66 / 70
66 エアリアの思い出
しおりを挟む
エアリアさんは、風の精霊で、魔王さまのお母さん
私は、ごくっと唾を飲み込んだ。
ここまで相当重い。
なのに、まだ知らないことがある気がしていた。
たとえば、魔王さまのお父さんのこと。
エアリアさんも、なぜ精霊になったのか。
どうして、ずっと母だと名乗らずにいたのか。
そういえば、エアリアさんが笑う時、ふっと遠くを見るような目をするときがある。
それって、もしかして──思い出してるのかな。
「前の魔王さまの名前はね、バルグレイスっていうの」
ぽつりと落とされた言葉に、わたしは目を上げる。
「魔王になったら名前は捨てるけど……私はずっと“バル様”って呼んでたの」
エアリアさんは、どこか遠くを見るように微笑んでいた。
「初めて会ったときは、冷たい雰囲気の人だった。スネク姉さんの駆け落ち騒動もあって、きっと私も警戒されてるんだと思ってたけど……実際は違ったの。未来を悲観して、誰にも心を開けなくなってただけだった」
そう話す声は穏やかで、少しだけ哀しげだった。
「私は、ここにやってきて“初めて籠から出た蛇”だったの。外の世界を何も知らなくて、結婚しに来たというのに、何もかもが新鮮だったわ。でも体が弱かったから、庭に出るたびに風邪をひいて……すぐ寝込んでしまって」
記憶をたどるように、エアリアさんは言葉をつむぐ。
「そのたびにバル様が見舞いに来てくれたの。最初は義務的だったと思う。必要なことだけを話して、すぐに帰っていくような……でも、私にとってはそれが嬉しくて」
“それで? まあ!どうして?”と、無邪気に問いかける自分の姿を思い出しているのだろう。彼女は、少しだけ笑った。
「私がしつこく聞くから、バル様も少しずつ話してくれるようになって……気づけば毎日、部屋でお茶を飲んで、お菓子を食べながら、たくさん話をしたの」
一緒に過ごした日々のぬくもりが、そのまま残っているような語り方だった。
「風邪をひくからって、庭に出るのは“バル様と一緒のときだけ”になったの。そのうち、噴水が私たちのデート場所になった」
私はうなずく。
あの噴水──彼女の魔石が眠っている場所だ。
「……でもね、周りの重鎮の反対はすごかったわ。私は短命だし、子供を産めるかも分からない。蛇一族の血筋としても、正妃にするには不安要素だらけだった。……それでも、バル様は私を選んで、守ってくれた」
エアリアさんの瞳が静かに揺れる。
「体を気遣って、手も出さずにそばにいてくれたの。そのときは……スネク姉さんの代わりだから、気に入られてないんだろうなって思ってた。でも私の方は……あっという間に、恋に落ちてた」
苦笑のような、照れたような空気が流れる。
「だけどね、心のどこかでは申し訳なくて……。早く死ねば、子供も残らないし、バル様はもっと良い相手を迎えられるって、本気で思ってたの」
わたしは、ただ黙って聞く。
「あるとき、体調を崩して寝込んでた私に、バル様が言ったの。“君まで僕を置いていかないで”って」
それがどれほど重く、優しい一言だったか。
エアリアさんは言葉少なに、しかし確かに伝えてくる。
「それで分かったの。……私のこと、ちゃんと想ってくれてたんだって」
「それからは毎日、いろんな話をしたわ。昔のことも、今のことも、未来のことも。バル様は、私のベッドの横でずっと仕事をしてた。決して離れなかったのよ」
静かな、けれど確かな愛情。
その重みが、ひしひしと胸に伝わってくる。
「子供が生まれてからも変わらなかった。私の体調に合わせて、休みながら、ずっとそばにいてくれた。……幸せだった」
小さく息をついて、エアリアさんは視線を落とす。
「だから私は、お願いしたの。死んだら“精霊にしてください”って」
私はそっと顔を上げた。
彼女は、まっすぐこちらを見ていた。
「私をこのまま死なせてほしくなかったの。成仏なんてできない。心配すぎて、未練がありすぎて……どうせなら、風の精霊になって、ずっとそばにいたいって思った」
けれど、その願いには条件があったという。
「バル様は言ったわ。“子供に自分の正体を明かしてはいけない”って。魔王は、孤独に耐えて、厳しい決断を一人で下さなければならない存在だからって。……甘えさせてはいけないって」
わたしは、ゆっくりと頷いた。
