悪辣と花煙り――悪役令嬢の従者が大嫌いな騎士様に喰われる話――

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1.曲突徙薪

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・曲突徙薪(きょくとつししん)
 災難を未然に防ぐことのたとえ



いや! いやったらいやなの!」

 コースフェルト公爵家令嬢が聞いて呆れるほど、顔面をぐしゃぐしゃに歪めて大泣きするイルゼお嬢様に、俺とカティ――お嬢様付きの女中だ――は顔を見合わせた。どうしましょう? と、カティがおろおろしている。
 お嬢様のワガママなんて、今に始まったことではない。いちいち振り回されるより、「畏まりましたそのように致しましょう」と頷いた方が手っ取り早いのだと、公爵家の優秀な使用人たちは既に理解している。
 だが、今回の“ワガママ”は、お嬢様をなんとか宥めすかして、諦めていただかなくてはならない事情があった。
 何せ、今日は婚約者であるリチャード殿下との顔合わせの日なのだ。
 約束の時間は刻一刻と迫って来ている。いい加減、泣き止ませなければまずい。

「何がそこまで嫌なのか、見当も付きませんが、あまりお泣きになりませんように。泣き腫らしたかんばせで、殿下の前に立つおつもりですか?」
「いい! 殿下のお嫁さんになんか、なりたくないから、いいの!」
「…………それはまたどうして」

 思わず、目を丸くした。
 現在、三大公爵家フェルトには、殿下と歳が近いご令嬢がお嬢様以外にはいない。
 内政を重視している現王の方針もあって、お嬢様が婚約者に選ばれることは、まず間違いない状況だった。
 だが、デビュタントを迎えるよりも前に婚約が成立したのは、ひとえにお嬢様が「王子様のお嫁さんになりたい!」と駄々をこねまくったからだと聞いている。
 念願叶って婚約者になったと言うのに、大きな瞳から涙をぼろぼろ溢しているのは、一体どういうことなのか。

「だって! だって……いやなの……やなのっ」
「理由を教えてくださいませんか?」
「…………だって、エリアーシュは、信じてくれない」
「お嬢様が“信じろ”と仰るなら、一分の疑問も抱かないことをお約束しましょう」

 不安に揺れる瞳が、じっと覗き込んでくる。嘘は吐いていないか。本当に、信じてくれるのか、と。

「……本当に、信じてくれる?」
「もちろんです、お嬢様」

――――そのときの俺は、屋敷の誰かに王宮の良くない噂でも聞いたのだろうな、程度にしか考えていなかった。
 言い訳をするつもりはないが、俺は当時まだ十三かそこらのガキで。まだまだ未熟な使用人道具で。

「……わたし、しんじゃうから。殿下の婚約者になったら、殿下に殺されちゃうんだもの!」

 ちょっとさすがに予想もしていなかった言葉だった。反応が鈍くなってしまっても、仕方がないと思う。
 いやだって、まだ会ったこともない婚約者に殺されると怯えてるとは思わないだろ? 気でも狂ったのか?

「何故です?」
「わたしが、悪役令嬢だから!」
「お嬢様が、悪役令嬢」

 悪役令嬢、とはなんぞ。
 何を言っているのか分からないが、“ちゃんと聞いていますよ”との意を込めて、お嬢様の言葉を繰り返す俺はできる使用人だと思う。

「殿下の好きな人をいじめて、殿下に婚約破棄されて!」
「殿下の好きな人をいじめて、婚約破棄されて?」
「コースフェルト家は没落して、わたしは人買いに浚われて死ぬか、殿下の命で処刑されるんだもの!」
「……………………なるほど?」





「エリアーシュ、遂にこの日がやって来たわ!」
「はい、お嬢様」

 十五歳を迎えたお嬢様は、今日からフェルトフルーレ王立学園に通うこととなる。
 フェルトフルーレ王立学園は、十五歳を迎えた全ての貴族、そして有力な商会の子息子女が入学する、高等教育機関だ。
 最近は、幼年学校で優秀な成績を修めた平民も、入学を認められるとか。
 とはいえ、割合としては圧倒的に貴族の子息子女が占めている。八割貴族、一割平民。残り一割は、俺のようにご子息ご令嬢の世話役兼お目付け役の使用人だ。
 悲しいかな、既に成人を迎えている俺だが、お嬢様と共に学園に入学することとなった。特別手当を頼む。

「目指せ、殿下との婚約を穏便に破棄! 私が、殿下の恋人に意地悪をしそうだったら、殴ってでも止めてちょうだいね!」
「お引き受けいたしかねます」
「わ、私が、破滅しても良いと言うの!?」
「お嬢様が破滅する前に、私が破滅してしまいますので」
「あうう」

