倒せなかった。……見事だった」
不器用な称賛。だが、その言葉を聞いたエルンは花が咲くように嬉しそうに微笑んだ。
孤高だった彼が、俺たちを「仲間」として認めた瞬間だった。
少し遅れて歩きながら、俺はレオナルドに話しかけた。
「……レオナルド。改めて礼を言う。あんたがいなければ辿り着くことさえできなかった」
「ふん……。俺は俺の役目を果たしただけだ」
相変わらずのぶっきらぼうな返事。だが、その横顔はどこか憑き物が落ちたように晴れやかだった。
「それに、礼を言うべきは俺の方かもしれん」
「どういう意味だ?」
「ヴィンドールが放棄した責務、そして、我がヴァルディス一族が遺した汚名……。それらをあんたは清算して見せた」
レオナルドは立ち止まり、俺を真っ直ぐに見据えた。
「異界から来た正体も知れん男。それが、この森の誰よりも賢者らしいことをやってのけた。……皮肉なものだ」
彼の言葉には複雑な感情が入り混じっていた。尊敬、安堵、そして、ほんの少しの嫉妬。
「俺はまだ、あんたの全てを信じたわけじゃない。だが……あんたの成すこと、その隣で戦うことには、価値がある。それはこの剣が知っている」
そう言って、彼は自身の短剣の柄を一度だけ強く握りしめた。
俺と彼の間に、戦友としての言葉にはならない絆が生まれた瞬間だった。
***
数日後、俺たちはついにエルフェンリートの森の入り口へと帰還した。豊かな緑の匂い、精霊たちの優しい歌声が俺たちを包み込む。
「……帰ってきたんだわ」
エルンが瞳に涙を浮かべてつぶやいた。ルナも大きく伸びをして、深呼吸をしている。
その時、森の見張りについていた斥候の一人が、俺たちの姿に気づき、目を見開いた。
「……か、カイン様!? 皆様、ご無事で……!」
彼は慌てて森の奥へと駆け出していった。
「賢者が……賢者カイン様がお戻りになられたぞー!」
その声が静かだった森に新たなざわめきを広げていく。
俺はそのざわめきをどこか心地よく感じながら、仲間たちと顔を見合わせて笑った。
これから長老会への報告や保守派との対立など、面倒なことが山ほど待っているだろう。
だが、今はただ、この帰還を喜びたかった。
守るべき仲間と、帰るべき場所が、ここにはあるのだから。
裂け目の底には、ただ静寂だけが残された。だが、それはもはや『無』の静寂ではない。
どこか遠くで風が岩を撫でる音、水滴が滴る音、そして、俺たちの荒い呼吸。
平穏な静けさが還ってきたのだ。
「……ははっ、今回も、しんどかったな」
俺はその場に大の字になって倒れ込んだ。全身の力が抜け、魔力を使い果たした後の虚脱感がどっと押し寄せる。だが、背中に感じる冷たい岩の感触さえも、今は心地よかった。
「カイン!」
ルナが駆け寄り、俺の体に顔をうずめてきた。
「怖かった……! もうダメかと思ったよぉ……!」
震える小さな背中を俺は残った力で優しく撫でた。
「ああ、よく頑張ったな、ルナ。お前の眼があったから勝てたんだ」
「私も……魔力は空っぽですが不思議と心は軽いです」
エルンが、よろめきながらも杖を支えに立ち上がり、穏やかな笑みを向けた。
「精霊たちの声が聞こえます。感謝と喜びの歌が……。アウレリウス様の魂も、ようやく安息を得られたのですね」
視線を向けるとレオナルドは砕けたエクリプスの核があった場所をただじっと見つめていた。その背中からは、もはや以前のような刺々しい気配は消えていた。
彼はふと振り返り、まだへたり込んでいる俺を見て、フッと口の端を吊り上げた。
「……呆れたものだ。あんな土壇場で封印を解くとはな。一歩間違えれば全滅だったぞ」
「結果オーライだろ? それに、あんたが合わせてくれるって信じてたからな」
