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第145話 国王グレイ・テオドリックの懺悔
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「――それでも、我は王であったのだ」
老いた指が、静かに杯を置いた。揺れる葡萄酒の紅が、蝋燭の炎を映して揺らめく。まるで血のように見えた。
グレイ・テオドリック――かつて“白銀の賢王”と讃えられた男は、ただ一人、薄闇に沈む王の間で、息子の婚礼の報せを受けながら、蝋燭の火を見つめていた。
「……あの日から、我が時は止まっておる」
吐き出した独白は誰にも届かない。だが、それでよかった。懺悔とは誰かに許しを乞うためのものではない。ただ、己の過去を裁く刃であればいい。
――ユリウス。愛しき息子よ。汝を導き、育て、守るはずだった父は――何を、為し得たのか。
◇
王位を継いだのは二十のときだった。前王の急逝。国は戦乱の残り火と魔族との小競り合いに包まれ、民は疲弊し、貴族は己が欲に奔走していた。
「テオドリック家に生まれたからには、己の命など、すでに国のものと知れ」
それが、父王の教えだった。
グレイはその言葉を信じ、王たるもの果断であらねばならぬと自らに言い聞かせてきた。清濁併せ呑み、時に非情な決断すら下した。
だが――
息子たちだけは、守れると思っていた。王である前に、父であることができると信じていたのだ。
◇
ユリウスは優しかった。聡明で礼儀正しく、誰に対しても丁寧に接した。民の声に耳を傾け、学び舎では師に好かれ、友にも恵まれていた。
けれど、それは「王に向いていない」ということだったのかもしれぬ。
王には冷酷さが求められる。情に溺れてはならない。
そう教えたのは自分だった。だが――心の奥底では、ユリウスには自分のようにはなってほしくないと、願っていた。
皮肉だった。父としての願いが、王としての教えが、彼の「自由」を奪った。
選べぬ者。流される者。己の意志を殺し、忠義に殉ずるだけの存在に――してしまったのだ。
◇
アリスターの婚約破棄を決めたとき、グレイの中にはすでに迷いがあった。
アイラ・ド・ランヴェールは聡明すぎた。政略の道具としては申し分ない。ゆえに、彼女を守るために、王家としての手続きを整え、醜聞を避けるよう采配を振るった。
だが――なぜ、アリスターを信じなかったのだ?
あれは本当に、婚約者を虐げるような男だったのか?
証拠は一方的な証言のみ。けれど、王としての判断は早急でなければならなかった。
信じられなかった。いや、信じる覚悟が足りなかったのだ。
追放という決断は、王家を守る手段であると同時に、父としての裏切りだった。
アリスターを――息子を、見殺しにしたのだ。
◇
そして、ユリウスに玉座を譲ろうとした。
優秀だったのは長男のはずなのに。
だが、気づけばユリウスが「自分」に似すぎていた。冷酷で、義務に殉じ、情を殺して決断する男に。
我が血は、呪いか。
テオドリック家の“正義”が、アリスターを追い、王座を奪った。
だがそれは、正義ではなかった。
◇
「ユリウス……」
名を呼ぶだけで、胸が締めつけられる。
あの日、玉座の陰に消えた息子は、今や意識こそあるものの、生きた屍のように反応が鈍い。
彼は最後まで王家としての矜持を捨てなかった。それゆえに、壊れた。
もっと早く手を引けばよかった。王としてではなく、父として――ただ一人の人間として、彼を抱きしめるべきだった。
だが、すでに遅すぎた。
聖女もまた、力を失い、命の灯を蝋燭のように細くしている。
すべて、自分の過ちの果て。
◇
誰も知らぬ。
“白銀の賢王”と称された名の裏に、どれほどの罪と後悔が積み重なっているか。
いや、知る必要などない。これが、王として生きた者への報いなのだ。
杯の中で赤い液が揺れる。蝋燭の火が、血のように紅を染めた。
グレイ・テオドリックは、誰に語るでもなく、ただ静かに、言葉を落とした。
「……それでも、我は王であったのだ。悔いても、許されずとも、我は王で――あり続けねばならなかったのだ。今となっては元王だが」
