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第29話 カールの妹レティーナの独白。
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◆静かな夕暮れ、あたたかな再会◆
王都ルメリアの街角に、夕暮れがゆっくりと降りていた。
わたしは、人気の少ない小さな公園のベンチに腰を下ろしていた。
背もたれのない、ちょっと古い石造りのベンチ。でも、ここはお気に入りの場所。昔、お兄様と一緒にお弁当を食べたことがある思い出の場所でもある。
「…………」
手のひらには、あの木彫りの猫。
あれから、ずっと握りしめていた。リリス様と別れてから、ずっと考えごとばかりしていた。
(お兄様が……王族の血筋……)
信じられない話だった。でも、リリス様の様子は嘘をついているようには見えなかった。むしろ、あの人がわたしにそんな“秘密”をわざわざ明かす理由が分からなかった。
――お似合いなのは、私の方よ。
そんな言葉が、耳の奥で何度も響く。
(……わたしなんて、お兄様のそばにいる資格、ないのかも)
ふと、冷たい風が頬をかすめた。
少しだけ、涙が出そうになった。自分でも、よく分からない。悔しさか、寂しさか、それともただの疲れなのか。
「……カールお兄様……」
そう呟いたときだった。
「――あれ? 君は……もしかして、カールの妹さんじゃないか?」
声のする方を振り向くと、そこに立っていたのは、一人の青年だった。
栗色の髪に、どこか気の良さそうな雰囲気。見覚えがある、というよりも、ちゃんと知ってる顔だった。
「リオンさん……?」
「やっぱり! 久しぶりですね、レティーナさん」
彼は、にこっと笑った。リオン=グラッツ。お兄様の王立学院時代の同級生。剣術も、魔法も、勉学も、特別優れていたわけではないけれど、誠実でまっすぐな性格で、多くの生徒たちに好かれていた青年。
わたしも、何度か学院の行事で話したことがある。
「こんなところで、どうされたんですか? 何だか、すごく思いつめた顔を……」
その言葉に、はっとして視線を伏せる。
「い、いえ……ちょっと、考えごとを……」
「そうですか……いや、なんだか心配で」
そして――そのとき、わたしのお腹がぐぅっと大きな音を立てた。
「…………っ!」
「あっ……」
顔が、一気に熱くなる。
「ご、ごめんなさい……その、気づいたら、お昼も食べてなくて……」
「いえ、謝らなくて大丈夫です。それなら、よければ、夕飯でも一緒にどうですか?」
リオンさんの声は、優しくて、無理に誘うような押しつけがましさもなかった。
「えっ……でも……」
「実は、ちょうど自分もこれから食事にしようと思ってたんです。よければ、気楽に付き合ってくれませんか? 昔の知り合い同士ってことで」
その言葉に、少しだけ気持ちがほぐれた。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
「よかった。じゃあ、いいお店知ってますよ。ちょっと歩きますけど、こっちです」
彼がそう言って手を軽く差し出すと、わたしは立ち上がり、少しだけ離れてその隣を歩いた。
夕暮れの街は、橙色の光に包まれていた。
「……学院のころ、お兄様と仲が良かったんですよね?」
「まあ、どちらかというと、よく一緒に訓練させてもらってました。強すぎて、全然勝てなかったけど」
リオンさんは、どこか懐かしそうに笑う。
「カールは、不器用だけど……正義感が強い。貴族とか平民とか、そういうの関係なく、まっすぐなところが好きでした」
わたしは、その言葉に胸が温かくなった。
「……わたしも、そう思います。お兄様は……誰よりも、優しい人です」
少し間を置いて、彼が言った。
「今でも……そうなんでしょうか? カールは」
「……はい。とても」
そう答えたとき、なぜか胸がぎゅっと締めつけられた。
「……あの、リオンさん」
「はい?」
「もし、家族を捨ててまで何かを守った人がいたら……その人に、また家族として向き合ってもいいと思いますか?」
リオンさんは立ち止まって、少し考えるような素振りをした。
「――向き合うかどうかは、結局、その人の“覚悟”次第だと思います」
「覚悟……?」
「謝る覚悟。受け入れられなくても諦めない覚悟。それがあるなら、家族に戻る道もあるんじゃないかって」
その言葉に、わたしは目を見開いた。
(わたしは……その覚悟、持てているのかな)
少しして、彼は「ここです」と言って、小さな木造の食堂の前で足を止めた。
中からは、おいしそうな香りと、温かな光が漏れていた。
「ここ……昔、お兄様と来たことがあります」
「お、それは偶然ですね。ここのビーフシチューが絶品なんですよ」
店の中に入ると、懐かしい木のぬくもりと、昔と変わらないテーブルクロスが迎えてくれた。
食事中、リオンさんは昔話をいくつかしてくれた。学院時代の武道大会でお兄様に3秒で負けた話や、いたずら好きな友人の話。どれも、わたしの知らなかったカールお兄様の姿がそこにあった。
わたしは、何度も笑っていた。
気づけば、さっきまでの重たい気持ちが、少しだけ軽くなっていた。
「……今日は、ありがとうございました。リオンさんと話して、少し元気が出ました」
「それならよかったです。元気なレティーナさんの方が、カールもきっと嬉しいと思いますよ」
「……今から、お兄様に会いに行ってきます」
「うん、では、ぼくも心配だから付き添うね」
そうして、わたしたちは兄が泊る宿へと向かった。
リオンさんとの食事で、少し気持ちの整理がついたような気がする。
今日中、ちゃんと話す。
――お兄様と、向き合うために。
◆灯る焔――再会と、兄の答え◆
夜の帳が下りた頃、わたしたちは小さな宿の前に立っていた。
「……ここが、カールお兄様の泊まっている宿……」
わたしがぽつりと呟くと、隣にいたリオンさんが小さく頷いた。
「うん、何度か仕事のときに訪ねたことがあるんだ。彼、あまり豪勢な場所は好まないからね」
木の看板には、「月夜の風亭」と書かれている。二階建ての、小さな宿。けれど、どこか落ち着いた雰囲気があって、まるであの人の人柄そのままみたいだった。
胸が、少しだけ高鳴る。
(ちゃんと……話せるかな)
思いは山ほどあるけれど、いざとなると、言葉がうまく出てくる気がしなかった。
でも。
「行こう」
リオンさんが背中を押してくれた。わたしは小さく頷いて、入口の扉を押した。
中に入ると、温かな灯りが迎えてくれた。
「……あ」
受付の横の椅子に、見慣れた黒の上着と、淡い銀色の髪が見えた。
カールお兄様だった。
「お兄様……!」
思わず、声が出た。
彼は、顔をこちらに向ける。目が合った瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
お兄様の表情は――懐かしくて、少しだけ、寂しげだった。
「……レティーナか」
低くて優しい声。三年ぶりだった。
わたしは、胸の奥に積もっていた思いを、どう伝えていいか分からず、ただうつむいた。
そのとき、隣にいたリオンさんが、わたしの背中を軽く叩いた。
「……ぼくは、ここで帰るね」
「え?」
「家族の話だろ? 大事な時間は、家族だけで過ごすべきだよ」
そう言って、リオンさんはやわらかく微笑んだ。お兄様にも軽く頭を下げて、すっと出ていった。
わたしはその背中を見送り、やがてお兄様の方を向いた。
「……会えて、よかった」
「……ああ。驚いたよ、まさかおまえが、ここまで来るなんてな」
カールお兄様は、少しだけ笑った。
「座れよ。……話すことがあるんだろ?」
促されて、わたしは椅子に腰を下ろす。目の前にいるのに、心がうまく追いつかない。けれど、言わなければ。
わたしは、意を決して口を開いた。
「……お兄様。わたし、リリス様から……聞いたの。お兄様のお母様が、“ノルド王族”の血を引いていたって」
お兄様の表情が、少しだけ固くなった。
「……あいつ、余計なことを言ったな」
「でも、それを聞いて……驚いたけど、でも納得もしたの。お兄様が、どうしてあんなにも強くて、気高いのか」
「……気高いってほどのもんじゃない。どこまでも、不器用なだけだ」
「でも――でもね」
言葉が、止まらなくなった。
「わたし、キリト家を……もう一度守りたいって思ったの。だって、家が終わるなんて、そんなの……耐えられない。領地も、爵位も、屋敷も、全部失って……何もかもなくなって、それでも、“誇り”だけで生きていけるほど、わたしは強くない」
気づけば、涙がにじんでいた。
