悪役令嬢まさかの『家出』

にとこん。

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婚約編

54話

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帝都の南区、ルゥナ=フェリシェが身を寄せている屋敷の応接間には、今日も変わらず“贈り物の山”が届いていた。

朝一番、薔薇の花束が三十束。  
続いて、織り込み香の施された手書きの詩が百編以上。  
香水瓶、宝石、絹の扇子、手作りの焼き菓子に至るまで、帝都の名士や貴族家の若君たちから届く“恋文と献上品”は、もはや一日で処理できる量を優に超えていた。

その中には、正式な婚姻契約書すら含まれており、しかも署名済みであった。

「まあ……皆さま、本当に筆まめでいらっしゃるのね」

応接間の窓辺で、ルゥナは手紙の束を一枚ずつ読みながら、猫の背を撫でていた。  
驚くでもなく、浮かれるでもなく、ただ「丁寧ですわね」と頷くばかり。  
誰の名前を特別に繰り返すこともなく、誰かの文に目を留める様子もない。

そして、その“返答方法”がまた、前代未聞だった。

「皆さまに、お返事として紅茶をお届けいたしましょう。  
きっと、お手紙には温かいお茶が似合いますわ」

そう言って、屋敷の給仕に指示したのは――  
それぞれの贈り主宛に、ルゥナ自身が選んだ茶葉と手紙の束を同封すること。  
ただし手紙の中身は、“ご丁寧なお便りをありがとうございます”の一文と紅茶の淹れ方のみ。

結果、帝都中の貴族邸に“香り高き返答”が届く事態となった。

ある者は感激し、ある者は混乱した。

「こ、これは……つまり“温かい気持ちで見守っております”という意味なのか?」  
「いや、逆に“湯気のように消えてください”の暗喩かもしれない……!」

「この紅茶の種類……まさか、“友人止まり”の暗号……?」

推測と解釈が錯綜するなか、“ルゥナ紅茶学派”なる一派まで生まれ、各茶葉の品種や香りが何の感情を意味するかを研究する奇妙な学問が立ち上がってしまう。

一方、ルゥナ本人はといえば――

「お返事がすぐ届くと、皆さま安心なさるでしょう?  
それに、紅茶って言葉よりずっと正直ですもの」

そんなことを言いながら、窓辺の陽だまりでまた一杯、ポットから紅茶を注いでいた。

猫がくしゃみを一つし、ルゥナはその音に目を細めた。

「まあ、お茶が少し冷めましたのね。……では、これも“返事”に添えておきましょうか」

そうしてまた一通、温かい紅茶の香りが帝都の空に溶けていった。  
言葉よりも静かで、しかし確かな余韻を残しながら。
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