30 / 66
第30話 クラリッサの失望
しおりを挟む
―父の言葉、薔薇の終焉―
リドグレイ伯爵邸の応接間。
いつもは穏やかな陽射しが差し込む部屋なのに、その日はやけに薄暗く感じられた。クラリッサ=リドグレイは、父ラウルの向かいに座りながら、何とも言えない胸騒ぎを覚えていた。
ラウル=リドグレイ伯爵――いや、正確には“入り婿”であったその男は、長旅の疲れも見せず、まっすぐな瞳で娘を見据えていた。
「クラリッサ……お前に話さねばならぬことがある」
その口調は、いつになく重々しかった。
「……何の話?」
クラリッサは眉をひそめながらも、平静を装う。だが、指先はかすかに震えていた。胸の奥に、嫌な予感が広がっていく。
「リドグレイ伯爵家の家督についてだ」
「……それなら私が継ぐのは当然でしょう? 私は、あなたの娘ですもの。母上は正妻、あなたは伯爵。そして私は、その娘」
「――それは違う。そもそもリドグレイ家は母系相続だ」
クラリッサの心臓が、一瞬止まった気がした。
「……え?」
ラウルはゆっくりと息を吐きながら言葉を続ける。
「この家の本当の血筋は、トリノの祖母……つまり、先代の伯爵夫人にある。わたしは、その娘――トリノの母リリアーナと政略結婚で婿入りしたに過ぎん」
「でも……じゃあ、私は……」
「お前はアナスタシアとわたしの間に生まれた娘。だが、リドグレイ家の直系の血は、お前の腹違いの妹であるトリノだけに受け継がれている」
「そんな、馬鹿な……!」
クラリッサは立ち上がり、ラウルに詰め寄った。
「トリノは“灰かぶり”だったのよ!? 誰も魔力も認めず、家の恥とまで言われた! どうしてそんな子が、私より……!」
「クラリッサ、落ち着け。トリノの母――リリアーナは、先代伯爵家の長女だが、婿入りしたリリアーナの父は異国の子爵家でもあった。彼女は異国の子爵家とリドグレイ伯爵家の継承者でもあった。そして、その娘……すなわちトリノこそが、正統なリドグレイの継承者なのだ」
クラリッサは顔面から血の気が引いていくのを感じた。
あの無能な少女が、自分よりも高貴な立場だというのか?
――信じられない。信じたくない。
「で、でも……あの子は家出したのよ? 戻ってこない。だったら、私が……!」
「それはできぬ」
ラウルの声は静かだったが、鋼のような断固たる響きを持っていた。
「王都でも、この家系の血統確認は正式に行われた。リドグレイ家は、トリノを迎え入れることができなければ、取りつぶしになるだろう」
「――取りつぶし……?」
クラリッサの頭が真っ白になった。
「それほど、リリアーナの系譜は重いのだ。そもそもこの家は、長らく女系の力によって保たれていた。魔力、政治力、そして影響力。それに対してお前の母は平民だ。わたしとは愛人関係でお前たち二人ができた。だから、リリアーナが旅立った後、アナスタシアと結婚したのだ……なので平民と伯爵家では血筋の面で、とてもトリノには勝てない」
「……嘘よ」
クラリッサの肩が震える。視界がぼやけてきた。
「私が、どれだけ努力してきたか知らないくせに……! 私は、ずっと、完璧でいようと……誰よりも美しく、頭もよく、品位を保って……! すべては、この家のために……!」
「わかっている。お前の努力は誇りだ。だが――相続とは、努力だけでは選ばれない」
それは、あまりにも残酷な現実だった。
――なぜ、あの娘なの?
――なぜ、私じゃないの?
クラリッサは崩れるようにソファに腰を下ろした。
頭の中で、ローマンの顔が浮かんだ。あの美しく、理知的な青年。自分の隣にふさわしいのは、自分だと信じていた。
だが――もしも、トリノが正式な伯爵家の後継者だと知られたら……平民の血が流れていると知られたら?
――彼は、私から離れるかもしれない。
その恐怖が、クラリッサの胸を締め付けた。
「クラリッサ。……これが、現実だ」
ラウルは立ち上がると、そっと扉の方へ向かった。
その背中に、クラリッサは何も言えなかった。
ただ、銀の髪が揺れるのを感じながら、唇をかみしめるしかなかった。
リドグレイ伯爵邸の応接間。
いつもは穏やかな陽射しが差し込む部屋なのに、その日はやけに薄暗く感じられた。クラリッサ=リドグレイは、父ラウルの向かいに座りながら、何とも言えない胸騒ぎを覚えていた。
ラウル=リドグレイ伯爵――いや、正確には“入り婿”であったその男は、長旅の疲れも見せず、まっすぐな瞳で娘を見据えていた。
「クラリッサ……お前に話さねばならぬことがある」
その口調は、いつになく重々しかった。
「……何の話?」
クラリッサは眉をひそめながらも、平静を装う。だが、指先はかすかに震えていた。胸の奥に、嫌な予感が広がっていく。
「リドグレイ伯爵家の家督についてだ」
「……それなら私が継ぐのは当然でしょう? 私は、あなたの娘ですもの。母上は正妻、あなたは伯爵。そして私は、その娘」
「――それは違う。そもそもリドグレイ家は母系相続だ」
クラリッサの心臓が、一瞬止まった気がした。
「……え?」
ラウルはゆっくりと息を吐きながら言葉を続ける。
「この家の本当の血筋は、トリノの祖母……つまり、先代の伯爵夫人にある。わたしは、その娘――トリノの母リリアーナと政略結婚で婿入りしたに過ぎん」
「でも……じゃあ、私は……」
「お前はアナスタシアとわたしの間に生まれた娘。だが、リドグレイ家の直系の血は、お前の腹違いの妹であるトリノだけに受け継がれている」
「そんな、馬鹿な……!」
クラリッサは立ち上がり、ラウルに詰め寄った。
「トリノは“灰かぶり”だったのよ!? 誰も魔力も認めず、家の恥とまで言われた! どうしてそんな子が、私より……!」
「クラリッサ、落ち着け。トリノの母――リリアーナは、先代伯爵家の長女だが、婿入りしたリリアーナの父は異国の子爵家でもあった。彼女は異国の子爵家とリドグレイ伯爵家の継承者でもあった。そして、その娘……すなわちトリノこそが、正統なリドグレイの継承者なのだ」
クラリッサは顔面から血の気が引いていくのを感じた。
あの無能な少女が、自分よりも高貴な立場だというのか?
――信じられない。信じたくない。
「で、でも……あの子は家出したのよ? 戻ってこない。だったら、私が……!」
「それはできぬ」
ラウルの声は静かだったが、鋼のような断固たる響きを持っていた。
「王都でも、この家系の血統確認は正式に行われた。リドグレイ家は、トリノを迎え入れることができなければ、取りつぶしになるだろう」
「――取りつぶし……?」
クラリッサの頭が真っ白になった。
「それほど、リリアーナの系譜は重いのだ。そもそもこの家は、長らく女系の力によって保たれていた。魔力、政治力、そして影響力。それに対してお前の母は平民だ。わたしとは愛人関係でお前たち二人ができた。だから、リリアーナが旅立った後、アナスタシアと結婚したのだ……なので平民と伯爵家では血筋の面で、とてもトリノには勝てない」
「……嘘よ」
クラリッサの肩が震える。視界がぼやけてきた。
「私が、どれだけ努力してきたか知らないくせに……! 私は、ずっと、完璧でいようと……誰よりも美しく、頭もよく、品位を保って……! すべては、この家のために……!」
「わかっている。お前の努力は誇りだ。だが――相続とは、努力だけでは選ばれない」
それは、あまりにも残酷な現実だった。
――なぜ、あの娘なの?
――なぜ、私じゃないの?
クラリッサは崩れるようにソファに腰を下ろした。
頭の中で、ローマンの顔が浮かんだ。あの美しく、理知的な青年。自分の隣にふさわしいのは、自分だと信じていた。
だが――もしも、トリノが正式な伯爵家の後継者だと知られたら……平民の血が流れていると知られたら?
――彼は、私から離れるかもしれない。
その恐怖が、クラリッサの胸を締め付けた。
「クラリッサ。……これが、現実だ」
ラウルは立ち上がると、そっと扉の方へ向かった。
その背中に、クラリッサは何も言えなかった。
ただ、銀の髪が揺れるのを感じながら、唇をかみしめるしかなかった。
288
あなたにおすすめの小説
乙女ゲームの悪役令嬢の兄の婚約者に転生しましたが傷物になったので退場を希望します!