「だから……お願い。お兄様の力を貸して。王族の血筋があるなら、国に頼めば……もしかしたら、キリト家は救えるかもしれないの。爵位も、家名も、守れるかもしれないの……!」
お兄様は、静かにわたしの話を聞いていた。けれど、その顔には――苦しそうな色があった。
そして、ぽつりと呟いた。
「……答えは、父さん次第だ」
「……え?」
「俺がどんなに力を貸したとしても、それは“赦し”じゃない。あの家を追い出されたのは俺だ。だが、父さんがその間違いを認めて、もう一度“家族”として向き合うなら……そのときは、俺も考える」
「……そんな……!」
「おまえが悪いとは思ってない。おまえは、いつだって俺の妹だ。……だが、キリト家を名乗るというのは、“あの父”の下に立つということだ。俺には、それができない」
静かな言葉だった。けれど、どこまでも重く、深く響いた。
「……じゃあ、もう……伯爵家は、終わり……?」
「それは、おまえが決めろ。家に縛られたまま、生きるのか。自分自身として、新しく歩くのか」
わたしは、何も言えなかった。
この兄は、きっと――もうとっくに、決めているんだ。
家にしがみつくのではなく、自分の足で未来を選ぶことを。
わたしは、まだ、そこまで踏み出せていない。
「……ごめんなさい。わたし、弱いから……まだ、よく分からないの」
「それでいいさ。すぐに答えを出す必要はない。ただ、俺は――もう後ろを見ないと決めただけだ」
お兄様は、立ち上がった。そして、窓を開ける。
冷たい夜風が、静かに吹き込んできた。
「おまえが来てくれて、嬉しかった。……ありがとう、レティーナ」
そう言って、わたしの頭に、大きな手がぽんと置かれた。
子どもの頃と、同じ仕草だった。
――ああ、やっぱり。
わたしは、涙をこらえきれなかった。
この人は、どこまでいっても、わたしの大切なお兄様なんだ。
わたしは、胸の中で何度も誓った。
この先、どんな答えを出すにせよ――
わたし自身の意思で、ちゃんと選びたい。
“キリト家の娘”としてではなく、ひとりの人間、レティーナとして。
いつかまた、お兄様に、ちゃんと笑って会えるように――
その夜、わたしは宿を出て、夜空の星を見上げた。
風が、どこまでも優しく、背中を押してくれるようだった。
王都ルメリアの街角に、夕暮れがゆっくりと降りていた。
わたしは、人気の少ない小さな公園のベンチに腰を下ろしていた。
背もたれのない、ちょっと古い石造りのベンチ。でも、ここはお気に入りの場所。昔、お兄様と一緒にお弁当を食べたことがある思い出の場所でもある。
「…………」
手のひらには、あの木彫りの猫。
あれから、ずっと握りしめていた。リリス様と別れてから、ずっと考えごとばかりしていた。
(お兄様が……王族の血筋……)
信じられない話だった。でも、リリス様の様子は嘘をついているようには見えなかった。むしろ、あの人がわたしにそんな“秘密”をわざわざ明かす理由が分からなかった。
――お似合いなのは、私の方よ。
そんな言葉が、耳の奥で何度も響く。
(……わたしなんて、お兄様のそばにいる資格、ないのかも)
ふと、冷たい風が頬をかすめた。
少しだけ、涙が出そうになった。自分でも、よく分からない。悔しさか、寂しさか、それともただの疲れなのか。
「……カールお兄様……」
そう呟いたときだった。
「――あれ? 君は……もしかして、カールの妹さんじゃないか?」
声のする方を振り向くと、そこに立っていたのは、一人の青年だった。
栗色の髪に、どこか気の良さそうな雰囲気。見覚えがある、というよりも、ちゃんと知ってる顔だった。
「リオンさん……?」
「やっぱり! 久しぶりですね、レティーナさん」
彼は、にこっと笑った。リオン=グラッツ。お兄様の王立学院時代の同級生。剣術も、魔法も、勉学も、特別優れていたわけではないけれど、誠実でまっすぐな性格で、多くの生徒たちに好かれていた青年。
わたしも、何度か学院の行事で話したことがある。
「こんなところで、どうされたんですか? 何だか、すごく思いつめた顔を……」
その言葉に、はっとして視線を伏せる。
「い、いえ……ちょっと、考えごとを……」
「そうですか……いや、なんだか心配で」
そして――そのとき、わたしのお腹がぐぅっと大きな音を立てた。
「…………っ!」
「あっ……」
顔が、一気に熱くなる。
「ご、ごめんなさい……その、気づいたら、お昼も食べてなくて……」
「いえ、謝らなくて大丈夫です。それなら、よければ、夕飯でも一緒にどうですか?」
リオンさんの声は、優しくて、無理に誘うような押しつけがましさもなかった。
「えっ……でも……」
「実は、ちょうど自分もこれから食事にしようと思ってたんです。よければ、気楽に付き合ってくれませんか? 昔の知り合い同士ってことで」
その言葉に、少しだけ気持ちがほぐれた。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
「よかった。じゃあ、いいお店知ってますよ。ちょっと歩きますけど、こっちです」
彼がそう言って手を軽く差し出すと、わたしは立ち上がり、少しだけ離れてその隣を歩いた。
夕暮れの街は、橙色の光に包まれていた。
「……学院のころ、お兄様と仲が良かったんですよね?」
「まあ、どちらかというと、よく一緒に訓練させてもらってました。強すぎて、全然勝てなかったけど」
リオンさんは、どこか懐かしそうに笑う。
「カールは、不器用だけど……正義感が強い。貴族とか平民とか、そういうの関係なく、まっすぐなところが好きでした」
わたしは、その言葉に胸が温かくなった。
「……わたしも、そう思います。お兄様は……誰よりも、優しい人です」
少し間を置いて、彼が言った。
「今でも……そうなんでしょうか? カールは」
「……はい。とても」
そう答えたとき、なぜか胸がぎゅっと締めつけられた。
「……あの、リオンさん」
「はい?」
「もし、家族を捨ててまで何かを守った人がいたら……その人に、また家族として向き合ってもいいと思いますか?」
リオンさんは立ち止まって、少し考えるような素振りをした。
「――向き合うかどうかは、結局、その人の“覚悟”次第だと思います」
「覚悟……?」
「謝る覚悟。受け入れられなくても諦めない覚悟。それがあるなら、家族に戻る道もあるんじゃないかって」
その言葉に、わたしは目を見開いた。
(わたしは……その覚悟、持てているのかな)
少しして、彼は「ここです」と言って、小さな木造の食堂の前で足を止めた。
中からは、おいしそうな香りと、温かな光が漏れていた。
「ここ……昔、お兄様と来たことがあります」
「お、それは偶然ですね。ここのビーフシチューが絶品なんですよ」
店の中に入ると、懐かしい木のぬくもりと、昔と変わらないテーブルクロスが迎えてくれた。
食事中、リオンさんは昔話をいくつかしてくれた。学院時代の武道大会でお兄様に3秒で負けた話や、いたずら好きな友人の話。どれも、わたしの知らなかったカールお兄様の姿がそこにあった。
わたしは、何度も笑っていた。
気づけば、さっきまでの重たい気持ちが、少しだけ軽くなっていた。
「……今日は、ありがとうございました。リオンさんと話して、少し元気が出ました」
「それならよかったです。元気なレティーナさんの方が、カールもきっと嬉しいと思いますよ」
「……今から、お兄様に会いに行ってきます」
「うん、では、ぼくも心配だから付き添うね」
そうして、わたしたちは兄が泊る宿へと向かった。
リオンさんとの食事で、少し気持ちの整理がついたような気がする。
今日中、ちゃんと話す。
――お兄様と、向き合うために。
◆灯る焔――再会と、兄の答え◆
夜の帳が下りた頃、わたしたちは小さな宿の前に立っていた。
「……ここが、カールお兄様の泊まっている宿……」
わたしがぽつりと呟くと、隣にいたリオンさんが小さく頷いた。
「うん、何度か仕事のときに訪ねたことがあるんだ。彼、あまり豪勢な場所は好まないからね」
木の看板には、「月夜の風亭」と書かれている。二階建ての、小さな宿。けれど、どこか落ち着いた雰囲気があって、まるであの人の人柄そのままみたいだった。
胸が、少しだけ高鳴る。
(ちゃんと……話せるかな)
思いは山ほどあるけれど、いざとなると、言葉がうまく出てくる気がしなかった。
でも。
「行こう」
リオンさんが背中を押してくれた。わたしは小さく頷いて、入口の扉を押した。
中に入ると、温かな灯りが迎えてくれた。
「……あ」
受付の横の椅子に、見慣れた黒の上着と、淡い銀色の髪が見えた。
カールお兄様だった。
「お兄様……!」
思わず、声が出た。
