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第27話 アベル=ダンガー脱獄
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◆獄中記――アベル=ダンガー子爵の独白2◆
―復讐の灯火―
夜が、また訪れる。
何度目かも分からぬ闇の時間。空は見えず、風も届かない。だが、獄中の隅にはうすら寒い空気が漂い、壁に刻まれた無数の爪痕が、誰かの絶望を語っていた。
私は椅子に腰かけたまま、ただじっと、何かを待っていた。
いや、正確には“何も”を待っていた。
明日も同じ粥が出され、誰も来ず、ただ判決の日を迎えるだけだ。そう思っていたのだ――
「……なぁ、おまえ、ダンガー子爵だろ?」
不意に、鉄格子の向こうから声がした。
その声は、低く、くぐもり、どこか嘲るような響きを持っていた。
「誰だ……」
顔を上げると、隣の牢の影に一人の男が立っていた。囚人服に身を包み、髭を伸ばし放題にした中年。だが、その目は、妙にぎらついていた。
「おまえが舞踏会でやられたって話、有名になってるぜ。黒衣の剣聖、カール=キリトにな」
その名を聞いた瞬間、私の背筋が固まった。
……やはり、牢の中でも噂は流れている。皮肉なものだ。外では誰も私の名を口にせず、ここでは私の失墜が娯楽になっている。
「ふん、好きに笑え」
「いやいや、笑ってねぇさ。むしろ、ちょっと気の毒になったくらいだ。なぁ、知ってるか? あのカールって男、ただの平民じゃねぇぞ」
「……何?」
私は身を乗り出した。
「ノルド王国、北方の魔導国家。そこの王族の血を引いてるって話だ。母親が失われた姫とかなんとか……」
その言葉が、私の胸に鋭く刺さった。
王族……カールが……? あの田舎貴族の三男坊が?
「嘘だ……そんなことが……」
「嘘じゃねぇ。俺のいたところじゃ、裏の情報にも詳しい奴が多くてな。カール=キリト、ノルド家の直系じゃねぇが、王弟の血を継ぐ“正統な”血筋。ノルドの剣術も叩き込まれてるってよ。そりゃ強いわけだ」
衝撃だった。思考が追いつかない。
私が蔑んだ男が、実は王の血を継ぐ者だった?
私は彼を“下”に見ることで、自分の優位を保っていた。だが、その土台すら、幻だったのか。
「……じゃあ、あいつは……私より、はるかに“上”の存在だったというのか……」
絶望に似た焦燥が胸を満たした。だが、次の瞬間、男が口元を吊り上げた。
「……なぁ、ダンガー子爵。おまえ、あいつに復讐したくないか?」
「――なに?」
私は思わず目を細めた。
「こんなところで朽ちるくらいなら、あいつに一矢報いたくねぇか? おまえをここから出してやる。その代わり、ひとつ仕事をしてもらう」
「脱獄……だと?」
私は言葉を失った。
「おまえに用があるやつがいる。外の連中だ。カール=キリトに恨みを持つ“本物”の連中がな」
「“本物”……?」
男はうすら笑いながら続ける。
「貴族でも、軍人でも、政治家でもない。だが……力がある。あいつの動きを封じるために、“駒”が必要なんだよ。貴族の血を引いたおまえはな、その“顔”として都合がいい」
私は黙った。
脱獄など、到底許されることではない。捕まれば、即刻処刑されるだろう。
だが――
カール=キリトのあの顔が脳裏に浮かぶ。
あの舞踏会。嘲笑する貴族たちの前で、私を地に叩きつけた姿。剣を下ろしたあとも、冷たく一瞥し、背を向けたあの後ろ姿。
「……奴に、復讐ができるのか」
男は口角を吊り上げた。
「ああ、できるとも。ただし――命を賭ける覚悟は必要だがな」
私は立ち上がった。鉄格子の前に歩み寄り、低く、だが確かな声で言った。
「……もちろんだ。奴に復讐できるなら、私は……なんでもしてやる」
その瞬間、男は口笛を吹いた。
それに応じるように、獄の奥の影が揺れ、何者かが現れた。看守の姿をした男。その目には、まるで獣のような光が宿っていた。
「話はついてる。今夜、扉が開く。おまえは外へ出る。そして――奴に地獄を見せるんだ」
私は、ゆっくりと拳を握りしめた。
かつての栄華は失われた。名誉も、家も、すべてを失った。
だが――私には、まだ“復讐”がある。
それが、この人生最後の光であっても構わない。
今度は、私が“玉座”を奪い返す番だ。
◆獄中記――アベル=ダンガー子爵の独白3◆
―父の背中と、復讐の誓い―
夜の帳が王都を包み込む頃、私はその場所に立っていた。
アウグスト侯爵家──かつて私が生まれ育ち、栄光と傲慢のすべてを手に入れた屋敷だ。遠目からでもわかる、堂々たる屋根と、無駄に広い中庭。薔薇が咲き乱れていたはずの花壇は、今や影に沈んでいた。
門の前には衛兵が二人。かつては私の命ひとつで動いた者たちだ。今はもう、私の名を口にすることすら、禁じられているだろう。
それでも、私は目を凝らす。まだ、あの窓に灯りがともっている。
「……父上」
あの部屋の奥に、彼はいる。病に伏していると聞いたが、まだ生きているのだろう。いや、生きていなければ困る。私は、まだ“なにも果たしていない”のだから。
門前には近づかない。今の私はただの脱獄犯。顔を見せれば、すぐにでも騎士団に引き渡される。
だが、今夜だけは。せめてこの夜だけは、許してほしい。
私は、屋敷の向こうを見つめながら、記憶を辿っていた。
◇
あの日、父の書斎で怒鳴られたことを思い出す。
「お前は、ダンガーの名に泥を塗った!」
カール=キリトとの対立が表沙汰になったあの頃、私は王都の貴族たちの間で悪評を買い始めていた。虚偽の取引、裏金、女遊び──父はそのすべてを把握していたのだろう。
だが、私は反論した。
「何が悪い? 力のある者が、弱者を押さえつけて何が悪い? それが“貴族”というものではないのか!」
父は無言だった。ただ、私を一度だけ、哀しそうな目で見た。
あの時の表情が、今も焼きついている。
「お前は、カール=キリトに敗れたのではない。自分の“驕り”に負けたのだ」
父の言葉が、耳の奥で反響する。
……だが、それでも私は認めたくなかった。
私は、敗者で終わりたくない。あの男の影に、二度と隠れて生きたくない。
◇
ふと、屋敷の窓が開いた。
そこに立っていたのは──間違いない、父だ。
痩せこけた体。杖にすがるように立つその姿。かつての威厳はない。
だが、それでも、あの背中は“父”だった。
私はその場にひざをつきそうになるのをこらえ、ただ見上げた。
心のどこかで、こう叫びたかった。
「父上……! まだ終わってなどおりません。私は、必ず立ち上がります。そして、すべてを取り戻します!」
だが、その言葉を口にすることはできなかった。
私は、父に“敗者”の顔を見せるわけにはいかない。
このまま姿を消そう。そして、もう一度だけ“頂点”を目指すのだ。
◇
屋敷を背にして、私はゆっくりと歩き出した。
背後の門が遠ざかるたびに、胸の奥で何かが揺れる。
私には、帰る場所など、もうない。
だが、それでも構わない。
──カール=キリト。
お前が王族の血を引いていようと、民の英雄であろうと、関係ない。
私はお前を、決して許さない。
お前に敗れ、すべてを失い、塀の中で朽ちるはずだった私が、今、こうして外にいる。
それは、すべて“復讐”のためだ。
お前が信じた正義が、どれほど脆く、汚れた世界の中で崩れ去るか。
それを、思い知らせてやる。
──今に見ていろ。
お前が築き上げた“英雄譚”を、私はこの手で焼き払ってみせる。
“敗者”の名を背負ったまま、私は再び、暗い路地へと歩き出した。
そして、心の中で誓う。
あの背を、再び越えるその日まで。
――アベル=ダンガー、反逆の刻、始動
―復讐の灯火―
夜が、また訪れる。
何度目かも分からぬ闇の時間。空は見えず、風も届かない。だが、獄中の隅にはうすら寒い空気が漂い、壁に刻まれた無数の爪痕が、誰かの絶望を語っていた。
私は椅子に腰かけたまま、ただじっと、何かを待っていた。
いや、正確には“何も”を待っていた。
明日も同じ粥が出され、誰も来ず、ただ判決の日を迎えるだけだ。そう思っていたのだ――
「……なぁ、おまえ、ダンガー子爵だろ?」
不意に、鉄格子の向こうから声がした。
その声は、低く、くぐもり、どこか嘲るような響きを持っていた。
「誰だ……」
顔を上げると、隣の牢の影に一人の男が立っていた。囚人服に身を包み、髭を伸ばし放題にした中年。だが、その目は、妙にぎらついていた。
「おまえが舞踏会でやられたって話、有名になってるぜ。黒衣の剣聖、カール=キリトにな」
その名を聞いた瞬間、私の背筋が固まった。
……やはり、牢の中でも噂は流れている。皮肉なものだ。外では誰も私の名を口にせず、ここでは私の失墜が娯楽になっている。
「ふん、好きに笑え」
「いやいや、笑ってねぇさ。むしろ、ちょっと気の毒になったくらいだ。なぁ、知ってるか? あのカールって男、ただの平民じゃねぇぞ」
「……何?」
私は身を乗り出した。
「ノルド王国、北方の魔導国家。そこの王族の血を引いてるって話だ。母親が失われた姫とかなんとか……」
その言葉が、私の胸に鋭く刺さった。
王族……カールが……? あの田舎貴族の三男坊が?
「嘘だ……そんなことが……」
「嘘じゃねぇ。俺のいたところじゃ、裏の情報にも詳しい奴が多くてな。カール=キリト、ノルド家の直系じゃねぇが、王弟の血を継ぐ“正統な”血筋。ノルドの剣術も叩き込まれてるってよ。そりゃ強いわけだ」
衝撃だった。思考が追いつかない。
私が蔑んだ男が、実は王の血を継ぐ者だった?
私は彼を“下”に見ることで、自分の優位を保っていた。だが、その土台すら、幻だったのか。
「……じゃあ、あいつは……私より、はるかに“上”の存在だったというのか……」
絶望に似た焦燥が胸を満たした。だが、次の瞬間、男が口元を吊り上げた。
「……なぁ、ダンガー子爵。おまえ、あいつに復讐したくないか?」
「――なに?」
私は思わず目を細めた。
「こんなところで朽ちるくらいなら、あいつに一矢報いたくねぇか? おまえをここから出してやる。その代わり、ひとつ仕事をしてもらう」
「脱獄……だと?」
私は言葉を失った。
「おまえに用があるやつがいる。外の連中だ。カール=キリトに恨みを持つ“本物”の連中がな」
「“本物”……?」
男はうすら笑いながら続ける。
「貴族でも、軍人でも、政治家でもない。だが……力がある。あいつの動きを封じるために、“駒”が必要なんだよ。貴族の血を引いたおまえはな、その“顔”として都合がいい」
私は黙った。
脱獄など、到底許されることではない。捕まれば、即刻処刑されるだろう。
だが――
カール=キリトのあの顔が脳裏に浮かぶ。
あの舞踏会。嘲笑する貴族たちの前で、私を地に叩きつけた姿。剣を下ろしたあとも、冷たく一瞥し、背を向けたあの後ろ姿。
「……奴に、復讐ができるのか」
男は口角を吊り上げた。
「ああ、できるとも。ただし――命を賭ける覚悟は必要だがな」
私は立ち上がった。鉄格子の前に歩み寄り、低く、だが確かな声で言った。
「……もちろんだ。奴に復讐できるなら、私は……なんでもしてやる」
その瞬間、男は口笛を吹いた。
それに応じるように、獄の奥の影が揺れ、何者かが現れた。看守の姿をした男。その目には、まるで獣のような光が宿っていた。