それがどれほどの覚悟だったのか、少しだけわかる気がした。
「でもね、バル様は心配してたの。自分がいなくなったあと、私が一人になることを」
エアリアさんの声が、少しだけやわらいだ。
「私は、嫁入りしてからずっと、ヒュドラオン家から子供を産めと圧力をかけられてたの。だから、バル様は家と縁を切ってくれたの。その代わりに、スネク姉さんとオーガ兄さんを城に呼び寄せて……私と子供を託してくれたのよ。それが、今に繋がってる」
私は頷く。それだけで精一杯だった。
「私は風の精霊になった。愛する人と、子供のそばにいられるように」
噴水の魔石。あの静かな場所の意味が、今ならわかる。
「バル様が狂化するまでは、一緒にたくさん話をした。子供を連れて、噴水の前で水遊びもしたの。……あそこは、私たちの幸せの記憶の場所」
だから。
「魔石は、噴水にあるのよ。この間、城に瘴気があふれたときも、私は動かなかった。……スネクが説得しても、ずっとそこにいたの。息子が瘴気に飲まれるなら、次の代はもうない。だったら、私もあのまま外には出なくていいと思ってた」
エアリアさんはそう言って、静かに微笑んだ。
それは、母の顔だった。
私は、ごくっと唾を飲み込んだ。
ここまで相当重い。
なのに、まだ知らないことがある気がしていた。
たとえば、魔王さまのお父さんのこと。
エアリアさんも、なぜ精霊になったのか。
どうして、ずっと母だと名乗らずにいたのか。
そういえば、エアリアさんが笑う時、ふっと遠くを見るような目をするときがある。
それって、もしかして──思い出してるのかな。
「前の魔王さまの名前はね、バルグレイスっていうの」
ぽつりと落とされた言葉に、わたしは目を上げる。
「魔王になったら名前は捨てるけど……私はずっと“バル様”って呼んでたの」
エアリアさんは、どこか遠くを見るように微笑んでいた。
「初めて会ったときは、冷たい雰囲気の人だった。スネク姉さんの駆け落ち騒動もあって、きっと私も警戒されてるんだと思ってたけど……実際は違ったの。未来を悲観して、誰にも心を開けなくなってただけだった」
そう話す声は穏やかで、少しだけ哀しげだった。
「私は、ここにやってきて“初めて籠から出た蛇”だったの。外の世界を何も知らなくて、結婚しに来たというのに、何もかもが新鮮だったわ。でも体が弱かったから、庭に出るたびに風邪をひいて……すぐ寝込んでしまって」
記憶をたどるように、エアリアさんは言葉をつむぐ。
「そのたびにバル様が見舞いに来てくれたの。最初は義務的だったと思う。必要なことだけを話して、すぐに帰っていくような……でも、私にとってはそれが嬉しくて」
“それで? まあ!どうして?”と、無邪気に問いかける自分の姿を思い出しているのだろう。彼女は、少しだけ笑った。
「私がしつこく聞くから、バル様も少しずつ話してくれるようになって……気づけば毎日、部屋でお茶を飲んで、お菓子を食べながら、たくさん話をしたの」
一緒に過ごした日々のぬくもりが、そのまま残っているような語り方だった。
「風邪をひくからって、庭に出るのは“バル様と一緒のときだけ”になったの。そのうち、噴水が私たちのデート場所になった」
私はうなずく。
あの噴水──彼女の魔石が眠っている場所だ。
「……でもね、周りの重鎮の反対はすごかったわ。私は短命だし、子供を産めるかも分からない。蛇一族の血筋としても、正妃にするには不安要素だらけだった。……それでも、バル様は私を選んで、守ってくれた」
エアリアさんの瞳が静かに揺れる。
「体を気遣って、手も出さずにそばにいてくれたの。そのときは……スネク姉さんの代わりだから、気に入られてないんだろうなって思ってた。でも私の方は……あっという間に、恋に落ちてた」
苦笑のような、照れたような空気が流れる。
「だけどね、心のどこかでは申し訳なくて……。早く死ねば、子供も残らないし、バル様はもっと良い相手を迎えられるって、本気で思ってたの」
わたしは、ただ黙って聞く。
「あるとき、体調を崩して寝込んでた私に、バル様が言ったの。“君まで僕を置いていかないで”って」
それがどれほど重く、優しい一言だったか。
エアリアさんは言葉少なに、しかし確かに伝えてくる。
「それで分かったの。……私のこと、ちゃんと想ってくれてたんだって」
