48 / 70
49話
しおりを挟む
帝都で最も賑わう月、収穫と祝福を讃える帝国最大の祭典「金陽祭」が始まった。
通りは花と旗で埋め尽くされ、広場には屋台と劇団、音楽隊がひしめき合う。
人々は踊り、唄い、笑い、そして――今年最も注目を集めていたのは、祝祭三日目に催される“祝福劇”だった。
例年、この舞台の主役には英雄や女神を演じる俳優が選ばれる。
だが今年、その座を与えられたのは、俳優ではなかった。
招かれたのは、紅茶と迷子と天然を愛する、ひとりの令嬢――ルゥナ=フェリシェ。
「……ええと、わたくし、本日はただお菓子を買いに参っただけなのですけれど……?」
劇場裏の控え室。
ルゥナはふんわりとしたドレス姿のまま、手に持った紙を不思議そうに眺めていた。
それは脚本だったが、彼女にはまったく意味が分からない。というのも、彼女自身が演じることなど、聞かされていなかったからだ。
「“風を導く者、天より舞い降りし者”……まあ、詩的ではございますけれど、これはどなたの台詞なのでしょう?」
「……お嬢様のものでございます」
慌てて駆け寄る劇団員が深々と頭を下げた。
聞けば、“帝国の祝福たる存在に、そのままの姿で登壇いただきたい”という皇帝の勅命だという。
つまり、台本も演技指導も意味をなさなかった。
ただ、舞台に立ってくれればいい。歩くだけで、話すだけで、それが劇になるのだと。
「……そういうものでございますの?」
観念したようにルゥナは帽子を脱ぎ、猫を椅子の上にそっと乗せる。
「でしたら、少しだけご期待に添ってみましょうか」
そして夕刻。
満員となった大劇場の中心に、黄金の光を受けながら、ルゥナは舞台へと足を踏み出した。
歓声が一斉に沸き起こる。
その空気に気圧されることなく、ルゥナは歩く。
花道を抜け、観客を見回し、にっこりと微笑んだ。
「皆さま、ごきげんよう。お足元にはお気をつけくださいませ。わたくし、先ほど楽屋で紅茶をこぼしてしまいましたの」
爆笑が巻き起こった。
次に出てきたのは、戦に傷ついた兵士の役者だった。
彼が重い声で「女神よ、我に祝福を」と叫ぶと――
「まあ、お痛みがあるのですね。では、こちらの花を。わたくし、途中で摘んだものでございますのよ」
ルゥナが差し出したのは、舞台袖で偶然見つけた名もなき草花。
だが、その自然な一挙一動が観客の心を捉えた。
台詞ではない。演技でもない。
ただ、“そこにいる”という事実が、舞台を物語に変えていく。
劇中で起こる奇跡も、平和も、再会も――
彼女が一言添えるだけで、なぜか本物に見える。
まるで、その瞬間だけ、世界が本当に優しく変わっていくようだった。
役者たちは即興に必死でついていき、
観客は笑いと涙に揺れ、
ついには立ち上がって拍手を送る者が現れ始めた。
そして、幕が降りたとき。
皇帝ヴィクトールは立ち上がり、静かに手を打った。
それは、皇帝が公の場で示す最大の敬意――拍手喝采だった。
「……面白い。あれこそ、劇の神髄だ」
劇場の外は、夜の風が穏やかに吹いていた。
ルゥナは控え室に戻り、帽子のリボンを結び直しながら、ひとこと。
「……劇というより、なんだか大きなお茶会でしたわね」
その呟きが、帝国中に“伝説の即興劇”として広まるとは、まだ誰も知らなかった。
通りは花と旗で埋め尽くされ、広場には屋台と劇団、音楽隊がひしめき合う。
人々は踊り、唄い、笑い、そして――今年最も注目を集めていたのは、祝祭三日目に催される“祝福劇”だった。
例年、この舞台の主役には英雄や女神を演じる俳優が選ばれる。
だが今年、その座を与えられたのは、俳優ではなかった。
招かれたのは、紅茶と迷子と天然を愛する、ひとりの令嬢――ルゥナ=フェリシェ。
「……ええと、わたくし、本日はただお菓子を買いに参っただけなのですけれど……?」
劇場裏の控え室。
ルゥナはふんわりとしたドレス姿のまま、手に持った紙を不思議そうに眺めていた。