彼は、顔をこちらに向ける。目が合った瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
お兄様の表情は――懐かしくて、少しだけ、寂しげだった。
「……レティーナか」
低くて優しい声。三年ぶりだった。
わたしは、胸の奥に積もっていた思いを、どう伝えていいか分からず、ただうつむいた。
そのとき、隣にいたリオンさんが、わたしの背中を軽く叩いた。
「……ぼくは、ここで帰るね」
「え?」
「家族の話だろ? 大事な時間は、家族だけで過ごすべきだよ」
そう言って、リオンさんはやわらかく微笑んだ。お兄様にも軽く頭を下げて、すっと出ていった。
わたしはその背中を見送り、やがてお兄様の方を向いた。
「……会えて、よかった」
「……ああ。驚いたよ、まさかおまえが、ここまで来るなんてな」
カールお兄様は、少しだけ笑った。
「座れよ。……話すことがあるんだろ?」
促されて、わたしは椅子に腰を下ろす。目の前にいるのに、心がうまく追いつかない。けれど、言わなければ。
わたしは、意を決して口を開いた。
「……お兄様。わたし、リリス様から……聞いたの。お兄様のお母様が、“ノルド王族”の血を引いていたって」
お兄様の表情が、少しだけ固くなった。
「……あいつ、余計なことを言ったな」
「でも、それを聞いて……驚いたけど、でも納得もしたの。お兄様が、どうしてあんなにも強くて、気高いのか」
「……気高いってほどのもんじゃない。どこまでも、不器用なだけだ」
「でも――でもね」
言葉が、止まらなくなった。
「わたし、キリト家を……もう一度守りたいって思ったの。だって、家が終わるなんて、そんなの……耐えられない。領地も、爵位も、屋敷も、全部失って……何もかもなくなって、それでも、“誇り”だけで生きていけるほど、わたしは強くない」
気づけば、涙がにじんでいた。
「だから……お願い。お兄様の力を貸して。王族の血筋があるなら、国に頼めば……もしかしたら、キリト家は救えるかもしれないの。爵位も、家名も、守れるかもしれないの……!」
お兄様は、静かにわたしの話を聞いていた。けれど、その顔には――苦しそうな色があった。
そして、ぽつりと呟いた。
「……答えは、父さん次第だ」
「……え?」
「俺がどんなに力を貸したとしても、それは“赦し”じゃない。あの家を追い出されたのは俺だ。だが、父さんがその間違いを認めて、もう一度“家族”として向き合うなら……そのときは、俺も考える」
「……そんな……!」
「おまえが悪いとは思ってない。おまえは、いつだって俺の妹だ。……だが、キリト家を名乗るというのは、“あの父”の下に立つということだ。俺には、それができない」
静かな言葉だった。けれど、どこまでも重く、深く響いた。
「……じゃあ、もう……伯爵家は、終わり……?」
「それは、おまえが決めろ。家に縛られたまま、生きるのか。自分自身として、新しく歩くのか」
わたしは、何も言えなかった。
この兄は、きっと――もうとっくに、決めているんだ。
家にしがみつくのではなく、自分の足で未来を選ぶことを。
わたしは、まだ、そこまで踏み出せていない。
「……ごめんなさい。わたし、弱いから……まだ、よく分からないの」
「それでいいさ。すぐに答えを出す必要はない。ただ、俺は――もう後ろを見ないと決めただけだ」
お兄様は、立ち上がった。そして、窓を開ける。
冷たい夜風が、静かに吹き込んできた。
「おまえが来てくれて、嬉しかった。……ありがとう、レティーナ」
そう言って、わたしの頭に、大きな手がぽんと置かれた。
子どもの頃と、同じ仕草だった。
――ああ、やっぱり。
わたしは、涙をこらえきれなかった。
この人は、どこまでいっても、わたしの大切なお兄様なんだ。
わたしは、胸の中で何度も誓った。
この先、どんな答えを出すにせよ――
わたし自身の意思で、ちゃんと選びたい。
“キリト家の娘”としてではなく、ひとりの人間、レティーナとして。
いつかまた、お兄様に、ちゃんと笑って会えるように――
その夜、わたしは宿を出て、夜空の星を見上げた。
風が、どこまでも優しく、背中を押してくれるようだった。
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