26 / 30
第26話
しおりを挟む
休日の今日。
ミリアは珍しく出かける準備をしていた。
先触れは出した。
初めて訪れる場所に、緊張が高まる。
そして、今日はミリア一世一代の大仕事となる。
それを行うことも考えるとさらに緊張は高まる。
「お嬢様、まるで死にかけの魚のように固まっておりますよ」
「もうちょっといい例えは無いかしら?」
「では死に伏した虫のように固まっております」
「悪化させてどうするのよ…」
ルーミアの軽口に反論するもキレが無い。
先触れを出した場所から、その緊張の理由をルーミアは察する。
そしてその過度の緊張から何かをしようとしていることも。
もちろんルーミアも同行するが、ミリアの口からは何をするのかは言われていない。
ルーミアにも言わないということは、『それ』は確実に自分で成さねばらならないことだと分かっているからだろう。
ついに覚悟を決めたかとルーミアは安堵にも似た感情を抱いた。
そして肝心のミリアはもう誤魔化しはできない状況を作った。
その一歩は、昨晩に行った父・カースタ侯爵との対談だ。
***
「本気…と受け取っていいんだね?」
「はい」
父の確認にミリアは力強く頷く。
きっかけにされた彼女は不本意かもしれないが、ミリア自身今の状況をどう変えていいか分からなくなり始めていた。
もはやただの意地だったのかもしれない。
「…だが、アーノルドに可能性無しと見れば次の後継者はミリアだ。その場合はどうするのかね?」
「その心配は不要です」
「ほう?」
ミリアは父の言葉を不要と断じた。
それに、父は面白そうに口角を上げる。
「ルッツが、お兄様は化ける…そう仰ったからです」
真剣なまなざしでそう告げるミリアに、父は一瞬呆気に取られる。
『ミリア』がミリアに生まれ変わったとき、ミリアはルッツとの婚約をためらう素振りすら見せずに解消することを父に望んだ。
まるでルッツに興味などない、そう言わんばかりの態度だった。
それからわずか数か月。
こうまで彼の言葉を信じている…それほどまでにミリアが彼を信頼していることに、父はわずかに嫉妬を募らせた。
「本当にそう思うかね?」
「思います」
父も、ルッツがアーノルドに特訓をつけていることは知っている。
それから、文官としての仕事の成果、特に人間関係に変化が表れていることも。
いずれ、良い伴侶にも恵まれるだろう。
だから、アーノルドは跡継ぎになれる。
そう論ずるのが普通だ。
だがミリアは違う。
ルッツが言った。
だから信じる。
わかりやすいほどの信頼関係だ。
相手の言葉を疑う様子は微塵も無い。
だからこそ、ミリアは本気だ。
それが先の言葉に通じる。
「…いいだろう。ミリア、君の覚悟を君自身で伝えてきなさい」
「ありがとうございます、お父様」
ミリアが部屋を出ていった。
その扉が閉まるまで、父は娘の背中を見ていた。
いつから彼女はこんなにもたくましくなったのだろうか。
彼女が病床からよみがえったとき、強い娘だとは思った。
自ら明かさなくてもいいはずだった真実を明るみにし、けれど両親を騙したくないという彼女の誠実さ。
それを明らかにしたことによる拒絶への恐れを、立ち上がることすらできない弱り切った体にも拘わらず払拭し、語ったその強さ。
しかし、その強さは一方で『諦め』という境地が支えている。
最悪、『諦めてしまえばいい』という心境が見えていた。
彼女はすでに一度死している。
だからこそ、生への執着が強いと同時に、死への恐怖が無い。
恐怖が無いから、容易く『諦める』ことができる。
『死』から来る強さ。そして、『死』がもたらした誠実さ。
それがかつての彼女がもっていた強さだ。
しかし今は違う。
彼女は…娘はもう『諦めない』。
諦めることを拒んだのだ。
もし仮に、父が娘の覚悟を拒んだとしても、もう娘は諦めない。
諦めるつもりが無いことが、その瞳にしっかりと刻まれている。
そこまで娘を変えた彼の存在を、父は感謝すると同時に妬ましく思ってしまう。
これが娘を持つ父の心境か…と今更ながらに感じていた。
「この館も……また寂しくなるな」
父の独り言に、静かに控えていた執事長も黙ってうなずく。
『ミリア』が元気なころはいつも貴族貴族と口やかましいアーノルドと喧嘩ばかりしていた。
しかし、『ミリア』が病床に伏してからはアーノルドの屋敷内での口数も減り、両親も口数が乏しくなり、静かになってしまった。
けれど、ミリアが蘇り、以前と違い使用人とも快く接する彼女に屋敷内は徐々ににぎやかになっていった。
それがまた消えてしまう……寂しいことだ。
「アーノルドの伴侶に期待…だな」
***
そんなやりとりから翌日が今日である。
準備を整え、馬車に乗り込んだミリアはルーミアとともに目的地へと向かう。
道中、初めて向かう場所、これからの自分の人生の決断を宣言する場所への緊張がピークに達していく。
そんな主を見かねて、ルーミアがミリアの手をそっと握り込んだ。
「ルーミア…」
親愛なる侍女の心遣いに、ミリアはふっと顔を和らげ…
「いたたたたたたた!?」
突如走る痛みに悲鳴を上げた。
見ればルーミアの手がミリアの手の甲をつまみ上げている、
これは痛い。
「何なのよ?!」
振りほどき、つねられた手を撫でる。
睨みつけても肝心の侍女はどこ吹く風。
「大丈夫ですよ、お嬢様」
「ルーミア…」
「大丈夫です」
ルーミアには今日行く場所のことしか知らせてはいない。
何故行くのかは言ってはいないのだ。
「ありがとう、ルーミア」
けれど、それを察して励ましてくれる侍女には感謝しかない。
今度はミリアがルーミアの手を取る。
だが…
「あいたたたた!!」
「結構痛かったからお返し」
そして同じく手の甲を抓った。
さすがのルーミアもこの痛みには悶え、表情を曇らせた。
この侍女の無表情以外の表情は久しぶりに見るような気がした。
(でも……ありがとう)
そんな馬車の一幕が終焉を迎えるころ、馬車は目的地に到着した。
その場所は…ロード家の屋敷。
馬車の扉が開くと、スッと男性の手が見える。
見慣れた手。その手に自らの手を乗せ、ミリアは馬車を降りた。
「いらっしゃい、ミリア」
満面の笑みでミリアを出迎えたルッツ。
彼の自宅でもあるだけに、その恰好は普段カースタ家に来る時よりもずっとラフだ。
しかしそのラフさが、普段見慣れない彼だけに少しドキっとしてしまう。
「急でごめんなさいね」
「君の来訪ならいつでも構わないさ」
「あら、じゃあ深夜にでも訪れようかしら?」
「使用人は寝ているじゃないか。俺だけに出迎えてほしいと?甘えん坊だな、君は」
そう言うルッツの顔はこの上なく甘い。
ルッツにエスコートされ、ロード家の屋敷に足を踏み入れる。
そこにはロード家の使用人が待ち構えており、歓迎のあいさつを受けた。
そのまま、応接室へと移る。
応接室に備え付けられたソファーに座ることを促されると、当然のように隣にはルッツが座る。
「急にどうしたんだ?今日は」
ミリアがロード家の屋敷を訪れたことは無い。
今回が初訪問だ。
それも、先触れは出したが事前にルッツに伝えていたわけではない。
自身に何も言わず、先触れを出して来訪してきたことを不思議がっているようだ。
「決めてきたことがあるのよ」
「決めてきたこと…それは今日の君の格好と関係があるのか?とてもよく似合っている」
そう言いながら、髪を一房手に取ると口づけてきた。
そんな気障なことがさらりとできるようになったルッツに改めて驚き、そして少し照れの気持ちもありながら、ミリアはルッツを見据えた。
「ミリア?」
普段とは違う、その強い眼差しにルッツは驚いた表情になる。
