悪辣と花煙り――悪役令嬢の従者が大嫌いな騎士様に喰われる話――

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4.愛執染着

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・愛執染着(あいしゅうぜんちゃく)
 愛欲の執着。
 異性に対する強い欲望にかられること




「シルヴェリオ・ハイドフェルト」

 消灯時間を過ぎた夜半、ハイドフェルトの部屋の扉を叩く音があった。
 ハイドフェルトがまだ起きている、と確信しているノックに、来訪者が誰なのかは予想がついた。
 ちょうど良い。昼に聞き損ねた話の続きができる。
 そう思って扉を開け、目を瞠った。薄暗い廊下に立っていたのは、予想通りの人物だったけれど。
 彼の人が浮かべていた表情に、ハイドフェルトは微かに息を呑んだ。

「失礼」

 部屋の主の反応に気付いていないのか、或いは気付いていてどうでも良いのか、エリアーシュが断りなく部屋の中に足を踏み入れる。
 戸惑うハイドフェルトを余所に、エリアーシュは「例の件の進捗は?」と、前置きもなく話し始めた。
 らしくない、と一言で済ませられないほど、今のエリアーシュは異様だ。
 当人の性格と、“従者”としての振る舞いもあって、普段のエリアーシュは嫌味なほどに饒舌だ。人当たりの良い声と言葉で、他人を煙に巻くのが上手い。
 だが、今夜は。煙の向こうの本音が、僅かに見え隠れしているようで。

「……いや、まだだ。コルデーは、あれっきり見付かっていない」
「騎士団は、他にもまだあると踏んでいるのですね?」
「ああ。だが、相手はプリムローズ伯爵家だ。屋敷を捜査する令状など、易々と下りるものではない」
「なるほど。とどのつまり、現状は手詰まりですか」

 認めるのは癪だが、エリアーシュの言葉に反論の余地がなかった。
 少なくとも、二、三日の間に、事態が好転することはないだろう。

「一つ、確認を。王太子殿下は何を考えて、あの雌豚と一緒にいらっしゃるのです。よもや、気でも触れましたか?」

 エリアーシュの物言いに、ハイドフェルトは眉を顰めた。気持ちは分からないでもないが、余りにも言葉が過ぎる。
 かといって、今のハイドフェルトは、主君を庇えるだけの言葉を持ち合わせていなかった。
 リチャードが何を考えているのか、理解しかねているからだ。
 おそらくではあるが、リチャードにイルゼと婚約を破棄するつもりはない。だが、確証がある訳でもない。
 主君の真意を図りかねている以上、ハイドフェルトには、答える必要はないだろう、と濁す以外になかった。

「あくまでも、これは我が主君リチャード殿下、おまえの主君であるイルゼ嬢双方のために組んだ一時的な協力体制だ。そうだろう、エリアーシュ」
「故に、主君の心中まで明かす義理はない、と?」
「……知りたければ、そちらも手札を明らかにしろ。ヴェンツェル・グリニコフと、何を企んでいる」

 “相応の対価さえ払えば、どんな物でも手配する”を謳い文句に、グリニコフ商会は有数の商会として名を馳せている。
 同時に、金さえ払えば非合法な物さえも手に入れるといった、良くない噂を耳にすることも少なくない。
 清いだけの水に魚が住めないように、彼らのような濁りも時に必要だろう、と理解はしている。
 だが、主君の婚約者側の人間が、後暗い相手と密接な関係を築いていることを看過できるか、となると話は別だ。
 他でもない、胡散臭い人間エリアーシュなのだから。

「またそれですか。答える必要はないと言いましたが」
「ならば、こちらも手札を明かすつもりはない」

 思い返すのは昼間のこと。底知れない笑みを浮かべたあの男とすれ違ったとき、嗅いだ覚えのある匂いがした。
 鼻孔を擽る、リアの花の匂い。己のものとは違う、細い指先。部屋に溶ける、花煙り。弧を描く、形の良い唇。
 理解した瞬間、腸が煮えくり返った。ヴェンツェル・グリニコフには、匂いが移るほどの距離を許すのか、と。
 激情のまま、問い詰めてしまいたい。けれど、王家の剣ハイドフェルトとして、その名と誇りを穢すような真似をするなど、許されざることだ。

「質問を変えます。――――物的証拠があれば、騎士団は即時に動けるのですね?」
「……エリアーシュ、何を考えている」
「さて。少なくとも、騎士団の世話になるような悪手は打ちませんのでご安心を」

 エリアーシュの微笑には温もりと呼べるものが一切なく、ハイドフェルトの背に嫌な汗が浮かぶ。
 何を考えているのか予想もつかないが、どうにも嫌な予感が過ってならない。

「エリアーシュ!」
「それでは、良い夢を」

 閉ざされた扉は、ハイドフェルトとエリアーシュの距離だ。境界線と言うべきかもしれない。
 慇懃無礼が肉を得たような男。信頼からは、ほど遠い人間。
 だと言うのに、あんなにも忌々しく思うのに、何故だか目が離せなくて。

「ッ、エリアーシュ……」

――――腹の底に溜まる蟠りは、一晩経っても鎮まることはなかった。
 自然、微笑の仮面を被った男の姿を探すも、どこにも見当たらない。
 見付けたところで、あの男と友好的な関係が築けるとは思えないのに。

「あっ、シルヴェリオくんだぁ」

 ざわり、と肌が粟立った。彼が後暗い噂に事欠かないグリニコフ商会の人間ということを差し引いても、頭はヴェンツェル・グリニコフを“敵”と判断したようだ。
 もし、ここが戦場であったなら、問答無用で斬り捨てていたかとしれない。
 険を帯びた視線を一身に受けていると言うのに、ヴェンツェルは何が楽しいのか、にやにやと笑みを浮かべている。

「んふふ。俺のこと、殺したくて仕方ないって顔してるくせに、シルヴェリオくんは健気だねぇ」
「……教えてほしい。あなたとエリアーシュは、どんな関係なんだ」
「強いて言うなら……同じ価値観で物を見られるオトモダチ?」

 ヴェンツェルの笑みには、嘲りの色が滲んでいた。
 自分なら、エリアーシュを理解できる、と。ハイドフェルトおまえには分からないだろう、と言いたげな顔だ。

「ハイドフェルト様や王子様はさあ、愛や友情不確かなものを信じてるでショ? 俺とエリィはね、そんなものより目に見える利益を優先してるだぁけ」

 ヴェンツェルにしろ、エリアーシュにしろ、ハイドフェルトという人間を随分と誤解している。
 仮にも、ハイドフェルトは王家の剣だ。必要とあれば、国益を優先して非情に振る舞うこともある。
 ただ、国益だけを優先している訳ではないだけ。目に見える利益だけを追い求めても、幸福にはなれないからだ。
 ハイドフェルトが持論を伝えると、ヴェンツェルは「分からないでもないよ。面白いこととか、キモチイイことも大事だからね」と肩を竦めた。

「……清廉潔白な騎士様シルヴェリオくんが、もっとぐちゃぐちゃになったらどうなるかなぁ」
「グリニコフ先輩?」

 何を、と戸惑うハイドフェルトに、ヴェンツェルが距離を詰める。
 幸か不幸か、ヴェンツェルの身体から、リアの花の香りはしなかった。
 だが、もたらされた情報は、ハイドフェルトから理性的な思考を奪うには、十分過ぎるほどの代物で。

「――――今、何と言った」
「だぁから、アリシアちゃんといちゃいちゃしてたらさあ、怖い目をしたエリィが彼女を連れてちゃったんだよねぇ」
「ッ、何故止めなかった!」

 ハイドフェルトは、沸き立つ激情のままに胸倉を掴んだ。
 対して、ヴェンツェルは婉然と微笑んだまま。こてんと小首を傾げて、言う。

「止めたら、俺がなんか得したの?」
「ッ、下衆が!」
「褒め言葉だよ。俺にも、エリィにもね」

 せせら笑うヴェンツェルを突き飛ばし、ハイドフェルトは駆け出した。
 どこだ。どこだ。どこだ。あのいけ好かない男を、今は一刻も早く見付けたかった。
 足は、特別応接間へと向かう。ハイドフェルトの視界には、薄桃色の髪の少女とエリアーシュの姿が飛び込んできた。
 使用人なので、と決して席にはつかないエリアーシュが、ソファに腰掛けている。己のものよりも華奢な指先が、白磁のカップのハンドルを握っていて――――。