「……口が減らない男だ」
レオナルドは短剣を鞘に納めると、手を差し伸べてきた。俺はその手を掴み、強く引かれて立ち上がる。
「帰ろう。俺たちの家に」
俺の言葉に仲間たちは満面の笑みでうなずいた。
帰路は行きとは比べ物にならないほど穏やかだった。
元凶が消えたことで、精霊たちの怯えた悲鳴は聞こえてこない。代わりに澄んだ風が頬を優しく撫でていく。
死に絶えていた大地がゆっくりと呼吸を始めているのが分かった。
道中、ルナがレオナルドの隣をとことこと歩きながら顔を覗き込んだ。
「ねぇねぇ、レオナルド! さっきの剣、すっごく速かったね! シュバババッて!」
「……騒がしいぞ。俺はただ、邪魔な触手を斬り払っただけだ」
「ううん、違うよ! エルンが魔法を使うとき、ずっと前に立って守ってたでしょ? ルナ、見てたもん!」
図星を突かれたのか、レオナルドがわずかに視線を泳がせる。
そこへエルンも歩み寄った。
「ルナの言う通りです。あなたが前線を支えてくれたから、私は詠唱に集中できました。……背中を預けられる強さ、心から感謝します」
エルンが深々と頭を下げると、レオナルドはバツが悪そうに頭をかいた。
「……よせ。礼を言われるようなことじゃない。お前の魔法がなければ、あの化け物は倒せなかった。……見事だった」
不器用な称賛。だが、その言葉を聞いたエルンは花が咲くように嬉しそうに微笑んだ。
孤高だった彼が、俺たちを「仲間」として認めた瞬間だった。
少し遅れて歩きながら、俺はレオナルドに話しかけた。
「……レオナルド。改めて礼を言う。あんたがいなければ辿り着くことさえできなかった」
「ふん……。俺は俺の役目を果たしただけだ」
相変わらずのぶっきらぼうな返事。だが、その横顔はどこか憑き物が落ちたように晴れやかだった。
「それに、礼を言うべきは俺の方かもしれん」
「どういう意味だ?」
「ヴィンドールが放棄した責務、そして、我がヴァルディス一族が遺した汚名……。それらをあんたは清算して見せた」
レオナルドは立ち止まり、俺を真っ直ぐに見据えた。
「異界から来た正体も知れん男。それが、この森の誰よりも賢者らしいことをやってのけた。……皮肉なものだ」
彼の言葉には複雑な感情が入り混じっていた。尊敬、安堵、そして、ほんの少しの嫉妬。
「俺はまだ、あんたの全てを信じたわけじゃない。だが……あんたの成すこと、その隣で戦うことには、価値がある。それはこの剣が知っている」
そう言って、彼は自身の短剣の柄を一度だけ強く握りしめた。
俺と彼の間に、戦友としての言葉にはならない絆が生まれた瞬間だった。
***
数日後、俺たちはついにエルフェンリートの森の入り口へと帰還した。豊かな緑の匂い、精霊たちの優しい歌声が俺たちを包み込む。
「……帰ってきたんだわ」
エルンが瞳に涙を浮かべてつぶやいた。ルナも大きく伸びをして、深呼吸をしている。
その時、森の見張りについていた斥候の一人が、俺たちの姿に気づき、目を見開いた。
「……か、カイン様!? 皆様、ご無事で……!」
彼は慌てて森の奥へと駆け出していった。
「賢者が……賢者カイン様がお戻りになられたぞー!」
その声が静かだった森に新たなざわめきを広げていく。
俺はそのざわめきをどこか心地よく感じながら、仲間たちと顔を見合わせて笑った。
これから長老会への報告や保守派との対立など、面倒なことが山ほど待っているだろう。
だが、今はただ、この帰還を喜びたかった。
守るべき仲間と、帰るべき場所が、ここにはあるのだから。
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