「それからは毎日、いろんな話をしたわ。昔のことも、今のことも、未来のことも。バル様は、私のベッドの横でずっと仕事をしてた。決して離れなかったのよ」
静かな、けれど確かな愛情。
その重みが、ひしひしと胸に伝わってくる。
「子供が生まれてからも変わらなかった。私の体調に合わせて、休みながら、ずっとそばにいてくれた。……幸せだった」
小さく息をついて、エアリアさんは視線を落とす。
「だから私は、お願いしたの。死んだら“精霊にしてください”って」
私はそっと顔を上げた。
彼女は、まっすぐこちらを見ていた。
「私をこのまま死なせてほしくなかったの。成仏なんてできない。心配すぎて、未練がありすぎて……どうせなら、風の精霊になって、ずっとそばにいたいって思った」
けれど、その願いには条件があったという。
「バル様は言ったわ。“子供に自分の正体を明かしてはいけない”って。魔王は、孤独に耐えて、厳しい決断を一人で下さなければならない存在だからって。……甘えさせてはいけないって」
わたしは、ゆっくりと頷いた。
それがどれほどの覚悟だったのか、少しだけわかる気がした。
「でもね、バル様は心配してたの。自分がいなくなったあと、私が一人になることを」
エアリアさんの声が、少しだけやわらいだ。
「私は、嫁入りしてからずっと、ヒュドラオン家から子供を産めと圧力をかけられてたの。だから、バル様は家と縁を切ってくれたの。その代わりに、スネク姉さんとオーガ兄さんを城に呼び寄せて……私と子供を託してくれたのよ。それが、今に繋がってる」
私は頷く。それだけで精一杯だった。
「私は風の精霊になった。愛する人と、子供のそばにいられるように」
噴水の魔石。あの静かな場所の意味が、今ならわかる。
「バル様が狂化するまでは、一緒にたくさん話をした。子供を連れて、噴水の前で水遊びもしたの。……あそこは、私たちの幸せの記憶の場所」
だから。
「魔石は、噴水にあるのよ。この間、城に瘴気があふれたときも、私は動かなかった。……スネクが説得しても、ずっとそこにいたの。息子が瘴気に飲まれるなら、次の代はもうない。だったら、私もあのまま外には出なくていいと思ってた」
エアリアさんはそう言って、静かに微笑んだ。
それは、母の顔だった。
0
あなたにおすすめの小説
モブが乙女ゲームの世界に生まれてどうするの?【完結】
いつき
恋愛
リアラは貧しい男爵家に生まれた容姿も普通の女の子だった。
陰険な意地悪をする義母と義妹が来てから家族仲も悪くなり実の父にも煙たがられる日々
だが、彼女は気にも止めず使用人扱いされても挫ける事は無い
何故なら彼女は前世の記憶が有るからだ
偽聖女として私を処刑したこの世界を救おうと思うはずがなくて
奏千歌
恋愛
【とある大陸の話①:月と星の大陸】
※ヒロインがアンハッピーエンドです。
痛めつけられた足がもつれて、前には進まない。
爪を剥がされた足に、力など入るはずもなく、その足取りは重い。
執行官は、苛立たしげに私の首に繋がれた縄を引いた。
だから前のめりに倒れても、後ろ手に拘束されているから、手で庇うこともできずに、処刑台の床板に顔を打ち付けるだけだ。
ドッと、群衆が笑い声を上げ、それが地鳴りのように響いていた。
広場を埋め尽くす、人。
ギラギラとした視線をこちらに向けて、惨たらしく殺される私を待ち望んでいる。
この中には、誰も、私の死を嘆く者はいない。
そして、高みの見物を決め込むかのような、貴族達。
わずかに視線を上に向けると、城のテラスから私を見下ろす王太子。
国王夫妻もいるけど、王太子の隣には、王太子妃となったあの人はいない。
今日は、二人の婚姻の日だったはず。
婚姻の禍を祓う為に、私の処刑が今日になったと聞かされた。
王太子と彼女の最も幸せな日が、私が死ぬ日であり、この大陸に破滅が決定づけられる日だ。
『ごめんなさい』
歓声をあげたはずの群衆の声が掻き消え、誰かの声が聞こえた気がした。
無機質で無感情な斧が無慈悲に振り下ろされ、私の首が落とされた時、大きく地面が揺れた。
冷酷騎士団長に『出来損ない』と捨てられましたが、どうやら私の力が覚醒したらしく、ヤンデレ化した彼に執着されています
放浪人
恋愛
平凡な毎日を送っていたはずの私、橘 莉奈(たちばな りな)は、突然、眩い光に包まれ異世界『エルドラ』に召喚されてしまう。 伝説の『聖女』として迎えられたのも束の間、魔力測定で「魔力ゼロ」と判定され、『出来損ない』の烙印を押されてしまった。
希望を失った私を引き取ったのは、氷のように冷たい瞳を持つ、この国の騎士団長カイン・アシュフォード。 「お前はここで、俺の命令だけを聞いていればいい」 物置のような部屋に押し込められ、彼から向けられるのは侮蔑の視線と冷たい言葉だけ。
元の世界に帰ることもできず、絶望的な日々が続くと思っていた。
──しかし、ある出来事をきっかけに、私の中に眠っていた〝本当の力〟が目覚め始める。 その瞬間から、私を見るカインの目が変わり始めた。
「リリア、お前は俺だけのものだ」 「どこへも行かせない。永遠に、俺のそばにいろ」
かつての冷酷さはどこへやら、彼は私に異常なまでの執着を見せ、甘く、そして狂気的な愛情で私を束縛しようとしてくる。 これは本当に愛情なの? それともただの執着?
優しい第二王子エリアスは私に手を差し伸べてくれるけれど、カインの嫉妬の炎は燃え盛るばかり。 逃げ場のない城の中、歪んだ愛の檻に、私は囚われていく──。
居候と婚約者が手を組んでいた!
すみ 小桜(sumitan)
恋愛
グリンマトル伯爵家の一人娘のレネットは、前世の記憶を持っていた。前世は体が弱く入院しそのまま亡くなった。その為、病気に苦しむ人を助けたいと思い薬師になる事に。幸いの事に、家業は薬師だったので、いざ学校へ。本来は17歳から通う学校へ7歳から行く事に。ほらそこは、転生者だから!
って、王都の学校だったので寮生活で、数年後に帰ってみると居候がいるではないですか!
父親の妹家族のウルミーシュ子爵家だった。同じ年の従姉妹アンナがこれまたわがまま。
アンアの母親で父親の妹のエルダがこれまたくせ者で。
最悪な事態が起き、レネットの思い描いていた未来は消え去った。家族と末永く幸せと願った未来が――。
虐げられ続けてきたお嬢様、全てを踏み台に幸せになることにしました。
ラディ
恋愛
一つ違いの姉と比べられる為に、愚かであることを強制され矯正されて育った妹。
家族からだけではなく、侍女や使用人からも虐げられ弄ばれ続けてきた。
劣悪こそが彼女と標準となっていたある日。
一人の男が現れる。
彼女の人生は彼の登場により一変する。
この機を逃さぬよう、彼女は。
幸せになることに、決めた。
■完結しました! 現在はルビ振りを調整中です!
■第14回恋愛小説大賞99位でした! 応援ありがとうございました!
■感想や御要望などお気軽にどうぞ!
■エールやいいねも励みになります!
■こちらの他にいくつか話を書いてますのでよろしければ、登録コンテンツから是非に。
※一部サブタイトルが文字化けで表示されているのは演出上の仕様です。お使いの端末、表示されているページは正常です。
聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる
夕立悠理
恋愛
ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。
しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。
しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。
※小説家になろう様にも投稿しています
※感想をいただけると、とても嬉しいです
※著作権は放棄してません
ざまぁに失敗したけど辺境伯に溺愛されています
木漏れ日
恋愛
天才魔術師セディが自分の番である『異界渡りの姫』を召喚したとき、16歳の少女奈緒はそれに巻き込まれて、壁外という身分を持たない人々が住む場所に落ちました。
少女は自分を異世界トリップに巻き込んだ『異界渡り姫』に復讐しようとして失敗。なぜかロビン辺境伯は少女も『異界渡りの姫』だと言って溺愛するのですが……
陰陽の姫シリーズ『図書館の幽霊って私のことですか?』と連動しています。
どちらからお読み頂いても話は通じます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる