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第19話
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最後の一曲は緩やかに流れていく。
まばらになった中で、ひときわ注目を集めるアーノルドと詳細不明の令嬢。
強気な見た目だけあって、彼女はアーノルドのステップについていっている。ここまで転んでないのがいい証拠だろう。
このままダンスを終える……そんな気がミリアは全くしていなかった。
「どうしたんだ?」
真剣に二人を見つめるミリアに、ルッツは訝し気に声を掛ける。
「気になって…」
「…そうだな。アーノルド様とまともに踊れる女性がいるとは驚きだ」
「そういうことじゃなくてね?」
「…なら、何が―」
ルッツの言葉を遮るように悲鳴と、そして誰かが倒れる音。
その光景にミリアもルッツも唖然とした。
なにせ、倒れているのは……アーノルドだから。
そして、そんなアーノルドを一緒に踊っていた令嬢が見下ろしている。その口元は口角が上がり、弧を描いている。彼女は…笑っていた。
「貴様、何のつもりだ!」
場を考えず、アーノルドの怒声が響く。
その怒声に身を縮こませる令嬢がいる中、対峙している令嬢は平然としている。
「転ばされた女性たちの気持ちはいかが?」
「貴様のはわざとだろう!女どもが俺についてこれないのが悪い!」
「そんなことは関係ございません。転ばせた貴方が悪いのです」
「何だと!」
一触即発。
今にも掴みかかりそうなアーノルドの前に男性が現れた。
彼はアーノルドをなだめようとしているが、アーノルドは収まらない。
そこに……父が現れた。
「アーノルド、お前にはしばらく夜会への出席は禁止する」
「…ええ、そうさせてもらいましょう。このような恥知らずの女どもがいる夜会など出る価値は無い」
アーノルドが夜会を後にする。
父は主催であるフェリンツ伯爵の元へと向かった。騒動についてだろう。
「お父様も大変ね」
「そうだな」
さすがにこういった場面ではミリアの出る幕はない。いや、むしろミリアが出てくると余計に拗れそうだ。
帰りの馬車の中、ミリアはルッツに肩にもたれかかっていた。
体力の限界なのだろう、瞼はとろんと落ち、今にも夢の世界へと旅立ちそうだ。
「まだしばらくかかる。眠ってもいいぞ?」
「…ダメ…よ。おそ……われちゃう……じゃない」
とぎれとぎれに呟く言葉が、今にも落ちそうだと物語っている。
二人きりの馬車の中。御者がロード家の者である以上、口止めするのも容易い。
とはいえ、ミリアはそんなことを本気で心配していない。それこそ軽口の一種だ。
ルッツがミリアの了承もなく、そういったことをすると思っていない。
「大丈夫だ。まだしない」
「まだ……だな…んて……こわ……」
そうして言葉は途切れ、完全にミリアは寝入ってしまった。
そんな愛しい人の寝顔を、ルッツは優しい笑みで見つめた。
安堵しきったその表情は、ルッツを完全に信頼している証拠だ。
その表情を前に、不埒なことなど起こすことなどない。
ルッツは狩人だ。しかしそれは、物陰からチャンスをうかがい、狙うタイプではない。正面から、獲物にまっすぐに向かう獅子だ。こんな無防備な姿をさらされたからといってそれを理由に襲うなどあり得ない。
結い上げられた髪を一房手に取り、指を通す。くすぐったそうにするミリアが、たまらなく愛おしい。肩にかかるミリアの体温が、これ以上ない幸せを与えてくれる。
「愛している、ミリア…」
呟いた言葉はミリアには届いたのだろうか。
わずかな身じろぎと、さらに深くもたれかかったのは偶然か。
***
「ひどい方ですわね」
いつもの食堂での風景。
フィーネが開口一番にそう切り出した。
「誰?」
「あなたのお兄様ですわ」
正面切って自身の兄を非難されたが、ミリアは他人事のように憂いを見せた。
実際、初体面からまだ数日。それも出会えば悉く自分を非難してくる者を、どうやって自身の兄だと思えようか。立場がそうだといえど、そこに家族の、兄妹としての絆は無い。なので、どんなにフィーネがアーノルドを非難しようと、ミリアはどこ吹く風だ。
「聞きしに勝る方でしたわね」
「フィーネは今まで会ったことがなかったんだね?」
隣に座るデウスがフィーネに尋ねる。
「デウス様はご存じでしたの?」
「そりゃあね。あそこまでやらかしてくれる人はそういないから」
「あんな人大勢いてたまりますか!」
どうやら相当ご立腹なようだ。カツンと音を立てた皿がフィーネの代わりに抗議の声を上げている。
「それにしても、アーノルド様をあのようになさるなんて…さすがヴィオーネ様、素敵でしたわ」
うっとりとつぶやくように言った言葉にミリアは首をかしげる。
「フィーネ様はあの方をご存じで?」
「もちろん知っていますわ。ヴィオーネ・フェリンツ。この学園に通う女生徒たちから絶大な人気を誇る、素晴らしく頼りがいのある方ですわ」
「へぇ…」
フィーネがそこまで言うのだから相当なのだろう。もちろん、ミリアは知らない。
「ご存じなかったので?」
「ええ」
「一度お会いしてみてはいかが?とても気さくな方でもありましてよ」
「…大丈夫かしらね」
心配げなミリアに今度はフィーネが首をかしげる。
「何かご不安でも?」
「そりゃあ、あるだろうね。なにせヴィオーネ嬢はアーノルドを毛嫌いしている。その妹であるミリアには…どうだろう」
「…ヴィオーネ様はちゃんと相手を見てくださる方ですわ。あの方の妹というだけで拒絶なさることは無いと…思います」
言葉尻が小さくなっていくのは、フィーネもそう断言しきれないからだろう。
(…まぁでも、会ってはみたいわね)
令嬢でありながら令息に恥をかかせたその丹力は素晴らしいものがある。
そんな単純な興味からミリアは会ってみたかった。
***
チャンスというものは思いがけず向こうからやってくる。
それをミリアは実感していた。
「今、よろしいかしら?」
放課後。さて帰ろうかという矢先に現れたのは件のヴィオーネ・フェリンツ。
背が幾分ミリアより高いせいか、その気の強さが伺える目つきの鋭さと相まって見下ろされると威圧感がすごい。
しかしヴィオーネの姿を確認したほかの女生徒から黄色い悲鳴が上がるあたり、その人気も窺える。
「ええ、構いませんわ」
「ではこちらへ」
二人連れ立って、ルーミアは一歩分後ろに下がって付いてくる。
連れていかれたのは人気のない食堂。簡単な軽食も提供されるので、放課後時間を持て余す生徒たちがたまにいたりする。今はだれもいない。
席についた二人の前に紅茶が置かれる。それをヴィオーネは一口含み、喉を湿らせる。
「話というのはほかでもございません、あなたの……お兄様についてですわ」
「……でしょうね」
やはり…という思いである。というかそれ以外にヴィオーネが話しかける理由が思いつかない。
「先日は失礼いたしました」
そう言い、ヴィオーネは頭を下げた。
これにはミリアが慌てた。
「ヴィオーネ様!?」
「侯爵家の令息への無礼なふるまい、お許しいただきたい」
そう言われ、ミリアは頭が冷えていく。
あの件については、ミリアは直接の関係者ではない。
血縁関係なれど、兄の振る舞いを聞いていたミリアはヴィオーネにされたことは因果応報だと思っている。けれど、その謝罪の相手にミリアを選ぶのはお門違いだ。
はっきり言えば、何の意味もない。
そもそも何のための謝罪なのだろうか。それがミリアには分からない。
ミリアに何らかの被害があったうえでの謝罪ならともかく、今回の件でミリアに被害は無い。この件でルッツがミリアと距離を置くようならともかく、そんなことはない。ゆえに、ミリアに謝罪を受け入れる理由が無い。
「謝罪は結構ですわ」
「えっ?」
ミリアの言葉にヴィオーネは唖然とする。
ミリアは一口紅茶を飲み、言葉を続ける。
「お兄様への謝罪なのでしたらお兄様になさってください。私への謝罪など無用です」
「…ですが、私はカースタ家の嫡男に…」
「私はあの件で何一つ迷惑をこうむった事実はございません。謝罪される謂れはございませんわ」
「………」
ありえない、とばかりにヴィオーネは目を剥く。
嫡男であり、兄が恥をかかされたというのにそれを迷惑でないと断ずるその妹。
その前例のない態度にヴィオーネは困惑するばかりだ。
「…では、私にアーノルド様へ謝罪せよと…?」
「私が決めることではございませんね」
ヴィオーネの言葉を頭から断ずる。
その様子に、ルーミアが後ろで喝采の拍手を上げている。
「むしろ、ざまぁみろと思っておりますわ」
「はっ?」
ミリアの思いがけない言葉に今度こそヴィオーネはぽかんとした。
その様子を面白がるようにミリアは口角を上げる。
「実を言えば私も家ではお兄様に疎まれておりまして。屑だなんだと呼ばれる始末で、あんな目にあっていただき、逆にすっきりしたくらいですわ」
晴れ晴れとした表情で言い放つミリアに、ヴィオーネのぽかん顔は直らない。
後ろでルーミアがミリアに喝采の拍手を上げるなら、ミリアはヴィオーネに拍手を送りたかった。
「……ふっ、あはははは」
しばらく沈黙した後、ヴィオーネは突然笑い出した。
つられてミリアも笑みをこぼす。
「…ふふっ、失礼しました。そうだったのですね」
「ええ。ですので、私はむしろお礼を言いたいくらいですわ。ありがとうございます」
ミリアがお礼のために頭を下げれば「やめてちょうだい」とヴィオーネは震える声で止めに入った。
「実の妹相手でも変わらない方ですのね」
「ええ。あれではカースタ家の将来が心配ですわ」
まるで他人事のように言うミリアに、ヴィオーネはクスクスと笑う。
「あなたが継げばよろしいのでは?」
「……それは、ちょっと」
その言葉に頭に浮かんだのはルッツだ。
ルッツはロード家の一人息子だ。当然、ロード家は彼が継ぐ。となれば、彼に婿に行くという選択肢は無い。ならば、そこには嫁に行くしかなく…
「ああ、失礼しました。ロード家はご子息がおひとりしかおりませんでしたね」
「…ええ、まぁ…」
当然という感じでヴィオーネは言い放ち、それにミリアは頬を染めた。
ルッツとミリアの仲はとうに学園に知れ渡っている。彼女が知っていてもなんら不思議ではない。
しかし、恋人ですらなければ婚約者でもないのに、もう嫁ぎ先として決まっている。
そう周囲が思い込むほどに二人の仲は睦まじい。
が、それを改めて周囲から認識させられると、さすがのミリアにも照れというものがある。
「…羨ましいですわ。そのような殿方とご一緒になられて」
「あの……私はまだルッツとは何も…」
「時間の問題でしょう?」
「……」
そう言われれば何も言えない。事実、自分でも「まだ」とか言ったりするあたり、いずれはという思いでいる。
「…とにかく、謝罪なさるならお兄様に直接していただきたいですわ」
強引に話を戻すミリア。これ以上この話を深堀されるとそれこそ墓穴を掘ってしまいかねなかった。
「ええ、そうさせていただきます。その気になったら」
にっこりと、ミリアには謝罪してもアーノルドにはできない、と言外に言い放つ彼女。
彼女としては相当にアーノルドのことを許せないのだろう。
その気の強さが、逆におもしろい。
「ええ、そうなさってください。そのときはまた話の続きをしましょう」
絶対に彼女は謝罪をしない。それを分かったうえで、あえて自分の弱い話の続きをしようと言うミリア。それに気づいたヴィオーネはジト目をミリアに向けた。
「…あなたが一時、デウス様に求婚されていた理由が分かりましたわ」
「あら、そう?」
小首を傾げ、わからないと思わせながら顔は微笑んでいる。
「大変ですわね、ルッツ様も」
「そうでもないな」
ヴィオーネの言葉を継ぐようにこの場にいないはずの声。
ミリアが振り返ればそこにはルッツがいた。
「ルッツ」
「面白い組み合わせが見えたんでな。俺の話か?」
「ええ。ミリア様があなたにべたぼれっていう話を」
「…そんな話はしていません」
べたぼれが事実だけに、否定の言葉も弱い。
それにルッツが調子づく。
「へぇ、それは興味深いな。俺のどこに惚れたって?」
「あら、私がいつ惚れたって?」
調子づかせてはならないとミリアもいつもの調子で返す。
「俺はいつでも君に惚れたままだ。今も、な」
見下ろすその瞳に宿る熱が、ミリアの鼓動を跳ね上げる。
平時ならともかく、あの瞳に見られると途端にミリアは弱くなる。
「そう、勝手になさい」
らしくもなく強引に話を打ち切り、紅茶を呑む。
それが照れ隠しだと気づいているルッツは、それをニヤニヤと見つめている。
「ほんと、ごちそうさまですわ…」
呆れたようにヴィオーネは呟いた。
まばらになった中で、ひときわ注目を集めるアーノルドと詳細不明の令嬢。
強気な見た目だけあって、彼女はアーノルドのステップについていっている。ここまで転んでないのがいい証拠だろう。
このままダンスを終える……そんな気がミリアは全くしていなかった。
「どうしたんだ?」
真剣に二人を見つめるミリアに、ルッツは訝し気に声を掛ける。
「気になって…」
「…そうだな。アーノルド様とまともに踊れる女性がいるとは驚きだ」
「そういうことじゃなくてね?」
「…なら、何が―」
ルッツの言葉を遮るように悲鳴と、そして誰かが倒れる音。
その光景にミリアもルッツも唖然とした。
なにせ、倒れているのは……アーノルドだから。
そして、そんなアーノルドを一緒に踊っていた令嬢が見下ろしている。その口元は口角が上がり、弧を描いている。彼女は…笑っていた。
「貴様、何のつもりだ!」
場を考えず、アーノルドの怒声が響く。
その怒声に身を縮こませる令嬢がいる中、対峙している令嬢は平然としている。
「転ばされた女性たちの気持ちはいかが?」
「貴様のはわざとだろう!女どもが俺についてこれないのが悪い!」
「そんなことは関係ございません。転ばせた貴方が悪いのです」
「何だと!」
一触即発。
今にも掴みかかりそうなアーノルドの前に男性が現れた。
彼はアーノルドをなだめようとしているが、アーノルドは収まらない。
そこに……父が現れた。
「アーノルド、お前にはしばらく夜会への出席は禁止する」
「…ええ、そうさせてもらいましょう。このような恥知らずの女どもがいる夜会など出る価値は無い」
アーノルドが夜会を後にする。
父は主催であるフェリンツ伯爵の元へと向かった。騒動についてだろう。
「お父様も大変ね」
「そうだな」
さすがにこういった場面ではミリアの出る幕はない。いや、むしろミリアが出てくると余計に拗れそうだ。
帰りの馬車の中、ミリアはルッツに肩にもたれかかっていた。
体力の限界なのだろう、瞼はとろんと落ち、今にも夢の世界へと旅立ちそうだ。
「まだしばらくかかる。眠ってもいいぞ?」
「…ダメ…よ。おそ……われちゃう……じゃない」
とぎれとぎれに呟く言葉が、今にも落ちそうだと物語っている。
二人きりの馬車の中。御者がロード家の者である以上、口止めするのも容易い。
とはいえ、ミリアはそんなことを本気で心配していない。それこそ軽口の一種だ。
ルッツがミリアの了承もなく、そういったことをすると思っていない。
「大丈夫だ。まだしない」
「まだ……だな…んて……こわ……」
そうして言葉は途切れ、完全にミリアは寝入ってしまった。
そんな愛しい人の寝顔を、ルッツは優しい笑みで見つめた。
安堵しきったその表情は、ルッツを完全に信頼している証拠だ。
その表情を前に、不埒なことなど起こすことなどない。
ルッツは狩人だ。しかしそれは、物陰からチャンスをうかがい、狙うタイプではない。正面から、獲物にまっすぐに向かう獅子だ。こんな無防備な姿をさらされたからといってそれを理由に襲うなどあり得ない。
結い上げられた髪を一房手に取り、指を通す。くすぐったそうにするミリアが、たまらなく愛おしい。肩にかかるミリアの体温が、これ以上ない幸せを与えてくれる。
「愛している、ミリア…」
呟いた言葉はミリアには届いたのだろうか。
わずかな身じろぎと、さらに深くもたれかかったのは偶然か。
***
「ひどい方ですわね」
いつもの食堂での風景。
フィーネが開口一番にそう切り出した。
「誰?」
「あなたのお兄様ですわ」
正面切って自身の兄を非難されたが、ミリアは他人事のように憂いを見せた。
実際、初体面からまだ数日。それも出会えば悉く自分を非難してくる者を、どうやって自身の兄だと思えようか。立場がそうだといえど、そこに家族の、兄妹としての絆は無い。なので、どんなにフィーネがアーノルドを非難しようと、ミリアはどこ吹く風だ。
「聞きしに勝る方でしたわね」
「フィーネは今まで会ったことがなかったんだね?」
隣に座るデウスがフィーネに尋ねる。
「デウス様はご存じでしたの?」
「そりゃあね。あそこまでやらかしてくれる人はそういないから」
「あんな人大勢いてたまりますか!」
どうやら相当ご立腹なようだ。カツンと音を立てた皿がフィーネの代わりに抗議の声を上げている。
「それにしても、アーノルド様をあのようになさるなんて…さすがヴィオーネ様、素敵でしたわ」
うっとりとつぶやくように言った言葉にミリアは首をかしげる。
「フィーネ様はあの方をご存じで?」
「もちろん知っていますわ。ヴィオーネ・フェリンツ。この学園に通う女生徒たちから絶大な人気を誇る、素晴らしく頼りがいのある方ですわ」
「へぇ…」
フィーネがそこまで言うのだから相当なのだろう。もちろん、ミリアは知らない。
「ご存じなかったので?」
「ええ」
「一度お会いしてみてはいかが?とても気さくな方でもありましてよ」
「…大丈夫かしらね」
心配げなミリアに今度はフィーネが首をかしげる。
「何かご不安でも?」
「そりゃあ、あるだろうね。なにせヴィオーネ嬢はアーノルドを毛嫌いしている。その妹であるミリアには…どうだろう」
「…ヴィオーネ様はちゃんと相手を見てくださる方ですわ。あの方の妹というだけで拒絶なさることは無いと…思います」
言葉尻が小さくなっていくのは、フィーネもそう断言しきれないからだろう。
(…まぁでも、会ってはみたいわね)
令嬢でありながら令息に恥をかかせたその丹力は素晴らしいものがある。
そんな単純な興味からミリアは会ってみたかった。
***
チャンスというものは思いがけず向こうからやってくる。
それをミリアは実感していた。
「今、よろしいかしら?」
放課後。さて帰ろうかという矢先に現れたのは件のヴィオーネ・フェリンツ。
背が幾分ミリアより高いせいか、その気の強さが伺える目つきの鋭さと相まって見下ろされると威圧感がすごい。
しかしヴィオーネの姿を確認したほかの女生徒から黄色い悲鳴が上がるあたり、その人気も窺える。
「ええ、構いませんわ」
「ではこちらへ」
二人連れ立って、ルーミアは一歩分後ろに下がって付いてくる。
連れていかれたのは人気のない食堂。簡単な軽食も提供されるので、放課後時間を持て余す生徒たちがたまにいたりする。今はだれもいない。
席についた二人の前に紅茶が置かれる。それをヴィオーネは一口含み、喉を湿らせる。
「話というのはほかでもございません、あなたの……お兄様についてですわ」
「……でしょうね」
やはり…という思いである。というかそれ以外にヴィオーネが話しかける理由が思いつかない。
「先日は失礼いたしました」
そう言い、ヴィオーネは頭を下げた。
これにはミリアが慌てた。
「ヴィオーネ様!?」
「侯爵家の令息への無礼なふるまい、お許しいただきたい」
そう言われ、ミリアは頭が冷えていく。
あの件については、ミリアは直接の関係者ではない。
血縁関係なれど、兄の振る舞いを聞いていたミリアはヴィオーネにされたことは因果応報だと思っている。けれど、その謝罪の相手にミリアを選ぶのはお門違いだ。
はっきり言えば、何の意味もない。
そもそも何のための謝罪なのだろうか。それがミリアには分からない。
ミリアに何らかの被害があったうえでの謝罪ならともかく、今回の件でミリアに被害は無い。この件でルッツがミリアと距離を置くようならともかく、そんなことはない。ゆえに、ミリアに謝罪を受け入れる理由が無い。
「謝罪は結構ですわ」
「えっ?」
ミリアの言葉にヴィオーネは唖然とする。
ミリアは一口紅茶を飲み、言葉を続ける。
「お兄様への謝罪なのでしたらお兄様になさってください。私への謝罪など無用です」
「…ですが、私はカースタ家の嫡男に…」
「私はあの件で何一つ迷惑をこうむった事実はございません。謝罪される謂れはございませんわ」
「………」
ありえない、とばかりにヴィオーネは目を剥く。
嫡男であり、兄が恥をかかされたというのにそれを迷惑でないと断ずるその妹。
その前例のない態度にヴィオーネは困惑するばかりだ。
「…では、私にアーノルド様へ謝罪せよと…?」
「私が決めることではございませんね」
ヴィオーネの言葉を頭から断ずる。
その様子に、ルーミアが後ろで喝采の拍手を上げている。
「むしろ、ざまぁみろと思っておりますわ」
「はっ?」
ミリアの思いがけない言葉に今度こそヴィオーネはぽかんとした。
その様子を面白がるようにミリアは口角を上げる。
「実を言えば私も家ではお兄様に疎まれておりまして。屑だなんだと呼ばれる始末で、あんな目にあっていただき、逆にすっきりしたくらいですわ」
晴れ晴れとした表情で言い放つミリアに、ヴィオーネのぽかん顔は直らない。
後ろでルーミアがミリアに喝采の拍手を上げるなら、ミリアはヴィオーネに拍手を送りたかった。
「……ふっ、あはははは」
しばらく沈黙した後、ヴィオーネは突然笑い出した。
つられてミリアも笑みをこぼす。
「…ふふっ、失礼しました。そうだったのですね」
「ええ。ですので、私はむしろお礼を言いたいくらいですわ。ありがとうございます」
ミリアがお礼のために頭を下げれば「やめてちょうだい」とヴィオーネは震える声で止めに入った。
「実の妹相手でも変わらない方ですのね」
「ええ。あれではカースタ家の将来が心配ですわ」
まるで他人事のように言うミリアに、ヴィオーネはクスクスと笑う。
「あなたが継げばよろしいのでは?」
「……それは、ちょっと」
その言葉に頭に浮かんだのはルッツだ。
ルッツはロード家の一人息子だ。当然、ロード家は彼が継ぐ。となれば、彼に婿に行くという選択肢は無い。ならば、そこには嫁に行くしかなく…
「ああ、失礼しました。ロード家はご子息がおひとりしかおりませんでしたね」
「…ええ、まぁ…」
当然という感じでヴィオーネは言い放ち、それにミリアは頬を染めた。
ルッツとミリアの仲はとうに学園に知れ渡っている。彼女が知っていてもなんら不思議ではない。
しかし、恋人ですらなければ婚約者でもないのに、もう嫁ぎ先として決まっている。
そう周囲が思い込むほどに二人の仲は睦まじい。
が、それを改めて周囲から認識させられると、さすがのミリアにも照れというものがある。
「…羨ましいですわ。そのような殿方とご一緒になられて」
「あの……私はまだルッツとは何も…」
「時間の問題でしょう?」
「……」
そう言われれば何も言えない。事実、自分でも「まだ」とか言ったりするあたり、いずれはという思いでいる。
「…とにかく、謝罪なさるならお兄様に直接していただきたいですわ」
強引に話を戻すミリア。これ以上この話を深堀されるとそれこそ墓穴を掘ってしまいかねなかった。
「ええ、そうさせていただきます。その気になったら」
にっこりと、ミリアには謝罪してもアーノルドにはできない、と言外に言い放つ彼女。
彼女としては相当にアーノルドのことを許せないのだろう。
その気の強さが、逆におもしろい。
「ええ、そうなさってください。そのときはまた話の続きをしましょう」
絶対に彼女は謝罪をしない。それを分かったうえで、あえて自分の弱い話の続きをしようと言うミリア。それに気づいたヴィオーネはジト目をミリアに向けた。
「…あなたが一時、デウス様に求婚されていた理由が分かりましたわ」
「あら、そう?」
小首を傾げ、わからないと思わせながら顔は微笑んでいる。
「大変ですわね、ルッツ様も」
「そうでもないな」
ヴィオーネの言葉を継ぐようにこの場にいないはずの声。
ミリアが振り返ればそこにはルッツがいた。
「ルッツ」
「面白い組み合わせが見えたんでな。俺の話か?」
「ええ。ミリア様があなたにべたぼれっていう話を」
「…そんな話はしていません」
べたぼれが事実だけに、否定の言葉も弱い。
それにルッツが調子づく。
「へぇ、それは興味深いな。俺のどこに惚れたって?」
「あら、私がいつ惚れたって?」
調子づかせてはならないとミリアもいつもの調子で返す。
「俺はいつでも君に惚れたままだ。今も、な」
見下ろすその瞳に宿る熱が、ミリアの鼓動を跳ね上げる。
平時ならともかく、あの瞳に見られると途端にミリアは弱くなる。
「そう、勝手になさい」
らしくもなく強引に話を打ち切り、紅茶を呑む。
それが照れ隠しだと気づいているルッツは、それをニヤニヤと見つめている。
「ほんと、ごちそうさまですわ…」
呆れたようにヴィオーネは呟いた。
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