私を虐げた人には絶望を ~貧乏令嬢は悪魔と呼ばれる侯爵様と契約結婚する~

香木陽灯

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頬の怪我

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「クラウス! 来てくださったのですね」

 私の顔を見たクラウスの顔が険しくなる。

「怪我をしたのか?」
「ほんの少しだけ。でもそんな大した怪我では……あっ」

 クラウスは、私を庇うようして抱き寄せた。

「お、俺は何もしていない! こいつが勝手に……」

 父の焦った声が、だんだんと小さくなっていく。廊下の方から聞こえる声が大きくなったからだ。

「一体何の騒ぎだ」
「誰が暴れているって?」
「王家主催のパーティーで、なんて下品なの?」
「どこだ? 警備に知らせないと」

 騒ぎの元を探している人々の声が、父を黙らせた。
 クラウスはそんな父の態度をあざ笑うかのように、大きめの声でこう言った。

「子爵、皆の前で本当のことをお話しましょうか?」
「なんだと?」
「あなたとカレンの関係について。リドリー家でのカレンの扱いについて。公表すれば、どんな目で見られるでしょう? 子爵としての地位が危うくなるかもしれませんね?」
「くっ……」

 父は顔をしかめて言葉を詰まらせた。そして私を恨めしそうに睨めつける。

「ひっ……」

 そんな父を見た時、私は悲鳴を上げそうになった。父の顔に驚いたわけではない。
 父の心臓のあたりから、黒いもやのようなものが出ていたからだ。ドロドロとしたそれは、二手に分かれてクラウスの心臓と私のブローチに吸い込まれている。

(これが、クラウス達が言っていた負の感情のエネルギーなの……?)

 恐ろしい光景に思わず逃げ出そうとしたが、クラウスに抱き寄せられているせいで動けない。
 縋るようにクラウスを見ると、金色の瞳がギラギラと光っていた。

「今、大人しく引き下がれば、リドリー家のことは秘密のままにしましょう。どうですか?」
「ふんっ! 若造が調子に乗りやがって。俺はまだこいつの結婚を認めたわけじゃない。いくら成人したって、親の承認がなければ無効にできるんだぞ!」

 父が吐き捨てた途端、黒い靄がより一層濃くなった。よく見ると、それらは母や姉からも出ていた。
 見ているだけで気持ちが悪くなってくる。

(この人達、見えていないの? 自分達からおぞましい物が出ているのに。でも、何故か目が離せない……)

 父がヒートアップすればするほど、クラウスの瞳の光は増していく。その一方でクラウスの口調はずっと冷静だった。

「確かにそうですね。あなたには我々の結婚を無効にする力がある。では、どうすればカレンとの結婚に許可をいただけますか?」
「決まってるだろう? 金だ! 結婚の許可がほしければ金をよこすんだな!」

 父のその言葉を聞いたクラウスは、心底面白そうに喉を鳴らして笑った。

「ふっ、ご自分の立場を理解されていないみたいですね。あまり愚かなことばかり言っていると、全てを失いますよ。……さて、そろそろこの部屋にも人が集まってくる頃ですね」

 その言葉と同時に、部屋の扉が開かれた。
 そしてあっという間に何人もの人達が部屋に入ってきた。

「侯爵! 騒ぎがあったのはここですか?」
「お騒がせして申し訳ありません。どうやら野犬が入り込んだようです。もう追い払いましたからご心配なく」

 皆にそれらしく説明するクラウスの瞳は、もう光ってはいなかった。
 とにかくもう安心だと知った野次馬達は、ガヤガヤと安堵の声や警備に対する非難の声をあげたりしている。

「流石クラウス様ね」
「警備はどうなっているんだ?」
「野犬ですって、恐ろしい……」
「まぁ! カレン様が怪我をしているわ」
 
 気がつくと、また大勢の人に囲まれていた。

(人が多すぎる……あの人達は?)

 あの三人の姿を探したが、すでに人混みに紛れてしまったようだ。
 クラウスなら目で追えただろうが、わざと逃したのだろう。

「クラウス、この状況どうしますか?」

 他の人に聞こえないようコソコソと伺うと、クラウスがこちらを見て(任せろ)と口の動きだけで伝えてきた。
 そして皆に向かってこう言ったのだ。

「皆様、妻の手当がありますので、私達はこれで失礼いたします。後は皆様でお楽しみください。後日、披露宴の招待状をお送りします」

 では失礼、と言いながらクラウスは私を抱きかかえた。

「えっ……?」

 突然のことに戸惑ったけれど、クラウスが足早に進んでいくので、落ちないように大人しくするしかなかった。

――――――――――



 人気のないところまで来ると、クラウスが立ち止まった。

「三秒間、目を閉じろ」
「あ、はい」

 言われるがままに目を閉じて三秒数えると、もう屋敷まで戻ってきていた。私の部屋だ。
 ここ数日で見慣れた部屋に、安心感を覚えた。

「クラウス、あの……ありがとうございました。えっと、降ろしていただけますか?」
「あぁ」

 床に降ろされた途端、ブローチからティルが飛び出してきた。

「カレン! 怪我は大丈夫?」

 どうやらこのブローチには、本当にティルが入っていたようだ。

「ちょっと腫れただけです。数日で治まりますよ」

 心配そうな顔でこちらを見ているティルを安心させるように、軽く微笑んで見せた。

 頬は触れるとまだ少し痛かったが、口内が切れた訳でもない。
 父には何度か殴られたことがあるから、どのくらいで治るかよく分かっていた。
 
「見せてみろ」
「あっ、痛っ……いです。放してください、クラウス」

 クラウスが急に私の腕を引っ張って、顔を掴んだ。
 軽く抗議したにもかかわらず、クラウスは手を放すどころか、もう片方の手を私の頬に当てた。

 触れられた部分が、じんわりと温かくなっていく。

(一体なんなの? でも、温かい……)

 クラウスはしばらく手を当てていたが、不意にパッと離した。
 解放された私の頬は、痛みも腫れも引いていた。

「あ……治してくれたのですね。ありがとうございます」
「あぁ」

 素っ気ない返事だけれど、気遣ってくれているのが分かる。
 黒い靄を吸い込んでいたクラウスは怖かったけれど、今のクラウスは夫の顔をしているように思った。
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