結婚して3年経っても子供ができないという理由で離縁されたエマは、前世の記憶を思い出して幸せになる。周りが勝手に復讐してくれました。

山田 バルス

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第10話 エマ、アメジストと添い寝する

エマ、アメジストと添い寝をする

 
「……エマ」

 夕暮れの光が差し込む応接間で、ディアスは一瞬、言葉を選んでから口を開いた。

「もし可能なら――しばらく、この屋敷に滞在してもらえないだろうか」

 その声には、伯爵としての命令口調は一切なかった。
 ただ、アメジストの父としての切実さがにじんでいる。

 エマは腕の中のアメジストを見下ろす。
 小さな指が、まだ彼女の服をつかんだままだった。

「……もう遅いので、今夜は泊めさせてもらいます」

 そう答えると、ディアスの表情がわずかに緩んだ。

「でも、明日には街へ戻らなければ。仕事がありますから」

 アメジストはその会話の意味を理解していない。
 ただ、エマの胸に頬を寄せて、安心したように小さく息を吐いている。

 それだけで、胸がきゅっとなる。

 ◇ ◇ ◇

 夕食は、三人でとった。

 大きな食卓に並ぶのは、家庭的な料理ばかりだった。
 豪奢ではないが、丁寧に作られた温かい食事。

「まま、これ、すき」

 アメジストは、スープの入った匙をエマに差し出す。

「ありがとう」

 自然に微笑み、受け取ってしまう自分に、エマは内心で驚いていた。

 まるで、ずっと前からこうしていたかのように、違和感がなかった。

 ディアスは、その様子を静かに見守っていた。
 声を挟むこともなく、ただ、確かめるように。

 食後しばらくして、アメジストは小さな本を抱えてエマのもとへ来た。

「まま、よんで」

 アメジストの寝室に移ると、そこには肖像画が置かれていた。
 女性はアメジストと同じ桃色の髪に紫水晶の瞳を持ち、エマによく似ている。
 これならばアメジストがエマを母親と間違えたのも納得できる。
 
 そして、エマはアメジストを膝の上に乗せて、ベッドに腰かけ、本を開く。
 絵本のページをめくるたび、アメジストの瞳がきらきらと輝いた。

「……むかしむかし、あるところに――」

 声に出して読む。
 ゆっくり、優しく、時に高揚をつけながら楽しく。

 アメジストはエマの腕に身体を預け、次第にまぶたが重くなっていく。

 桃色の髪。
 紫水晶の瞳。

 ――どうして、こんなにも似ているのだろう。

 他人の子だと、わかっている。
 それでも、胸の奥で何かが強く訴えてくる。

 すごく……可愛い。

 理屈では止められない感情だった。

「……おやすみ」

 そっと声をかけると、アメジストは小さくうなずき、そのまま眠りに落ちた。

 寝顔を見つめながら、エマはしばらく立ち上がれずにいた。

 ◇ ◇ ◇

 翌朝。

 朝食を終え、エマは身支度を整える。

「そろそろ……行きますね」

 そう告げた瞬間だった。

「……っ」

 アメジストの表情が、見る見るうちに歪む。

「ま……まま……?」

 次の瞬間、大きな声で泣き出した。

「いや! いかないで!」

 小さな手が、エマの服の裾をぎゅっと握る。

 必死で、離すまいとするように。

「……」

 エマはしゃがみ込み、その目線に合わせる。

 胸が、痛いほど締めつけられた。

「……わかったわ」

 自分でも驚くほど、迷いのない声だった。

「一緒にいましょう」

 アメジストは涙を浮かべたまま、こくりとうなずく。

「……ほんと?」

「ええ。行かないわよ」

 その言葉に、泣き声は止まり、ぎゅっと抱きついてくる。

 ディアスは何も言わなかった。
 だが、その沈黙には、感謝と遠慮が混じっていた。

 ◇ ◇ ◇

 昼食を終える頃、アメジストはすっかり疲れてしまい、ソファで眠り始めた。

 すやすやと、穏やかな寝息。

 エマは、その姿をしばらく見つめてから、そっと立ち上がる。

「……今度こそ、行きます」

 声を潜めて告げると、ディアスは静かにうなずいた。

「ありがとう、エマ。また娘に会いに来て欲しい」

 それ以上、引き留める言葉はなかった。

 屋敷を出る直前、エマは一度だけ振り返る。

 眠るアメジスト。
 小さな胸の上下。

 胸の奥に、ぽっかりと空いた穴を感じながら、それでも歩き出す。

 私がいるべき場所は、ここではない。
 自分の居場所は、街にある。

 ――それでも。

 あの小さな手の温もりは、きっと、これからも忘れられない。

 聖女エマは、そうして屋敷を後にした。

 胸に、名もない痛みと、迷いを抱えたまま。
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