ついにその言葉を口にする。
何も恐れも不安も無いはずなのに、それでも口は真一文字に引き締められ、すぐに出てこない。
いつも彼が口にする言葉なのに、いざ自分が口にするかと思うと引き出せない。
そんなミリアから何かを察したのか、ミリアの手をルッツは優しく自分の手で覆った。
「大丈夫だ」
何が大丈夫なのか。
何がわかったというのか。
普段ならそう問いたいくらいなのに、今はその言葉だけでミリアの心がスッと軽くなった。
(あぁ……私は、もう……)
彼の言動一つでこうも心が動く。
今の自分が、どれほどルッツを想っているのかがよくわかる。
だから……紡ぐ言葉にもう、不安は無い。
「好きよ、ルッツ」
やっと言えた、その言葉。
今のミリアの、素直な言葉。
自身の感情の、赴くままの言葉は、口にした自身にすら温かな気持ちを呼び起こす。
それに対しルッツは一瞬驚きの表情に変わるも、すぐのその表情を緩める。
どころか、緩めすぎて少しだらしないところにまで来てしまっている。
これではせっかくの美貌も台無しだ。
そんな、喜びが表情が表れ過ぎたルッツにミリアは笑うしかなかった。
「嬉しいのは分かるけど、もうちょっと引き締めて頂戴?」
そう指摘され、ようやくルッツは自分がどれほどだらしない顔をしていたか自覚した。
が、次の瞬間にはまた緩んでいくのだから仕方がない。
「ほら、また」
「仕方ないだろう。ようやく君の口からそれが聞けたんだ。うれしくてたまらないんだ」
「ダメよ、そんな顔ばかりじゃ私、嫌いになっちゃうわよ?」
「それは困るな」
困ると言いながら、もう表情を直そうとしない。
ミリアの言葉が口だけだということは分かっているし、嫌われるとは微塵も思っていない。
「ようやく聞けた」
ミリアの顎に手を添え、二人の距離が狭まる。
ようやく思いが通じ合った二人を、遮るものはいない。
二人ともに目を閉じ、さらに近くなる。
「ん………」
どんなに手や肩、腰に触れようとも許されることのなかった場所。
唇。
ようやく触れることを許された男、許した女。
そんな二人の初めてのキスは、初めてらしくわずかに触れる程度。
数秒で再び距離ができるも、離れた時間は長く続かない。
すぐにまた触れ合うと、今度はさきほどよりも長い。
けれど、想いは通じてもまだ二人は学生、それに家の許可は正式に降りていない。
ルッツは自分に湧き上がるオスとしての本能を理性で抑え込み、さらに深い口づけを望む自身を縛り付ける。
ミリアの頭に回したくなる手を、ミリアの手を優しく握ることで抑えつける。
再び離れ、見つめ合う二人はお互いに笑い出す。
零れるような笑いは、とても幸せを感じている証拠だ。
「ねぇルッツ」
「どうした?」
「私、今すごい幸せなの。まだ結婚してないのに」
「俺も幸せだ。これ以上幸せになるのかと思うと恐ろしくすらある」
「じゃあやめようかしら?」
「俺が離すとでも?」
ミリアの冗談に、ルッツは笑みを一転。
獰猛な、獅子のごとき瞳でミリアの瞳に映る自分を見る。
その瞳に魅せられたミリアは、一際高鳴った鼓動、そして一気に紅潮する顔に心を一瞬失ったような感覚に襲われる。
心をわしづかみにされた。
そんな表現がまさに今自身を襲ったと他人事のように感じながら、もうこの人からは逃げられない、逃げたくないと悟った。
「離さないで頂戴?」
「もちろんだとも」
ミリアの腰に回された手が、身体ごとグイッと引き寄せられる。
ルッツの体に手をかけなければいけないほどに引き寄せられれば、その手から伝わるルッツの体の逞しさにまた鼓動が早くなる。
(見た目も中身も……こんなにも男らしい…)
初めての印象はまるで子犬だった。
しかし、今は欲しいものは力づくで手に入れる、獰猛な獅子だ。
こんなにも変わってしまったと、ミリアは感動すらしていた。
「ミリア…」
彼に名を呼ばれるだけこんなにも鼓動が高鳴る。
想いを自覚し、伝え、想い合えただけでこんなにも変わってしまう。
名を呼ばれて顔を上げると、間髪入れずに唇をふさがれた。
それに驚きはなく、嫌悪など微塵も無い。
むしろ自分の体の一部が戻ってきたかのような安心感すらあった。
わずか三度のキスで、こんなにも受け入れてしまう。
前世ではそんな表現は山ほど読んできた。
しかし、前世の彼女からすれば唇以外なら患者としての立場上、身体を見せる・触れられることは日常茶飯事だった。
今更唇くらい……そう思っていた時期もあった。
そう思っていた自分に、この感動を伝えてあげたい。
こんなにも素晴らしいものなんだと教えてあげたい。
離れる唇に寂しさを覚えつつ、言葉を紡ぐことを許された唇で、想いを告げる。
「好きよ、ルッツ」
ミリアは珍しく出かける準備をしていた。
先触れは出した。
初めて訪れる場所に、緊張が高まる。
そして、今日はミリア一世一代の大仕事となる。
それを行うことも考えるとさらに緊張は高まる。
「お嬢様、まるで死にかけの魚のように固まっておりますよ」
「もうちょっといい例えは無いかしら?」
「では死に伏した虫のように固まっております」
「悪化させてどうするのよ…」
ルーミアの軽口に反論するもキレが無い。
先触れを出した場所から、その緊張の理由をルーミアは察する。
そしてその過度の緊張から何かをしようとしていることも。
もちろんルーミアも同行するが、ミリアの口からは何をするのかは言われていない。
ルーミアにも言わないということは、『それ』は確実に自分で成さねばらならないことだと分かっているからだろう。
ついに覚悟を決めたかとルーミアは安堵にも似た感情を抱いた。
そして肝心のミリアはもう誤魔化しはできない状況を作った。
その一歩は、昨晩に行った父・カースタ侯爵との対談だ。
***
「本気…と受け取っていいんだね?」
「はい」
父の確認にミリアは力強く頷く。
きっかけにされた彼女は不本意かもしれないが、ミリア自身今の状況をどう変えていいか分からなくなり始めていた。
もはやただの意地だったのかもしれない。
「…だが、アーノルドに可能性無しと見れば次の後継者はミリアだ。その場合はどうするのかね?」
「その心配は不要です」
「ほう?」
ミリアは父の言葉を不要と断じた。
それに、父は面白そうに口角を上げる。
「ルッツが、お兄様は化ける…そう仰ったからです」
真剣なまなざしでそう告げるミリアに、父は一瞬呆気に取られる。
『ミリア』がミリアに生まれ変わったとき、ミリアはルッツとの婚約をためらう素振りすら見せずに解消することを父に望んだ。
まるでルッツに興味などない、そう言わんばかりの態度だった。
それからわずか数か月。
こうまで彼の言葉を信じている…それほどまでにミリアが彼を信頼していることに、父はわずかに嫉妬を募らせた。
「本当にそう思うかね?」
「思います」
父も、ルッツがアーノルドに特訓をつけていることは知っている。
それから、文官としての仕事の成果、特に人間関係に変化が表れていることも。
いずれ、良い伴侶にも恵まれるだろう。
だから、アーノルドは跡継ぎになれる。
そう論ずるのが普通だ。
だがミリアは違う。
ルッツが言った。
だから信じる。
わかりやすいほどの信頼関係だ。
相手の言葉を疑う様子は微塵も無い。
だからこそ、ミリアは本気だ。
それが先の言葉に通じる。
「…いいだろう。ミリア、君の覚悟を君自身で伝えてきなさい」
「ありがとうございます、お父様」
ミリアが部屋を出ていった。
その扉が閉まるまで、父は娘の背中を見ていた。
いつから彼女はこんなにもたくましくなったのだろうか。
彼女が病床からよみがえったとき、強い娘だとは思った。
自ら明かさなくてもいいはずだった真実を明るみにし、けれど両親を騙したくないという彼女の誠実さ。
それを明らかにしたことによる拒絶への恐れを、立ち上がることすらできない弱り切った体にも拘わらず払拭し、語ったその強さ。
しかし、その強さは一方で『諦め』という境地が支えている。
最悪、『諦めてしまえばいい』という心境が見えていた。
彼女はすでに一度死している。
だからこそ、生への執着が強いと同時に、死への恐怖が無い。
恐怖が無いから、容易く『諦める』ことができる。
『死』から来る強さ。そして、『死』がもたらした誠実さ。
それがかつての彼女がもっていた強さだ。
しかし今は違う。
彼女は…娘はもう『諦めない』。
諦めることを拒んだのだ。
もし仮に、父が娘の覚悟を拒んだとしても、もう娘は諦めない。
諦めるつもりが無いことが、その瞳にしっかりと刻まれている。
そこまで娘を変えた彼の存在を、父は感謝すると同時に妬ましく思ってしまう。
これが娘を持つ父の心境か…と今更ながらに感じていた。
「この館も……また寂しくなるな」
父の独り言に、静かに控えていた執事長も黙ってうなずく。
『ミリア』が元気なころはいつも貴族貴族と口やかましいアーノルドと喧嘩ばかりしていた。
しかし、『ミリア』が病床に伏してからはアーノルドの屋敷内での口数も減り、両親も口数が乏しくなり、静かになってしまった。
けれど、ミリアが蘇り、以前と違い使用人とも快く接する彼女に屋敷内は徐々ににぎやかになっていった。
それがまた消えてしまう……寂しいことだ。
「アーノルドの伴侶に期待…だな」
***
そんなやりとりから翌日が今日である。
準備を整え、馬車に乗り込んだミリアはルーミアとともに目的地へと向かう。
道中、初めて向かう場所、これからの自分の人生の決断を宣言する場所への緊張がピークに達していく。
そんな主を見かねて、ルーミアがミリアの手をそっと握り込んだ。
「ルーミア…」
親愛なる侍女の心遣いに、ミリアはふっと顔を和らげ…
「いたたたたたたた!?」
突如走る痛みに悲鳴を上げた。
見ればルーミアの手がミリアの手の甲をつまみ上げている、
これは痛い。
「何なのよ?!」
振りほどき、つねられた手を撫でる。
睨みつけても肝心の侍女はどこ吹く風。
「大丈夫ですよ、お嬢様」
「ルーミア…」
「大丈夫です」
ルーミアには今日行く場所のことしか知らせてはいない。
何故行くのかは言ってはいないのだ。
「ありがとう、ルーミア」
けれど、それを察して励ましてくれる侍女には感謝しかない。
今度はミリアがルーミアの手を取る。
だが…
「あいたたたた!!」
「結構痛かったからお返し」
そして同じく手の甲を抓った。
さすがのルーミアもこの痛みには悶え、表情を曇らせた。
この侍女の無表情以外の表情は久しぶりに見るような気がした。
(でも……ありがとう)
そんな馬車の一幕が終焉を迎えるころ、馬車は目的地に到着した。
その場所は…ロード家の屋敷。
馬車の扉が開くと、スッと男性の手が見える。
見慣れた手。その手に自らの手を乗せ、ミリアは馬車を降りた。
「いらっしゃい、ミリア」
満面の笑みでミリアを出迎えたルッツ。
彼の自宅でもあるだけに、その恰好は普段カースタ家に来る時よりもずっとラフだ。
しかしそのラフさが、普段見慣れない彼だけに少しドキっとしてしまう。
「急でごめんなさいね」
「君の来訪ならいつでも構わないさ」
「あら、じゃあ深夜にでも訪れようかしら?」
「使用人は寝ているじゃないか。俺だけに出迎えてほしいと?甘えん坊だな、君は」
そう言うルッツの顔はこの上なく甘い。
ルッツにエスコートされ、ロード家の屋敷に足を踏み入れる。
そこにはロード家の使用人が待ち構えており、歓迎のあいさつを受けた。
