悪役令嬢まさかの『家出』

にとこん。

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43話

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帝都中心部の離宮にて。  
午後の陽射しが差し込むサロンで、ルゥナ=フェリシェは丁寧に折られた文書を受け取っていた。  
上質な羊皮紙に金の封蝋。差出人は、帝国北部を治める名門、クラウゼン公爵家。

その文面にはこうあった。

──ルゥナ=フェリシェ嬢に対し、我が家嫡男フリードリヒとの縁談を求める。  
帝国の未来と、平和の象徴として、この政略は誠に有意義なものであると自負する──

封を開いた瞬間、ルゥナは小さく首を傾げた。  
猫がひざに乗り、手紙の隙間から覗き込んでくる。

「まあ、丁寧なご提案ですわね。けれど……」

ルゥナは文書をそっと脇に置き、紅茶に口をつけた。

「結構ですわ。焼き菓子の方が、今のわたくしには好みですの」

そうして特に誰に聞かせるでもなく、微笑んで答えた。

その断りの返事が、正式に公爵家へ届いたのは、数日後のこと。

そして翌朝から、帝国中枢はざわつき始めた。

「クラウゼン家が、祝福の巫女に断られた……!?」

「いや、それだけではない。  
断られた上で、何の言い訳もなかったそうだ。“焼き菓子の方が好み”とだけ……」

「なんと……! これはもう、“寵愛拒絶”どころの話ではない!」

話は瞬く間に貴族社会を駆け巡り、  
ルゥナ=フェリシェを巡る“誰が手中に収めるか”という静かな戦争が幕を開けた。

彼女がただの令嬢であったならば、それほどの混乱は起きなかっただろう。  
だが今の彼女は、“風の巫女”“神の旅人”“帝国の宝”とされる存在。

彼女の隣に立つ者は、帝国内で“風を味方につけた”と見なされる。  
すなわち、それは未来の政治構造すら左右する一手と見做されてしまったのだ。

「我が家の三男にも縁を……!」

「いや、うちは次期大司教候補と繋ぎたい!」

「まずは“焼き菓子を極めた家”の称号を得るべきだ!」

貴族たちは真剣だった。  
そして狂騒はやがて、“ルゥナに最もふさわしい家門はどこか”という帝国内の論争にまで発展し始めた。

その間にも、ルゥナ本人はというと――  
とある村の菓子屋で、猫と共にクリームの味比べをしていた。

「……やはり、こちらの方が空気が軽やかでございますわね。  
あまり甘すぎず、香りが上品ですもの」

近くで耳をそばだてていた若者が、メモを取る。  
それを報告された首都の某家元が、その菓子職人を引き抜きに動く。

全ての発端は、ひとこと。

──結構ですわ。

それだけだった。  
だが、その優雅な否定は、帝国の重心を静かにずらし始めていた。  
誰が彼女の隣に立つか。誰が“風”を掴むか。

知らぬ間に政変は始まり、そして令嬢は、今日も風の気まぐれを胸いっぱいに吸い込んでいた。
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