「話はついてる。今夜、扉が開く。おまえは外へ出る。そして――奴に地獄を見せるんだ」
私は、ゆっくりと拳を握りしめた。
かつての栄華は失われた。名誉も、家も、すべてを失った。
だが――私には、まだ“復讐”がある。
それが、この人生最後の光であっても構わない。
今度は、私が“玉座”を奪い返す番だ。
◆獄中記――アベル=ダンガー子爵の独白3◆
―父の背中と、復讐の誓い―
夜の帳が王都を包み込む頃、私はその場所に立っていた。
アウグスト侯爵家──かつて私が生まれ育ち、栄光と傲慢のすべてを手に入れた屋敷だ。遠目からでもわかる、堂々たる屋根と、無駄に広い中庭。薔薇が咲き乱れていたはずの花壇は、今や影に沈んでいた。
門の前には衛兵が二人。かつては私の命ひとつで動いた者たちだ。今はもう、私の名を口にすることすら、禁じられているだろう。
それでも、私は目を凝らす。まだ、あの窓に灯りがともっている。
「……父上」
あの部屋の奥に、彼はいる。病に伏していると聞いたが、まだ生きているのだろう。いや、生きていなければ困る。私は、まだ“なにも果たしていない”のだから。
門前には近づかない。今の私はただの脱獄犯。顔を見せれば、すぐにでも騎士団に引き渡される。
だが、今夜だけは。せめてこの夜だけは、許してほしい。
私は、屋敷の向こうを見つめながら、記憶を辿っていた。
◇
あの日、父の書斎で怒鳴られたことを思い出す。
「お前は、ダンガーの名に泥を塗った!」
カール=キリトとの対立が表沙汰になったあの頃、私は王都の貴族たちの間で悪評を買い始めていた。虚偽の取引、裏金、女遊び──父はそのすべてを把握していたのだろう。
だが、私は反論した。
「何が悪い? 力のある者が、弱者を押さえつけて何が悪い? それが“貴族”というものではないのか!」
父は無言だった。ただ、私を一度だけ、哀しそうな目で見た。
あの時の表情が、今も焼きついている。
「お前は、カール=キリトに敗れたのではない。自分の“驕り”に負けたのだ」
父の言葉が、耳の奥で反響する。
……だが、それでも私は認めたくなかった。
私は、敗者で終わりたくない。あの男の影に、二度と隠れて生きたくない。
◇
ふと、屋敷の窓が開いた。
そこに立っていたのは──間違いない、父だ。
痩せこけた体。杖にすがるように立つその姿。かつての威厳はない。
だが、それでも、あの背中は“父”だった。
私はその場にひざをつきそうになるのをこらえ、ただ見上げた。
心のどこかで、こう叫びたかった。
「父上……! まだ終わってなどおりません。私は、必ず立ち上がります。そして、すべてを取り戻します!」
だが、その言葉を口にすることはできなかった。
私は、父に“敗者”の顔を見せるわけにはいかない。
このまま姿を消そう。そして、もう一度だけ“頂点”を目指すのだ。
◇
屋敷を背にして、私はゆっくりと歩き出した。
背後の門が遠ざかるたびに、胸の奥で何かが揺れる。
私には、帰る場所など、もうない。
だが、それでも構わない。
──カール=キリト。
お前が王族の血を引いていようと、民の英雄であろうと、関係ない。
私はお前を、決して許さない。
お前に敗れ、すべてを失い、塀の中で朽ちるはずだった私が、今、こうして外にいる。
それは、すべて“復讐”のためだ。
お前が信じた正義が、どれほど脆く、汚れた世界の中で崩れ去るか。
それを、思い知らせてやる。
──今に見ていろ。
お前が築き上げた“英雄譚”を、私はこの手で焼き払ってみせる。
“敗者”の名を背負ったまま、私は再び、暗い路地へと歩き出した。
そして、心の中で誓う。
あの背を、再び越えるその日まで。
――アベル=ダンガー、反逆の刻、始動
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