「ッ、それを飲むな、エリアーシュ!」

 ハイドフェルトの鬼気迫る声に、特別応接間の空気がにわかに騒がしくなった。
 壁際に控えていた学園付の使用人たちは、顔を見合わせて戸惑いを隠さない。
 エリアーシュの対面に座っていたアリシアは「シルヴェリオ様!?」と、突然のことに目を丸くしている。
 ただ一人、エリアーシュだけが常と変わらずに柔和な仮面を被り――――否、いつもと決定的に異なる点が一つ。
 完璧に見えた仮面に、わずかな歪み。氷のように冷えた瞳を、白磁のカップに注いでいる。
 ……ああ、なるほど。そういうことか。

「プリムローズ嬢、その紅茶に何を盛った?」
「な、なんのことだか分かりません!」

 アリシアはぶんぶんと首を横に振っているが、その瞳は忙しなく泳いでいる。何かやましいことがある、と言っているようなものだ。
 詰問を重ねようとするも、それを止めたのは他でもないエリアーシュだった。

「……ハイドフェルト様は、何か勘違いをしているのでしょう。プリムローズ嬢は、私のような使用人にも紅茶を振る舞ってくださったのです」
「そ、そうです! イルゼ様はどうか知りませんけど、わたしはエリアーシュさんとも、対等に仲良くしたいので……!」
「プリムローズ嬢は本当にお優しい方ですね。このような方が、一体何を盛ったと言うのです?」

 こてんと小首を傾げて微笑むエリアーシュに、ハイドフェルトは愕然とした。
 紅茶に何か盛られていると分かっても、決定的な証拠とは言い難い。
 あのエリアーシュが、不確実な証拠で引き下がるだろうか。答えは否である。
 より確実な証拠を手にするために、アリシア・プリムローズを追い詰めるために、自分でさえも犠牲利用する気だ。

「……ならば、それは俺が飲んでも構わんな」
「なッ!」

 言うが早いか、エリアーシュの手からカップを奪い、一息に飲み干した。
 ただの紅茶にしては、妙に甘い。体温が一息に上がったのを感じた。やはり、何か盛ったのかと確信を抱く。
 エリアーシュは「この行為に、何の情も含んではいない」と言い張るだろう。
 だが、本当にそうなのか? 打算のためだけに、自分の身を使えるのか?
 希望的観測だ、と冷徹な理性が断じる一方で、根付いた夢想が甘い声で囁いた。
 エリアーシュとて、情に突き動かされることもあるのかもしれない、と。
 ハイドフェルトが、どうしようもないほど、エリアーシュに焦がれているように。焦がれる余り、我が身を利用してしまったように。

「……プリムローズ嬢、失礼します」
「えっ、きゃあ!」

 忌々しげに顔を歪めたエリアーシュが、荒々しく立ち上がり、アリシアの腕を強く引いた。
 突然のことに抗えず、彼女の身体はぽすんとエリアーシュの腕の中へ。瞬間、アリシアの制服のジャケットから何か、白い包み紙のような物が転がり落ちた。
 はっと息を飲むアリシアよりも早く、ハイドフェルトが包みを拾い上げる。

「これは、コルデーか」
「おそらく。然るべき機関に提出して調べる必要はありますが」

 この場で分からなくとも、調査して結果が明らかになれば、いかにプリムローズ伯爵令嬢とて言い逃れは出来ない。
 自らの危うさに気付いたのか、アリシアは顔を青くし、ふるふると力なく首を横に振った。

「ち、ちがっ! だって、部屋に置いてきたはずなのに……!」
「部屋、か。真偽はどうあれ、確かめねばならんな」

 アリシアがはっと口許を覆い隠すも、彼女の失言は確と耳にした。
 ふと、応接間に近付く複数人の足音。騎士たちと傍らに婚約者を連れたリチャード王太子が、悠然とした足取りで、微笑みを浮かべながら、姿を現した。

「――――これはどういう騒ぎか、教えてくれるかな。プリムローズ嬢、シルヴェリオ、エリアーシュ」

 リチャードは、普段は何があっても離れないハイドフェルトが、学園付の騎士に護衛を任せた事実を訝しく思い、ハイドフェルトの姿を探していたのだと言う。
 折よく、イルゼもまた、普段と様子の違ったエリアーシュの姿を探していて、リチャードに何処にいるか知らないか、と尋ねた。
 リチャードの護衛を務める騎士と、イルゼ付の従僕が揃って姿を消す。ただならぬ事態に、二人は共に探し歩き、そうして辿り着いた先が特別応接間だった。

「リチャード様。プリムローズ伯爵の荷からご禁制の毒薬、コルデーを見付けたことはご報告いたしましたが……本日、アリシア・プリムローズも妙な包みを所持していることが分かりました。調査する必要があります」
「……なるほど。そのようだね」

 鷹揚に頷くリチャードに、アリシアはますます顔色を悪くする。
 リチャードならば庇ってくれる、と浅はかなことを考えていたのかもしれない。
 エリアーシュを突き飛ばし、リチャードの腕にすがり付いた。

「ま、待って、リチャード様! リチャード様!」
「……プリムローズ嬢、良い機会だから言っておくけれど、親族以外で名を呼ぶことを許したのは、僕の幼馴染みと、友だけになんだ。不快だ、二度と僕の前に現れないように」

 リチャードの微笑は、常と何も変わらない。アリシアがすぐ隣を歩いても、リチャードはただ婉然と微笑むだけだった。今、彼が浮かべている微笑にも、昨日まで間近で見ていた微笑にも、何も違いはなかった。
 唐突に、少女は理解する。リチャードは、アリシアの振る舞いを咎めることはなかった。咎めることはなくとも、許していた訳ではないのだと。
 騎士に連行されるアリシアを一瞥もせず、リチャードはハイドフェルトとエリアーシュに「大丈夫かい?」と声をかけた。その顔に笑みはなく、気遣いの色が滲んでいる。

「王太子殿下。ハイドフェルト様がプリムローズ嬢の紅茶を口に含んでしまいました」
「何か入っていた?」
「おそらく、アニマ……麻薬でしょう。彼女の常套手段です」

 エリアーシュは、自分の身を利用するつもりだった。分かっていたことでも、実際に声に出され、耳にしてしまえば、沸き立つ怒りは抑えられそうにもない。
 涼しい顔をしているエリアーシュの手首を掴み、激情のままに声を上げる。

「……おまえは、何を考えているッ!」
「分かりやすい証人が必要だったでしょう?」
「あれを飲んで、おまえはどう対処するつもりだった!」
「どうにでもなりますし、どうにかするつもりでした。ハイドフェルト様が口にする必要は……そもそも、どうしてあんな愚かな真似をしたのです?」

 愚か、と。自分のことは棚に上げ、エリアーシュは平気な顔でハイドフェルトを責める。
 確かに、ハイドフェルトの行いは愚かであった。公爵家の使用人と、王族の護衛騎士。どちらの身に価値があるか、考えるまでもない。使い捨てるべきは、エリアーシュだ。けれど、ハイドフェルトには出来なかった。
 エリアーシュの人となりは理解している。愛や友情不確かなものをせせら笑い、より確実な利益と効率を優先する、およそ信頼関係を構築できるとは思えない男。
 けれど、愚かな真似を犯すほどに、ハイドフェルトはエリアーシュに焦がれていた。
 はたして、この熱の正体が恋と呼ばれる類いのモノなのか、ハイドフェルトには分からない。
 恋とは、燃え盛るほどに熱く、苦しく、ともすれば憎らしくなるほどの激情を孕むものなのか。

「――――リチャード様、御前を失礼する。仔細は後程、必ず」

 エリアーシュの腕を引き、特別応接間を後にする。主君は驚きに目を丸くしていたけれど、騎士の無作法を咎めることはなかった。
 耳のすぐ横に心臓が移動したかのように、鼓動がかしましく脈打っている。
 その所為で、エリアーシュが何か言っているのに、上手く聞き取れなかった。聞き取れたところで、足を止められたとは思わないが。
 寮の自室に戻り、エリアーシュの身体をベッドに突き飛ばす。

「あれを飲んで、どうするつもりだった。女でも抱くつもりだったのか」
「っ、そんなこと、ハイドフェルト様に答える必要があるとは思えませんが」
「それとも、抱かれるつもりだったのか? 例えば、ヴェンツェル・グリニコフに」
「…………は?」

 ぽかんと見上げるエリアーシュだったが、ハイドフェルトの言葉の意味を理解したのか、その美しいかんばせに、ぞっとするような、酷薄な微笑を浮かべた。

「もし、そうだったとして? 俺の身体を、俺の好きに扱って、おまえに何の不都合がある?」

 エリアーシュの言葉は、“在りし日“を――――エリアーシュという男の本性を、初めて知った日を想起させた。
 くくっと喉奥で嗤ったエリアーシュの細い指が、ハイドフェルトの顎を掬う。
 たったそれだけの触れ合いで、ハイドフェルトは股座に滾るモノを感じた。

「お可哀想なハイドフェルト様。もうそろそろ、アニマの効果が回りきって来る頃だろ? 俺の身体で気持ち良くしてやろうか」

 ハイドフェルトには不可能だ、とエリアーシュは踏んでいるのだろう。
 身体は燃え盛るように熱かった。何より、憤怒と悲哀で気が狂いそうで、まともな思考などできる筈がなく。
 故に、突き動かされるまま、せせら笑うエリアーシュの唇に、噛み付くようなキスをした。

「ンッ!」

 顎を押さえ付け、半端に開いた唇の隙間を、舌で抉じ開ける。粘膜の薄い上顎を愛撫してやると、腕の下の身体が小さく跳ねたようだった。
 奥に逃げ込んだ舌を追いかけ、絡ませ合う。ぐちゅぐちゅと、妙に淫猥に響く水音が耳を擽った。

「ふ、んンッ、ハイド、フェルト、様……!」

 口付けの合間に、非難めいたエリアーシュの声。
 何を今さら、とハイドフェルトは内心で失笑する。先に煽ったのは、エリアーシュの方だと言うのに。

「は、」
「ん……んぅ、ぐっ」

 口内に溜まった唾液を、エリアーシュがごくりと嚥下する。
 自分の体液が、エリアーシュの喉を通り、胃に落ちていくのだと思うと、震え上がるほどの興奮をもたらした。
 名残惜しみつつ、唇を離し、エリアーシュを見下ろして、嗤う。

「抱かれてくれるのだろう、エリアーシュ」

 エリアーシュが、信じられないとばかりに目を瞠った。
 シルヴェリオ・ハイドフェルトは、エリアーシュ・メルカダンテの在り方を、誰よりも何よりも嫌悪している。
 そのハイドフェルトが、他でもないエリアーシュの身体を求めるなど、さすがに予想していなかったに違いない。ハイドフェルトとて、こんなつもりは毛頭なかった。
 急き立てられるように服を剥ぎ取る指先には、余裕も気遣いも皆無だ。いくら薬に耐性があっても、一息に飲み干した為か、噛み締めた奥歯の合間から、荒々しい息が溢れてきた。
 身を捩り逃げ出そうとするエリアーシュを無理矢理に押さえ付け、露わになった秘部を潤滑油で解し、目の前の“雌”の はらを犯す。

「エリアーシュッ……」
「ひっ、あ、あ、あンッ、んぅ!」

 解したつもりではあったが、受け入れる側の負荷を考えれば、もう少し時間をかけるべきだったかもしれない。
 だが、エリアーシュの口からこぼれる声は快楽けらくに震えていて、僅かに浮かんだ懸念など泡のように溶けて消えた。

「や、やめッ、いや、やァッ」

 美しい顔をくしゃくしゃに歪め、激しい悦楽に涙を流しているくせに、エリアーシュはぶんぶんと首を横に振る。
 国と王に忠誠を誓う、誇り高き騎士として生きることを求められてきた己が、何たる有り様か。けだもののように腰を動かし、目の前の獲物を貪り喰らうことしか考えられないなんて。
 ああ、けれど。けれど、仕方がなくもあった。もはや己は清廉潔白な騎士からは程遠い。そんなこと、もうずっと前から分かっていたことだ。

「――――好きだ」

 腕の中の身体が、びくりと跳ねた。快楽に潤んでいた瞳に理性の光が戻る。
 呆然とするエリアーシュに、ハイドフェルトは皮肉げに笑んだ。

「好きだ、エル。ずっと前から、おまえが、おまえだけが好きなんだ」

 よりにもよって、と何度思ったか。どうしてこの男だったのか、と何度悩んだか。
 浅ましい肉欲に突き動かされるまま、嫌がる相手を無理矢理に犯すなど、騎士としても一人の人間としても許されざる行為だ。
 それでも、エリアーシュが欲しくて欲しくて堪らなかった。

「あァッ、あ、あンッ、ん、うっ」
「ッ、出る……!」
「なっ! やめ、や、あぁッ、あ、出す、な、ひあッ!」
なかに、出してやる……!」

 はらに出したところで、女と違って孕むことなどない。
 穢されるとでも言うのか。ああ、いっそ穢れてしまえば良いのだ。

「おまえがっ、俺を堕としたよう、に……ッ」

 おまえも、堕ちてしまえば良い。エリアーシュへの、ただ美しいだけだった想いが穢されてしまった、幼き日の自分のように。


―――――エリアーシュ・メルカダンテと初めて逢った日、時間が止まったような錯覚を抱いた。
 元々は貧民の出らしいが、とてもそうは思えないほど、美しい顔立ちと洗練された所作に、ハイドフェルトは生まれて初めて他人に見惚れたのだ。
 ただし、中身と見た目が驚くほどに解離している事実を知るのは、顔を合わせてから五分もしなかったと記憶している。

「ハイドフェルト家は、ハイドフェルト様の人間性を尊重した教育を施しておられるようですね」

 シルヴェリオ・ハイドフェルト、慇懃無礼な態度を初めて向けられた、さまざまな意味で記念すべき日だ。
 ハイドフェルト家の息子として、他の貴族子息には厳しく躾けられている、と思っていた。
 確かに、剣の特訓に重きを置きがちで、しかもエリアーシュと顔を会わせてから、心臓がけたたましく鳴り響いていたので、目も当てられないマナーを披露してしまったのだが。
 しかしまさか、他家の使用人に、歳が二つか三つ上のエリアーシュに「僭越ながら申し上げますが、ハイドフェルトの家名に恥じない行いをなさいませ」と鼻白むような顔を向けられるとは思わなかったのだ。
 というか、エリアーシュもエリアーシュだろう。他家の子息に物申すなんて、命知らずにも程がある。
 だが、ハイドフェルトは腹を立てつつも、他の誰とも違うエリアーシュが忘れられなくなってしまった。
 ならば、エリアーシュが息を飲むほど、立派な男になってやろう、と心に決めた。
 おろそかになっていた座学にも力を入れ、殿下やイルゼと共に孤児院に訪問し、慈善活動にも取り組んだ。
 自らを「使用人は道具です」と言って憚らないエリアーシュを、そんなことはないと否定し、彼を同じ人間として扱った。
 なのに、ハイドフェルトが歩み寄れば歩み寄るほど、エリアーシュの瞳から熱は失せ、どんどん離れて行ってしまった。
 エリアーシュが、何を思っているのか、何を考えているのかが分からない。
 互いの間に、越えようのない溝があると知ったのは、出逢ってから二年の月日が経った頃だ。
 王城で、エリアーシュを見掛けた。
 エリアーシュと、城の衛兵か。遠目から見ても、二人の間に流れる空気は気安く、何よりエリアーシュがあんな風に笑うところなど、一度も見たことがなくて。
 呆然としたままじっと見つめていると、二人の顔がゆっくりと近付いていく。二人の唇が、重なった。