そのまま、応接室へと移る。
応接室に備え付けられたソファーに座ることを促されると、当然のように隣にはルッツが座る。
「急にどうしたんだ?今日は」
ミリアがロード家の屋敷を訪れたことは無い。
今回が初訪問だ。
それも、先触れは出したが事前にルッツに伝えていたわけではない。
自身に何も言わず、先触れを出して来訪してきたことを不思議がっているようだ。
「決めてきたことがあるのよ」
「決めてきたこと…それは今日の君の格好と関係があるのか?とてもよく似合っている」
そう言いながら、髪を一房手に取ると口づけてきた。
そんな気障なことがさらりとできるようになったルッツに改めて驚き、そして少し照れの気持ちもありながら、ミリアはルッツを見据えた。
「ミリア?」
普段とは違う、その強い眼差しにルッツは驚いた表情になる。
ついにその言葉を口にする。
何も恐れも不安も無いはずなのに、それでも口は真一文字に引き締められ、すぐに出てこない。
いつも彼が口にする言葉なのに、いざ自分が口にするかと思うと引き出せない。
そんなミリアから何かを察したのか、ミリアの手をルッツは優しく自分の手で覆った。
「大丈夫だ」
何が大丈夫なのか。
何がわかったというのか。
普段ならそう問いたいくらいなのに、今はその言葉だけでミリアの心がスッと軽くなった。
(あぁ……私は、もう……)
彼の言動一つでこうも心が動く。
今の自分が、どれほどルッツを想っているのかがよくわかる。
だから……紡ぐ言葉にもう、不安は無い。
「好きよ、ルッツ」
やっと言えた、その言葉。
今のミリアの、素直な言葉。
自身の感情の、赴くままの言葉は、口にした自身にすら温かな気持ちを呼び起こす。
それに対しルッツは一瞬驚きの表情に変わるも、すぐのその表情を緩める。
どころか、緩めすぎて少しだらしないところにまで来てしまっている。
これではせっかくの美貌も台無しだ。
そんな、喜びが表情が表れ過ぎたルッツにミリアは笑うしかなかった。
「嬉しいのは分かるけど、もうちょっと引き締めて頂戴?」
そう指摘され、ようやくルッツは自分がどれほどだらしない顔をしていたか自覚した。
が、次の瞬間にはまた緩んでいくのだから仕方がない。
「ほら、また」
「仕方ないだろう。ようやく君の口からそれが聞けたんだ。うれしくてたまらないんだ」
「ダメよ、そんな顔ばかりじゃ私、嫌いになっちゃうわよ?」
「それは困るな」
困ると言いながら、もう表情を直そうとしない。
ミリアの言葉が口だけだということは分かっているし、嫌われるとは微塵も思っていない。
「ようやく聞けた」
ミリアの顎に手を添え、二人の距離が狭まる。
ようやく思いが通じ合った二人を、遮るものはいない。
二人ともに目を閉じ、さらに近くなる。
「ん………」
どんなに手や肩、腰に触れようとも許されることのなかった場所。
唇。
ようやく触れることを許された男、許した女。
そんな二人の初めてのキスは、初めてらしくわずかに触れる程度。
数秒で再び距離ができるも、離れた時間は長く続かない。
すぐにまた触れ合うと、今度はさきほどよりも長い。
けれど、想いは通じてもまだ二人は学生、それに家の許可は正式に降りていない。
ルッツは自分に湧き上がるオスとしての本能を理性で抑え込み、さらに深い口づけを望む自身を縛り付ける。
ミリアの頭に回したくなる手を、ミリアの手を優しく握ることで抑えつける。
再び離れ、見つめ合う二人はお互いに笑い出す。
零れるような笑いは、とても幸せを感じている証拠だ。
「ねぇルッツ」
「どうした?」
「私、今すごい幸せなの。まだ結婚してないのに」
「俺も幸せだ。これ以上幸せになるのかと思うと恐ろしくすらある」
「じゃあやめようかしら?」
「俺が離すとでも?」
