結婚して3年経っても子供ができないという理由で離縁されたエマは、前世の記憶を思い出して幸せになる。周りが勝手に復讐してくれました。

山田 バルス

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第11話 ディアス視点 マーガレットとの出会い

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失われた光、残された温もり
――ディアス視点


 目を覚ましたアメジストは、しばらく天井を見つめていた。

 知らない静けさだった。

「……まま?」

 小さな声で呼ぶ。
 返事はない。

 よちよちとベッドを降り、部屋を出る。
 寝る前までそこにいた人が、今はどこにもいない。

「ままぁ……?」

 声が震え、次の瞬間、泣き声に変わる。

 その声を聞いたとき、私は書斎で思わず立ち上がっていた。

 廊下に出ると、アメジストがその場に座り込み、両手で目をこすっている。

「アメジスト」

 抱き上げると、小さな腕が必死に私の首に回された。

「まま、いない……」

「……そうだな」

 胸が、軋む。

 エマはもう、屋敷を発った。
 それが正しい選択だと、頭では理解している。

 だが、娘にとっては――違う。

「まま、どこ……?」

 私は答えられなかった。

 ◇ ◇ ◇

 ――思い出す。

 あの日の舞踏会を。

 婚約破棄を告げられた直後だった。
 王命による一方的な破談。
 理由も、猶予も、情けもなかった。

 私は、あの夜、空っぽだった。

 笑みを浮かべ、酒を口に運び、心だけが遠くに置き去りにされたまま。

 そのときだ。

 人混みの向こうに、見えたのは――桃色の髪。

 息が止まった。

「……エマ?」

 反射的に、その名を呼びながら近づいた。

 だが、振り返った女性の瞳は、確かに紫水晶の色をしていたが――別人だった。

「……失礼いたしました」

 慌てて頭を下げる私に、彼女は困ったように、そして少しだけ寂しそうに微笑んだ。

「いいえ。誰かに間違えられたのですか?」

 男爵家の娘、マーガレット=ソシエダーラ。

 それが、彼女の名だった。

 彼女は、私の様子を一目で察したのだろう。
 それ以上、何も聞かず、ただ隣に座ってくれた。

「……無理に笑わなくていいですよ」

 その一言で、胸の奥に溜め込んでいたものが、崩れた。

 気づけば、私はすべてを話していた。

 失った婚約。
 未来だと思っていたものが、音を立てて崩れたこと。

 マーガレットは、ただ黙って聞いていた。

「……それは、つらいですね」

 そう言って、そっと、私の手に触れた。

 それだけで、救われた気がした。

 恋に落ちるのは、あまりにも自然だった。

 ◇ ◇ ◇

 だが、彼女には理由があった。

 二十歳になっても、婚約者がいなかった理由。

「……私は、生まれつき身体が弱いんです」

 穏やかな声で、彼女は言った。

「医者には、二十歳まで生きられないだろう、と言われました」

 だが、彼女は生きた。

 二十歳を迎え、それでも生きていた。

「だから、もう十分なんです」

 そう言って笑う彼女が、私は怖かった。

 失う未来を、すでに受け入れている人の笑顔だったからだ。

 私は、プロポーズした。

 彼女は、首を左右に振った。

「私は、あなたの負担になりますから」

「……なりません」

「なります。長く、生きられないものですから」

 私は、諦めなかった。

 未来が短いなら、そのすべてを一緒に生きればいい。

 そして、私たちは結婚した。

 ◇ ◇ ◇

 妊娠を告げられた日の、彼女の笑顔を忘れない。

 だが、同時に医者は告げた。

「出産は、母体が耐えられません」

 子を諦めるべきだ、と。

 私は、マーガレットに言った。

「……やめよう。君が生きてくれれば、それでいい」

 彼女は、静かに首を振った。

「いやです」

 穏やかだが、強い声だった。

「この子を諦めるくらいなら、このまま死んだほうがましです」

 お腹を撫でながら、彼女は言った。

「私が生きた証は、この子なんです」

 涙が止まらなかった。

 私は、何も言えなかった。

 ◇ ◇ ◇

 アメジストは、生まれた。

 しかし、マーガレットは、弱っていった。

 最後の日。

 彼女は、私の手を握り、言った。

「アメジストを、お願いします」

「……ああ」

「私の大切な赤ちゃんを、幸せにしてあげて」

 それから、娘に顔を寄せ、囁いた。

「ごめんなさい……」

「あなたのそばに、ずっといられなくて」

「愛しているわ。私の赤ちゃん……」

 その言葉とともに、彼女は、逝った。

 私は、泣いた。

 声を上げて、泣いた。

 ――また、大切な人を失った。

 ◇ ◇ ◇

「旦那様」

 その夜、執事が言った。

「泣くのは、今日だけにしてください」

「……なぜだ」

「奥様の分まで、アメジスト様を愛する必要があるからです」

 私は、言葉を失った。

「マーガレット様の最期の言葉を、思い出してください」

「……アメジスト様の幸せを、お考えください」

 その通りだった。

 私は、マーガレットとの約束を守らなければならない。

 ◇ ◇ ◇

 腕の中で、アメジストは、まだ小さく泣いている。

「……大丈夫だ」

 私は、背中を撫でた。

「エマは街に戻ったが、お前には父さんがいる」

 私の元にエマはいない。
 だが、マーガレットが残したものは、確かにここにある。

 ――この子を愛する気持ちだ。

 私には、アメジストがいるのだ。
 父として強くならなければならない。

 そして、アメジストの髪を優しく撫でる。

 愛する娘を、何よりも大切にしたい。

 それが私に残された、ただ一つの生き方なのだから。
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