それが、彼の懺悔の果てだった。
そして、最後まで魔族に洗脳されていたことに気が付かないまま元王は、残りの人生を幽閉されたまま過ごすのであった。
老いた指が、静かに杯を置いた。揺れる葡萄酒の紅が、蝋燭の炎を映して揺らめく。まるで血のように見えた。
グレイ・テオドリック――かつて“白銀の賢王”と讃えられた男は、ただ一人、薄闇に沈む王の間で、息子の婚礼の報せを受けながら、蝋燭の火を見つめていた。
「……あの日から、我が時は止まっておる」
吐き出した独白は誰にも届かない。だが、それでよかった。懺悔とは誰かに許しを乞うためのものではない。ただ、己の過去を裁く刃であればいい。
――ユリウス。愛しき息子よ。汝を導き、育て、守るはずだった父は――何を、為し得たのか。
◇
王位を継いだのは二十のときだった。前王の急逝。国は戦乱の残り火と魔族との小競り合いに包まれ、民は疲弊し、貴族は己が欲に奔走していた。
「テオドリック家に生まれたからには、己の命など、すでに国のものと知れ」
それが、父王の教えだった。
グレイはその言葉を信じ、王たるもの果断であらねばならぬと自らに言い聞かせてきた。清濁併せ呑み、時に非情な決断すら下した。
だが――
息子たちだけは、守れると思っていた。王である前に、父であることができると信じていたのだ。
◇
ユリウスは優しかった。聡明で礼儀正しく、誰に対しても丁寧に接した。民の声に耳を傾け、学び舎では師に好かれ、友にも恵まれていた。
けれど、それは「王に向いていない」ということだったのかもしれぬ。
王には冷酷さが求められる。情に溺れてはならない。
そう教えたのは自分だった。だが――心の奥底では、ユリウスには自分のようにはなってほしくないと、願っていた。
皮肉だった。父としての願いが、王としての教えが、彼の「自由」を奪った。
選べぬ者。流される者。己の意志を殺し、忠義に殉ずるだけの存在に――してしまったのだ。
◇
アリスターの婚約破棄を決めたとき、グレイの中にはすでに迷いがあった。
アイラ・ド・ランヴェールは聡明すぎた。政略の道具としては申し分ない。ゆえに、彼女を守るために、王家としての手続きを整え、醜聞を避けるよう采配を振るった。
だが――なぜ、アリスターを信じなかったのだ?
あれは本当に、婚約者を虐げるような男だったのか?
証拠は一方的な証言のみ。けれど、王としての判断は早急でなければならなかった。
信じられなかった。いや、信じる覚悟が足りなかったのだ。
追放という決断は、王家を守る手段であると同時に、父としての裏切りだった。
アリスターを――息子を、見殺しにしたのだ。
◇
そして、ユリウスに玉座を譲ろうとした。
優秀だったのは長男のはずなのに。
だが、気づけばユリウスが「自分」に似すぎていた。冷酷で、義務に殉じ、情を殺して決断する男に。
我が血は、呪いか。
テオドリック家の“正義”が、アリスターを追い、王座を奪った。
だがそれは、正義ではなかった。
◇
「ユリウス……」
名を呼ぶだけで、胸が締めつけられる。
あの日、玉座の陰に消えた息子は、今や意識こそあるものの、生きた屍のように反応が鈍い。
彼は最後まで王家としての矜持を捨てなかった。それゆえに、壊れた。
もっと早く手を引けばよかった。王としてではなく、父として――ただ一人の人間として、彼を抱きしめるべきだった。
だが、すでに遅すぎた。
聖女もまた、力を失い、命の灯を蝋燭のように細くしている。
すべて、自分の過ちの果て。
◇
誰も知らぬ。
“白銀の賢王”と称された名の裏に、どれほどの罪と後悔が積み重なっているか。
いや、知る必要などない。これが、王として生きた者への報いなのだ。
杯の中で赤い液が揺れる。蝋燭の火が、血のように紅を染めた。
グレイ・テオドリックは、誰に語るでもなく、ただ静かに、言葉を落とした。
「……それでも、我は王であったのだ。悔いても、許されずとも、我は王で――あり続けねばならなかったのだ。今となっては元王だが」
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