 珍妙な声を上げたお嬢様が、カウチソファに力なく倒れ伏した。
 せっかくの制服にシワがつくので、出来ればすぐに起き上がって欲しい。

「別に、婚約破棄しなくとも良いのではありませんか?」
「だめよ! 処刑されてしまうって、何度も言ったじゃない!」
「お言葉を返すようですが、殿下がお心変わりするようには思えません」
「いいえ。学園で、殿下は運命の方と出会って、本当の恋をするのよ。そう決まっているから」
「左様でございますか」

 運命だとか、決まっているだとか、俺にはさっぱり理解が出来ない。
 少なくとも、王太子殿下は、婚約者であるお嬢様に心を砕いているように見える。
 お嬢様だって、殿下を憎からず思っているようなのだし、努力の方向性を変えた方が、精神的に健全なのではなかろうか。

「お嬢様、エリアーシュ。王太子殿下が到着なさいましたよ」
「もう!?」

 お嬢様が、公爵令嬢とは思えない素早さで飛び起きた。上ずった声とほんのり赤らんだ頬は、見間違いなどではない。とても嬉しそうである。
 ちなみに、王太子殿下が入学式の日にわざわざお嬢様に会いに来たのは、二人で一緒に登校する為だ。
 未来の王と王妃の仲睦まじさを知らしめる、ある種のパフォーマンスとも言う。

「お嬢様、王太子殿下をお待たせする訳にはいきませんよ」
「そ、そうね。行きましょう!」

 玄関には、お嬢様の婚約者であらせられる、リチャード・ルツ・ヴィダル・フェルトフルーレ王太子殿下と、殿下の護衛騎士であるシルヴェリオ・ハイドフェルト様の姿があった。
 “フェルト”の名が示すように、ハイドフェルト様もまた公爵家のご令息だ。

 王国の法務を司る“審判”のコースフェルト。
 王族の護衛騎士を務める“武威”のハイドフェルト。
 そして、王国の政務を司る“行政”のヒルシュフェルト。

 殿下と公爵家の子供たちは、国を支えるものとして、切磋琢磨し合いながら、今日に至るまで交流を深めている。
 だからまぁ、突然現れた泥棒猫を恐れることはないと思うのだが、お嬢様は婚約者と幼馴染みに裏切られると信じて疑わない。

「おはよう、イルゼ」
「おはようございます、リチャード様。それにシルヴェリオも」
「ああ」

 穏やかな日溜まりのような笑顔を浮かべる殿下と、ふと目が合った。合ってしまった。
 関わり合いになりたくなくて、お嬢様から五歩ほど離れた位置に立っていたのに。

「エリアーシュもおはよう」
「おはようございます。王太子殿下におかれましては、ご入学誠におめでとうございます。臣民の一人として、お喜び申し上げます」
「そんなに堅苦しくしないでよ。同じ学舎に通う生徒なんだから」
「畏れ多きことにございます。何卒、ご容赦くださいませ」

 例え、同じ学舎に通う生徒だとしても、王族と使用人では、天と地ほどの差がある。親しげに口を利いて良い筈がないと、何だって汲んでくれないのだろうか。
 そして、理解していないの王太子殿下だけではなく、殿下の護衛騎士様にも言えることだ。
 ひとたび街を歩けば、道行くご婦人方が色めき立つ端正な顔を、微かに歪ませている。いけすかないこの男に、そんな顔をさせていると思うと気分が良い。

「リチャードの心遣いを無為にするつもりか、エリアーシュ」
「……殿下。それにハイドフェルト様も、私のことはどうか、とお呼びください。私のような使用人道具風情の名を、殿下や公爵子息様が口にしてはなりません」
「っ、おまえは!」

 殿下の笑顔は翳り、ハイドフェルト様はますます眉間の皺を深くした。
 言いたいことは何となく分かる。溜息をついて、毎度よろしく懇切丁寧に説明してやりたいところだが、余りのんびりしてもいられない。
 入学式初日から、王太子殿下と公爵家令息令嬢を遅刻させてみろ。責められるのは、使用人なんだからな。

「さあ、参りましょう。お話はまたのちほど」

 お三方を促して、玄関の扉を開け放って…………いや、ちょっと待て。馬車が一台しかないように見えるんだが?
 まさか、ただの使用人風情に、殿下と公爵令息令嬢と、同じ馬車に乗れとかほざくのか?

「なんだか、子供の頃を思い出すな。シルヴェリオと、イルゼと、それからエリアーシュとで、ピクニックに行ったことがあったっけ」

 そのまさからしい。神は死んだ。
 使用人は、入学式典に出なくて良いのが救いだろうか。正しくは、“出なくて良い”ではなく“出られない”なのだが、ほぼ誤差の範囲である。
 王太子殿下ご一行と別れたとき、「何を企んでいるのかは知らんが、軽率な行為は慎めよ」と、ハイドフェルト様からありがたい言葉を賜ってしまった。