それは脚本だったが、彼女にはまったく意味が分からない。というのも、彼女自身が演じることなど、聞かされていなかったからだ。
「“風を導く者、天より舞い降りし者”……まあ、詩的ではございますけれど、これはどなたの台詞なのでしょう?」
「……お嬢様のものでございます」
慌てて駆け寄る劇団員が深々と頭を下げた。
聞けば、“帝国の祝福たる存在に、そのままの姿で登壇いただきたい”という皇帝の勅命だという。
つまり、台本も演技指導も意味をなさなかった。
ただ、舞台に立ってくれればいい。歩くだけで、話すだけで、それが劇になるのだと。
「……そういうものでございますの?」
観念したようにルゥナは帽子を脱ぎ、猫を椅子の上にそっと乗せる。
「でしたら、少しだけご期待に添ってみましょうか」
そして夕刻。
満員となった大劇場の中心に、黄金の光を受けながら、ルゥナは舞台へと足を踏み出した。
歓声が一斉に沸き起こる。
その空気に気圧されることなく、ルゥナは歩く。
花道を抜け、観客を見回し、にっこりと微笑んだ。
「皆さま、ごきげんよう。お足元にはお気をつけくださいませ。わたくし、先ほど楽屋で紅茶をこぼしてしまいましたの」
爆笑が巻き起こった。
次に出てきたのは、戦に傷ついた兵士の役者だった。
彼が重い声で「女神よ、我に祝福を」と叫ぶと――
「まあ、お痛みがあるのですね。では、こちらの花を。わたくし、途中で摘んだものでございますのよ」
ルゥナが差し出したのは、舞台袖で偶然見つけた名もなき草花。
だが、その自然な一挙一動が観客の心を捉えた。
台詞ではない。演技でもない。
ただ、“そこにいる”という事実が、舞台を物語に変えていく。
劇中で起こる奇跡も、平和も、再会も――
彼女が一言添えるだけで、なぜか本物に見える。
まるで、その瞬間だけ、世界が本当に優しく変わっていくようだった。
役者たちは即興に必死でついていき、
観客は笑いと涙に揺れ、
ついには立ち上がって拍手を送る者が現れ始めた。
そして、幕が降りたとき。
皇帝ヴィクトールは立ち上がり、静かに手を打った。
それは、皇帝が公の場で示す最大の敬意――拍手喝采だった。
「……面白い。あれこそ、劇の神髄だ」
劇場の外は、夜の風が穏やかに吹いていた。
ルゥナは控え室に戻り、帽子のリボンを結び直しながら、ひとこと。
「……劇というより、なんだか大きなお茶会でしたわね」
その呟きが、帝国中に“伝説の即興劇”として広まるとは、まだ誰も知らなかった。
73
あなたにおすすめの小説
逆行したので運命を変えようとしたら、全ておばあさまの掌の上でした
ひとみん
恋愛
夫に殺されたはずなのに、目覚めれば五才に戻っていた。同じ運命は嫌だと、足掻きはじめるクロエ。
なんとか前に死んだ年齢を超えられたけど、実は何やら祖母が裏で色々動いていたらしい。
ザル設定のご都合主義です。
最初はほぼ状況説明的文章です・・・
病弱を装う王女ですが、弟の未来のためならどんな手でも使います【完結】
藤原遊
恋愛
病弱な王女として生きてきたけれど、実は転生者。
この世界は、私が前世で読んだ小説の中――そして、弟こそが私の“推し”だった。
本来なら、彼は若くして裏切られ、命を落とす未来。
そんなの、見過ごせるわけない。
病弱を装いながら、私は政敵を操り、戦争を避け、弟の道を整えていく。
そして、弟が王になった時。
「姉さんは、ずっと僕のそばにいて」
囲われることも、支配されることも、甘い囁きも……本望だった。
禁忌の距離で紡がれる、姉弟×謀略×溺愛の異世界転生譚。
拾った指輪で公爵様の妻になりました
奏多
恋愛
結婚の宣誓を行う直前、落ちていた指輪を拾ったエミリア。
とっさに取り替えたのは、家族ごと自分をも売り飛ばそうと計画している高利貸しとの結婚を回避できるからだ。
この指輪の本当の持ち主との結婚相手は怒るのではと思ったが、最悪殺されてもいいと思ったのに、予想外に受け入れてくれたけれど……?
「この試験を通過できれば、君との結婚を継続する。そうでなければ、死んだものとして他国へ行ってもらおうか」
公爵閣下の19回目の結婚相手になったエミリアのお話です。
元王太子妃候補、現王宮の番犬(仮)
モンドール
恋愛
伯爵令嬢ルイーザは、幼い頃から王太子妃を目指し血の滲む努力をしてきた。勉学に励み、作法を学び、社交での人脈も作った。しかし、肝心の王太子の心は射止められず。
そんな中、何者かの手によって大型犬に姿を変えられてしまったルイーザは、暫く王宮で飼われる番犬の振りをすることになり──!?
「わん!」(なんでよ!)
(『小説家になろう』にも同一名義で投稿しています。)
虐げられ続けてきたお嬢様、全てを踏み台に幸せになることにしました。
ラディ
恋愛
一つ違いの姉と比べられる為に、愚かであることを強制され矯正されて育った妹。
家族からだけではなく、侍女や使用人からも虐げられ弄ばれ続けてきた。
劣悪こそが彼女と標準となっていたある日。
一人の男が現れる。
彼女の人生は彼の登場により一変する。
この機を逃さぬよう、彼女は。
幸せになることに、決めた。
■完結しました! 現在はルビ振りを調整中です!
■第14回恋愛小説大賞99位でした! 応援ありがとうございました!
■感想や御要望などお気軽にどうぞ!
■エールやいいねも励みになります!
■こちらの他にいくつか話を書いてますのでよろしければ、登録コンテンツから是非に。
※一部サブタイトルが文字化けで表示されているのは演出上の仕様です。お使いの端末、表示されているページは正常です。
婚約破棄を希望しておりますが、なぜかうまく行きません
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のオニキスは大好きな婚約者、ブラインから冷遇されている事を気にして、婚約破棄を決意する。
意気揚々と父親に婚約破棄をお願いするが、あっさり断られるオニキス。それなら本人に、そう思いブラインに婚約破棄の話をするが
「婚約破棄は絶対にしない!」
と怒られてしまった。自分とは目も合わせない、口もろくにきかない、触れもないのに、どうして婚約破棄を承諾してもらえないのか、オニキスは理解に苦しむ。
さらに父親からも叱責され、一度は婚約破棄を諦めたオニキスだったが、前世の記憶を持つと言う伯爵令嬢、クロエに
「あなたは悪役令嬢で、私とブライン様は愛し合っている。いずれ私たちは結婚するのよ」
と聞かされる。やはり自分は愛されていなかったと確信したオニキスは、クロエに頼んでブラインとの穏便な婚約破棄の協力を依頼した。
クロエも悪役令嬢らしくないオニキスにイライラしており、自分に協力するなら、婚約破棄出来る様に協力すると約束する。
強力?な助っ人、クロエの協力を得たオニキスは、クロエの指示のもと、悪役令嬢を目指しつつ婚約破棄を目論むのだった。
一方ブラインは、ある体質のせいで大好きなオニキスに触れる事も顔を見る事も出来ずに悩んでいた。そうとは知らず婚約破棄を目指すオニキスに、ブラインは…
婚約破棄をしたい悪役令嬢?オニキスと、美しい見た目とは裏腹にド変態な王太子ブラインとのラブコメディーです。
引きこもり少女、御子になる~お世話係は過保護な王子様~
浅海 景
恋愛
オッドアイで生まれた透花は家族から厄介者扱いをされて引きこもりの生活を送っていた。ある日、双子の姉に突き飛ばされて頭を強打するが、目を覚ましたのは見覚えのない場所だった。ハウゼンヒルト神聖国の王子であるフィルから、世界を救う御子(みこ)だと告げられた透花は自分には無理だと否定するが、御子であるかどうかを判断するために教育を受けることに。
御子至上主義なフィルは透花を大切にしてくれるが、自分が御子だと信じていない透花はフィルの優しさは一時的なものだと自分に言い聞かせる。
「きっといつかはこの人もまた自分に嫌悪し離れていくのだから」
自己肯定感ゼロの少女が過保護な王子や人との関わりによって、徐々に自分を取り戻す物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる