悪役令嬢まさかの『家出』

にとこん。

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29話

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「ねぇ、知ってる? 最近、帝都に現れる“風の巫女”の話……!」

「ええ、“神の旅人”とも、“迷い姫”とも呼ばれてるらしいわ。  
歩くだけで花が咲いて、盗賊が改心して、落ち込んだ兵士が笑顔になるんですって」

「この前なんか、舞踏会の主賓になったって……しかも迷い込んだだけで!」

「婚約破棄寸前の貴族の恋仲を救ったって話も聞いたわ。たった一言で……“信じて待つ”、だっけ?」

「聞いた聞いた。市場では、彼女が一度通った店が三日連続で大繁盛だったとか……!」

「牢屋の看守が結婚式で泣きながら感謝したって噂もあるわね。  
あと、猫を肩に乗せているってところも、“神獣を連れた聖者”っぽくて最高!」

そんな声が、今、帝都中のあちこちでささやかれていた。  
貴族の社交界から、下町の露店まで、皆が口々に語る“謎の令嬢”。

誰も名前を知らず、誰も彼女の素性を知らない。

ただ、白い日傘と花の香りと、猫の鳴き声を思い出す。

「神の使いか、はたまた伝説の聖女か……いずれにしても、我が家の前も通ってほしいものだな」

「風が吹けば、彼女が来ると……」

そして、いつしか帝国の新聞には、こう記されるようになった。

【“神の旅人”ルゥナ・フェリシェ嬢、次はどこへ向かわれるのか】  
【民衆の祈りと共に動く“風”の行方を追う】

しかし、当の本人は――

「……道が分かれましたわね。右か左か……いえ、風が左へ吹いておりますわ。そちらへまいりましょう」

地図も持たず、案内もなく、ただ“風”の向くままに歩いていただけだった。

「猫さん、今日はどんな方と出会えるかしら。楽しみですわね」

その柔らかな声に、猫が小さく鳴いて応える。  
彼女の歩いた後に、誰かの笑顔と、ほんの少しの希望が残る。

けれど――

その足取りが、ただの迷子の旅路であると知っている者は、未だ誰ひとりとして存在しなかった。
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