「……あの清廉潔白な騎士様は、俺を何だと思ってんだ? いや、俺の何なんだ?」

 思わず、独り言つ。そして溜息。
 なんだって、あのお方は俺に突っ掛かるんだ。お貴族様が、使用人道具に執心する理由、とは。
 ……いや、お優しいハイドフェルト様――王太子殿下やイルゼお嬢様もだ――は、俺のような使用人道具を、自らと同じ人間とお考えのようなんだったか。
 バカバカしいったらねえな。遥か高みに在りながら「同じ人間だ」などと、笑わせてくれる。
 そもそも、本当に対等であったなら、そんな戯れ言を口にする筈がない。無意識のうちに見下しているから、そんな言葉が出るんだろうよ。
 いや、無意識だったとしても、王族や貴族の命と、平民の命は釣り合わないことを理解してくれている方が良いと、俺は思う。
 平民一人死んだときの損失と、王が死んだときの損失は等しいか?
 答えは否だ。命に、貴賤はある。
 国の仕組みを変えないまま、ご立派な主義主張を繰り返す危うさを、あの方々はきちんと理解していない。

「……と、のんびり考えごとしてる暇ねえか」

 入学式の一週間前から、通常業務の合間を縫って、さまざまな準備をしていたが、それはあくまでお嬢様のためのもの。
 やることはいくらだってあるが、まずは自分の部屋の片付けを済ませないと、寝るスペースさえもない。

「あ! ねえねえ、君さあ!」
「……何か?」

 考えごとをしていた為か、反応が遅れてしまった。公爵家の使用人にあるまじき失態だな。
 駆け寄ってきた男は、整った容貌に人懐っこい笑みを湛えていた。
 制服に着古した感があるから、おそらくは上級生だろう。だが、有力貴族の子息子女の名と顔はすべて把握しているつもりだが、眼前の男に見覚えはない。
 地方から出てきた下位貴族の子息子女までは把握し切れていないから、分からなかったとしても仕方がないんだが。

「さっき、王太子殿下とご婚約者のコースフェルト公爵令嬢と一緒にいた使用人だよねぇ?」
「はい、間違いございません」
「うんうん、良かったぁ。俺ね、ヴェンツェル・グリニコフって言うの」
「……グリニコフ、とはあのグリニコフ商会ですか?」
「そうだよぉ。『対価さえいただければ、どんなものでもご用意いたします』のグリニコフ商会でーす」

 ……まさか、グリニコフ側から声を掛けて来るとは思わなかった。手間が省けて何よりだ。
 王国随一のグリニコフ商会は「対価さえいただければ、どんなものもご用意いたします」と豪語して憚らない。
 事実、その言葉に嘘偽りはなく、裏では非合法な取引をしているとも噂されている。
 あくまで噂に過ぎないのか、噂の域を出ないよう操作しているのかまでは……まあ、言わぬが花ってやつだ。

「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。コースフェルト家使用人、エリアーシュ・メルカダンテと申します」
「エリアーシュ……うん、エリィ! エリィはイルゼちゃんの使用人として学園に来たんだよね?」

 馴れ馴れしいな、おい。もちろん、口には出さなかったが。

「はい。旦那様のご指示により、お嬢様がご卒業まで側でお支えすることになっております」
「ではでは、何か欲しいときは、是非とも俺に声を掛けてよ! サービスしちゃうから?」

 微笑み返しながら、頭の片隅に仕舞っておいた情報を引っ張り出す。
 何故、ヴェンツェル・グリニコフについて把握していなかったかというと、学園に在籍している“グリニコフ”が七、八人もいるからだ。
 現グリニコフ会長は「次代の会長の座を、最も稼いできた子供に譲り渡す」と宣言し、血の繋がった子供のみならず、才能溢れる子供を養子に迎え、相争わせている、らしい。
 ヴェンツェル・グリニコフが直系なのか養子なのか定かではないが、彼もまた継承ゲームに参加している一人であることは間違いないようだ。
 親しげな面で近付いてきた目的は、公爵家という太客を確保するためだろうから。

「……グリニコフ先輩。いかほど支払えば、私と懇意の間柄になっていただけますか?」
「えぇ? 俺と深い仲になりたいの~?」
「はい。例えばそうですね……あなたの手が会長の座に届くほど投資をしたら、どれほどの仲になれるでしょう」

 俺の言葉が意外だったのか、グリニコフ先輩は目をしぱしぱと瞬かせ、ややあってから人を食ったような顔で笑った。
 人懐っこい顔が作り物。本性はこちらの方か。人間性で左右されるのではなく、損得で態度を変えてくれる人間は分かりやすくて良い。

「目的は?」
「さて。いつか来るかもしれない破滅を回避するべく、打てる布石を打っておきたい、とか」
「……つまり悪巧みに付き合えってことぉ?」
「出会って間もない先輩にまで、私が悪巧みをするような人間に見えているとは、なんだか面映ゆいですね」

 当たらずと雖も遠からず、だ。
 悪巧みの何が悪い? 姑息。邪道。卑怯。大いに結構。破滅しないよう、上手く立ち回れば良いだけのこと。
 さあ、どうやって“没落エンド”とやらを回避してみせようか。
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