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第154話 ダリルからみたアリスター陛下の王妹ルシア
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月が綺麗だ、と。
拙者は、硝子越しに咲き誇る白薔薇を見つめながら、心の内で呟いた。静かな夜だ。けれどその静けさは、胸の内に広がる波紋を隠してくれるものではない。
思えば、自分も随分と遠くまで来たものだ。聖教国に仕えていた頃は、信仰と正義だけが道しるべだった。聖女クラリスに「魔族の血が混じっている」と告げた日、自分の人生は音を立てて崩れ去った。
冤罪。だが、それを証明できる者も、信じてくれる者もいなかった。
けれど今は、ここにいる。テオドリック王国、アリスター陛下の即位式に列席したあの日から、少しずつ世界が変わり始めた。
あの即位式は、神の導きであったのか。王都の広場に立ち、堂々と人々に語るアリスター殿下の姿を見て、拙者は胸を衝かれた。
彼は冤罪によって追放され、それでも諦めず、祖国を救うために戻ってきた。自らの手で王となり、国を立て直そうとしている。その姿に――拙者は、嫉妬ではなく、敬意を抱いた。
そして、王の隣に立つ剣聖エリーゼ殿。彼女のまとう気配は、もはや一介の剣士ではなかった。優しさと強さと、そして揺るがぬ信念。
……人は、こうして変われるのだ。過去がどれほど過酷でも、それを抱きしめ、前へと進むことができる。
拙者は、その姿を見て、自らの足元を見つめた。まだ自分は立ちすくんでいるのではないか、と。過去の影に怯え、信仰を盾にして、自らの心に蓋をしてきたのではないか――と。
「……変わらねば」
そう思えたのは、もうひとつの理由がある。
王女ルシア――アリスター殿下の妹君である。
最初は、近づきがたい存在だった。高貴で、気品があって、まばゆい光をまとう人。その印象が、薬草整理を手伝った時に一変した。
袖をまくって泥だらけの葉を仕分ける彼女は、拙者などに礼を言い、笑顔を向けてくれた。
――ああ、神よ。何たることだ。拙者のような陰鬱な者が、この人の笑みに触れてもよいのか。
それからというもの、王都での何気ない時間の中で、何度か目が合うようになった。文官たちに囲まれて困っていた時、拙者が割って入ったこともあった。
そのとき、彼女が微かに頬を染めて「ありがとう」と言った瞬間を、拙者は今も鮮明に覚えている。
気づけば、その姿を探してしまう自分がいた。拙者は神に仕える身だ。恋など――いや、これは恋なのだろうか?
いや、違う。これはただの――だが……。
「……ダリルさんって、不思議な人よね……」
ある日、すれ違いざまに彼女がそう呟いたのを、耳が拾った。
不思議――それは肯定でも否定でもない、けれど確かに、自分を見てくれている言葉だった。
その夜。月明かりに誘われて足を運んだ温室で、まさかその彼女と再び対面するとは、夢にも思わなかった。
「拙者、失礼しました。まさか、お一人とは思わず……」
声が震えた。情けないが、拙者はどうにも女性に免疫がない。ましてや相手は、王女殿下。
「今は……ふたりきりだけど」
ふとした一言に、心臓が跳ねた。
どうしてそんなに、まっすぐな言葉をくれるのだろう。どうして、こんなにも近くにいてくれるのだろう。
「……拙者、少しだけ……おそばにいても?」
「ええ、もちろん」
並んで座るなど、かつての自分なら考えられぬことだった。けれど、彼女の微笑みに導かれるように、拙者はその隣に腰を下ろした。
静かだった。言葉もなく、ただ月を仰いだ。だがその沈黙は、心地よかった。
「……拙者など、至らぬ人間です。過去に縛られ、未だに祈ることしかできない」
思わず漏らした言葉に、彼女は優しく首を振った。
「過去があるからこそ、ダリルさんは優しいのよ。わたし、ちゃんと見てるから」
その一言に、拙者は息を呑んだ。心の奥に、確かに灯がともった気がした。
アリスターとエリーゼが未来へと進み始めたように。
この国が再び立ち上がったように。
拙者自身もまた、新たな道を歩き始めてもよいのかもしれない。
この温室の白薔薇のように、凍える夜を越えて、静かに、けれど確かに、花を咲かせるように。
拙者は、硝子越しに咲き誇る白薔薇を見つめながら、心の内で呟いた。静かな夜だ。けれどその静けさは、胸の内に広がる波紋を隠してくれるものではない。
思えば、自分も随分と遠くまで来たものだ。聖教国に仕えていた頃は、信仰と正義だけが道しるべだった。聖女クラリスに「魔族の血が混じっている」と告げた日、自分の人生は音を立てて崩れ去った。
冤罪。だが、それを証明できる者も、信じてくれる者もいなかった。
けれど今は、ここにいる。テオドリック王国、アリスター陛下の即位式に列席したあの日から、少しずつ世界が変わり始めた。
あの即位式は、神の導きであったのか。王都の広場に立ち、堂々と人々に語るアリスター殿下の姿を見て、拙者は胸を衝かれた。
彼は冤罪によって追放され、それでも諦めず、祖国を救うために戻ってきた。自らの手で王となり、国を立て直そうとしている。その姿に――拙者は、嫉妬ではなく、敬意を抱いた。
そして、王の隣に立つ剣聖エリーゼ殿。彼女のまとう気配は、もはや一介の剣士ではなかった。優しさと強さと、そして揺るがぬ信念。
……人は、こうして変われるのだ。過去がどれほど過酷でも、それを抱きしめ、前へと進むことができる。
拙者は、その姿を見て、自らの足元を見つめた。まだ自分は立ちすくんでいるのではないか、と。過去の影に怯え、信仰を盾にして、自らの心に蓋をしてきたのではないか――と。
「……変わらねば」
そう思えたのは、もうひとつの理由がある。
王女ルシア――アリスター殿下の妹君である。
最初は、近づきがたい存在だった。高貴で、気品があって、まばゆい光をまとう人。その印象が、薬草整理を手伝った時に一変した。
袖をまくって泥だらけの葉を仕分ける彼女は、拙者などに礼を言い、笑顔を向けてくれた。
――ああ、神よ。何たることだ。拙者のような陰鬱な者が、この人の笑みに触れてもよいのか。
それからというもの、王都での何気ない時間の中で、何度か目が合うようになった。文官たちに囲まれて困っていた時、拙者が割って入ったこともあった。
そのとき、彼女が微かに頬を染めて「ありがとう」と言った瞬間を、拙者は今も鮮明に覚えている。
気づけば、その姿を探してしまう自分がいた。拙者は神に仕える身だ。恋など――いや、これは恋なのだろうか?
いや、違う。これはただの――だが……。
「……ダリルさんって、不思議な人よね……」
ある日、すれ違いざまに彼女がそう呟いたのを、耳が拾った。
不思議――それは肯定でも否定でもない、けれど確かに、自分を見てくれている言葉だった。
その夜。月明かりに誘われて足を運んだ温室で、まさかその彼女と再び対面するとは、夢にも思わなかった。
「拙者、失礼しました。まさか、お一人とは思わず……」
声が震えた。情けないが、拙者はどうにも女性に免疫がない。ましてや相手は、王女殿下。
「今は……ふたりきりだけど」
ふとした一言に、心臓が跳ねた。
どうしてそんなに、まっすぐな言葉をくれるのだろう。どうして、こんなにも近くにいてくれるのだろう。
「……拙者、少しだけ……おそばにいても?」
「ええ、もちろん」
並んで座るなど、かつての自分なら考えられぬことだった。けれど、彼女の微笑みに導かれるように、拙者はその隣に腰を下ろした。
静かだった。言葉もなく、ただ月を仰いだ。だがその沈黙は、心地よかった。
「……拙者など、至らぬ人間です。過去に縛られ、未だに祈ることしかできない」
思わず漏らした言葉に、彼女は優しく首を振った。
「過去があるからこそ、ダリルさんは優しいのよ。わたし、ちゃんと見てるから」
その一言に、拙者は息を呑んだ。心の奥に、確かに灯がともった気がした。
アリスターとエリーゼが未来へと進み始めたように。
この国が再び立ち上がったように。
拙者自身もまた、新たな道を歩き始めてもよいのかもしれない。
この温室の白薔薇のように、凍える夜を越えて、静かに、けれど確かに、花を咲かせるように。
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