悪役令嬢まさかの『家出』

にとこん。

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48話

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帝都宮殿、玉座の間。  
朝陽の差し込む厳かな空間に、重く響いたのは皇帝ヴィクトールの一言だった。

「……彼女を、嫁に迎えよ」

その言葉に、場に居合わせた廷臣たちは一瞬時を止めた。  
そして、次の瞬間にはあらゆる方向からざわめきが噴き出す。

「い、いま陛下は、“彼女”と仰ったか……?」

「まさか……あの、“迷いの姫”のことか……?」

「ついに公然と……っ! これは勅命か、寵愛か、それとも政略か……!」

だが、皇帝の横顔には政略の色も情の影もなかった。  
ただ静かに、愉快そうに目を細めていただけだった。

「理由などいらぬ。面白い者は、手元に置いておきたい。それだけだ」

その一言が、すべてを決定づけた。  
帝国史上初めて、“家出令嬢”が皇帝の命によって正式な婚姻候補として選ばれたのである。

貴族社会は沸き立った。  
貴族令嬢たちは一斉に鏡の前で髪型を整え、  
青年将校たちは日誌に“ルゥナ嬢の言葉録”を書き写す。  
神殿までもが、「これは聖婚の兆しでは」と預言書を引っ張り出す始末だった。

新聞の見出しは各地で踊った。

“風の巫女、皇帝の妃に?”  
“政略を超えた恋か、信仰か――迷い姫の行方”  
“祝福が婚姻を導く時代、到来”

だが――

当の本人はというと、  
とある丘のパン屋の裏庭で、帽子を押さえながらクロワッサンを頬張っていた。

「……え? 嫁? どなたがですの?」

使者の言葉にきょとんと首を傾げる。

「“ルゥナ=フェリシェ嬢を、皇帝の后候補として迎える”……ということでして……」

「まあ、そういえば似たようなお名前の方に、パンを差し上げたことがありましたかしら……?」

「い、いえ、あの、それはお嬢様ご自身の……!」

「わたくしが、ですの? ……お茶はこぼしておりませんでしたわよね?」

焦る使者を前に、ルゥナはあくまで優雅に、状況を理解する素振りもなくパンをもう一口。

「それに、わたくし、次は海沿いの街で焼きたての貝菓子を試してみたいと思っておりますの。  
嫁入りのお話は、そのあとでもよろしいのではなくて?」

その一言が、また帝国中に火をつけた。

“女神はまだ風の中にいる”  
“この婚姻は、祝福の巡礼の果てに成るべし”  
“次なる聖地はどこだ”

貴族も民も兵も、すでに“皇帝の命”を遥かに超えて、彼女の一挙一動に意味を見出し始めていた。

だが、唯一意味など求めず、ただパンを楽しんでいる者がいた。  
それこそが、すべての中心にある本人――ルゥナ=フェリシェ。

「猫さん、やっぱりクロワッサンには風が似合いますわね」

その声に、丘の風がやさしく揺れた。  
皇帝の命すら、紅茶の香りに紛れてしまうほど、彼女は今日も自由だった。
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