病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで

あだち

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番外編

恐るべき魔導書 後

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「きゅ、急にどうしたの? 興味ないって聞きましたのに」

「……さっき、ロレンツィオから使い魔が来た」

 フェリータが声をかければ、すれ違いざまにそう言われた。苛立っている、――というよりは、焦っているのだ。あのリカルドが。

 振り返ると、ロレンツィオは膝の上で手を組み、悔しそうな、苦い物を無理やりかみつぶしたような顔でじっと黙っていた。

「……リカルド、お前から見て、要るのか。あれが」

 自分の目の前まで歩いてきた弟に、ラウルが鋭い声で問いかける。

「……何でもいいから。僕が払うから、札上げてよ、兄さん」

 切れ切れの息の弟は青い顔で兄を見下ろした。それを受けて、王国筆頭公爵の嫡子は、冷ややかにフェリータと、その奥のレアンドロを一瞥して、そして静かに札を挙げた。

 司会者が息を細く吐き、呼吸を整える。

「……四十五番、五億ミ」

「失礼、ニ十番、十億」
 
 割って入った声に、会場が凍り付いた。

「な、なんだと……」

 声を震わせて愕然としたリカルドの視線の先を、フェリータも、ロレンツィオも追った。

 そこにいた、ニ十番の札の持ち主――レオナルド・バディーノを。

「……十二お、」

「退いてください四十五番の方。これ以上は夏の花も枯れてしまう」

 その言葉に、リカルドは言葉を詰まらせた。夏の花とはオルテンシアあじさいのことを指しており、彼女の怒りを買うということだった。
 牽制されて、リカルドは憎しみのこもった目をレオナルドに向けたが。

「座れ、リカルド。これ以上はいくらお前でも簡単には出せないはずだ」

「兄さん」

「父上は許さないだろう。私も出さない。……大丈夫だ。どんな書であっても、エルロマーニの力と知識に敵うものが作られているはずは無いのだから」

 宥められて、リカルドは「違うんだよ」と顔を歪めて俯いた。納得はしていないが、自分に甘い兄の譲歩が、これ以上は期待できないと分かったような顔だった。
 フェリータはロレンツィオを見た。リカルド同様、青ざめた顔でレオナルドのことを見ていたが。

「……まぁ、レオナルド殿なら、まだましな方か」

 そう、ごく小さな声で呟き、肩から力を抜いた。
 対してフェリータは見る見るうちに青ざめていった。
 まさか、魔導書が、あのバディーノ家に渡ってしまうなんて。

「ら、ラウル様、わたくしからもお願いします、どうか」

 せめてエルロマーニ家に競り落としてほしいと縋り付こうとしたところで、ラウルの苦笑に阻まれる。
 実の弟が拒まれたのに、たかだか幼馴染み程度のフェリータの頼みが通るわけがないのだ。

 沈痛な面持ちで俯く三人の中で、ラウルは札を揺らし。

「……それに、どうもそれほどの危うさを感じないんだよな、あのノートから」
 
 独り言をかき消すように、木槌の音が、会場に響き渡った。



 ***



「申し訳ありません。ヴァレンティノ様」

 その夜、フランチェスカは暗い表情で別邸を訪れた。
 部屋に入り、いつもの椅子に座るなり謝罪した監督者に、ヴァレンティノが形のいい眉を寄せる。

「? 何が」

「緑の表紙の、あの本のことです。……落札できなかった」

 絞り出すようなフランチェスカの声に、ヴァレンティノは目を見開き、呆けて固まった。

「……いいところまで行ったのに、リカルド様が……いいえ、最終的には、バディーノ家のレオナルド様に、とられてしまいました」

 フランチェスカは最初こそ、感情を抑え、静かに話し始めた。
 しかし、一度言葉を切って、また再開するときには、声も、膝の上の拳も震えを隠しきれなくなっていた。

「お姉様が、いいえもとをただせばあのカヴァリエリの男がさっさと諦めていれば、あの書の真相に気づかれる前にうちが勝てたかもしれないのに……! ごめんなさい、落札してきてあげるなんて言っておきながら」
 
「ま、待ってくれ、え、緑の表紙の、って、あの、歴史のノートか?」

 慌てふためくヴァレンティノが周囲を見渡し、テーブルの上の綺麗にたたまれたハンカチを手にしてフランチェスカに近寄った。目元を潤ませ唇をかむ娘に、ごく自然にそれを差し出しながら確認する。
 フランチェスカは、それがこの部屋に男を閉じ込めてから初めて見る、自分への紳士的な動きであることにも気づかず、流れ落ちる悔し涙を拭った。

「そうです、あの」

「別にいいよ。何もいらないって言ったじゃないか」

「いいえ、私にはわかりました、あなたがリストの、あの項目を見て顔色を変えたのが」

「……こわ」

「重要な物だったのでしょう。絶対ここに持ってこようと思ってたのに」

 悔しい。
 
 父は魔導書に違いない、ヴァレンティノに内容を吐かせてやると息巻いていた。でもフランチェスカは、この世の何にも未練のないようなヴァレンティノが、明らかに反応していたものを手に入れられなかったことが何より辛かった。

 おのれ姉め、姉夫め、エルロマーニ家めバディーノ家め。

 それはもともと、この人のものなのに――!

「……別に、ないならないでいいんだよ。どこぞのマニアにコレクションされても、気まずいだけの、今となってはただのゴミだ」

 フランチェスカは顔を上げた。ヴァレンティノはげんなりとした、疲れ切った顔でこちらを見下ろしていた。

「……授業内容を書き留めて、試験用にまとめて、暦の年数の語呂合わせを書いたような。本当に、何でもないようなノートだよ。下らないからあんなもののために泣くな」

「でも、あなたは欲しかったのでしょう?」

「あんなものが競売で値をつけられるのかと思ったら恥ずかしくていやだなと思っただけだよ。別に今さら、落札者に何を思われても私が表に出ることはないんだから、気にするようなことじゃない。……っていうかレオナルド殿はなんで落札したんだ?」

「嘘よ、ただのノートなわけない。ロレンツィオ殿だって千五百ミラまで粘って、お姉様が後を引き継いで一億までしがみついて、パパは二億まで提示したんです。あのリカルド殿は汗だくになって会場に駆けつけて五億と言い、レオナルド様はオルテンシア様の名前を出してまで十億で落札したんですよ!」

「じゅっ、バカじゃないか!?」

「魔導書だからでしょ!?」

「ノートだよ!! テストのときに見直すだけの!! それこそ期末試験の前に、ロレンツィオやリカルドや、ウルバーノにも貸して写させたし、……あんまりにも、あんっまりにも授業が退屈だから横並びの四人でしりとり書いたりパラパラめくると動いて見える絵を描いたりただけの、学生のノートだ!!」
 
「……しりとり?」

 思わぬ言葉に、フランチェスカは呆けた。唖然として、頭を抱える男を見つめる。

「ロレンツィオとリカルドが競り落としたがったのは、それが十八歳の頃の、……リカルドは十六歳の頃の、黒歴史が書いてあるからだ!! 教授の似顔絵とか! それを見られたくなくてパニックになってバカみたいな競りに参加したんだあの、あのバカどもめ!!」

 友人たちの愚かしさに声を荒げるヴァレンティノを前に、フランチェスカは固まっていた。
 学生の、落書きの載ったノートに、十億ミラ。王都の一等地に、豪邸が建つ値段。

 そのしょうもない現実に、ヴァレンティノが深いため息とともに、「今ごろ、レオナルド殿も試験勉強に勤しんでいるだろうよ」と皮肉を吐いた。
 それを聞いて、フランチェスカは小さく口を開き。

「……かった」

「え?」

「ほしかった……」

 繰り返された言葉に、ヴァレンティノが目を剥く。フランチェスカの目に、再び涙が盛り上がった。

「ほしかった……! ヴァレンティノ様の、落書きのついた授業ノート!! なんで言ってくださらないのっ、そうと知っていれば、何を投げ捨ててでも、私が落札したのに!!」

「……は……」

「この、こんな屋敷売ってでもっ、……うわぁぁぁぁんっ、おのれ、おのれおのれ貴族どもめぇぇぇっ!!」

 床に突っ伏して泣き始めたフランチェスカに、ヴァレンティノは小さく「こわ……」と呟いてから、部屋の外で構えているであろう見張りと護衛騎士にまったく大丈夫だと声をかけた。




 フランチェスカ・ペルラ十七歳。
 惚れた男の書き損じの紙すらも、大事にとっておきたい年頃である。



 ***



 同じ頃、バディーノ家の、離れの一室にて。

「はいどうぞ。あなたの言っていた緑の表紙のノートですよ」

「……わがままを聞いてくださって、ありがとうございますレオナルド様」

 レオナルドは、小さな礼とともに受け取ったノートを開き「ふふ、ロレンツィオ様、絵が下手くそ♡ これなんの動物かしら。……お兄様、しりとり弱いんだから……」とぶつぶつ呟くフィリパを見下ろしていた。

 そして。

「リカルド殿の書いた部分はいただきますよ。オルテンシアが見たがるでしょうから」

 その言葉とともに、十億で競り落としたノートは、端に描かれた禿げ男の絵を切り取るように、なんのためらいもなくビリビリと破かれていた。









 翌朝。

「どうしよう。絶対レオナルドからオルテンシア殿下に伝わって、近いうちにあの人から“画伯”とか“禿男マスター”って呼ばれるようになる。むかつくから、会議始まる前にそこで気落ちしてるフェリータと伯爵にも君が描いたパラパラ絵のこと話すね」

「やめろやめろやめろ、言うにしても自分で話させろ、こらいくな!」





 おしまい!
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