「……エリアーシュ」
「ハイドフェルト様、本日もご機嫌麗しゅう」
「さっきの、は」
「ご覧になったままですが」

 一人になったエリアーシュに話し掛ければ、エリアーシュはいつも通りだった。唇の角度ひとつ取っても、作られたように美しい微笑。
 否、正しく“作り物”だ。目の前のエリアーシュは作り物で、本当のエリアーシュではない。見せてもくれない。
 何故だ。何故、あの男には見せるのか。あの男は―――――。

「あの男は、恋人か、何かなのか」
「恋人? まさか。ただの取引相手ですよ。キスを対価に強請られたのでお支払いしただけです」

 あの男が恋人でなかったことに、心底から安堵した。しかし、だからと言って、エリアーシュの行為は決して看過できるものではない。
 口付けも、それ以上の行為も、愛し合う者同士が行うべきものだ。
 情報の対価に自分の身体を差し出す、エリアーシュのやり方を許すことは出来なかった。

「自分の身体を切り売るような真似は止めろ」
「何故です? 私の身体を、私の好きに扱って何か不都合がありますか?」
「何故、って……そ、そんな風に、身体を売るのは良くないことだろう? それに、口付けや、それ以上の行為も、その、愛し合う者同士が行うべきものだ」

 ハイドフェルトが言葉を重ねれば重ねるほど、エリアーシュの瞳から熱が失せていく。
 “何か”が、決定的にずれていて、噛み合わない。
 互いの間には、深い溝がある。いつから、こんなにも距離が出来ていたのだろうか。
 いや、そもそも、ハイドフェルトが気付かなかっただけで、最初からどうしようもないほど、隔たりがあったのか。

「さすが、ハイドフェルト様はお優しい。あなたが仰るように、身体を切り売りせずに済めば一番良いでしょう。ですが、そうしなければ生きていけない者にとって、あなたの言葉はただの傲慢でしかないとご自覚なさいませ」

 エリアーシュの言葉を、受け止めきれずにいる。互いの間にある境界線を直視出来ずにいる。
 陸に上がった魚のように、口をぱくぱくさせるしか出来ずにいるハイドフェルトの心臓を、エリアーシュの細い指が、つんと一度突いた。
 痛い筈がないのに、どうしようもなく、痛かった。
 エリアーシュが「お分かりですか」と嗤う。

「――――愛情や優しさなんざ、クソ喰らえってことだよ、お綺麗な騎士サマ?」

 初めて会ったとき見惚れたほどに美しい男から、他者を蔑む言葉が溢れ出す。
 それは、エリアーシュが初めて見せた、“本当の顔”だった。

「そんなもので、腹は膨れるか? 寒さは凌げるか? 出来ねえだろ、なァ?」
「ッ!」
「飢える心配もなく、明日に不安もない立場に胡座をかいているだけのくせに、口先だけは立派だな。吐き気がする」

 ハイドフェルトは口を開いて、しかし何かを紡ぐことも出来ず、奥歯を噛み締めた。
 エリアーシュの言葉は、どうしようもなく正しいからだ。
 貧民たちの苦労を知らないハイドフェルトに、エリアーシュの言葉を否定する術もなく、資格もない。
 だが、怒りは沸々と込み上げて来る。想いを傾けた分だけ、同じように返して欲しいと思うことは罪なのか。
――――エリアーシュを求める心は、求められたいと思う心は、悪なのか。

「俺は、そういう奴等が、大嫌いなんだよ」

 故に、ハイドフェルトはエリアーシュの在り方を誰よりもを嫌悪する。
 彼への想いに気付いてしまった。彼に愛されたいと思ってしまった。
 恋しいモノが、他の誰かに身を委ねることを認められる訳もなく。愛しいモノが、誰かを想う心をせせら笑うなど許せる筈もなく。


 故に、シルヴェリオ・ハイドフェルトはエリアーシュを誰よりも嫌悪しながら、誰よりも恋慕するのだ。
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