愛されSubは尽くしたい

リミル

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愛されSubは尽くしたい

家出3

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──…………。


以前から言ってみた行ってみたかった新しいカフェに入り、汐はもらったばかりのプリントを確認する。島長は隣でスマートフォンの画面に没頭していたが、話しかけられても無視するうちに、仕方なく勉強会に加わった。

コーヒーと甘いものを頼んで作業する人が、多数派だ。いい穴場を見つけたかもしれない。

日が傾き始めると、客の数も減っていった。汐達も帰る前にパスタを注文し、夕食をとった。

駅で島長と別れた後、本屋で少しぶらついてから帰ることにした。すぐ出たところのロータリー付近を歩いていると、声がかかる。

「汐くん……汐くんだよね?」

窺うように名前を呼ばれ、つい立ち止まってしまった。それで汐だと確信した男は、進路を塞ぐように前方へとまわった。

「……何か用ですか?」

着ているシャツの端はよれているし、身なりに清潔感がない。みすぼらしい格好をした男は、馴れ馴れしくも汐の両肩をがっちりと掴んでくる。

「契約解消って、あんまりだよ……。汐くんだって気持ちよかったよね? 言うこと聞けたときは、ちゃんとGlareだって与えてたじゃない」
「あんたよりもっとプレイの上手い人見つけたから」

最悪だ。こんな人通りの多いところで会ってしまうなんて。深見とのプレイが上手くいった翌日、創一が依頼したDomには、汐から契約解消を告げていた。顧客である汐に傷をつけるのを恐れているのか、単にプレイ自体が面倒なのか、淡白なCommandばかりを促すDomだった。

「そんなこと急に言われても……困るよ。俺にも生活がかかってるんだから。たくさん甘やかしてあげたのに、汐くんちょっと薄情すぎるよ」
「薄情って。金で買われてただけのあんたが言う? もっとまともな職につきなよ」

汐がそう言って突き放しても、男は諦める素振りすらしない。その場から去ろうとすると、「嫌だ嫌だ」と喚き、汐の細い腰に抱きついた。
痴情の縺れだと、周囲は勘違いしたのだろう。
残業帰りのサラリーマンが汐達を一瞥し、憐れむような表情を残していった。羞恥と怒りでかっと耳まで熱くなる。

「ふざけんなっ! なあ、離せよ! 離せってば……っ」

汐がどれだけ暴れても蹴り上げようとも、男の組んだ腕は石のようにぴくりともしなかった。
こんなDomに、創一はたんまりと金を支払っていたのだろう。そのことにも無性に腹が立つ。

「あの。警察……呼びましょうか?」

仕事帰りらしいOL風の女性が、汐達に近づいてきた。汐とDomの男とを、交互に見ている。

──どっち……どっちに言ってんの、それ。

今、一方的に手を上げているのは汐だ。正義感はどちらに向けられているのだろう。嫌な汗はもうずっと引かない。野次馬も増えていき、みっともなさに泣いて逃げたくなった。

「汐くん……!」
「……パパ」

最悪なことは重なるものらしい。ビジネスバッグを提げた創一の目線が、汐を捉えている。

「汐くんに何をしているんだ!」

創一と面識があるらしいDomは、顔を見るなり反対方向へと逃げ出してしまった。恐怖と緊張で今さら膝が震えだし、汐はその場へ蹲った。Commandは使われていない。だから何ともないはずなのに……定期的にやってくる「飢え」の周期が短くなっているのだ。

「汐くん、大丈夫……」
「触るなっ!」

眼前まで伸ばされた手を、汐は思いきり叩いた。
あ、と汐は思わず漏らしたが、どうあがいても今の失態は繕えない。

「あんたのせいでっ……! あんたのせいで全部めちゃくちゃだ!」

吠えるように、汐は思いの丈を叫ぶ。

「毎日いい父親ですってアピールしてきて……本当にうざい。なんなの、何を期待してんの。仲睦まじい家族?」

柔順でいい子でいた汐の豹変ぶりに、創一は言葉をなくしている。口にしたら身軽になると思ったのに、こんなにも苦しくて辛い。

「あんたのそういうとこ、子供のときから嫌だった。別にお母さんを好きでもいいから……僕には、関わらないで」

汐は持っていた自分の鞄を投げつけた。顔めがけて放ったはずなのに、腕を振るう力は弱く、創一の足に当たる。

一刻も早く、誰の目にもつかない場所へ逃げたかった。鞄を拾うなんて不格好な真似は出来なくて、汐は駅から離れるように走り出す。

喧騒に混じり、名前を呼ぶ声が背後から聞こえる。耳に届かなくなるまで、汐は必死に足を動かした。

随分身軽だと気付いたとき、持ち物を全部置いてきたことを思い出した。財布もスマートフォンもない。一旦、公園らしき場所を見つけ、ブランコに座り休んだ。

──本っ当、最悪……。

何の考えも浮かばないまま、汐は真上を見上げた。星の一つも見えず、どんよりと湿気った空気が全身を重怠く包んでいる。

これで終わってしまった。創一の前では、無邪気で可愛い子供を演じていたのに。テレビの中と同じ、天使 汐という人物を。

──もう、疲れた。何もかも。

深見にも振り向いてもらえない。芸能界からも逃げ出して、もう自分の中には何にも残っていない。輝いていた頃は、今みたいな平凡に憧れていたはずなのに。

今日は天気にも裏切られる。ぽつぽつと降り出した雨はやむ気配もなく、地面を打っては跳ね返るほどに強かった。

雨に濡れていたい。でも、通りかかった人の視線が煩わしくて、結局、ドーム型の遊具へ身を屈ませて入った。暗いし、土と埃の混ざったような匂いがする。不衛生な地面の上へ寝そべることは出来ずに、汐は立てた膝に顎をのせる。

今からでも駅のほうへ戻るべきだろうか。そんな考えが頭をよぎったが、また身体を濡らすのも億劫だった。梅雨の時期は気温も不安定だ。外気はひんやりとしていて、濡れた身体からさらに体温を奪った。

「さむ……」

ぶるっと震わせて、汐は一人薄暗い遊具の中で小さくなる。コンクリートの外壁にぴちゃんと雨が打ちつける音を聞きながら、ほんの少し目を閉じた。
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