ミリアの冗談に、ルッツは笑みを一転。
獰猛な、獅子のごとき瞳でミリアの瞳に映る自分を見る。
その瞳に魅せられたミリアは、一際高鳴った鼓動、そして一気に紅潮する顔に心を一瞬失ったような感覚に襲われる。
心をわしづかみにされた。
そんな表現がまさに今自身を襲ったと他人事のように感じながら、もうこの人からは逃げられない、逃げたくないと悟った。
「離さないで頂戴?」
「もちろんだとも」
ミリアの腰に回された手が、身体ごとグイッと引き寄せられる。
ルッツの体に手をかけなければいけないほどに引き寄せられれば、その手から伝わるルッツの体の逞しさにまた鼓動が早くなる。
(見た目も中身も……こんなにも男らしい…)
初めての印象はまるで子犬だった。
しかし、今は欲しいものは力づくで手に入れる、獰猛な獅子だ。
こんなにも変わってしまったと、ミリアは感動すらしていた。
「ミリア…」
彼に名を呼ばれるだけこんなにも鼓動が高鳴る。
想いを自覚し、伝え、想い合えただけでこんなにも変わってしまう。
名を呼ばれて顔を上げると、間髪入れずに唇をふさがれた。
それに驚きはなく、嫌悪など微塵も無い。
むしろ自分の体の一部が戻ってきたかのような安心感すらあった。
わずか三度のキスで、こんなにも受け入れてしまう。
前世ではそんな表現は山ほど読んできた。
しかし、前世の彼女からすれば唇以外なら患者としての立場上、身体を見せる・触れられることは日常茶飯事だった。
今更唇くらい……そう思っていた時期もあった。
そう思っていた自分に、この感動を伝えてあげたい。
こんなにも素晴らしいものなんだと教えてあげたい。
離れる唇に寂しさを覚えつつ、言葉を紡ぐことを許された唇で、想いを告げる。
「好きよ、ルッツ」
335
あなたにおすすめの小説
大事なことなので、もう一度言います。メインヒロインはあちらにいるのでこっちに来ないでください!!
もち
恋愛
「ニコ、一緒にマギア学園に入ろうね!約束」
「うん、約束!破ったらダメだよリリィ!」
「ニコもだよ!」
あ〜今日もリリィは可愛いな〜優しいしリリィと友達になれて良かった!!
ん?リリィ、?どこかで聞いたことあるような名前だな?
この可愛い笑顔もどこかでみたことが
う〜ん、、、あっ、、わかった
「恋の魔法を君に」っていうゲームだ
画面越しにずっと見て名前を呼んでいたこのゲームのメインヒロイン
リリィ・スカーレットだ
そこで、一気に昔の記憶が蘇ってきた。
確かリリィは、学園に入るといろんな攻略対象たちから恋愛感情を向けられるはず、、、
ってことは私は幼少期から一緒にいるメインヒロインの友達モブ
ゲームストーリーにはいなかったよね?
王妃ですが都からの追放を言い渡されたので、田舎暮らしを楽しみます!
藤野ひま
ファンタジー
わたくし王妃の身でありながら、夫から婚姻破棄と王都から出て行く事を言い渡されました。
初めての田舎暮らしは……楽しいのですが?!
夫や、かの女性は王城でお元気かしら?
わたくしは元気にしておりますので、ご心配御無用です!
〔『仮面の王と風吹く国の姫君』の続編となります。できるだけこちらだけでわかるようにしています。が、気になったら前作にも立ち寄っていただけると嬉しいです〕〔ただ、ネタバレ的要素がありますのでご了承ください〕
我儘令嬢なんて無理だったので小心者令嬢になったらみんなに甘やかされました。
たぬきち25番
恋愛
「ここはどこですか?私はだれですか?」目を覚ましたら全く知らない場所にいました。
しかも以前の私は、かなり我儘令嬢だったそうです。
そんなマイナスからのスタートですが、文句はいえません。
ずっと冷たかった周りの目が、なんだか最近優しい気がします。
というか、甘やかされてません?
これって、どういうことでしょう?