ユウ
恋愛
平凡な伯爵令嬢のリネットは優しい婚約者と妹と穏やかで幸福な日々を送っていた。
相手は公爵家の嫡男であり第一王子殿下の側近で覚えもめでたく社交界の憧れの漆黒の騎士と呼ばれる貴族令息だった。
結婚式前夜、婚約者の妹に会いに学園に向かったが、そこで事件が起きる。
現在学園で騒動を起こしている第二王子とその友人達に勘違いから暴行を受け階段から落ちてしまう…
その時に前世の記憶を取り戻すのだった…
「悪役令嬢の兄の婚約者って…」
なんとも微妙なポジション。
しかも結婚前夜で傷物になる失態を犯してしまったリネットは婚約解消を望むのだが、悪役令嬢の義妹が王子に婚約破棄を突きつける事件に発展してしまう。
やんちゃな公爵令嬢の駆け引き~不倫現場を目撃して~
岡暁舟
恋愛
名門公爵家の出身トスカーナと婚約することになった令嬢のエリザベート・キンダリーは、ある日トスカーナの不倫現場を目撃してしまう。怒り狂ったキンダリーはトスカーナに復讐をする?
もう我慢したくないので自由に生きます~一夫多妻の救済策~
岡暁舟
恋愛
第一王子ヘンデルの妻の一人である、かつての侯爵令嬢マリアは、自分がもはや好かれていないことを悟った。
「これからは自由に生きます」
そう言い張るマリアに対して、ヘンデルは、
「勝手にしろ」
と突き放した。
全てを捨てて消え去ろうとしたのですが…なぜか殿下に執着されています
Karamimi
恋愛
侯爵令嬢のセーラは、1人崖から海を見つめていた。大好きだった父は、2ヶ月前に事故死。愛していた婚約者、ワイアームは、公爵令嬢のレイリスに夢中。
さらにレイリスに酷い事をしたという噂まで流されたセーラは、貴族世界で完全に孤立していた。独りぼっちになってしまった彼女は、絶望の中海を見つめる。
“私さえいなくなれば、皆幸せになれる”
そう強く思ったセーラは、子供の頃から大好きだった歌を口ずさみながら、海に身を投げたのだった。
一方、婚約者でもあるワイアームもまた、一人孤独な戦いをしていた。それもこれも、愛するセーラを守るため。
そんなワイアームの気持ちなど全く知らないセーラは…
龍の血を受け継いだワイアームと、海神の娘の血を受け継いだセーラの恋の物語です。
ご都合主義全開、ファンタジー要素が強め?な作品です。
よろしくお願いいたします。
※カクヨム、小説家になろうでも同時配信しています。
さようなら、私の愛したあなた。
希猫 ゆうみ
恋愛
オースルンド伯爵家の令嬢カタリーナは、幼馴染であるロヴネル伯爵家の令息ステファンを心から愛していた。いつか結婚するものと信じて生きてきた。
ところが、ステファンは爵位継承と同時にカールシュテイン侯爵家の令嬢ロヴィーサとの婚約を発表。
「君の恋心には気づいていた。だが、私は違うんだ。さようなら、カタリーナ」
ステファンとの未来を失い茫然自失のカタリーナに接近してきたのは、社交界で知り合ったドグラス。
ドグラスは王族に連なるノルディーン公爵の末子でありマルムフォーシュ伯爵でもある超上流貴族だったが、不埒な噂の絶えない人物だった。
「あなたと遊ぶほど落ちぶれてはいません」
凛とした態度を崩さないカタリーナに、ドグラスがある秘密を打ち明ける。
なんとドグラスは王家の密偵であり、偽装として遊び人のように振舞っているのだという。
「俺に協力してくれたら、ロヴィーサ嬢の真実を教えてあげよう」
こうして密偵助手となったカタリーナは、幾つかの真実に触れながら本当の愛に辿り着く。
【完結】番としか子供が産まれない世界で
さくらもち
恋愛
番との間にしか子供が産まれない世界に産まれたニーナ。
何故か親から要らない子扱いされる不遇な子供時代に番と言う概念すら知らないまま育った。
そんなニーナが番に出会うまで
4話完結
出会えたところで話は終わってます。
多分悪役令嬢ですが、うっかりヒーローを餌付けして執着されています
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【美味しそう……? こ、これは誰にもあげませんから!】
23歳、ブラック企業で働いている社畜OLの私。この日も帰宅は深夜過ぎ。泥のように眠りに着き、目覚めれば綺羅びやかな部屋にいた。しかも私は意地悪な貴族令嬢のようで使用人たちはビクビクしている。ひょっとして私って……悪役令嬢? テンプレ通りなら、将来破滅してしまうかも!
そこで、細くても長く生きるために、目立たず空気のように生きようと決めた。それなのに、ひょんな出来事からヒーロー? に執着される羽目に……。
お願いですから、私に構わないで下さい!
※ 他サイトでも投稿中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる