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45話
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帝国軍本部の執務室。
そこには常に沈着で知られる男がいた。
黒髪を後ろに束ね、無駄のない動きで剣と言葉を操る帝国騎士団長、リヒャルト=ヴァイスベルク。
その日も変わらず、彼は静かに机に向かっていた。
だが、その筆先は戦況報告書でも命令文でもない。
羊皮紙の中央に、まっすぐ綴られていたのは、たったひとつの思いだった。
──貴女の歩む風に、私は何度心を持っていかれたか数えきれません。
笑顔が花を咲かせ、言葉が剣を鈍らせる貴女に、ただ一度だけ、名を呼ばれたいと願ってしまった私は――
彼は、己の不器用さを誰より理解していた。
だからこそ、想いを告げる言葉など、剣より難しく、戦より遠い。
「……こんなもの、渡せるわけがない」
自嘲気味に言い捨てて、机の上に置いた紙を束ねたその瞬間。
春風が窓を抜け、書きかけの一枚をさらってゆく。
「……あっ――!」
手を伸ばす間もなく、恋文は宙に舞い、
騎士団長の手をすり抜けて帝都の空へ踊り出た。
*
その頃、ルゥナ=フェリシェは、石畳の広場に面した小さなカフェで、紅茶と一緒にレモンの焼き菓子を楽しんでいた。
「今日の風は、少し甘い香りが混ざっておりますわね。
あら、猫さん、そちらはミルクの方ですのよ」
ふと風が舞い上がり、彼女の帽子のリボンがふわりと浮く。
その内側に、一枚の羊皮紙がするりと滑り込んだ。
「……まあ、何かしら?」
そっと取り出して広げてみれば、詩のような文が目に入った。
――“笑顔が花を咲かせ、言葉が剣を鈍らせる貴女に”――
ルゥナは数行目を追い、紅茶をひと口含んでから、くすりと笑った。
「かわいい詩ですわね。ちょっと古風な言い回しも、乙女心をくすぐりますわ」
そのまま紙を折り畳み、紅茶の下に敷いた。
ほんの少し、カップの底が湿らせて、淡いシミができる。
「詩に香りがつきましたわ。こういうの、記念に取っておくと面白いのですのよ」
騎士団長の秘めたる想いは、紅茶とレモンと風の香りと共に、
その日の午後の空気の中に優しく溶けていった。
*
数日後、彼女が紅茶を嗜んでいたカフェには、
「ルゥナ様に詩を届けた店」として訪れる客が倍増し、
店主は思わず鼻をすすりながらこう呟いた。
「……風って、本当に不思議なもんだな」
誰も知らぬところで、愛は舞い、香りをまとい、そしてそっと記憶に残る。
それがルゥナと風の歩く、この国の日常だった。
そこには常に沈着で知られる男がいた。
黒髪を後ろに束ね、無駄のない動きで剣と言葉を操る帝国騎士団長、リヒャルト=ヴァイスベルク。
その日も変わらず、彼は静かに机に向かっていた。
だが、その筆先は戦況報告書でも命令文でもない。
羊皮紙の中央に、まっすぐ綴られていたのは、たったひとつの思いだった。
──貴女の歩む風に、私は何度心を持っていかれたか数えきれません。
笑顔が花を咲かせ、言葉が剣を鈍らせる貴女に、ただ一度だけ、名を呼ばれたいと願ってしまった私は――
彼は、己の不器用さを誰より理解していた。
だからこそ、想いを告げる言葉など、剣より難しく、戦より遠い。
「……こんなもの、渡せるわけがない」
自嘲気味に言い捨てて、机の上に置いた紙を束ねたその瞬間。
春風が窓を抜け、書きかけの一枚をさらってゆく。
「……あっ――!」
手を伸ばす間もなく、恋文は宙に舞い、
騎士団長の手をすり抜けて帝都の空へ踊り出た。
*
その頃、ルゥナ=フェリシェは、石畳の広場に面した小さなカフェで、紅茶と一緒にレモンの焼き菓子を楽しんでいた。
「今日の風は、少し甘い香りが混ざっておりますわね。
あら、猫さん、そちらはミルクの方ですのよ」
ふと風が舞い上がり、彼女の帽子のリボンがふわりと浮く。
その内側に、一枚の羊皮紙がするりと滑り込んだ。
「……まあ、何かしら?」
そっと取り出して広げてみれば、詩のような文が目に入った。
――“笑顔が花を咲かせ、言葉が剣を鈍らせる貴女に”――
ルゥナは数行目を追い、紅茶をひと口含んでから、くすりと笑った。
「かわいい詩ですわね。ちょっと古風な言い回しも、乙女心をくすぐりますわ」
そのまま紙を折り畳み、紅茶の下に敷いた。
ほんの少し、カップの底が湿らせて、淡いシミができる。
「詩に香りがつきましたわ。こういうの、記念に取っておくと面白いのですのよ」
騎士団長の秘めたる想いは、紅茶とレモンと風の香りと共に、
その日の午後の空気の中に優しく溶けていった。
*
数日後、彼女が紅茶を嗜んでいたカフェには、
「ルゥナ様に詩を届けた店」として訪れる客が倍増し、
店主は思わず鼻をすすりながらこう呟いた。
「……風って、本当に不思議なもんだな」
誰も知らぬところで、愛は舞い、香りをまとい、そしてそっと記憶に残る。
それがルゥナと風の歩く、この国の日常だった。
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