※後日談は激甘です。
激甘が苦手な方は後日談以外をお楽しみ下さい。
※小説家になろう様にも公開させて頂いております。
ただあちらは、マルチエンディングではございませんので、その関係でこちらとは、内容が大幅に異なります。ご了承下さい。
タイトルも違います。タイトル:異世界、訳アリ令嬢の恋の行方は?!~あの時、もしあなたを選ばなければ~
うわさの行方
下沢翠花(しもざわすいか)
恋愛
まだ十歳で結婚したセシリア。
すぐに戦場へ行ってしまった夫のニールスは優しい人だった。
戦場から帰るまでは。
三年ぶりにあったニールスは、なぜかセシリアを遠ざける。
ニールスの素っ気ない態度に傷つき疲弊していくセシリアは謂れのない酷い噂に追い詰められて行く。
愛のない結婚をした継母に転生したようなので、天使のような息子を溺愛します
美杉日和。(旧美杉。)
恋愛
目が覚めると私は昔読んでいた本の中の登場人物、公爵家の後妻となった元王女ビオラに転生していた。
人嫌いの公爵は、王家によって組まれた前妻もビオラのことも毛嫌いしており、何をするのも全て別。二人の結婚には愛情の欠片もなく、ビオラは使用人たちにすら相手にされぬ生活を送っていた。
それでもめげずにこの家にしがみついていたのは、ビオラが公爵のことが本当に好きだったから。しかしその想いは報われることなどなく彼女は消え、私がこの体に入ってしまったらしい。
嫌われ者のビオラに転生し、この先どうしようかと考えあぐねていると、この物語の主人公であるルカが声をかけてきた。物語の中で悲惨な幼少期を過ごし、闇落ち予定のルカは純粋なまなざしで自分を見ている。天使のような可愛らしさと優しさに、気づけば彼を救って本物の家族になりたいと考える様に。
二人一緒ならばもう孤独ではないと、私はルカとの絆を深めていく。
するといつしか私を取り巻く周りの人々の目も、変わり始めるのだったーー
「出来損ないの妖精姫」と侮辱され続けた私。〜「一生お護りします」と誓った専属護衛騎士は、後悔する〜
高瀬船
恋愛
「出来損ないの妖精姫と、どうして俺は……」そんな悲痛な声が、部屋の中から聞こえた。
「愚かな過去の自分を呪いたい」そう呟くのは、自分の専属護衛騎士で、最も信頼し、最も愛していた人。
かつては愛おしげに細められていた目は、今は私を蔑むように細められ、かつては甘やかな声で私の名前を呼んでいてくれた声は、今は侮辱を込めて私の事を「妖精姫」と呼ぶ。
でも、かつては信頼し合い、契約を結んだ人だから。
私は、自分の専属護衛騎士を最後まで信じたい。
だけど、四年に一度開催される祭典の日。
その日、私は専属護衛騎士のフォスターに完全に見限られてしまう。
18歳にもなって、成長しない子供のような見た目、衰えていく魔力と魔法の腕。
もう、うんざりだ、と言われてフォスターは私の義妹、エルローディアの専属護衛騎士になりたい、と口にした。
絶望の淵に立たされた私に、幼馴染の彼が救いの手を伸ばしてくれた。
「ウェンディ・ホプリエル嬢。俺と専属護衛騎士の契約を結んで欲しい」
かつては、私を信頼し、私を愛してくれていた前専属護衛騎士。
その彼、フォスターは幼馴染と契約を結び直した私が起こす数々の奇跡に、深く後悔をしたのだった。
【誤字報告ありがとうございます!大変助かります(´;ω;`)】
妾の子だからといって、公爵家の令嬢を侮辱してただで済むと思っていたんですか?
木山楽斗
恋愛
公爵家の妾の子であるクラリアは、とある舞踏会にて二人の令嬢に詰められていた。
彼女達は、公爵家の汚点ともいえるクラリアのことを蔑み馬鹿にしていたのである。
公爵家の一員を侮辱するなど、本来であれば許されることではない。
しかし彼女達は、妾の子のことでムキになることはないと高を括っていた。
だが公爵家は彼女達に対して厳正なる抗議をしてきた。
二人が公爵家を侮辱したとして、糾弾したのである。
彼女達は何もわかっていなかったのだ。例え妾の子であろうとも、公爵家の一員であるクラリアを侮辱してただで済む訳がないということを。
※HOTランキング1位、小説、恋愛24hポイントランキング1位(2024/10/04) 皆さまの応援のおかげです。誠にありがとうございます。
私は彼に選ばれなかった令嬢。なら、自分の思う通りに生きますわ
みゅー
恋愛
私の名前はアレクサンドラ・デュカス。
婚約者の座は得たのに、愛されたのは別の令嬢。社交界の噂に翻弄され、命の危険にさらされ絶望の淵で私は前世の記憶を思い出した。
これは、誰かに決められた物語。ならば私は、自分の手で運命を変える。
愛も権力も裏切りも、すべて巻き込み、私は私の道を生きてみせる。
毎日20時30分に投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる